(最新収録のソフト報告;サー・トーマス・ビーチャムの1956年「プラハ」交響曲)
10-5-1、サー・トーマス・ビーチャム指揮のモントリオール交響楽団、二つのコンサート・アリア;K.418およびK.217;ソプラノ:マリア・シュターダー、および交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」の放送用ライブ・コンサート、1956年3月22日、

−この映像はビーチャムがまだ元気な頃の映像であり、カナダのモントリオール放送局に残されたアーカイブからの奇跡的な復活である。LP時代に名を残していたマリア・シュターダーが歌っており、彼女の数少ないレパートリの中の有名曲だったので期待したが、最盛期を過ぎた珍しいだけの映像であったのはやむを得ないことであろう。ビーチャムのプラハ交響曲の演奏では、終始、暗譜で両手を広げ威厳を持って重々しく指揮棒を振っていたが、彼の貴族趣味的な権威づけの様子が見て取れた−

(最新収録のソフト報告;サー・トーマス・ビーチャムの1956年「プラハ」交響曲)
10-5-1、サー・トーマス・ビーチャム指揮のモントリオール交響楽団、二つのコンサート・アリア;K.418およびK.217;ソプラノ:マリア・シュターダー、および交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」のライブ・コンサート、1956年3月22日、
(2009年12月12日、石丸電気で輸入DVDを購入、Radio-Canada VAIDVD-4230) 

  5月分の第一曲目の指揮者ビーチャムは、1953年の頃であるが、私が札幌北高二年の時に、SPレコード2枚組で未完成交響曲を買っており、今回のこの白黒の映像は1956年であるので、ほぼ同じ時期の録音である。このレコードの影響で、私が最初に買ったジュピター交響曲は当時10インチのLPで出た英コロンビア原盤のビーチャム盤であった。これはLPなので良い音を期待したが、SP盤並みの録音の音質だったので、ガッカリした記憶があった。この指揮者のそれ以外の録音は殆ど記憶にないので、非常に珍しい映像を半世紀ぶりで入手したことになる。
  ビーチャムと言えば、必ずロイヤルフイルと決まっていたが、今回の映像はモントリオール交響楽団(OSM)であり、ラジオ・カナダのアルヒーブの白黒の映像のようである。古い映像なので、曲の前にアナウンサーが写って簡単な曲の解説があるが、英語と仏語が入るので、長く煩く感ずる。収録曲は第一曲が「アマリリス組曲」であり、ヘンデル作曲・ビーチャム編曲とされ、約16分程の管弦楽曲であった。第二曲が本命のマリア・シュターダーの二つのコンサート・アリアであり、第三曲が交響曲第38番ニ長調K.308「プラハ」であった。 



  ソプラノのためのコンサート・アリア「神よ、あなたにお伝えできれば」K.418は、私のお気に入りの大好きなアリアであり、第一ヴァイオリンの掛け声のような調子取りと弦の揃ったピッチカートに乗って、オーボエが輝くようにアダージョのメロデイラインを歌い出す美しい前奏で始まる。ソプラノがこのメロデイを明るく歌い出すとオーボエは相づちを打つようにオブリガートにまわり、お互いが競い合うように美しく進行する。アダージョはA-B-Aの形を取るが、Aの後半に第2線のハ音の難関があり、Bに入るとオーボエが先行して声が応答するように進み盛り上がりを見せる。フェルマータの後に、再びソプラノが歌い出してオーボエが応えるAに戻るが、最後には第3線のホ音にまで高まってアダージョが終息していた。
  後半のアレグロに入ると、ソプラノがなかば半狂乱の形でスピーデイに進行し、繰り返しながら一気にに登りつめる。前半のアダージョと対照的なアレグロであった。



  譜面でこの曲を口ずさみながら十分に確かめた後、マリア・シュターダー(1911〜)の歌を聴きだしたが、彼女は既に47歳であり、予想されたように伯母さん風のスタイルであった。しかし、見るからに生真面目そうに両手を重ねて歌い出し、ビーチャムの指揮に合わせてしっかりと声を出していた。固い声であったが、最初のメロデイラインを上手く切り抜けると、休みながらオーボエとの歌い継ぎになり、それからじっくり声を張り上げると最初の第2線のハ音は見事にクリアしていた。Bに入る最初のところで声が少しふらついたが、直ぐに立ち直り、後半のAでは朗々と歌い上げて、最後の第3線のホ音も何とかクリアして、一気にアレグロへと突入していた。ビーチャムの伴奏は小編成の曲なのに細かく指揮棒を振り、体を動かして調子を取りながら指揮しており、二人の呼吸はピッタリ合っていた。この映像は、まずまずの出来であり、恐らく、彼女の現役時代の最後を飾るものと思われる。


