(最新のDVD報告;リヒテルのソナタ3曲のライブ映像(1989)のDVD化)
9-11-1、スビアトスラフ・リヒテルのピアノソナタ集、第4番変ホ長調K.282、第16番ハ長調K.545、第8番イ短調K.310、およびショパンの練習曲より12曲、バービカン・センター、ロンドン、1989年3月29日、BBCアルヒーブス、

−リヒテルのコンサートでは、舞台を暗くしスコアを照らすライトの照明で演奏をする珍しいものであったが、まさに譜面に忠実な演奏を心掛けており、反復記号の付いたところは必ず反復しており、譜面以外の装飾音符は一切つけない徹底したもので、淡々とした緊張感あふれる演奏振りには風格すら感じさせた−

(最新のDVD報告;リヒテルのソナタ3曲のライブ映像(89/03/29)のDVD化)
9-11-1、スビアトスラフ・リヒテルのピアノソナタ集、第4番変ホ長調K.282、第16番ハ長調K.545、第8番イ短調K.310、およびショパンの練習曲より12曲、バービカン・センター、ロンドン、1989年3月29日、BBCアルヒーブス、
(09年06月、柏タワーレコードにてDVD購入、Medeici arts 3085208)

   このスビアトスラフ・リヒテル(1915〜1997)の映像は、99年6月にクラシカジャパンで放送され、一度S-VHSアナログテープに収録しており、フェラインの例会でも取り上げたことがあったと記憶している。今回、偶然、タワーレコードで入手したDVDは、輸入盤の廉価盤でMedici Artsから出されたもので、音源はBBC Archivesとされている。1989年3月29日、ロンドンのバービカン・センターで収録されており、モーツアルトの3曲、すなわち第4番変ホ長調K.282(189g)、第16番ハ長調K.545、第8番イ短調K.310(300d)の他にショパンの練習曲より12曲、そしてボーナスとして、1969年10月28日BBC収録のショパンの練習曲より2曲が含まれていた。
  今回のDVDは、さすがデジタルで復刻しただけあって、音質も映像も私のS-VHSアナログテープより状態が良いので取り上げたものである。リヒテルが明るい舞台にゆっくりと登場し、舞台が暗くなると同時にスコアを照らすライトの向きを自分で調節し、演奏に向かう巨人の姿は異様であり、このような演奏記録を残したピアニストは他にはいないであろう。リヒテルの他の映像としては、1994年5月8日に放送された来日記念演奏で弾いたピアノ協奏曲第1番ヘ長調K.37、第5番ニ長調K.175、第18番変ロ長調K.456の3曲を新星日本響とのサントリーホールでのライブがS-VHSで収録してあるが、ここでは明るい舞台でスコアを見ながら丁寧にピアノを弾く生真面目なリヒテルの姿があった。録音嫌いのリヒテルが残した映像は極端に数が少ない上に、第1番、第18番はこのHPではまだアップロードしていないので、アップを急ぐべきだと考えている。



   第一曲目の第4番変ホ長調K.282は即興的な雰囲気を持ち、アダージョで始まり、メヌエット・アレグロと続き、ピアノソナタの中では異例の3楽章形式になっている。 リヒテルは席に着くや照明の向きを直し、直ぐにさり気なくゆっくりと第一主題を弾き始めた。ため息音形のトリルが美しい。やがて左手の軽いリズムに乗って踊るような第二主題が流れ出しリズミカルにすいすいと進む。大柄な無骨な体型からは想像できない軽やかな音だ。ここで几帳面に提示部が繰り返され、第一・第二主題が丁寧に弾かれていた。ここで新しい主題で展開部が始まりがらりと様子が変わってから、再現部に入っていたが、第二主題が趣を変えながら再現されていた。第一主題が現れぬまま終結し、再び展開部に戻って再現されていたが、リヒテルは実に淡々と弾いていた。このリヒテルの弾き方が、アダージョの主題がもつ詩的な美しさを醸し出しており、とても印象深い第一楽章になっていた。



  第二楽章は聴感上は典型的なメヌエット楽章に聞こえるが、スコアを良く見ると、メヌエット機▲瓮魅┘奪鉢供△修靴謄瓮魅┘奪鉢気北瓩觀措阿砲覆辰討い拭メヌエット気任蓮▲瓮魅┘奪箸蕕靴ご雰蕕紛舛の中に突如としてアルペジオが連続して驚かすが、リヒテルはここでも淡々として何事もないように弾き進んでいた。トリオのように聞こえるメヌエット兇任蓮軽やかな響きの中に絶えず強弱や長短の変化があって、リヒテルは注意深く丁寧に弾いており、繰り返しを行ってからメヌエット気北瓩辰討い拭
 フィナーレはこの曲初めてのアレグロで、短いながらもソナタ形式で書かれた軽快な主題が颯爽と突き進むいそがしい楽章で、リヒテルは体を動かすことなくここでも淡々と弾いていた。即興的な軽い主題が速いテンポで進むが、途中で二度、アルペジオが大きな変化を与え、印象深い。リヒテルはここでもさり気なく弾き進んでおり、無表情で淡泊な演奏を心掛けているように見えた。この楽章のスピード感溢れる活発で明るい気分がソナタ全体を盛り上げ、アダージョで始まったこの曲を変化に富んだソナタの印象を与えていた。


