(最新の映像記録;ビリー指揮グート演出の08年ザルツ音楽祭の「ドン・ジョバンニ」)
10-4-3、ド・ビリー指揮グート演出の08年ザルツブルグ音楽祭の「ドン・ジョバンニ」K.527、2008年08月(ウイーン版)、ハウスフォーM劇場、ライブ収録、


−森の中のドン・ジョバンニ劇、腹部に傷を受けて思うように動けない色事師、いずれも従来のこのオペラの概念からは遠く、演出者の意図した現代風の読み替え劇が、観衆にはどれだけ理解されたか心配なオペラであった。私のようにこの演出をDVDで繰り返し見ても、筋立てに納得が出来ないので、初めて見たウイーン版による悲劇的終結も白々しく感じた−

(最新の映像記録;ビリー指揮グート演出の08年ザルツ音楽祭の「ドン・ジョバンニ」)
10-4-3、ド・ビリー指揮グート演出の08年ザルツブルグ音楽祭の「ドン・ジョバンニ」K.527、2008年08月(ウイーン版)、ハウスフォーM劇場、ライブ収録、
(配役)ドン・ジョバンニ;マルトマン、ドンナ・アンナ;アネット・ダッシュ、ドン・オッターヴィオ;M.ポレンザーニ、ドンナ・エルヴィラ;D.レッシュマン、レポレロ;A.シュロット、マゼット;A.エスポジト、ツエルリーナ;E.シウリーナ、その他、
(2009年7月2日、クラシカジャパンCS736をLPモードでBD-016に収録)

  この映像は06年の「フィガロの結婚」に続くダ・ポンテ三部作のグート演出の第二弾であり、多くの「読み替え」に前作以上に賛否両論を巻き起こしたものである。舞台は終始森の中であり、自動車も使われる現代仕立てである。無頼なチンピラ風のジョバンニは、冒頭に瀕死の騎士長にピストルで腹を撃たれ、幕切れの死までの悪あがきと言うことで筋書きが展開されていた。音楽面では指揮者ド・ビリーの主張でウイーン版(1788)のザルツブルグ音楽祭の初上演であった。私も地獄落ちの場面で幕になるジョバンニ劇は初めて見るものであり、最後の6重唱を除いた演奏は、アリアの変更以上にその意味で悲劇という強烈な印象を残すものであった。しかし、森の中は放浪者ジョバンニの一面を現すものの豪勢さに欠け、リブレットからかなり離れた演出にならざるを得ず、いつも矛盾を感じながら舞台を見ており、ついて行けない場面が多い映像であった。またド・ビリーの音楽はこれでこのHP2度目であるが、テンポが速すぎて軽くて落ち着かず好みとは異なる演奏が多かった。しかし、シュロットのレポレロ、ドンナ・アンナのアネッテ・ダッシュ、エルヴィーラのレッシュマンなどこの音楽祭のダ・ポンテ三部作の今や常連となっているキャストを集めており、彼らが真剣だったのでもっと素直な良い演出で歌わせたかったという思いが強く残念であった。



  ド・ビリーがオーケストラピットに入場して直ぐ序曲が開始された。二つの重い和音に続く石像の足音が響く序奏部は予想通り早いテンポで進行し、主部の弦のモルト・アレグロの軽快な主題が始まると、幕の一部が上がりそこでは森の中で白シャツ姿のドン・ジョバンニが棒を振り上げて背広姿の大男の頭部を殴りつけ、倒れて瀕死の男がピストルを向けて発射すると、それがドン・ジョバンニの腹部に命中し、二人とも倒れてしまうシーンが映し出されていた。この「暗い森の中」と「傷ついたジョバンニ」の強烈な印象が、この映像のテーマであった。



  早いテンポで序曲がそのまま第一曲の序奏に入っていくが、舞台はもっと早いテンポで進み、薄暗い森の中でバーバリー姿のレポレロが大きな木の前でぶつぶつ呟いていた。森は広くその奥で物音がし、どうやら二人の男女が何やら争っている様子。良く見ると上半身裸の男を若い普段着の娘が逃がすものかと追いかけていた。「逃がさないわ」「騒ぐな」と争って男女が倒れて縺れているところへ、「娘を離せ、決闘だ」と父親が駆けつけてきた。左手に懐中電灯、右手にピストルを持った父親に対し、木の陰から飛び出した棍棒を振り回すドン・ジョバンニが立ち向かい、先のようなシーンが繰り返されて、二人とも林の中で倒れてしまっていた。

