オペラ・セリア「イドメネオ」K.366−8組の映像の総括とウイーン版への奨め−

−映像が8種類もあり、それぞれミュンヘン初演版およびウイーン版に別れて、オペラセリアの最高作品として楽しめるが、未だ突出したものがないので、自分なりに模索した望ましい「イドメネオ」像についてご紹介することとしたい−

オペラ・セリア「イドメネオ」−8組の映像の総括とウイーン版への奨め−

                             倉島 収(K.449)

1、 はじめに、

   オペラ「イドメネオ」には、今のところ新旧併せて8映像しかないが、いずれも水 準以上の良い映像がそろっている一方、現時点では、いまだ突出したものがないと思われる。これまで、レヴァイン・ポネルのメトロポリタン歌劇場の映像が、古いながらパバロッテイ・ベーレンス・コトルバス・シュターデの豪華キャストを使った大劇場型の迫力ある舞台による優れた映像として捉えられてきたが、その後現れた映像と比較すると、物足りない面も露出してきている。
今回、これら8映像を総括するに当たって、いろいろ検討してきたが「どの映像が最も良いか」という答えは得られず、セカンド・チョイスのものがいくつかあるという報告にならざるを得なかった。しかし、8映像を見較べて、自分なりの望ましい「イドメネオ」像を把握することができたので、それを今回ご紹介して、このオペラの総括としたいと思う。

2、このオペラの版の問題−ミュンヘン初演版が優勢であった−

   初めに、8種類の映像の版の問題について整理しておこう。私が入手しているイドメネオのCDや映像は別表−1の通り(データベース参照)であるが、これは私のホームページ(以下HP)において、モーツァルトの映像の入手曲の全てをこのような形で整理しているデータベースである。イドメネオの新全集(以下NMA)の校訂は、1972年にダニエル・ハーツ(D.Hearts1928~)により刊行されている(注-1)が、最近のCDや映像は、全てがこれを基本楽譜としているようである。このハーツによるNMAは、1)モーツァルトが作曲した初期稿の全てと、2)ミュンヘン初演稿、および3)ウイーン改訂稿の3版に大別されており、本文では、2)と3)が、または(ossia)として、a稿またはb稿に、読み替えられるように編集されている。また、ミュンヘン初演稿において削除された12カ所については、付録(Anhang)の扱いで掲載されており、3つの版が比較でき、差し替え可能なように編集されている。

   ここで重要なのは、2)ミュンヘン初演版および3)ウイーン改訂版であるが、新全集になって最初に録音されたアーノンクール・チューリッヒOPのCD(1980)が高い評価を受け、続いて出た映像のレヴァイン・ポネルのLD(8211)(12-8-3)が、大型歌手による新しい舞台としてこのオペラの存在を高める影響力を持っていたため、また91年モーツァルトイヤーの国立音大のハンペ演出が高い評価を受けたせいか、前世紀までは2)のミュンヘン初演版が重視されて優勢なように思われてきた。ただし、このポネル映像では、初演版では削除されたエレットラのアリア(第29番a)および末尾のイドメネオのアリア(第30番a)が付録から追加されているが、このうちエレットラのアリアは、ご承知の通り優れた演奏効果の絶大のアリアであり、劇の流れとしては異質な面があるが、これ以降の全ての映像においてミュンヘン初演稿の扱いにされているようである。
    このミュンヘン初演版は、イドメネオとイダマンテが二人のカストラートのために書かれていることが大きな問題であり、現在はイダマンテ役をメゾかアルトの女性が演ずることが多いが、それがいかにも不自然であり、映像化するとそれが強調されてしまう。モーツァルトもウイーン再演に当たっては、当然これを考慮しており、イダマンテをテノールにして2つの追加曲を新たに作曲している(ウイーン版)。しかし、先述の初演稿を優先する原典主義の影響のせいか、別表−1においても、ウイーン版の方が劣勢のように見える。
    なお、別表−1において、新全集刊行以前と考えられる録音に、イッセルシュテットのCDとプリッチャードの映像(LD)とがあるが、ここではこれらをミュンヘン稿とウイーン改訂稿とが恣意的に継ぎ合わされた「ごちゃ混ぜ版」として、別扱いにしたいと思う。