  ここでこの曲の私のデータベースを見ると何と11曲も揃っており、短い曲なので、直ぐ手元に取り出せるCDを並べて、順不同であるが聞き比べてみた。最初に聴いたバトル(85)は、始めのひと声を聴いただけで、声が細く天性の輝きだと思った。中間のトレモロも自然で美しかったが、アダージョ最後の最高音は伸びが今一つ伸びずに終わり残念であった(6:45)。続くグルベロヴァ(92)は、アーノンクールの指揮であるが実にテンポが遅いので驚き、声がとても澄んでいるのに気がついた。彼女はハイエンドを特有の出し方をしており、最後の最高音でも弾みをつけるように見事にクリアしていた。アレグロは対象的に早めであり、終わると拍手があったので、この演奏だけはライブ録音(7:57)のようで、最も時間をかけて歌っていた。続いてはシェーファー(97)の録音であるが、アバドの指揮で最も早いテンポで始まった。シェーファーは太めの声を上手くコントロールしており、最初の関門は声を張り上げるようにしてクリアし、途中で装飾音を見せたりしながら、最後の関門は綺麗に伸び上がるように歌って見事にクリアしていた。

  続くモスクは、ルーマニアの若手で、このCDはザルツブルグのモーツアルテウムで彼女を聴くために買ったのであるが、当日は、突然、キャンセルになった。しかし、代役が夜の女王で評判だったデイアナ・ダムロウで、この曲を歌ってくれたという凄い体験があり、かぶりつきの席で彼女の迫力ある声を堪能した。CDのモスク(97)は、凄く遅い出だしで細い美しい声は天性のよう。第一の関門は声を張り上げてクリアしていたが、第二の関門は裏声のような声を出して成功していた。アレグロは早めであったが、所要時間はグルベローヴァに次いで長かった(7:40)。幸田浩子は、CD(107)で続けて聴いたが、彼女の透明な細い声は美しく少しも負けていない。第一の関門は遅めで綺麗にコントロールされ、第二の関門も全く無難に通過し、素晴らしい録音(6:59)であると思った。最後にハイデンのCD(102)であるが、彼女も細い声が美しく、第一の関門を声をコントロールしながら通過し、途中で装飾音を付ける余裕も見せ、最後の関門は伸び上がるようにして巧みにクリアしていた。

  ここでシュターダーのCDを聴いてみたかったのであるが、どこに仕舞い込んだかどうしても見当たらず、残念ながら割愛せざるを得なかった。このような譜面を見ながらポイントを絞った聞き比べは初めてであったが、私にはグルベローヴァの声と歌い方が最も優れているように思った。続いてはシェーファーが安定していて良いと思ったが、彼女は訓練を重ねて自分の声を努力で上手くコントロールしているように思った。バトルはひと声聴くだけで彼女の声質が特有であったし、幸田紘子も最後のハイデンも声が美しく、決して他のひとに負けてはいないと思った。





 続いてソプラノのためのコンサ−ト・アリア「あなたは誠実な心の持ち主」K.217は、アンダンテイーノ・グラチオーソのメヌエット風の3拍子の部分と、アレグロの華やかな技巧を駆使する部分とが、A-B-A'-B'-A"-B"のようにロンド風に繰り返されていく型式の曲であった。この曲は主役の娘ドリーナが、余り好きでもない求婚者をからかうように軽くあしらって歌う曲である。最初のAでは「あなたは誠実な人、熱心な求愛者、私の夫になる人、でも心が変わらないかしら、本当を言って」と求婚者に迫る部分であり、シュターダーは、ゆっくりとメヌエットのリズムで語りかけるように歌っていた。
続くBでは一転してアレグロで、「あなたは忠実を守るとは思えない、きっと私を騙すのよ、今からとは言わないけれど、信用はできないの」と手厳しく求婚者に告げる部分であり、シュターダーは、早いテンポで激しくコロラチュアの技法で華やかに歌っていたが、演奏会型式のためか、ゼスチャーもなく顔の表情も変えず、全く直立不動の姿勢で歌っていた。これらの二つの主題が、長さも形も変奏されて、求婚者に対し責めつけるように繰り返して歌われていた。しかし、この映像からは、字幕もなく無表情なシュターダーの歌からでは、「本当のことを言って」と相手を責め、「あなたを信用できないの」と劇的に突き放すアリアの意味合いは、残念ながら把握できず、ただ綺麗な曲と劇的な曲が混じり合った難しい曲を歌っているとしか感じさせなかった。




