(懐かしいLDより;P.セラーズ演出のハーレムの「ドン・ジョバンニ」)
10-9-2、クレイグ・スミス指揮ウイーン交響楽団、P.セラーズ演出の歌劇「ドン・ジョバンニ」K.527、アーノルド・シェーンベルグ合唱団、1990年、

−この映像を克明に見ると、現代風な読み替え劇としていまや古典とさえ言われるこの映像が、当時としては、恐らく衆知を集めた大変な力作であったと言うことができよう。しかし、その熱意や努力にも拘わらず、音楽だけが美しく聞こえても、何か白々しく空虚に聞こえ、心に留まらず感動を生まないのは、私だけであろうか−

(懐かしいLDより;P.セラーズ演出のハーレムの「ドン・ジョバンニ」)
10-9-2、クレイグ・スミス指揮ウイーン交響楽団、P.セラーズ演出の歌劇「ドン・ジョバンニ」K.527、アーノルド・シェーンベルグ合唱団、1990年、
(配役)ドン・ジョバンニ;E.ペリー、レポレロ;H.ペリー、ドンナ・アンナ;B.ラベル、ドン・オッターヴィオ;C.フリーマン、ドンナ・エルヴィラ;L.フント、マゼット;E.ジェームス、ツエルリーナ;A.L.ズー、騎士長;J.パターソン、
(1997年8月、ポリドール、レーザーデイスク、POLL-9019〜20、)


   この映像は、古くて懐かしいレーザーデイスクから、ピーター・セラーズが演出監督したニューヨーク・ハーレムを舞台とした現代風の過激な「ドン・ジョバンニ」の読み替えオペラである。この映像は1991年の作品であるから、現在では20年も経つ古典的なものと評価されているが、話題の多かった作品を一度キチンと良く見て整理しておこうという考えで取り上げている。
   この映像は、現代のハーレムにおいて、オペラには恐らく最も望ましくない暴力や麻薬やセックスなどと言った現代アメリカ社会を悩ましている問題を扱っており、現代社会の人間同士の衝突をリアルに描き出したものと言われる。また、前に見た私の印象メモには、ウイーン版として追加された3曲が全て活用されているようであり、単に例のない珍しい現代演出だけではない、工夫された映像であることが分かる。「ドン・ジョバンニ」の残された映像は、あと一映像を残すだけであるので、余り好きになれない映像であるが、頑張ってみたいと思う。



    出演者などの紹介の字幕が出た後に、いきなりニ短調の序曲の大和音とともに初冬の都会の人気のない廃墟が映し出され、ゆっくりした序曲のテンポと寒々とした凍り付いたような情景に驚かされた。序曲がアレグロになって軽快に進み出すと、朝が来て人影や車などが現れ始め、灯りのついたお店などの様子が映し出されて、大都会のどこにでもある普通のすさんだ街角の風景になって序曲が終了していた。
    暗い街角で革ジャンパーにジーパン姿の黒人が登場し、カラオケ・スタイルでブツブツ歌っていたが、急に物音がして警戒していると、大きな声で言い争いしながら男女が転がり込んできた。良く見るとレポレロとそっくりな黒人が、やや太めの白人女性を組み敷いており、女は「離さないわ」と喚いていた。そこへ、長身の父親風のひげ男が登場し、「娘を離せ、決闘だ」と言って、男を追いつめていた。その時、鈍い拳銃の音がして、父親は顔をしかめながら腹を押さえて崩れるように倒れてしまった。



         二人の黒人が逃げ去ると、娘のドンナ・アンナが警官の服装の男とともに駆けつけたが、娘は父の死を見て気を失ってしまう。警官は部下に気付け薬を頼み、父親を運ぶよう命令し、娘を抱き起こしていた。ニューヨークのよくある殺人事件風であったが、どうやら二人は恋人同士の様子。ドンナ・アンナは気がつくと、早速、二重唱となり、父親の血を見ると、気丈な彼女は励ますオッターヴィオに対し、この血に賭けても復讐をと誓わせていた。



