(懐かしい映像記録;カール・ベーム指揮による1980年の「後宮からの誘惑」K.384)
9-10-3、カール・ベーム指揮バイエルン国立OPO&合唱団、アウグスト・エヴァーデイング演出の後宮からの誘拐」K.384、1980年4月、ライブ収録、

−機械装置を活用した大舞台ながらスマートな演出の上に、リブレットに忠実で、緩急のテンポを良く心得てアリアを大事にしっかりと歌わせるベームならではの、最も基本的なことを大事にしたけれん味のない正攻法のライブ映像であり、若いグルベローヴァのコンスタンツエが最高の出来であった−

(懐かしい映像記録;カール・ベーム指揮による1980年の「後宮からの誘惑」K.384)
9-10-3、カール・ベーム指揮バイエルン国立OPO&合唱団、アウグスト・エヴァーデイング演出の後宮からの誘拐」K.384、1980年4月、ライブ収録、
(配役)コンスタンツエ;エデイタ・グルベローヴァ、ブロンテ;レリ・グリスト、ベルモンテ;フランシスコ・アライサ、ペドリオ;ノルベルト・オルト、オスミン;マルッテイ・タルヴェラ、セリム;トーマス・ホルツマン、その他、1980年UNITEL制作、
(1989年5月LD発売と同時に購入、DG-WOOZ-24029/30)

 この「後宮」の映像は、在りし日のベームの最後の姿を如実に伝えている貴重なドキュメントと言われており、幕の開く前、挨拶する彼への絶大な喝采は、ミュンヘンで彼が如何に敬愛されていたかを物語っている。あの僅かな身振りによるその指揮から、あのように表情豊かな音楽が生まれ出てくるのは、オーケストラがベームの音楽をよく知っていて、自発的に演奏をしていくからと言われる。何回も重ねて演奏しているうちに指揮者と一体になったオーケストラやソリストが生まれていくものなのであろう。ミュンヘン音楽祭でベームの姿を何度も見ている解説者の渡辺護さんの解説の言葉の一部である。
 ベームの姿もさることながら、グルベローヴァ・グリスト・アライサを配したこのソリスト達の豪華な顔ぶれも魅力タップリのレーザーデイスクであった。エバーデイングの演出も標準的・伝統的なものであったので、私にとってこの映像はおよそ20年前に最初に手にしたものであっただけに、「後宮」と言えばこの映像が全ての原点になってきていた。久し振りでこのデイスクを取り出して改めて評価してみようと考えたのであるが、何となく怖いようでもあり、どのように感じられるか気にしながら映像に没入した。


 画面は見慣れた幕が閉じた状態を背景に出演者などの紹介から始まっていたが、やがて広い豪華な円形の会場の姿が映り、煌びやかなシャンデリアが写されていた。そこにオーケストラ席が写りベームが登場すると、通常以上の大きな歓声と共に盛大な拍手が湧き起こり驚かされた。にこやかな温和な表情のベームの姿が映り、周囲と握手を重ねゆっくりと会釈をし着席してから序曲が始まった。お馴染みの旋律が早いテンポでトルコ風に賑やかに始まったが、表情は明るく活きがよいアレグロであった。やがてゆっくりしたテンポの静かなアンダンテに変わりオーボエがベルモンテのアリアを先取りしていた。緩から急に再び戻り、序曲の終了と共に幕が開きベルモンテのアリアが始まったが、アライサの良く通る「コンスタンツエに会える」という喜びの声が瑞々しく響き、素晴らしいオペラの開演を思わせた。舞台は人工波の海岸から宮殿へと機械仕掛けで急変し、ベルモンテは木の上で歌っているオスミンを見つけて話しかけるが、歌い続けて無視される。怒りだして「爺さん」と呼び掛けペドリオのことを聞こうとすると大男のオスミンも怒りだし、やがて二人がやり合う喧嘩の二重唱に発展していった。続いてオスミンがペドリオの悪口を言っていると、ペドリオが現れたので、オスミンはいきり立って「女どもを狙うお前達が大嫌いなんだ」と声を荒立てて歌い、アレグロになってお前達は首切り・首吊りだと歌って宮殿の中に入ってしまった。