3、ウイーン版の成立事情とウイーン版の薦め−

   モーツァルトはイドメネオを作曲し初演・再演以降もミュンヘンに留まっていたが、ウイーンに滞在していた大司教に命ぜられウイーンに到着し、それ以降、大司教と対立して職を辞し、ウイーンで活躍を始めたのはご存じの通りである。モーツァルトは、この自信作「イドメネオ」の上演の機会をしばしば狙っていたとされるが、1786年3月13日に、ウイーンのカール・アウエルスペルク伯爵家で、アマチュアの貴族たちによって再演されることになった。この時期は、5月1日の「フィガロの結婚」の初演に向けて、このオペラの作曲の最盛期であったが、既に劇場支配人K.486、ピアノ協奏曲イ長調K.488などの名曲が相次いで完成した超多忙な時期でもあった。
   このたびの再演は、演奏会形式によるアマチュアの貴族たちにより行われることになったので、モーツァルトは貴族たちの技量に合わせて部分的に書き直す必要があった。 変更の重点は、メゾ・ソプラノのカストラートのイダマンテの声質をテノール役のブリーデイ男爵(注-2)に合わせることにあり、モーツァルトは次のような改変を行ったとされる。

   その第一は、第二幕の冒頭に、新しい場面(第10番b=K.490)−伴奏付きレチタティーヴォとヴァイオリン・ソロ付きのコンチェルト風アリア−を新しく作曲し、これまでのアルバーチェのアリアのある場面(第10番a)と入れ替えた。この曲はテノールのイダマンテが「どうしてあなたを忘れられよう」(注-3)と歌い出し、華麗なヴァイオリンのオブリガートが付いたロンドである。(なお、この詩には、モーツァルトが後日にナンシー・ストラーチェ(Nansy Strace)のために作曲したピアノのオブリガート付きのコンサート・アリアK.505がある)
    その第二は、第三幕の二人のソプラノによる二重唱(第20番a)を、新たにテノールとソプラノによる愛の二重唱(第20番b=K.489)に改作し、ソプラノの声部もコロラチューラのパッセージやカデンツアを省いた歌いやすいものに変更したという。第三にイダマンテが一緒に加わっている他の三重唱(第16番)や四重唱(第21番)などのイダマンテの声部を書き直したとされる。

    私見ではこのイダマンテのテノールの男性歌手への変更が非常に適切であり、映像でも自然に説得力を高めている上に、この差し替えの2つのアリアが親しみやすく魅力的で優れたものであると思われる。特にK.490については、ロビンズ・ランドンは、オペラ「フィガロの結婚」を折から作曲中であったので、このオペラの中のどれかに匹敵する感動的な曲の1つであると述べている。これら2曲はアマチュア歌手用への改変として軽視されがちのようであるが、イダマンテの女性役から男声役への変更、すなわち博物館のオペラというイメージを取り除こうとする全体の大きな流れの中で、その効果を考えていただきたいと思われる。ここでウイーン版での追加2曲を、改めて確認して頂きたいと思う。

   続いて、イドメネオの舞台においては、第三幕の後半に「愛の勝利だ」とする天の声によるこのオペラの決定的な場面がある。第9場において、生贄を覚悟したイダマンテがひるむ父親に刀を渡して説得し、進んで生贄になろうとする親子の情愛が溢れる場面、および第10場において、あのおとなしいイリアがさえぎる大司教やエレットラの手を振り払って愛するイダマンテの身代わりに自らが生贄になろうとして身を差し出す場面である。これらの愛と献身の2つがセットになって天を感動させ、いみじくも「愛の勝利だ」と天の声に語らせる感動的・決定的な場面を作り出している。私見では、この場面においても男性のイダマンテが演ずる親子の愛とイリアとの若い恋人同士の愛の2つが自然に現れるウイーン版の方が遙かに効果的であると考えている。
   私はこの2つの場面の愛の重要性を、国立音大・ハンペ演出の日本公演の映像(1992)(12-10-3)で初めて気がついたのであるが、残念ながらこれまでこのオペラ映像の代表であったレヴァイン・ポネル盤ではイリアが身を差し出す献身の第10場が簡略化されていた。しかし、最近では、全ての演出において、この決定的場面が丁寧に演出されるようになって来ており、やはり視覚的にウイーン版の方が優れていると感じている。この決定的場面を幾つかの映像で、確認して頂きたいと思う。