一方、逃げ出した二人の黒人は、どうやら、双子の兄弟らしく、弟が「兄貴はごろつきだ」と諭すが、兄貴は知らぬ顔。口争いを中断して「女の匂いがする」と言って辺りの様子を窺っていた。そこへ金髪の派手な白人女性が登場し、いきなりアリアを歌い出した。どうやら別れた男を追って来た様子。しかし、ナイフを手にして心臓を引き裂いてやりたいと物騒なことを言っていた。兄貴がひと声かけると、振り向いた女は何と別れたエルヴィーラ。兄貴はエルヴィーラに早口でまくし立てられて往生し、俺が信じられぬならこいつに理由を聞けと逃げ出したので、弟のレポレロは「カタログの歌」を歌い出した。エルヴィーラは直ぐに呆れて黙り込んでしまい、後半のアリアのテンポが変わってもふて腐れて考えている様子。アリアが終わると彼女は裏切りは許せないので復讐だと息巻いていた。



    場面が変わって賑やかな音楽と踊りで、結婚式を挙げた若い二人が明るく歌い出し、仲間たちと合唱をしていた。そこへ二人が登場し兄貴は、早速、花嫁に目を付けた。声を掛けると花嫁が私一人で大丈夫と言い、邪魔な新郎のマゼットをレポレロに機嫌を取らせて離そうとしたが、マゼットは言うことを聞かない。そこで兄貴がナイフで脅してみせると、マゼットは不承不承で、アリアを歌い始め、ツエルリーナを毒づきながら離れていった。二人になると、兄貴はツエルリーナにあんな男に勿体ないと言って誉めちぎり、直ぐに結婚しようとアリアを歌い出した。ツエルリーナも続き二重唱となって、迷いながらも二人で「一緒に行こう」とキスを終えたときに、エルヴィーラが現れた。ウブな娘を毒牙から守ると意気込む彼女に、ドン・ジョバンニが「気晴らしだ」と答えたので、彼女は怒りだし、「この男の目も口も嘘ばかり」とアリアを歌い出した。そして信じては駄目と女二人は連れだって立ち去っていった。



    「今日は厄日か」とふて腐れていると、警官に付き添われたドンナ・アンナが「助けてくれ」という。彼女が涙しているので尋ねていたところへ、再びエルヴィーラが顔を出し、「この人を信じてはいけません」とアリアを歌い出し、反論して二重唱になった。どちらの言い分を信じたらよいか四重唱になってドンナ・アンナが迷っていると、兄貴はエルヴィーラと二人で話したいと挨拶し、別れ際にアミーチ・アデイーオと言い残した言葉と姿格好でドンナ・アンナは「あの男が犯人だ」と初めて気がついた。彼女は半狂乱になってレチタテイーボ・アッコンパニアートを歌いながら恋人に事情を説明し、「これで分かったでしょう」とアリアを歌い出し、オッターヴィオに激しく復讐してくれとお願いしていた。力強いアリアで後半には装飾音符を付けて激しく歌っていた。オッターヴィオは「とても信じられない、あの男が」と半信半疑であったが、一人になってから「彼女が喜ぶことなら」とウイーン追加アリア(10a、K.540a)を歌っていた。弱音の美しいアリアであったが、ピストルを握りしめながら精一杯歌っていた。
    ここでフィナーレの前に、ストーリーには関係ない有名アリアが二曲歌われた。始めはドン・ジョバンニのアリアで、レポレロの良い報告を聞いて有頂天になって「さあ乾杯だ」と勢いよく歌う通称「シャンペンのアリア」で、楽しく朗々と歌われていた。二つ目はツエルリーナがマゼットの機嫌を直すために色っぽい仕草で歌う「ぶってよ、マゼット」であり、マゼットの手を取りながら、子羊のような可愛らしさを見せて歌っていた。


         フィナーレに入ってマゼットとツエルリーナが二重唱で口喧嘩をしながら見つからないように隠れていた。ドン・ジョバンニが愉快にやろうと挨拶をして宴会が始まった。ツエルリーナがドン・ジョバンニに直ぐ見つかって口説かれていたが、今度はマゼットが隠れていて邪魔をした。音楽が変わって三人が席に戻ると、入口ではエルヴィーラとドンナ・アンナとオッターヴィオの三人が、心配しながら勇気を出して入ろうとしていたが、会場ではメヌエットが始まっており、ようこそと迎え入れられた。三人はお礼を言い、改まって「天よ、力を貸してくれ」と祈りの美しい三重唱を心を込めて歌っていた。そのうちにコーヒーだ、アイスだ、と宴会が始まり賑やかな音楽も聞こえてきた。その席に三人が登場したので、ドン・ジョバンニは「ご自由に、どうぞ」と向かい入れ、どう言うつもりか一人裸になって「自由万歳」と歌い、自由にやってくれと上機嫌であった。


