(懐かしい映像記録;アーノンクールによるポネル演出の「コシ・ファン・トッテ」)
10-4-4、アーノンクール指揮ウイーンフイルとポネル演出による「コシ・ファン・トッテ」K.588、1989年、映画方式、

−音楽の動きや意図に合わせて演技をつけるポネル一流のやり方が成功して、6人のヴェテラン揃いの歌手たちも、細かく見れば見るほどライブの舞台では得られない辻褄の良く合う素晴らしい映像になっていた。モンタルソロとストラータスの演技派が実に素晴らしく、また若い4人の歌唱力やアンサンブルが見事で、とりわけグルベローヴァとフルラネットが演技にも他のステージ以上の抜群の動きを見せていた−

(懐かしい映像記録;アーノンクールによるポネル演出の「コシ・ファン・トッテ」)
10-4-4、アーノンクール指揮ウイーンフイルとポネル演出による「コシ・ファン・トッテ」K.588、1989年、映画方式、
(配役)フィオルデリージ;グルベローヴァ、ドラベラ;ズイーグラー、デスピーナ;ストラータス、グリエルモ;フルラネット、フェランド;リマ、アルフォンゾ;モンタルソロ、その他、
(92年10月12日VT収録後、CS736放送を01年11月7日にD-VHSテープにデジタルLS-3モードで再収録)

  この映像は、アーノンクール・ポネルの「コシ・ファン・トッテ」であり、ポネル得意の映画方式で、グローバルな一流歌手が勢揃いした謂わば評価の決まったソフトで、私も何度も見た映像である。アーノンクールはウイーンフイルになると、彼の手兵であるコンツエントウス・ムジクスほど自由な振る舞いが出来ず、多少、ピリオド風の演奏が聞こえるが、ウイーンフイルにトゲ抜きにされたように思われ、この演奏ならまずまずであると考えている。従って、アーノンクールのウイーンフイルの「フィガロの結婚(7-10-5)」や「テイト帝の慈悲(7-11-3)」やクレーメルとのヴァイオリン協奏曲全集などの音楽面は極めて充実していると考えている。久し振りでこの映像を細かく見るので、これらのこの映像の特徴を再確認したいと考えながら見ることにした。


  序曲が始まると紅い幕に字が写りだし、このオペラの出演者たちの紹介が始まっていた。音楽はさすがにウイーンフイルで、アーノンクールの古楽器色はかなり弱められ骨抜きにされていた。幕が開くと場所はお屋敷の玄関先か。5人の男女がトランプをして大騒ぎしており、良く見ると机の正面にアルフォンゾ、左右に男二人が向き合い、女二人が男達にいちゃつきながらサービスしていたが、序曲が「コシ・ファン・トッテ」と鳴り出すと男三人が何やら立ち上がって争い始めた。アルフォンゾが恋にうつつを抜かす男二人の女性たちを傷つけたらしい。アルフォンゾと男二人が三重唱で争い互いに譲らないので、軍人の二人は剣を抜いたが、アルフォンゾは刃物は使わぬと相手にせず、彼女らが人間であると言わせてから、「女の貞節なんて」と歌い出すと、彼女らは違うとますます激しい三重唱に。笑うアルフォンゾが賭けようかのひと声で合意が成立し、男二人が勝ったつもりで大声でセレナードを歌い出し、三人は「愛の神様に乾杯を」と歌いながらこの物語は始まっていた。


  お屋敷の前庭では姉妹がお互いの恋人同士の絵を描きながら、見て頂戴とフィオルデリージからドラベラへと歌い出し、やがてこちらも「愛の神様」と幸せそうに二重唱となっていた。男二人への話が弾み、レチタテイーボが賑やかでピアノとチェロの音が良く響いていた。そこへアルフォンゾが現れて、泣きながら「ひどい運命だ」と歌い出した。驚いた女二人が心配して聞きただすと、王の命により突然外国に出征するという。男二人が軍服姿で現れると女二人は、行くなら死にますと涙の五重唱になっていた。突然太鼓の音が響き「軍隊万歳」の行進曲が聞こえて船が到着した。恋人同士は悲しい別れのキスをしながら「毎日お手紙を」と「アデイオ」を繰り返す美しい五重唱になってゆっくりと歌われていた。この音楽の美しさは喩えようもないが、しかし、アルフォンゾは一人で陰でせせら笑っていた。再び行進曲が響くと二人は船に乗り込み、あっと言う間に出発してしまった。「風よ穏やかに」と二人が祈る三重唱は、なんと、もっと美しい。ここでもアルフォンゾは終わってから「わしも役者だな」と一人で歌っていた。


