魔笛をダビングして


思い出したこと

「魔笛」をダビングして  
 

   「魔笛」のダビングを熱心な方から依頼された。レヴァイン指揮、ポネル演出の1982年のザルツブルグ音楽祭ライブである。ピアノの講師をなさっており、学生時代に先生からダビングしてもらって、大切に聴いていたこの曲のテープが擦り切れてしまい、インターネットで調べているうちに、フェラインのホームページにたどり着き、管理者にメールしてきたようである。

 私の収集曲データベースによれば、あのモーツアルトイヤーの91年3月15日にBS放送されたものを録画していた。丁度10年前の録画であるが、当時のVTRは、S-VHSでもジャストクロックつきの時計が内蔵されていなかったので、タイトルや序曲の出だしがカットされている。また画質・録音とも最近のものより見劣りするが、シュライヤーやコトルバスが活躍し、グルベロヴァが夜の女王を見事に演じている。

 ダビングは、過去にも何回かやったことがあるが、この作業は簡単な様で時間がかかり、元テープのチェック、新テープへの録画、新テープのチェックの3回の監視作業が必要であり、オペラものなどでは、上手くいって神経質に機械を動かしながらの丸一日の作業となる。貴重な休日の大半をこの頼まれごとに費やすことになるし、うっかり失敗でもすると大変なので、2度と引き受けまいなどと何時も後悔し、女房に愚痴を言っていつも怒られている。

 従って、普通の場合は、ダビングしてあげるとはこちらからは言わないことにしているが、今回のようにLDとかテープなどの市販のメデイアがないものについては、「この演奏がかけがえのないもの」という依頼者の心情を考えると時間を指定されなければ、ダビングに協力してあげたいと思う。

 この「魔笛」の良さは、並みの演出家だと、あのザルツブルグの大劇場の舞台の広さを持て余してしまうのであろうが、さすがポネルは、この広さを実に巧みに活用している。特に、第2幕のフィナーレ以降の盛り上がる場面において二人の衛兵の大きな影絵を背景に、高揚するピッチカートの伴奏のもとで、タミーノとパミーナが「私のタミーノ(パミーナ)!おお、なんという幸せ。」と再会し、マジックフルートを吹きながら二人で試練を受ける場面が、実に劇的にライブで捉えられている。今回のダビング作業でこの場面を久しぶりで再確認しているが、いろいろな映像を比較しなければ、その良さには気づかないかもしれない。

 さて、私には、この「魔笛」には、最初に聞いたときの凄い思い出がある。それは、札幌北高に在学中の2年の秋のことである。ちょうど受験勉強が始まった頃で、習字と絵画と音楽の選択科目の「芸術」の授業では、私は音楽を選択していた。高校2年という一番のやんちゃな時期に、音楽の時間とはまさに息抜きの時間であり、いい加減に授業を受けていた。しかし、音楽の先生が、当時芸大を卒業したばかりの沼田先生という素晴らしいピアノの先生で、おそらく現在では札幌のピアノ界の重鎮になっておられる方であった。やんちゃ坊主の中では、私は当時からクラシック音楽が好きで、SPレコードを集めだしていた頃なので、まだマジメな方の生徒であった。音楽のテキストには、ショパンの歌曲で有名な「乙女の祈り」とかシューベルトの「楽に寄す」や「菩提樹」などがあった。これらの曲のピアノ伴奏は、いずれもそれだけで素晴らしく、私の耳にこびりついている。それらの曲の中にあの「魔笛」のグロッケンシュピールの20番の「パパゲーノのアリア」が含まれていたのである。

 熱心な沼田先生は、その曲の授業の時に、グロッケンシュピールの音はピアノでは分からないとおっしゃって、ご自身の大きなテープレコーダーを自転車の荷台に載せて歩いて学校まで運び、われわれやんちゃ坊主にオペラを聴かせてくれたのである。今ならカセット付きのラジカセがあるので簡単であるが、当時(昭和28年)はテープレコーダーは、札幌にあるかないかの貴重なもので初めてであったし、私自身、オペラという存在を知り、オペラを聴くのは初めての体験であった。ただし、残念ながら、オペラの内容や講義については殆ど記憶にないのが、今となっては悔しいと思っている。「魔笛」について私がいつも思うのは、この時の演奏を今になって聴いてみたいということである。当時、SPレコードであった録音といえば、恐らくビーチャム盤ではなかろうかと想像するが、そのとき以来お会いしたことがない高名な沼田先生にお尋ねするわけにもいかず、私の秘かな高校時代の思い出話として、心に残っている。

                                               (2000/04/04)

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