4、オペラ・セリアの枠を超える音楽や演出の重要性、

   イドメネオは「オペラ・セリア」の範疇に属するオペラであるが、アインシュタインは、古くから「このオペラは、25歳のモーツァルトがオペラを作曲するに当たって、あらゆる手段を支配する主人公になった」とし、彼のこの曲への音楽的発想力・劇的発想力の爆発を目にすると述べている。彼が委嘱されたのはイタリア語のテキストのオペラ・セリア「クレタ王のイドメネオ−またの名、イリアとイダマンテ−」であったが、彼はグルックのフランス・オペラ風に「合唱を力強く関与させて、第一幕を1つのシャコンヌ、つまり大規模な装飾的合唱曲で終結させたり、行進曲とバレー音楽の導入などを行った」とセリアの枠を超える仕事をしてしまった。石井宏先生は、さらにエストマンのLDの解説で、実際のところイタリア語で書かれていてもその形は、フランスの「グランド・オペラ」であるとより明確に述べておられる。その理由は、「イタリアのオペラ・セリアでは、まず合唱は殆ど使われず、全体はアリアと重唱(アンサンブル)にレチタティーヴォで成り立っている。しかし、オペラを輸入したフランスでは、自分たちの好みに合うように、合唱の持つマッシヴなパワーと、フランス古典バレエの華麗な世界を、オペラなるものの中に取り入れたとしている。確かに、「イドメネオ」には、合唱の力を随所で見事に生かして効果を上げているとともに、劇中や劇の最後にバレエのシーンを持っている。とすればこれはたとえイタリア語の台本であっても、フランス式グランド・オペラのスタイルを持ったオペラ以外の何物でもない」と述べておられる。

   このオペラをフランス風に作るようにという要求は、当然、ミュンヘンの宮廷から出されたものであり、カール・テオドール選帝侯はフランス文化に傾倒した啓蒙君主であった。選帝侯はこの3年前まではマンハイムにおられたのであるが、そこでもパリ風のオーケストラの演奏技術を育てて「マンハイム・オーケストラ」として有名であった。その伝で今回モーツァルトにオペラを書かせるに当たっても「フランス風に」書くことを命じており、モーツァルトも4つのホルンやトロンボーンまで使えると喜んでいた。サンプルとしてゼーアウ伯爵が手渡したのは、これより70年前にパリで上演されたダンシェ作カンブラ作曲のオペラ「イドメネオ」の5幕ものの台本であった。伯爵はこれをザルツブルグ宮廷付きの司祭だったイタリア人ヴァレスコに送付し、イタリア語に翻訳させ、3幕もののセリア風に近代化した台本を作る作業を依頼している。
   残念ながら出来上がった台本がメタスタジオのような立派なものではなく、冗長な部分が多すぎて、作曲に当たってモーツァルトは「削除・削除」の修正の依頼を手紙でレオポルドを通じて行った結果のやり取りが驚くほど克明に残されている(注-4)。しかし、ヴァレスコも快く修正に応じなかったため、ミュンヘンで最終的に残された譜面には、初期稿と実際に初演時に使われた短縮されたミュンヘン初演稿との2つが結果として残されることになった。

   以上のモーツァルトの作曲に関わる経緯から、オペラ・セリアとしてのアリアやアンサンブルの重視に加えて、フランス風への味付けが重要であると思われる。このオペラは合唱オペラと言っていいほど、実に9曲の合唱曲が含まれており、彼の舞台作品中最大の規模になっている。合唱はトロイ人の捕虜たちとクレタの人々から始まって、戦士たちと迎えるクレタの女たちの合唱、クレタの人々とエレットラ、クレタの人々とイドメネオ、クレタの人々と大司祭など、そして合唱の中間部にソロ・二重唱・四重唱などを挟んだ合唱などさまざまな形を取りながら、人々の意思や反応を伝える重要な役割を果たしていた。これまで見てきた映像では、全ての映像で合唱は、オペラの進行上重要な位置づけを持って上演されているようであるが、モーツァルトが意図した集団による人々の力が示されるような合唱が歌われて欲しいと考えている。