  場面が変わってデスピーナが「女中なんて最低」とココアを舐めていると、二人が大騒ぎで部屋に戻ってきて大いに怒り狂い、ドラベラが悲しみの余り「死にたい」と言って大狂乱のアリアを激しく歌い出した。大変な熱演であった。恋人たちが出征したのよと言っても、デスピーナは直ぐ帰ってくるわと相手にならない。むしろ「男なんて皆同じ」と歌い出し、このチャンスに女性たちも恋をして楽しまなければと歌って、全く考えが違う悲しむ一方の姉妹たちを驚かせていた。一方のアルフォンゾは、姉妹たちに付き添う女中のデスピーナに協力してもらうためお金で工作し、ターバンと鬚武者のアルバニア人に化けた二人に合わせてみた。笑い転げるデスピーナに見破られていないとひとまず安心し、四重唱が始まって大騒ぎのところへ姉妹が現れた。男二人は、早速、相手を取り替えて、アモーレと迫る六重唱になっていた。怒って相手にならない姉妹に対しアルフォンゾが何年ぶりかで出遭った親友だと紹介してみせ、勇気を得たアルバニア人がさらに大袈裟に愛を求めると、頭にきたフィオルデリージがアッコンパニアートで無駄なことだと叫んで、「岩のように揺るぎない」と歌い出し、後半にはコロラチューラの連続となって、お姉さんぶった存在感を示していた。もう少し優しくしてやってとアルフォンゾが頼み、グリエルモが勇気を得て自慢のアリアを歌ってドラベラに迫ったので、怒り心頭のフィオルデリージが彼に平手打ちを食わせて、姉妹は退場してしまった。それを見て男二人はアルフォンゾを相手に勝ったぞとばかりの大笑いの三重唱となったが、アルフォンゾはこれからだ次の命令を待てと命じていた。しかし、真面目なフェランドは納まらず、ドラベラを思い心配そうに「恋の幸せ」を歌っていた。


  フィナーレに入って美しい前奏が始まって黒いお揃いの喪服を着た姉妹が黒のパラソルの下で「たった一瞬のうちに運命が変わってしまった」と悲しげに二重唱を歌い出したが、何と美しい曲であろうか。そこへ男三人が突然に現れて「死ぬんだ」と言いながら毒を飲み、苦しみながらひっくり返ってしまった。さあ大変。デスピーナを大声で呼ぶと、彼女はまだ息があると言い、医者を呼びに行くから二人の面倒を頼むという。姉妹は恐る恐る額に手を当てたり脈を測ったりして介抱していると、デスピーナが扮したお医者さんが現れ、メスメル博士の磁気療法で二人を刺激し、痙攣させて、姉妹の膝の上でやっと息を吹き返した。ここはどこと目を覚まして起き出すと、姉妹が看病しているので、二人は直ぐに再び口説きだす。姉妹は初めは眉をひそめていたが、次第にしつこくなり遂にキスを迫ってきたので本気で怒りだし、退場したところでふざけたフィナーレは終了した。