  ドン・ジョバンニはレポレロを呼び、傷口を押さえながらレポレロに抱きかかえられてその場を去った。そこへ森の奥からドンナ・アンナがオッターヴィオを連れて登場し、父が殺されているのを見て驚いて気を失ってしまった。オッターヴィオが助け起こし、彼女が気がつくと草むらから血の付いた棍棒を見つけ、血まみれの激しい二重唱になって、気の強い彼女はオッターヴィオにこの血に賭けて父の仇を取ってくれと誓わせていた。
  一方、ジョバンニはレポレロに傷の手当てを受け、痛み止め?の注射を打ってもらい落ち着いてから、急に女の匂いがすると立ち上がった。すると森の入口のバス停?に旅行カバンを持ったスーツ姿の女性が「あのひどい男はどこ」と歌い出していた。やがて三重唱になり、どなた?と顔を合わせたエルヴィーラは、相手がジョバンニと分かり口うるさく早口で責め立てた。閉口したジョバンニは、レポレロにバトンタッチ。フォルテピアノが良く響き、レチタテイーボが賑やかで、レポレロがマダーマだけではないと歌い出すと驚くエルヴィーラ。スペインの1003人では呆れて温和しく帰ろうとしたが、傷ついたジョバンニがベンチに戻ったので、レポレロの歌を三人掛けで並んで聞いている滑稽な場面もあった。しかしベンチに一人取り残されたエルヴィーラは、改めて復讐の念に目覚めていた。


  森の中から白の婚礼衣装のツエルリーナと若者たちが踊りながら現れ、どうやら蝶ネクタイのマゼットと結婚式の様子。そこへツエルリーナに目をつけたジョバンニが馴れ馴れしく声を掛け、皆をお祝いのご馳走に館に案内すると言いだした。邪魔なマゼットに金を渡し、レポレロからビールを渡されたマゼットが、不満顔のアリアを歌っている隙に二人きりになったジョバンニ。ツエルリーナがブランコに乗りながら口説かれているうちに、愛の二重唱となって次第にいい気になり「行こう」と言わせていた。しかし、エルヴィーラが、突然、現れ「お待ちなさい」と声を掛けて、激しい口調のアリアでおじゃん。
  「ついていない」と口にしたのは、車がそこで故障したオッターヴィオとドンナ・アンナ。そこを通りかかったジョバンニにドンナ・アンナが助けを求めるので、お役に立つならと安心して答えていると、再びエルヴィーラが現れた。四重唱になって次第に二人がエルヴィーラを信用しそうなので、ジョバンニがエルヴィーラを宥めると言って二人に別れを告げた時に発した「アミーチ・アデイーオ」で、ドンナ・アンナが「あの男よ」と、突然、騒ぎ出した。
  彼女の怒りと告白の必死のアッコンパニアートは迫力があり、続く復讐のアリアも森の中で真に迫っており拍手を浴びていた。友人だと信じているオッターヴィオが歌うアリアはウイーン追加曲。アンナを思って歌う真剣な表情の合間に、車の中でふて腐れてタバコを吸うアンナを慰めるジョバンニが現れたりして、三人の複雑な関係を暗示していた。


  レポレロがジョバンニに館の出来事を報告すると全てがブラーボづくめの上出来で、ジョバンニはご機嫌でパーテイーだと「シャンペンのアリア」を歌い出すが、怪我のためか矢張り元気がなく終わると倒れ込んでいた。一方、ツエルリーナがマゼットともめていたが、彼女は「悪いことをしていないわ」と歌い出し、子羊のような振りをして、最後には誘惑が上手いとマゼットに誉められていた。フィナーレとなって警戒していたツエルリーナが森の中でジョバンニに簡単に捕まってしまうが、マゼットがしっかり見張っていた。そこへマスクのない仮面の三人が木の間から現れて、悪党を倒しに来たのにあっさり入場を許され、覚悟の「愛の神よ!」と三重唱となって互いに勇気づけていた。
  一方、ジョバンニはツエルリーナたちに、チョコだ、シャーベットだと振る舞ってパーテイが始まったが、そこへ仮面の三人が現れたのでどうぞご自由にとなり、自由万歳の賑やかな缶ビールの乾杯となっていた。そしてメヌエットが始まるが、林の中の踊りは若者が大勢でてんでんバラバラ。音楽が変わっても踊りはメチャメチャでそのうちに遠くから悲鳴が聞こえてきた。ジョバンニがレポレロの所為にするが、三人が懐中電灯で照らして誤魔化されないぞとジョバンニを追いつめたのでさあ大変。しかし笑って誤魔化し、音楽が変わるとジョバンニはこそこそと逃げ出して、暗がりで強がりを言って閉幕となっていた。森の中のパーテイは豪華さに欠け、優雅な美しくあるべきメヌエットの音楽も乱痴気踊りとなって見せ場がなく、何とも冷え冷えとした幕切れに終わっていた。

