ミュンヘンキリエK.341と自筆作品目録


ミュンヘンキリエは、やはりウイーン時代以前に作曲された。

ミュンヘンキリエK.341と自筆作品目録 

     −−目次−−
1、まえがき、
2、自筆目録記載上のモーツアルトのルール、
3、ミュンヘンキリエの場合、
4、記載もれとみなされる曲例、
5、部分完成曲とみなされる曲例、
6、宗教的作品とみなされる曲例、
7、結論、
8、あとがき、
                                

  1、まえがき、

                    われわれ素人が利用できるモーツアルトに関する唯一の第一次資料は、今のところ、自筆作品目録しかない。これは1990年にCornell University Pressより出版されている。
 最近、ファクシミリなどによって、自筆譜面や自筆の手紙を部分的・断片的に見ることが出来るようになってきた。しかし、自筆のものに触れるという興味は満たされるものの、われわれ素人が解読できるものではなく、それぞれ第二次資料とされる新全集や翻訳された書簡全集などに頼らざるを得ない。自筆作品目録についても同様であるが、幸い原典のコピーの他に、それを活字化し、英訳したものと、ローゼンタールやタイソンによる専門的な解説が加えられているので、われわれにも利用できる貴重な資料になっている。

 さて、この資料は、曲名、完成年月、使用楽器などを明確にするものとして、1784年以降の年代別の作品目録の基本となっている。即ち、この目録に記載されていない曲があるとすれば、その曲は、1)1783年以前に作曲された曲であるか、2)未完成のため、この目録に記載されなかった曲か、または3)記載忘れを含めて、なんらかの理由でモーツアルトが記載しなかった曲であると考えられている。
 タイソンのこの本の解説では、1)目録に記載されているが現存しない曲、2)現存している完成曲で目録に記載されていない曲、3)目録の記載事項等の誤りなどについて例示し、要約した説明がなされており、一読すると、この作品目録自体は、もはや研究され尽くしているかのようにみえる。しかし、作品の作曲年代について、新たに議論する人や新しい提案をする人は、少なくともこの作品目録上は異論が生じないように、あらかじめ十分に検討を行ってから提案すべきであろうと考えられる。

 たとえば、ミュンヘンキリエ K.341(368a)の作曲年代を、従来の1780-81 年から1787年以降へと大きく変更しようとする動きがある(注1)。変更を主張する人々は、本来、目録に記載されていない完成曲の大方は、原則として1783年以前に作曲された曲と理解すべきなのであるから、この曲が何故この目録に記載されなかったかという例外的な理由を、十分に説明する必要があると思われる。実際、タイソンによれば、フルート四重奏曲K.298 やホルン協奏曲第三番K.447 のように、この目録に記載されなかった曲を1784年以降の曲と断定するために、過去においてモーツアルト学者が、事実関係を明確にするため大変な努力を行っていることが示されているからである。

 従って、もし提案者が、このキリエがミサ曲として未完成のため、この目録に記載されなかったという単純な理由しか持たず、それ以外の目録上の検討を何も行っていないとすれば、あまりにも大雑把すぎると思われる。その理由は、モーツアルトは、宗教曲の記載例としてはアヴェべルム一曲しか記載しておらず、このキリエは、キリエとしてオリジナルな完成曲であるからである。
 私は、ミュンヘンキリエの作曲の経緯は、はっきりした根拠は少ないかもしれないが、従来の定説通りの1780-81 年説の解釈の方が、仮説全体に無理が少ない(レター90号参照)と思っている論者であるが、この曲が何故この目録に記載されなかったかについて、モーツアルト自身の目録の記載例を私なりに分析し、以下の通り推論を試みたので、ここに報告するものである。


2、自筆目録記載上のモーツアルトのルール、

 モーツアルトは、1784年 2月 9日から、自ら作品目録をつけだした。この時期は、モーツアルトが結婚後ザルツブルグを訪問した直後に当たっており、恐らくレオポルドが作った幼少時代の作品目録などを見せられ、それらに習って始めたものと考えられている。当時はクラビーアの演奏家として、また作曲家として最も多忙を極めていた時期でもあったので、自立したプロの音楽家としての自覚が、そうさせたのであろう。その目的も多様であり、作品の出版のためとか、作品の整理簿としてとか、自身の備忘録としても、役立ったであろう。そして、曲の大小を問わず、曲の完成とともに全部で145 曲が、死に至るまで、克明に書き残されている。