  1曲ずつ休憩を取って続く第2曲目の第16番ハ長調K.545も、第一楽章は単純なアルベルテイの伴奏に乗って可愛らしい主題が実に淡々と進み、続く転げ回るように響く第二主題も美しい。短い曲ながら完璧なソナタ形式で作られており、提示部が繰り返された後、展開部でリヒテルは力強く変化をつけるが、やがて再現部となり冒頭主題が丁寧に再現されていた。ここでも譜面通りに展開部から繰り返されていたが、この生真面目とも言える一音一音を譜面通りに大切に弾く丁寧な演奏振りにはとても好感が持てた。


   第二楽章もアルベルテイバスで支えられた美しいメロデイの主題が流れるアンダンテで、三部形式の曲であろうか。始めの主題が提示され様々に変化しながら推移していくが、反復されてから、派生された新たな主題が提示されて反復され、最後には変奏曲のスタイルのようにこの主題が提示され、変奏されていた。リヒテルは、繰り返しを全て反復し、譜面通り装飾音符も付けずに実に丁寧に淡々と弾いていた。
   フィナーレは、踊るような短いロンド主題が飛び出すように始まるロンド楽章で、二つのエピソードを挟んでA-BA-C-Aの形を取っていた。リヒテルは弾むようにこのロンド主題を弾き始め、二つのエピソードで変化をつけながら一気に弾き進み、一呼吸おいて三度目のロンド主題を勢いよく弾いて終結していた。大変な拍手に丁寧に会釈を繰り返していた。アルベルテイ・バスで進行するこの曲ぐらいは自分で弾けるようになりたいものだとリヒテルの演奏を聴きながら昔の夢を思い出してしまうが、このような清潔な丁寧な演奏は素晴らしく、何度聴いても飽きさせない不思議な曲であるという思いを強くした。


  休憩から戻って弾きだした第3曲目は、新全集では第9番のイ短調K.310のソナタであった。第一楽章はイ短調で始まるアレグロ・マエストーソの指示通りに、悲しみを全てピアノにぶつけるように激しく壮大に始まるが、リヒテルは意外に穏やかな表情で力まずに第一主題がリズミックに開始され、続いて16分音符が続く第二主題が軽やかに続くが、終わりには激しい和音が連続し、曲のただならぬ様子を伝える。リヒテルはこの主題提示部を丁寧に繰り返した後に激しい展開部に突入した。ここでは第一主題の冒頭のリズムが展開の対象で、転調とダイナミックな強弱の変化が激しく、リヒテルもこの映像では初めて力強く弾いていたが、やはり終始感情を抑えながら弾いて、再現部に突入していた。ここでも、悶々と内にこもった感情を時々、強く外に吐き出すような高まりを見せて進んでいたが、リヒテルはここでも、展開部・再現部の繰り返しを行っており、展開部では力強いダイナミックな表情を見せ、再現部でも感情の高まりを抑制するかのように自然な姿で繰り返していた。
  第二楽章は、美しい穏やかなアンダンテ・カンタービレで、第一主題は飾りの多い歌うような第一主題で始まるが、構成はしっかりしたソナタ形式で書かれている。単調で細かく呟くように推移する第二主題が登場し、穏やかな表情は変わらず、リヒテルは無心に丁寧に心を込めて弾いていた。リヒテルはこの主題提示部を再び繰り返して束の間の静けさを保っていたが、展開部では異常な激しい高まりを見せリズミックに進んでいた。再現部では再び穏やかなアンダンテ・カンタービレに戻り、ここでは反復されることなく静かに中間楽章を終えていた。



  フィナーレでは再び緊張した速いテンポのロンド主題が登場するが、まるでハンガリー舞曲のような雰囲気で進行する。目まぐるしい早いパッセージが続いてこの楽章を盛り上げているが、リヒテルは終始冷静な弾き方を保ち、感情に溺れがちなこの曲を乱れなく締まったものにしていた。中間の二つのエピソードもロンド主題の変形であり、変則的なロンド楽章の印象を強くした。
  モーツアルトが初めて作曲したこの短調のソナタは、これまでの作風とは異なった激情的な心を暗示するように思われ、ある意味でピアノの範囲を超えた交響曲的な楽想さえ有していると思われるほどである。リヒテルはこの曲とじっくり取り組んでおり、構成的にも内容的にも充実したこの曲を、素晴らしい緊張感を持って冷静に弾いており、深みのあるものにしていた。

  リヒテルは、実に良い曲を選択して演奏してくれたと思う。最初のソナタK.282は、6曲の初期のソナタシリーズでは最も優れた魅力的な曲であり、第2曲目のハ長調K.545は、初心者が弾く最初のソナタでもある。世の中には乱れた演奏が多いが、大家の演奏とはこのように弾くものだと教えてくれたような気がする。3曲目のイ短調K.310は、母の死に関連づけられて感情移入されがちな曲であるが、リヒテルは実に淡々と弾き、常に高いところから見下ろすように、抑制的なトーンでこの曲を取り上げていた。反復記号の付いたところは常に譜面通り反復しており、譜面以外の装飾音符は一切つけずに、まさに譜面に忠実な演奏を心掛けていたが、彼が楽譜を見ながら弾くことにこだわりを持っているのは、そのために欠かせないことなのであろうと思われた。ギーゼキングのザッハリッヒカイトな演奏を思い出させるような演奏であった。NHKのアーカイブスで、リヒテルのドキュメンタリーを見たことがあったが、リヒテルが譜面を見て演奏するのは、観客に良い演奏を聴いて欲しいからだと語っていたが、そのことを頑なに実行している巨匠の姿が浮き彫りにされたDVDであった。

(以上)(09/11/09)


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