  

  薄暗い森の中でレポレロがジョバンニに焚き火に当たりながら、殺されかけたと二重唱で文句を言い、フォルテピアノの響きに乗って紙幣を渡されて二人は仲直りし、洋服まで交換していたが、この姿がさっぱり変わり映えがせずナンセンス。ジョバンニは痛みで横になり強がりを言いながら、美しい声で歌うエルヴィーラに甘い歌で応えてレポレロにその振りをさせて、一瞬のうちに二人が入れ替わって彼女を騙し、あげ句の果てに目隠しにして二人を追っ払ってしまった。そこで木の下に座り痛む腹を押さえながら、姿だけでも見せてくれとカンツオネッタを歌っていたが、マゼット一行が大勢で現れてポシャンであった。
  暗闇で怪しげなジョバンニ扮するレポレロの言うことを簡単に信じてしまったマゼットが、「半分はこちら」とアリアで一人にさせられ、自分の武器で散々痛みつけられ悲鳴をあげて、ツエルリーナの歌に助けられていた。一方、暗がりの林の中でレポレロとツエルリーナがウロウロして二重唱になってから、オッターヴィオやマゼットのペアーに捕まって六重唱となりレポレロが散々な目に遭い、さらに主人の命令だったと平身低頭のアリアを歌ってレポレロが逃げ出した。そこでオッターヴィオがジョバンニが犯人だから当局に訴えると去った後に、ツエルリーナが発砲してレポレロを捕まえてウイーン版が始まった。








  ツエルリーナが逆上したようにピストルをレポレロに突きつけて、手を縛り首に縄を付け木に吊し上げてウイーン版の二人の二重唱となっていたが、歌は珍しくて面白いが女一人で素速いレポレロの手を縛ったり吊し上げたり、何故レポレロが逃げないのか、何とも不自然でこの演出には興醒めであった。むしろ、倒れているジョバンニに連れ添うようにアッコンパニアートを歌う哀れなエルヴィーラの姿が強烈で、私を裏切ったと責めながら歌に味があり、結局はジョバンニに優しくスカーフを掛ける姿に憐れみを感じさせ、ウイーン版の持ち味は保たれていた。



  続く月夜の森の中でドン・ジョバンニがレポレロをからかって高笑いする迄は良かったが、肝心の「その声も今宵限りだ」という声は良いが石像は折れた木になり、墓碑も頷く姿も見事に無視されて、この場面の演出と二重唱は全くナンセンスであった。知恵もセンスもない演出ほど白けさせるものはないが、続くドンナ・アンナが墓場らしさを演じて激しくオッターヴィオに反論するアッコンパニアートと続くロンドに気迫が籠もり、一連の場面を救っていた。しかし、暗い中でふて腐れていたオッターヴィオの姿の傍で、ドンナ・アンナと手を繋ぐジョバンニの姿が見え、いろいろとやり過ぎる演出に嫌気がさした。



  森の中のフィナーレの演出もうんざりであった。自分のお金で豪華にやる筈の晩餐が、木に寄りかかったジョバンニが白い布を敷いたピクニックのスタイルで、「コサ・ラーラ」の音楽を聞き、缶詰で大食いをして、「漁夫の利」の音楽で缶ビールを飲む姿には失望した。地獄に連れて行かれると予感したエルヴィーラを「女とワイン万歳」で冷たく突き放し、やがて木の陰から血だらけの鉢巻きをした大男の騎士長が幽霊のように登場した。