 これら 145曲の記載例から、モーツアルトの目録記載上の一般的なルールを考えてみると、概ね次の通りとなろう。
1)曲の大・小にかかわらず、オリジナルな完成曲を記載している。
2)作品の名称を、他の曲と区別できるように、明確に記載している。
3)自作の曲の編曲は、記載しない(他人の曲の明らかな編曲は、記載している)。
4)追加曲の場合は、追加したオリジナルな曲のみを記載している(オペラ等の追加曲)。
5)小さな同種の曲の場合は、グルーピングして記載する(6つのドイツ舞曲など)こともある。

 これらは記載された個々の作品例から、私なりに整理して導き出したものであるが、ミュンヘンキリエの場合について、何故この目録に記載されなかったかを含めて、少し深く検討してみよう。


3、ミュンヘンキリエの場合、

 ミュンヘンキリエは、ご承知の通り筆写譜しかなく、この目録にも記載がないので、作曲年代を知る手掛かりは、間接的な状況証拠や作風研究などから類推するしか方法がない。このキリエに対し1787年以降の作の可能性があるという新しい説を提案したのは、タイソンである。彼は筆跡や五線紙の研究から、従来ザルツブルグ時代の作と信じられていたミサ曲楽章の断片の相当数が、1788年頃に手掛けられたことを明らかにしたが、我々のような情報量のない素人が気にし出したのは、1990年出版の新全集にこのキリエの作曲年代が他の断片類と同様に、「恐らく1787-91 年の間」と明記されて以来のことである。

 この説が一人歩きした背景には、この説を提案したタイソンが、一方では、自筆作品目録の最高の権威者であるから、この作品目録上も異論がないと信じ、誰も疑いを持とうとしなかったのではないかと思われる。しかし、私はこのキリエは、1787年以降の作であるとすれば、以下の目録の分析検討の結果、キリエとして作品目録に記載される可能性の方が(記載されない可能性よりも)高いのではないかと考えている。その結果、推論できることは、このキリエの作曲年代が1787年以降のものと考えるよりも、やはり、作品目録をつけ出す以前の作と考えた方が、より可能性が高く、仮説として無理がないものと判断される。その理由は、タイソンが直接研究した他の数小節のミサ曲断片と異なって、このキリエは、キリエとしてオリジナルな完成曲であり、この観点にたって目録の記載例を分析すれば、目録上からは、
1)フルオーケストラで 100小節を越える完成曲のなかでは、記載もれはないこと。
2)キリエのように楽章の一部に相当する部分完成曲の記載事例が多く、それが特に1788年以降に目立っていること。
3)フリーメースン曲を含めて考えると宗教的作品の完成曲の例が多いこと。
などの事例から、モーツアルト自身の記載ルールに従えば、本来この目録に記載されるべき曲であることが指摘できるからである。これらの事例に関する検討結果を、以下に説明することとしたい。


4、記載もれとみなされる曲例(表−1参照)

 タイソンの解説によれば、この目録に記載されている曲は、2に示した通り、殆どがオリジナルな完成曲であり、 145曲の記載曲に対して、記載もれと考えられている曲は、表−1の通り17曲である。これらのうち、複数の楽章を持つ大きな曲は、K.298 及びK.447 の2曲だけであり、これらには1784年以降の作品であることを説明づける別の研究がなされている。また、その他の曲についても、5曲のノットルノやK.441 のようにジャカン一家のための曲であるとか、K.483 やK.484 のようにフリーメースン用の曲であるとか、それなりに記載もれがあった特別な理由が示されている。

 しかし、記載もれと見做される17曲には、このキリエのような混成合唱を伴うフルオーケストラの 119小節にも達する意欲的なオリジナルな大型の曲は、K.298 及びK.447 の2曲を除くと見当たらない。逆にいうと、このキリエのように、奥深い内容を持った印象深い労作をウイーン時代の後期に完成させたとすれば、自身による記載もれはなく、当然目録に記載されて然るべき曲であると考えられる。従って、このキリエを、ザルツブルグ時代のような教会用ミサ曲を想定して、ミサ曲として未完成であるという意味で、モーツアルトが記載しなかったという可能性はありうるが、表−1の例からこれだけ印象に残る曲を、モーツアルトが他の部分が未完成だからとして記載しなかった理由を見付け出すことは難しく、不自然な感じがする。