    メヌエットが始まり一同が踊り出したが、何となくぎこちない。マゼットが踊りたくないとごねていたが、ドン・ジョバンニはツエルリーナを捕まえて、コントルダンスを踊り出し、庶民的な早いテンポのドイツ舞曲も同時に始まりだしていた。踊りが佳境に入ったかと思われたとき、ツエルリーナの助けての悲鳴が聞こえてきて一同大騒ぎ。無事に助け出されて取り囲んでいると、ドン・ジョバンニがレポレロを突き飛ばして「彼が犯人だ」とピストルを突きつけていた。しかし、警官のオッターヴィオが騙されないぞとドン・ジョバンニにピストルを突きつけ、エルヴィーラもドンナ・アンナもピストルを向けて騒いだので、さすがのドン・ジョバンニも誤魔化しきれぬと降参した。音楽が変わるとドン・ジョバンニは地面に這いつくばり、しかし決して負けてはいないと捨て台詞を残しながら逃げ出して、第一幕は終了していた。


    第二幕が始まると、「兄貴、俺はもう嫌だ」と弟が逃げ出そうとして取っ組み合いをした挙げ句、仲直りしようと兄貴が麻薬を取り出すと、弟は今度だけはと素直になり二重唱になって二人で麻薬を嗅いでいた。そしてエルヴィーラの召使いを口説くため、仲良く洋服を交換し合っていた。そこでエルヴィーラが窓から顔を出し三重唱が始まったが、ドン・ジョバンニが許しを乞い、改心した振りをして、後悔している、降りてこなければ自殺するなどと歌うので、エルヴィーラはぐらつき始め、信じやすい彼女は兄貴を信用して階段から下りてきた。レポレロが顔を見せぬように抱き留めて、ドン・ジョバンニと思って二人が抱き合っているうちに大声がしたので、驚いた二人は逃げ去ってしまっていた。こでマンドリンの前奏が始まり、兄貴は二階にいる召使いのためにカンツオネッタを歌い出した。実に調子よくゆっくりと歌っていたが、終わり近くになると周囲が騒がしくなって来た。どうやらマゼット一行がドン・ジョバンニを懲らしめに大勢で探しに来たようだった。
   ここでストーリーには直接関係のないアリア2曲が続いた。始めの曲はドン・ジョバンニのアリアの「半分はこちら」で、レポレロに化けたドン・ジョバンニがマゼット一行を二手に分けて追い払うアリアであった。そこに一人残されたマゼットが打ちのめされて、運良くそこに現れたツエルリーナに見つけられ、「愛しい旦那様」と二曲目の有名な「薬屋のアリア」が色っぽく歌われて、倒されたマゼットも助けられて元気になっていた。





          一方、暗闇の中でエルヴィーラとレポレロがうろついていたが、エルヴィーラは弟を兄貴と思い込んでいるようだった。出口を探して二人の二重唱が始まり、そこへドンナ・アンナとオッターヴィオが父のお参りをしたところにぶつかり、逃げようとしたレポレロが傍にいたマゼットとツエルリーナに捕まって、全員の六重唱が始まった。オッターヴィオとマゼットはレポレロを許さないと主張するので、エルヴィーラが私の主人ですと言って助けようとし、レポレロは彼女が間違えていると主張した面白い六重唱であった。ツエルリーナが「マゼットを酷い目に遭わせたのはあなたね」と言い出したので、「どうかお慈悲を」とレポレロが平謝りのアリアを歌い出し、ツエルリーナには兄貴のせいだと言って謝り、マゼットには一時間彼女と一緒だったのでマゼットの怪我のことは知らないと一人ひとりに謝っていた。そして隙を見て逃げ出そうとしたところに、ツエルリーナがレポレロに出刃包丁を突きつけて、椅子に座らせ、村人たちの手を借りて包丁で脅しながら柵と椅子にレポレロの手足を縛り付け、二人の二重唱が始まった。この二重唱はレポレロが優しくしてくれと歌い、ツエルリーナが同情なんかは絶対にしないと歌う笑いを呼ぶ明るい二重唱で、最後にはレポレロは自分で足の紐を解き、椅子もろとも逃げ出してしまうというウイーン版(21a、K.540b)の珍しいものであった。