  「お前に要求したい」「話せ、聞いてやろう」から「来るか」「決心した」、「来るな」「行こう」と雪が降り出した暗闇の森で会話が交わされ、遠くにいる大男と握手を交わす振りをした途端に、ジョバンニは中腰で倒れ体が震え出した。この中で「悔い改めよ」「嫌だ」が続いたが、内蔵や心臓が誰かに抉られて、炎が見えると妄想状態になり、苦しみながら大声を挙げて倒れ込んだ。そして地獄にでも落ちたかのように大音響の中で姿が見えなくなって幕となり、白々しくしいムードの中で舞台も終わりとなっていた。悲劇で終わる「ドン・ジョバンニ」を真面目にじっくり見たのはこれが初めてであった。拍手の中でカーテンコールが続いていたが、暫くしてからあの無頼なチンピラ風のドン・ジョバンニなら、こんな終わりでも良いかなと思ったのは、演出者の願いにはまってしまったのであろうか。



  森の中のドン・ジョバンニ劇、腹部に傷を受けて思うように動けない色事師、いずれも従来のこのオペラの概念からは遠く、演出者の意図した読み替え劇が、観衆にはどれだけ理解されたか心配であった。私のようにこの演出をDVDで繰り返しみても、予想されたとおり、理解できない部分が多かったので、舞台をライブで見た観衆は、理解できないまま終わった人も多かったと思われる。
  森の中を場面に設定することは、恐らくオペラ以前の原作まで遡って考える必要があろう。思い浮かぶのは1630年のスペインの古い劇モリーナ作の「セヴィリアの色事師または石像の客」とフランスのモリエールの1665年作の「ドン・ジュアン」であろうが、いずれも主人公のイメージが身分が高くお金持ちだから出来る色事師であり、貴族であり騎士であることが共通するように思われる。従って、今回の「森の中で行動する浮浪者風の色事師」は、それ以前の古い放浪する「ドン・ファン」劇から出て来たのであろうか。

  森の中では、第一幕・第二幕のフィナーレの貴族の屋敷の豪華なパーテイは見込めず、石像の客のイメージも沸かない。従って、演出者は乗用車も登場する現代劇とし、森の中でのピクニックのような感覚ならドン・ジョバンニの浮浪者風スタイルにも合うとして全体の劇の枠組みを設定したのであろうか。しかし、最初の決闘劇で何故主人公を傷の付いたチンピラにしてしまったのか、分からないことだらけであった。兎に角、このような劇の枠組みで、現代風の姿にして読み替えるのは、当初からかなりの無理筋であったろうと予想された。実際の映像を見て、例えば第一幕のフィナーレの豪華なメヌエット、第二幕でエルヴィーラの従女の存在、石像の姿がどうなるか、第二幕フィナーレの豪華な食卓など、森の中では描くことが困難な舞台をどう表現するかが気になり、まるで演出者の腕を試すような積もりで意地悪く映像を見ざるを得ない自分に、オペラを見ている面白さがどこかへ行ってしまったようなが気がしていた。また、登場人物の関係では、ドン・ジョバンニとドンナ・アンナが当初から通じているような描き方であり、オッターヴィオが傍にいるのに、ドン・ジョバンニが現れてドンナ・アンナと仲良くしている姿が何回も見られた。
  見る側にファンタジーがなく、ケチばかりつけると演出者に怒られそうであるが、夢を期待している聴衆に過大なファンタジーを期待するのは、演出者の傲慢さではないだろうか。

  劇の進行が好きになれなければ、音楽の方も矢張り気分が乗っていかない。チンピラのドン・ジョバンニ役には、初めからついて行けずに戸惑った。しかし、レポレロやエルヴィーラ、ドンナ・アンナとオッターヴィオ、ツエルリーナとマゼットは、劇中で演技も熱心であったし、全員が良く歌っていたように思うが、演出が面白くないので矢張り盛り上がりが少なかったように思う。初めて見るウイーン版と言うことで、変な演出であることを知りつつ取り上げたものであるが、シュロットのレポレロ、ドンナ・アンナのアネット・ダッシュ、エルヴィーラのレッシュマン、ツエルリーナのシウリーナなどは役柄や声が良く合っており、彼らには別の演出で再度挑戦して欲しいと感じた。

(以上)(10/04/05)

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