  第二幕はデスピーナの「女が15歳にもなれば」という調子の良い明るいアリアで始まった。彼女の名講義には姉妹も驚くが、どうやら二人は女王様のように男を従わせると言うセリフが気に入った様子。二人は「どう思う」と相談しあってからドラベラが急に「私はあの黒髪さんがいいわ」と明るく歌い出し、二人は調子を合わせて歌っているうちに次第に元気な二重唱になり、どうやら少しくらい浮ついてもと言う気分になりかけたようであった。そこへ「さあ庭に出たら」と海が見える中庭から仮装姿のアルフォンゾが声を掛け、二人が仮面を手にして海を見ていると、木管のセレナードの美しい前奏が聞こえてきて船が到着し、二人のアルバニア人が「そよ風よ」と歌いながら登場してきた。合唱団の歌も実に楽しく美しい。しかし、男二人は迎えに出た笑顔の姉妹には何も語れない。そこでアルフォンゾが先ほどの件はお許し下さいと姉妹に語りかけ、デスピーナが姉妹にもう先ほどのことは忘れましょうとご機嫌を取って引き合わせたので、何とか4人が「良いお天気ですね」と不器用な会話を始めていた。フィオルデリージがフェランドにお散歩しましょうと誘うと、グリエルモとドラベラが残り、アルフォンゾの手引きで話のきっかけにハートの高級なペンダントをプレゼントした。ドラベラは私を試すなんてと固辞し死にたいともらすと、グリエルモは「一緒に死にましょう、受けてくれますね」と上手く誘いかけて受け取らせてしまい、「このハートは差し上げましょう」と二重唱が始まった。ドラベラは私のハートはここにないと抵抗していたが、次第にウットリして目をつぶっているうちに音楽に合わせてペンダントを取り替えられてしまい、最後には二人は気を許して抱き合って仕舞った。





  一方のフィオルデリージは、蛇だトカゲだと言って逃げ出したので、フェランドが僕のことかと力をおとし、死にたいと言って立ち去る(アリア省略)が、残されたフィオルデリージは「愛しい人、お許し下さい」と涙を流しながらゆっくりとアリアを歌い出していた。フェランドに惹かれだした自分の良心の呵責に悩み、ホルンの二重奏を伴奏にアリアはロンドとなり、「裏切りを許して」と苦悩の苦しみを実に表情豊かに歌っていた。このように遅いテンポのアダージョとロンドは初めてであったが、さすがグルベローヴァは上手に声を殺して歌っていた。



  フェランドが「われわれは勝ったぞ」と喜んでグリエルモに報告するが、グリエルモは心配そう。渋い顔をしてフェランドにロケットを手渡すと、フェランドは顔色を変えて半狂乱。死にそうになったフェランドは「俺に忠告をしてくれ」と頼むと、グリエルモは複雑な表情でタンテイア・タンテイア「女どもは良く浮気をする」と歌っていた。それを見ていたアルフォンゾは、二人は良くやってくれるとしたり顔。フェランドはこんな目に遭うのは僕だけだと復讐を誓い「裏切られ、踏みにじられた」とカヴァテイーナを歌い出したが、本心は彼女が好きで愛の声が聞こえてくると涙ながらに必死で歌っていた。



  一方のドラベラは、デスピーナに戦果のハートを見せびらかして喜んでいると、フィオルデリージが現れて、「私、愛しているの」と本音を打ち明けた。それを聞いてドラベラは大喜びで、「恋は盗人」と歌い出し、自分の気持ちに逆らおうとすると苦しむばかりと歌っていた。フィオルデリージは、自分は違うとばかりにグリエルモの軍服を着て戦場に行こうと決意し、デスピーナを呼んで準備させて、「もうすぐ会えるわ」と歌い出した。
その様子を見ていたフェランドが顔を出し、戦場へ行くならこの剣で胸を刺してくれと迫って二重唱になった。そしてフェランドは、力がなければ自分の手を貸そうと必死で彼女に迫ると、さすがのフィオルデリージも神様と祈りだし、悲鳴を上げながらオーボエの伴奏で「あなたのお好きなように」と崩れ落ちて仕舞った。それを見ていたグリエルモはダウン。二人の二重唱は心がこもって美しく歌われ、最後に二人は激しく抱き合っていた。



 「なんてことだ」と気違いのように暴れるグリエルモの前に、フェランドがリンゴを持って得意顔を見せた。アルフォンゾは二人に「これで君たちは幸せになれる」と言い聞かせ、「男は皆、女を非難するが」と歌い出して、最後にはアルフォンゾの音頭で三人は声を揃えて「コシ・ファン・トッテ」と復唱して威勢の良いフィナーレに突入していた。