表−1、記載もれと考えられる曲例、

K番号 /推定年/  曲   名      /   備 考
K.298 / 87 /フルート四重奏曲     / 他人の作の編曲か?
K.355 / 89? /クラヒーアのためのメヌエット/ 未完成    
K.356 / 91 /クラスハルモニカのためのアダージオ/K.617 とともに、
K.436-9/ 87? /5つのノットルノ     /ジャカン一家のため
K.441  /86-7/三重唱、リボンはどこ、  / ジャカン一家のため
K.447  /87 /ホルン協奏曲第3番    /K.527 と同じ用紙
K.453a /84 /クラヒーアのための小葬送行進曲/プロイヤーのアルバム、教育用
K.483-4 /85 /合唱つきリート      /フリーメースン分団用
K.485  /86 /クラヒーアのための ロンド/自筆譜の日付け,教育用
K.506  /85 /リート、自由の歌     /ウイーン年刊詩集(1786/1) に刊行
K.579  /89 /ソプラノのためのアリア  /K.577 とともにフィガロ追加曲?
K.621a /88 /バスのためのアリア    /
          


5、部分完成曲とみなされる曲例(表−2参照)

 ミサ曲としては未完成であるが、この曲はキリエとしては完成曲であるため、そのような楽章の一部に相当する独立した部分完成曲と思われる曲例を調べ、表−2のように、整理してみた。これによれば、部分完成曲とみなされる曲は11曲あり、そのほとんどが単一楽器のための小品である例が多い。従って、キリエのような複雑な宗教曲とは、同一に扱うことには疑問があるかもしれないが、部分完成曲であっても、それが小品であっても、完成曲として積極的に記載している実例が沢山あることに注目したい。

 さらに、表−2において注意すべきことは、部分完成曲の記入例が、1788年以降に目立って多いことである。これは、この時期全体の作品数の減少と関係があるであろう。そのため、この時期に、モーツアルトがキリエを完成させたのであれば、たとえ部分完成曲であっても、ミサ曲の作曲を何らかの理由で秘密にする必要でもない限り、必ず目録に記載していたのではないかと思われる。実際、表−2において、ピアノソナタ楽章の例などから、この中にキリエが単独に含まれていても少しもおかしくないと思われるが、いかがなものであろうか。


表−2、部分完成曲とみなされる曲例、

M番号/年代/K番号/作 品 の 名 称
24  /1785 /K.475/クラヒーアのための 幻想曲
39  /1786 /K.494/クラヒーアのための 小ロンド
72  /1788 /K.533/クラヒーアのための アレグロとアンダンテ
79  /1788 /K.540/クラヒーアのための アダージョ
86  /1788 /K.544/小行進曲(紛失)
88  /1788 /K.546/弦楽合奏のための小さなアダージョ
106 /1789 /K.574/クラヒーアのための 小ジーク
122 /1790 /K.594/時計仕掛けオルカンのための小品(アターショとアレクロ)
131 /1791 /K.608/時計仕掛けオルカンのための小品(アレクロとアンタンテ)
137 /1791 /K.616/小さなオルコールのためのアンダンテ
138 /1791 /K.617/クラスハーモニカのためのアダージョとロンド



6、宗教的作品とみなされる曲例(表−3)

 宗教曲についてはアヴェべルム一曲しか例がなく、ミサ曲としての記載例がないので、このキリエをモーツアルトがどう記載するかは分らない。宗教曲の記載の仕方やその可能性を調べるために、少し範囲を広げ、フリーメースン曲を含めて宗教的作品とみなされる曲をリストアップしてみた。全部で9曲あり、いずれも独立した完成曲または小品類である。どういう理由か分らないが、1785年と1791年に偏っている。これらの例から考えて、いろいろな曲がある中で、この中に部分完成曲としてキリエという曲名のものが含まれていても、少しもおかしくないと思われる。