  そこで残されたペドリオとデルモンテは意外にも早く再会し、コンスタンツエやブロンテが無事で元気でいることを知り、一部始終を語り合ってから、ベルモンテはコンスタンツエに会いたい一心で不安を示しながらも勢いよく歌い出すが、その胸の高鳴りを現すようなピッチカートの伴奏があり、アライサの声も良く伸びて最高のアリアとなり凄い拍手があった。続いて場面が変わり威勢の良い行進曲が始まり、セリムとコンスタンツエが船で登場した。合唱団による賑やかな太守を讃える合唱が続き、中間に四重唱もあって堂々と合唱が終了すると、太守がコンスタンツエを優しく慰めており、求愛をしていた。コンスタンツエは、太守の寛大さに感謝しながらも、「私は恋をしていて幸せでした」と歌い出した。最高の人気の若いグルベローヴァの姿が可憐で声も細いが良く伸び、コロラチュラの技巧を混ぜて、セリムには「応じられない」と苦悩の本心を強く歌って、大拍手を浴びていた。その健気な姿が太守の心を惹き付けていたが、そこへペドリオがベルモンテと共に登場した。お気に入りのペドリオの紹介で、ベルモンテをイタリアの建築家と紹介して太守に出入りを許された。そこで二人は驚喜して宮殿に入ろうとすると、オスミンが現れて邪魔をして一対二の面白い三重唱になっていた。リブレットではオスミンの手をかいくぐって宮殿に入ることに成功したようだったが、ここではオスミンから二人が逃げ出して幕となっていた。第一幕全体を通じてベームのテンポがしっかりしていて、歌手陣は余り動かずにマイペースで落ち着いて朗々として歌っており、とても好感が持てた。







  第二幕は宮殿内の広場に風呂場があり、オスミンが可愛いブロンテをものにしたくてからかうが、「私は奴隷ではない」とブロンテがピシャリと退けて、リート「すみれ」に似たアリアを歌い出した。ブロンテのグリストは前回のスザンナより相当痩せて小柄になっていたが、相変わらずコケットリーな仕草で裸のオスミンをやっつけ自由を主張していた。続いてオスミンが怒って「ペドリオに近づくな」と歌い出し、反発するブロンテとのアレグロの二重唱となるが、アンダンテになってやり合ううちに、ブロンテはテンポがのろい大男を手玉にとって、オスミンは軽く追い払われてしまい大拍手を浴びていた。
コンスタンツエが二階の窓辺に姿を現し、美しい前奏の下で寂しい気持ちをレチタテイーボで歌ってから、「悲しみが私の運命になった」と切々とアリアを歌い出した。この悲しみに満ちた暗い嘆きのアリアは単独でも良く歌われるが、若いグルベローヴァの歌は実に哀愁に満ちて素晴らしいと思った。そこへセリムが現れコンスタンツエにまだ決心が付かぬかと催促し、「死んではならぬ、拷問だ」と声を荒立てたので、木管と弦の長い前奏のついた決然としたアリアをコンスタンツエが歌い出した。このアリアは高音域のコロラチュアが要求される木管とのコンチェルタントなアリアで「どんな苦難があろうとも」と決然と歌われ、低い声はさすが辛そうであったが、素晴らしい出来であったので大拍手と歓声で大変であった。歌い終ってから拍手に答えて舞台に顔を出していたのが珍しかった。







  ブロンテがペドリオからベルモンテが助けに来ていることを聞いて躍り上がって喜んで、「何という喜び」とフルート協奏曲の終楽章に似たアリアを歌い出してペドリオを激励した。これに応えて「闘おう、元気よく」とペドリオは歌い出し、大小のキプロス酒と眠り薬を持ち出して「怖くないぞ」と歌いながらお酒に薬を注いでいた。そこへオスミンが登場して初めは警戒していたが、お酒を見てやがて飲み始め「バッカス万歳」の元気な二重唱となった。そしてオスミンが酔っぱらってしまって倒れそうになり、ペドリオに担がれて引き上げて、大笑いの大拍手となった。続く4人の再会の四重唱は長大でドラマテイックな愛の賛歌のフィナーレとなった。始めに「デルモンテ、私の命」と歌い出したコンスタンツエの歌は歓喜の絶頂であり、続いて解放の希望が見えてきたという四重唱となり、中間部ではテンポが変わって太守との関係を疑う嫉妬の四重唱となり、最後には疑いが晴れて男二人が許しを乞い、やがて明るい愛の四重唱となってフィナーレは終了し、長い第2幕はやっとここに終結した。











  休憩の後、続く第三幕はアイネクライネの第二楽章の伴奏でベルモンテのアリアで始まるが、これは第15番で第二幕で歌われる曲であり、第三幕の冒頭のベルモンテの本来のアリアは、どうしたことか残念ながら省略されていた。 続いてペドリオがピッチカートによるギター伴奏でおどけたセレナードで女達を誘い出そうとして歌っている間に時間が経っていく。コンスタンツエが二階から降りてきてきてベルモンテと逃げだしていたが、続いてブロンテに声を掛けた所で、ハシゴがオスミンに見つかってしまう。さあ大変。二人は逃げ出したが衛兵の警戒が厳しく、囲まれてしまい、結局は四人とも捕まってしまった。ここでオスミンが大喜びして歌う「勝ちどきのアリア」は、オスミンの鬱憤を解消し、役目を果たした喜びに満ちた、この日のオスミンの最高の劇的なアリアであった。