   一方、フランス風の味付けのもう一つのバレエ音楽については、NMAでは第一幕と第二幕の間のインテルメッツオ(幕間劇)において第8番の行進曲と第9番の上陸した戦士たちの合唱の間に、第8番aとして、クレタの女たちのバレエ音楽ガヴォットが挿入されている。また、第三幕の幕切れに、第32番;バレエとして「シャコンヌ」、「ラルゲット」、「シャコンヌ」、「パ・スール;−ラルゴ・アレグレット・アレグロ−」という楽譜が提示されている。しかし、最初のインテルメッツオでは、バレエ音楽は流れても、バレエを入れた映像は今のところ皆無である。一方、幕切れの第32番については、前世紀までの映像では皆無であったが、ノリントン・ヘルマン夫妻の映像(10608)(7-9-4)では、最初のシャコンヌの部分を、イダマンテとイリアの若い王子と王女の喜ぶ姿として現していた。しかし、フランス流の一流のバレエ・ダンサーが踊るようなバレエ・シーンとは異なるイメージのものであった。また最も新しいキュヴィリエ劇場で上演されたケント・ナガノ指揮の映像(10806)(9-8-3)においても、若い王子と王女が二人きりで喜びそしてはしゃぐ姿が、シャコンヌその他のバレエ音楽に合わせて写されていたが、ノリントン盤よりも長く写されてはいるものの、大勢で舞台の形を変える役割が長すぎて、終幕のイメージとしてはもっと工夫があっても良いと思われた。しかし、これはNMAでは解決されていないバレエ音楽の位置付けの問題と、どの部分が実際に上演されたかと言う問題とが残されており、演出家たちの考え方も含めて、今後、もう少しバレエの扱い方を研究する必要があると思われる。

5、ウイーン版の幾つかの例−ケント・ナガノの最新の映像が問題提起している−

   過去においては、イダマンテをテノールとするウイーン版の映像は、レヴァイン・ポネル盤(1982)に対抗するように現れたハイテインク・ナン盤のウイーン版(1983)(1-12-3)、および国立音大・ハンペ盤(1991)をウイーン版に置き換えたようなエストマン・ハンペ盤(1991)(1-12-3)があったが、没後200年の頃では、まだ原典主義的な見方が優勢であり、これら2つの映像は余り高い評価を受けなかったように覚えている。しかし、現時点でこれらの映像を改めて見直してみると、イダマンテのテノール姿は、無理に女性に歌わせるよりも自然であり、決して悪くないという評価ができると思う。

    最初のハイテインク・ナン盤は、グラインドボーンの狭いがアンサンブルの良い劇場でセリア的な簡素な舞台を意識的に創出しており、テレビ映像用に観客の姿や拍手などを取り除いて編集されたものであり、NMAのリブレットに極めて忠実に作成されていた。ウイーン追加曲第10番b(K.490)は、第二幕のアルバーチェのアリアは省略されていたが、その場所ではなく、第12番aのイドメネオのアリアの後に挿入されていた。また第三幕の第20番bの二重唱(K.489)は、第21番四重唱の前にキチンと歌われており、それぞれ素晴らしい効果を上げていた。この映像で特筆すべきはイリア役のイヴォンヌ・ケニーが最高の歌と演技を披露していることであり、彼女のセリアの王女としての格調の高さは、恐らく最高であろうと思われる。またイドメネオ王のラングリッジもセリアの王と普通の父親の姿をパバロッテイ以上に見せており、この盤の存在感を見せつけている。

   続いてエストマン・ハンペ盤は、世界で最も古い18世紀の木造の劇場を復元したドロットニングホルム宮廷劇場を用い、楽団員も当時の楽器と衣裳を身につけて演奏するエストマン指揮の映像は、当時の簡素なオペラ・セリアをそっくり再現するハンペ演出であり、シュヴェツインゲン音楽祭で活躍していた本格的テノール歌手キューブラーを特別に起用したウイーン版で、この映像の環境条件は最も優れていた。ハンペはリブレットなども最小限に短くして、全3幕を2時間23分に纏め上げており、ミュンヘン版で感ずる冗長さは減少していたが、エストマンの指揮のテンポが速すぎるところが多すぎて、特にイリアの美しい3つのアリアは興ざめするほどで、折角の古楽器演奏なのに好みの違いが大きかった。しかし、キュ−ブラーの歌ったイダマンテは、恐らく他の無名に近い歌手たちが歌ったどの映像よりも遙かに優れていると思われる。

   生誕250年のモーツァルト・イヤー以降のウイーン版には、最新のケント・ナガノ 指揮バイエルン歌劇場O&CHOのキュヴィリエ劇場で収録した映像(9-8-3)がある。演出は、D.ドルン(1935〜)というドイツのベテラン演出家によるものであり、新装なった初演した宮廷歌劇場の装飾的な舞台を生かしたモダンな演出となっているが、他の伝統的な演出と較べてどうかという好みの問題が残されている。演出者ドルンは他の全ての映像を見較べて参考に出来た筈であり、初演された劇場でのライブ演奏という他の映像が持ち得ない最高のメリットを生かして、博物館的なそっくり再現ではない、博物館から一歩抜け出た現代風な味を出そうと努力した跡が残されている。