表ー3 宗教的作品とみなされる曲例

M番号/年代/K番号/ 曲   名  

 15 /1785/K.469/ オラトリオ「悔悟せるダビデ」No.6、アリア、
 17 /1785/K.469/ オラトリオ「悔悟せるダビデ」No.8、アリア、
 18 /1785/K.468/ リート「汝らは新たな階位に」(組合員の旅)
 20 /1785/K.471/ カンタータ「フリーメースン会員の喜び」
 26 /1785/K.479a/葬送音楽「フリーメースンの葬送音楽」
136 /1791/K.615/ 合唱曲「われらは幸福に生きよう」
139 /1791/K.618/ モテット、アヴェ・ヴェルム・コルプス、
140 /1791/K.619/ 小ドイツ・カンタータ「計り知れぬ宇宙の…」
145 /1791/K.623/ 小フリーメースン・カンタータ「高らかに我らの喜びを」



7、結論、

 以上の通りモーツアルト自身の記載例からみると、ミュンヘンキリエは、キリエとしてはオリジナルな完成曲であり、フルオーケストラの 100小節を越える曲の目録上の記載もれの例はなく、特に1788年以降において部分完成曲の記載例が多くなっているので、もしモーツアルトが1787年以降にこのキリエを完成させていたとすれば、これらの例から判断して、キリエとして目録に記載された可能性の方が高いと思われる。そのため、ミサ曲として未完成だから記載されなかったとか、キリエとして記載することを忘れたなどという理由で、未記載の理由ずけをするのは、いかにも説得力がないと思われる。従って、以上の目録の分析結果から判断すると、このキリエは、やはり1783年以前の作であったので、目録の記載対象にはならなかったと解釈する方がより可能性が高く、全体として妥当な判断であると思われる。

 以上の検討の結果、ミュンヘンキリエの作曲年代は、
1)クラリネットを含んでいるため、従来通り、ミュンヘンで作曲され、
2)クラリネットの使い方から考えて、ウイーン時代の初期頃までに完成されており(注2)、さらに本文の結論である
3)自筆作品目録に記載のないオリジナルな完成曲であるので、1783年以前に作曲された可能性が高いこと
などの評価要因を総合的に判断して、これまでの解釈どおり 1780-81頃の作品と考えた方が、1787年以降のものとするよりも、より可能性が高いと結論づけることが出来る。
 このことは、タイソンが発表した1788年頃の数小節のミサ曲断片の研究結果と、完成曲であり自筆譜のないミュンヘンキリエとを切り離して考えるべきことを意味している。また、ミュンヘンキリエが持つ深遠な楽想やニ短調の調性などの作風論から後期の作品とする解釈は危険であり、すべては天才のなせる偶発的なことと考えるべきことを意味している。


8、あとがき、

 自筆目録にある各曲を1曲づつ丹念に検討してみて、正直なところ、このキリエは一体何のためにいつ作曲されたのか、直接モーツアルトに聞いてみたいという思いがする。いろいろ調べたり分析した結果、推論を行う材料は得られても、決定的なことは、やはり暗中にあるからである。
 ミュンヘンキリエの作品年代が、1780年でも1787年以降でも、この曲の価値が変わるわけではなく、この曲が好きなわれわれモーツアルテイアンには関係がないことである。しかし、いつも慎重で保守的にみえるモーツアルト学者が、この曲の年代に限っては、やや説明不足と思われる急いだ判断を下したように思われた(注-4) ので、私なりに気になっていたことをチェックし、持論を展開してみた。些細なことと考えられるが、このようなことを放置しておくと、根拠があいまいで主観的になりがちな作風論などが出てきて、このキリエとレクイエムとが深い関係にあるなどとする議論や解説などが一人歩きし、結果的に真面目なモーツアルテイアンを悩ませることになるからである。


(以 上)(1993/5/26)、 改訂(2000/11/26)


(参考文献)

  1、モーツアルト事典(1991)p,20-24、
2、倉島 収、レター89号、クラリネット関連曲について、
3、自筆作品目録、1791/11、Rosenthal&Tyson,Cornell University Press(1990)
4、新全集ミサ曲小品断片類(1990)、

                     

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