  ビーチャムの指揮でマリア・シュターダーの2曲のコンサート・アリアは終わったが、拍手もなくあっさりと終了したので、恐らくスタジオ録音であり、そのせいか全く無表情で、ただ淡々と歌うだけのシュターダーの姿が写されていた。演奏会形式とはいえ、現代の華やかなステージやオペラ歌手の晴れやかな姿を見慣れたものにとっては、往年の名歌手とはいえ、また時代が異なるとはいえ、寂しい感じがした。





  この映像の最後の曲は、交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」であった。プラーハ交響曲の第一楽章は、テインパニーが打ち下ろすゆっくりとしたリズムでユニゾンで進む伸びやかな序奏で華やかに始まる。ビーチャムの指揮棒の一振りでこの序奏が堂々と重々しく開始され、ユニゾンで力強く行進曲風な上昇音形によってリズミックに進行し、次第に緊張と高まりを増しながら頂点に到達していた。力感溢れる充実した伝統的奏法の序奏部から一転して、アレグロの第一主題がシンコペーションで第一ヴァイオリンにより颯爽と走り出した。この主題は次第に形を変え楽器を加えて変化を加えながら力強く進行し、駆り立てるような主題も加わって、全体が躍動するように軽快に進んでいた。やがて小さい孤を何度も描くようなブッフォ的な軽やかな第二主題が提示されて、オーボエとの対話を深めつつ発展し、終わりにはトウッテイとなって素晴らしい主題提示部を示していた。ビーチャムはここでそのまま展開部へと突き進む。ここでは 第一主題の主要動機が次々と対位法的な展開や変化を繰り返しつつ進行し、長大で充実した展開部となっていた。再現部ではかなりの変化が見られ第一・第二主題の後にも活発な第一主題の動機が出て盛り上がりを見せて終息した。ビーチャムは、古い指揮者に共通する全ての繰り返しを省略した伝統的な奏法で指揮をしていたが、コントラバス4本の大規模なオーケストラで、充実した響きを見せていた。




  第二楽章はアンダンテ楽章であり、ゆっくりしたテンポで弦楽器により第一主題が美しく静かに歌い出され、続いてやや激しいスタッカート動機が続いて繊細でありながらやや激しい経過部を経て進む。やがてこれを慰めるように第二主題が弦により提示されが、続いてオーボエやフルートでも応えるように歌い出し、穏やかに美しく進行していた。ビーチャムは、そのまま、展開部に移行し、ここでは第一主題のスタッカートの動機がカノン風に複雑に展開されていたが、これが実に力強く印象的であった。再現部はいわば型通りに進行していたが、ビーチャムは常に堂々と進め、穏やかに終息していた。




  フィナーレでは、譜面を見ると主題提示部の後に繰り返し記号があり、明確にソナタ形式で書かれているが、ビーチャムはこの繰り返しを省略して、全体をロンド形式のように捉えてA-B-A-C-A-B-Aのように演奏していた。冒頭の主題が「フィガロ」の第二幕の中頃のスザンナとケルビーノの二重唱「早く、早く」の旋律にとても良く似ており、ロンド主題のような形で軽快に素早く小刻みに進行していた。弦の主題提示に対してオーボエ・フルート・ファゴットの三重奏だけでこれに対抗して応える形で軽快に進行していた。続いてBの部分では、弦の主題提示に対し管が応える対話が続いて、特にフルートが目覚ましい活躍をしていた。展開部に相当するCの部分では、第一主題の冒頭部分が弦と管により繰り返しを何回も重ねる力強いものであったが、ビーチャムはしつこいくらいに力を入れて繰り返しを行っていた。フィナーレの軽快な進行の最後には力強い終わり方で曲は結ばれていたが、映像はそこでぶち切られ、拍手もなく余韻が残されることもなく終わり、やや興ざめな終わり方であったが、演奏自体はしっかりしたものであった。

最近では名前を聞くことが少なくなったサー・トーマス・ビーチャム(1879〜1961) のまだ元気な頃の映像であり、カナダのモントリオール放送局に残されたアーカイブ から奇跡的に復活したものである。LP時代に名を残していたマリア・シュターダーが歌っており、彼女の数少ないレパートリの中の有名曲だったので期待したが、最盛期を過ぎた珍しいだけの映像であったのはやむを得ないことであろう。ビーチャムの演奏は、終生アマチュアの持つ純粋な音楽に対する愛情によって貫かれていたと言われるが、ここに収められている曲は、彼の持ち味が発揮できるお得意のものであったに違いない。プラハ交響曲では、終始、暗譜で両手を広げ威厳を持って重々しく指揮棒を振っていたが、彼の貴族趣味的な権威づけの様子が見て取れた。

(以上)(2010/05/06)

目次3にもどる
目次2にもどる
目次1にもどる
 私の新ホームページへ

名称未設定