    続いてオッターヴィオが現れて、マゼットとツエルリーナにこれでドン・ジョバンニの罪の重大さが分かったと言い、「その間に私の恋人を慰めてくれ」と高らかに歌い出していた。やや頼りない様子であるがやっと復讐の決心ができたかと言う思いの美しいアリアであった。一方、またしてもドン・ジョバンニに裏切られたエルヴィーラは、放心したような姿で聖書を片手に持って登場し、彼の仕打ちを八つ裂きにしたいくらい憎む一方で、彼のために神の慈悲を願う矛盾した気持ちを歌うアリアを歌っていた。このアリアもウイーン追加曲(21b、K.540c)であり、この映像ではこのオペラのために作曲された全てのアリアを歌った全曲盤の「ごちゃ混ぜ版」となっていた。






   場面が変わって、明るい月夜の晩だとドン・ジョバンニが登場し上機嫌でいるところにレポレロが姿を現し、殺されるところだったと文句を言い出した。兄貴は話をはぐらかし、お前の女がいたと高笑いして二人で言い争いをしていると、「お前の笑いも夜明け前に終わる」という大声が聞こえてきた。驚いて大騒ぎして探しても分からない。そのため「誰だ」と大声を上げると、再び同じ声が聞こえてきた。どうやら向えのビルの上で、ドン・ジョバンニがピストルで撃った署長が立って叫んでいるようだった。ふと見ると足下に紙切れが落ちており、レポレロが読み上げると「復讐をここで待つ」と書かれてあった。驚いたドン・ジョバンニがレポレロに命じて、食事に誘うと、署長が頷いたようだという。ハッキリしないので、ドン・ジョバンニがピストルをかざして「食事に来るか」と叫ぶと「行こう」という返事があった。驚いた二人は怖くなって、不思議なことがあるものだと、こそこそと逃げ出していた。



    場面が変わり喪服姿のドンナ・アンアが登場し、オッターヴィオが仇は取れると慰めながら愛を求めると、彼女が拒絶したので、彼は「つれないな、そんなに僕を苦しめたいのか」と声を荒げていた。ドンナ・アンナは「つれないですって」とレチタテイーボ・アッコンパニアートを歌い出し、「私だって辛いのよ、世間体があるでしょう」と歌ってアリアに入り、「だから言わないでね」と歌い出し、オッターヴィオに腕をまくって注射の跡を見せ、ロンドに入ると、ゴムバンドを腕に巻き一人で注射を打って歌い続け、「きっと良い時が来るわ」と立ち去っていた。オッターヴィオは一人残されて、矢張り彼女と苦しみを分かち合おうと呟いていた。



    フィナーレに入りドン・ジョバンニは階段に座り込み、食事の用意は出来たかと叫んでいると、レポレロがラジカセと大きな紙袋を持って登場した。音楽をというと、早速、コーサ・ラーラが鳴り出し、兄貴はファースト・フードから買ってきたハンバークを食べ始め、サラダにはケチャップをかけ始め、食事が始まった。続いて音楽が変わり、リテイ・ガンテイが鳴り出すと飲み物を求め、マルツイミーノ酒だと言って騒いで飲んでいた。レポレロがつまみ食いをしたのを見つけ、音楽がフィガロに変わって上機嫌になり、音楽に合わせてレポレロと呼び、口笛を吹いてみろと嫌がらせをしていたところに、エルヴィーラが勢いよく駆け込んできて兄貴の隣に座り込んだ。彼女は「私の気持ちも分かってよ」と聖書を手にして「生活を変えて」と叫んでいた。しかし、ドン・ジョバンニは全く相手にせず突き倒して、「女と酒に乾杯」とふざけていたので、エルヴィーラも怒って逃げ出し、ドアを開けると「アアー」と大声を出していた。レポレロも驚いて見に行って同じように大声を上げていた。驚いた兄貴がドアの傍に近寄ると、序曲のニ短調の大音響とともに署長の姿をした幽霊が顔を出し、ドン・ジョバンニと呼び掛け「来たぞ」と叫んでいた。



    幽霊は「俺は招かれたから来たが、今度はお前の番だ。俺の招きに来るか」と言った。そして直ぐに「決まったか」と言われ、怖さを押さえてドン・ジョバンニは「俺の心は決まっている」と答え、ここでも裸姿になって「行こう」と返事をした。約束の証に握手をと言われ握手をした途端に、ドン・ジョバンニは「何と冷たい手だ」と震え上がって苦しみだし、「悔いよ、悪人」と言われても「いやだ」と何回も拒絶していた。しかし、時間が来て幽霊が「これまでだ」と言った途端に、地面が揺れ出し大勢の勢いある合唱の響きとともに、ドン・ジョバンニに虐められた大勢の男女が裸姿でドン・ジョバンニに迫り、一斉に地中に引き摺り込んだので、ドン・ジョバンニは大声を上げながら姿が見えなくなってしまっていた。