  軽快な音楽と合唱団のお陰で二組の結婚式の準備が整い、正装した4人が登場しゆっくりと席に着いた。ワインが注がれフィオルデリージがグラスを持って歌い出すが、この曲は何と美しいことか。フェランドが加わって二重唱で歌われ、さらにドラベラが加わって三重唱になって美しく進み最高の場面であったが、グリエルモがただ一人だけ横を向いて「女狐どもめ」と歌っていた。宴たけなわとなりデスピーナの公証人が現れて、大騒ぎのうちに婚姻証書に姉妹がサインをすると、突然にあの忌まわしい「軍隊万歳」の出征の音楽が聞こえてきた。様子を見に行ったアルフォンゾが、船が着いて二人が戻ってきたという。さあ大変。姉妹は男二人に直ぐに隠れてもらい、顔を見あわせるばかり。そこへ元気よく男二人が恋人たちのところに戻ってきたが、姉妹の顔色が冴えないし声も出ない。




     公証人がまず見つかり、婚姻証書も発見されて、男二人は弁解の余地のない裏切りだとばかりに剣を抜いて姉妹に迫っていた。二人はただただ死を望むばかりだったが、そそのかしたのはアルフォンゾだと気がついて騒ぎ出した。そこへ男二人がアルバニア人になって再登場したので、姉妹は初めて皆に騙されていたことに気がついた。アルフォンゾは姉妹に確かにわしは騙したが、これで男二人は利口になって元の鞘に戻れると語っていた。最後に早いテンポの合唱が始まって、アルフォンゾは金とワインを独り占めして満足顔であったが、四人の男女は人を試すのはゴメンだと歌っており、私には4人は素直に元に戻れずに、バラバラのまま幕を閉じていたように見え、ショックの大きさを物語っているように見えた。



  音楽の動きや意図に合わせて演技をつけるポネル一流のやり方が成功して、6人のヴェテラン揃いの歌手たちも、演出家の指示通りに演技して、細かく見れば見るほどライブの舞台では得られない辻褄の良く合う素晴らしい映像になっていた。モンタルソロとストラータスの演技派が実に素晴らしく、また若い4人の歌唱力やアンサンブルが見事で、とりわけグルベローヴァとフルラネットが演技にも他のステージ以上の抜群の動きを見せていた。映画方式による魅力は、舞台装置の自由さにも現れており、タイミング良く船が登場したり、合唱団が上手に動いていたり、ギリシャの石像の噴水から水が出ていたりしていた。この映像はこの映画方式の威力を十分に発揮した画面が美しい魅力的な映像であったと思われる。

  コシの映像は、90年にムーテイ指揮ミラノ・スカラ座のハンペ演出のLDが最初で、続いてハンス・フォンクのスエーデンのTV映画のLDが出て、今回のこの映像は92年に3本目の映像として入手し、これら3本は繰り返し見ていた。ムーテイの映像はスカラ座のライブ、フォンクの映像はTV用のスタジオ収録、今回のものは映画方式とそれぞれ収録方式が異なり、それぞれに特徴があると考えていたが、画面の美しさでは今回のものが最も優れていた。

  今回改めてアーノンクール・ウイーンフイルの音楽を確かめながら聴いていたが、冒頭の序曲にピリオド風の音色が出ていたものの矢張りウイーンフイルの音であり、慣れるにつれて安心して満足しながら聴いていた。映像だと画面に神経が映るので、多少のテンポの揺れや対比的な音の強弱の変化については、余り気にすることなく通過して仕舞うのであろう。むしろ第二幕のフィオルデリージのロンドなどはベームの演奏よりも遅いのではないかと感じたりした。
  この映像は、現時点では最新のホーネックやフィッシャーの映像よりも舞台の動きや変化に乏しく古さが目立つが、映画方式だけにカメラワークも抜群で、音楽との合性も良く、画面が美しい点で歴史に残る貴重な映像であると思われる。

(以上)(2010/04/23)

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