   この映像の特徴は、第一にカストラートのイメージがないウイーン版をこの劇場に持ち込んで現代化を図ったこと、第二に出演者の合唱団の衣裳や小道具などでモダン化を考えたこと、第三にフランス風な味付けを強調したか、バレエを取り入れており、第一幕直後のインテルメッツオでバレエ音楽を演奏し、第三幕の終幕にバレエを持ち込んでいる。これらのモダン化の意欲は非常に評価できるが、それが行き過ぎていないかどうか、評価できるかどうか、気に入るかどうかなどの好みの問題が残されている。

    この映像に対し私はモダン化の意欲を大いに買っているのであるが、問題点の第一は、折角、ウイーン版を採用しているのに、あのヴァイオリンのオブリガートの追加曲K.490を採択せず、アルバーチェのアリア第10番aを優先していることである。私はこのアリアを追加するなら、ハイテインク・ナン盤のように第12番aの次ぎに挿入すれば良いと思うのであるが、極めて残念であった。このアリアを無視することは、このアリアが好きなものには、ウイーン版の効用を全く評価しないに等しいと思われる。
   第二に、序曲の始まりから舞台に出てくるアメリカン・フットボール風のトロイ人の捕虜たちを殺めるイドメネオの姿や、嵐が激しくなって同じイドメネオが海神の手先風の武器を持った黒ずくめの男たちに地下に引き摺り込まれ殺されそうになる荒々しい男たちの姿を見せつけている。序曲の中で何故、生贄が必要だったかを説明しているのであるが、合唱団として出てくる男たちの血と争いの姿に初めから辟易とさせられた。合唱団の力強さを良く分からせる演出であったが、行き過ぎのように思われ、私には良い印象とはならなかった。
   第三に、第三幕の最後に大団円としてのバレエがあり、それをイリヤとイダマンテの二人の喜びを祝福するものとするのは良いのであるが、もっと舞台を工夫する必要があると思われた。折角のバレエ音楽が、舞台を設営する伴奏音楽に使われるのは面白くないという点などが、私のイメージとは合わない問題点であった。    これらは私個人の独断と偏見かも知れないが、この機会に最も重要な、序曲の部分、長すぎて問題なイリアの第1曲、それと第三幕全体を見て頂いて、皆さんにも考えて頂きたいと思っている。

6、まとめ−自分の理想とする「イドメネオ」像−

   以上の8映像の総括を行い、そして検討を加えた結果たどり着いた最後に自分の理想とする望ましい「イドメネオ」像を申し上げると、博物館入りしそうな古い舞台をただ礼賛するのではなく、原作のカストラートを深追いせずに、モーツァルトがウイーンで改作したとおり素直にイダマンテをウイーン版のようにテノールで歌わせ、二つの追加曲などの修正を生かしたものとし、現代でも生き生きとしている「イリヤとイダマンテ」の愛の物語として描いて欲しいと考える。そのためには、小舞台でアンサンブルの良い伝統的な演出で、オペラ・セリアの枠を超えたとされる伴奏付きレチタティーヴォや数多い合唱曲の強化・充実、そしてあの決定的場面の演出効果の重視を図り、最後のバレエ音楽の効果的活用などを図ったものが良いと考えてみた。これは、ある意味では、8つの映像の良いとこ取りをした贅沢なものと言うことが出来そうであるが、今までのところまだ満足する映像が現れていないので、今後に大いに期待したいと考えている。

(以上)(2014/04/10)

(参考文献)
1、 チャンパイ・ホラント編、モーツァルト「イドメネオ」、音楽之友社(1989)、 リブレット全訳の他、改訂者ハーツによる改訂要旨がある。p183〜196、
2、R.ランドン、「ゴールデン・イヤーズ」、(1989)、中央公論社、p184、
  ブリーデイ男爵は、後日、故郷のロヴェレートの自宅の庭に、記念碑を建てた。
3、この作詩は、アリアK.505、Ch’io mi scordi di te? と共通である。
4、モーツァルトの書簡集を参考にまとめたアニー・パラデイ「モーツァルトの魔法のオペラ」第5章「イドメネオ」p140~191(1999、武藤剛史訳)が、分かりやすい。


目次3にもどる
目次2にもどる
目次1にもどる
私の新ホームページへ

名称未設定