         場面は明るくなって六重唱が始まり、白い衣裳の5人がレポレロにドン・ジョバンニはどこへ行ったかと尋ねていたが、レポレロも上手く答えられず、巨大な力で地中に引き摺り込まれていったと語るだけだった。ドンナ・アンナとオッターヴィオの二重唱は略されて、悪人は皆この通りという早いテンポの六重唱が最後に歌われて終幕となっていた。この幕締めは、この映像が現代のニューヨークと言うことから離れて、悪人は罰せられるべきだと言う人間社会の本来の姿を顕しているかのように思われた。



    この映像をキチンと最後まで見通したことは初めてかもしれない。LDを買ったときに見て殆どそのままお蔵入りしていたので、正直言って黒人の双子兄弟くらいしか記憶に残っていなかった。しかし、この映像を克明に見ると、いまや古典とさえ言われるこの映像が、当時としては、恐らく衆知を集めた力作であったと言うことができよう。現代風な読み替え劇としてニューヨークを舞台にするのがセラーズの特徴であるが、その発想を貫徹させるために多くの工夫や発想があり、それが大胆に実行されていた。気がついたその幾つかをここで指摘しておこう。

第一に主役のドン・ジョバンニとレポレロに黒人の双子兄弟を充てているが、良く適役が見つかったなと感心させられ、二人による劇の進行や着せ替え劇での矛盾解消などに非常に役立っていた。エルヴィーラが一時間も替え玉に騙されていること自体、原作に無理があるからである。第二にオッターヴィオが警官として活躍していたが、同時に騎士長を警察署長に仕立て上げていた。オッターヴィオは部下を使って現場で手際よく殺人処理を命じており、他の場面でも矛盾がなかった。警察署長は第二幕の墓場の場面で登場し、遠くから署長の直立像を見せる工夫で、演出上難しい石像の代わりにしていた。第三に第二幕フィナーレの石像であるが、これは署長の幽霊姿で誤魔化さざるを得ず、子供に演技させて抽象化を行っていたが、原作を生かす精一杯のアイデアであろうと思われた。第四に地獄落ちの場面も石像がないので特別の工夫が必要であり、それが尾を引いて、フィナーレの六重唱の演出の異様さをもたらし、短縮化が図られていた。第五に麻薬を吸う場面や、ドンア・アンナが歌いながら注射をする場面などがあったが、本当にこういう情景が必要だったか疑問に感ずることが幾つかあった。
  このように現代劇として筋を通すため、いろいろな新しい試みがなされていたが、これらを嫌味に感ずるか、新演出として前向きに捉えるかで評価が分かれるものと思われる。

    このオペラは、通常、プラハ版かウイーン版かまたは折衷版(K.540bを除く)により演奏されるが、この演出ではK.540bのレポレロとツエルリーナの二重唱を含んだ折衷版となっており、極めて珍しい映像であった。モーツアルトが作曲した全てのアリアを収録した映像は、恐らく、これが初めてであろうと思われる。またこの演出でライブの舞台も行われている筈であるが、この演奏は拍手がなく、スタジオ収録となっていた。
    伝統的なドン・ジョバンニの演出では、第一幕フィナーレの豪華なドン・ジョバンニ邸での舞踏会の有様や、第二幕フィナーレの豪華な晩餐とその場面への石像の登場など、大舞台での豪華さを競う演出への期待があるが、貴族主義の時代を外した演出になると、夢を追うような豪華な舞台が期待できなくなる。豪華な晩餐の代わりにラジカセとファアストフードのハンバークとコーラでは、全く味気なく見るものをガッカリさせてしまう。すさんだ現代劇が進行する中で、音楽だけが異常に美しく聞こえる場面も多いが、何か白々しく空虚に聞こえ、心に留まらない音楽に聞こえてしまうのは私だけであろうか。

    この映像を見て、P.セラーズとスタッフの方々の演出の現代化への努力と熱意には敬意を表するが、それが残念ながらわれわれ世代には前向きに伝わらず、私には感動を生まない舞台になっていた。従って、制作者たちの自己満足に留まっているのではないかという気がするが、これがこのオペラの読み替え劇の第一作目であり、最近ではかなり頻繁に登場しているようである。従って、読み替え劇への支持者が次第に増えているのであろうが、今後この劇はどうなっていくのか、考えさせられることが多かった。

(以上)(2010/10/08)


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