  騒ぎを聞きつけセリムが現れ、コンスタンツエを見てビックリするが、彼女は健気にも「私の代わりにこの人を許して」とセリムに乞う。さらにベルモンテがロスタードスの息子と知ってセリムの怒りは増幅し、二人は絶体絶命とばかり死を覚悟する。この二人の「何という運命か」と歌う二重唱は、オーケストラの絶妙な悲痛の響きと相まって真に迫り、ベルモンテが「僕のせいでコンスタンツエが死んでしまう」と歌い出し、コンスタンツエは「一緒に死ねるのは喜びです」と答えていた。そして終わりには、「喜んで死にましょう」という二重唱となり、素晴らしく感動的なアリアであった。そして再び現れたセリムは、死の覚悟を決めた二人の開き直った泰然とした態度を見て、意外にも「二人とも、故郷に帰れ」という。直ぐには信じられないほど寛容な言葉を聞き、「父親に伝えよ」と言われて絶句する二人。セリムの皆には理解できぬ高遠な心情は、皆を驚かせたが、寛容な赦しの精神を讃えることが当時のオペラの流行であろうか。ペドリオとブロンテも一緒に許されて、オスミンをカンカンに怒らせたが、四人で代わる代わるに歌い出す感謝の気持ちのヴォードヴィルが明るく歌われ、賑やかなトルコ風の「セリム万歳」の合唱で賑やかな終幕となり、四人が船に乗り込んで幕となった。










  絶望から一転して感謝への急展開で、舞台では意外な結末への感動で、素晴らしい拍手と歓声でカーテンコールが続いていたが、ベームが最後に一人で現れて笑顔で手を振って拍手に答えていたのが極めて印象的であった。これが恐らく舞台上のベームの最後の姿であろう考え、その姿を記念に撮影したのでご覧いただきたい。







  この映像を何回か繰り返して見て、矢張りリブレットに忠実で、緩急のテンポを良く心得て、アリアを大事にしっかりと歌わせて、最も基本的なことを大事にする伝統的な映像であるという思いがした。その反面、最近の映像のように舞台上の動きや変化を重視したり、ピリオド演奏の影響を受けた緩急・強弱の変化を大切にする演奏や演出とは異なって、飽きが来そうになるほど動きのスローな鈍い静的な映像であると感じた。この退屈さは、オペラブッファと異なり、セリフがあったりアリアが単調であったりする、この若いオペラ特有のものにも起因していた。このような感覚の違いがややもするとこのベームの映像が旧式な演奏や演出に思わせるかも知れないが、これはこれでその時代の最初の映像作品として、このオペラを評価する上で忘れられない重要な作品として将来にも残るものと思われた。

  演奏では、重要な場面には必ず指揮者ベームの姿が映像で現れ、ベームが慎重に指揮する姿が現れ、演奏もメリハリがあってオペラの進行を助け、安心して音楽に浸ることができた。主役の6人はそれぞれ当時のこの地の最高のメンバーが集まっており、中でもグルベローヴァは最高の人気と実力を兼ね備えていたことがこの映像で確認できた。この劇場におけるこの頃の若い彼女のコンスタンツエと夜の女王は、まさに当代最高の演奏と評価できよう。べルモンテのアライサも冒頭から素晴らしい声を聞かせてくれたし、堅物の真面目青年役を上手くこなしていたと思うが、残念ながら第三幕冒頭の第17番の難度の高いデルモンテのアリアが省略されていた。この曲はモーツアルトが初演者のアダムベルガーを考慮した技巧的なコロラチューラを活用したアリアであり、挑戦して欲しかったので、残念に思ったのは私一人ではなかろう。グリストは黒人歌手として存在は目立たないが、彼女のスザンナとブロンテとデスピーナは、ベームのオペラには欠かせないと言われるほど、ベームの信頼を得ていた歌手であった。このホームページで彼女のスザンナもライブで紹介できている(9-8-2)ので、合わせて参照していただきたいと思う。

  オスミンのタルヴェラは、存在感が充分にあり演技も歌も頑張っていたし、あの風呂場の演技は大変であったと思う。リブレットでは宮殿内の庭園とされているので、トルコ風呂を持ってきたのはこれが最初であろうが、この演出がヒットして時々トルコ風呂の演出を見かけるようになっている。終わりにセリムの存在であるが、ここでは努めて無表情なセリム役に徹して必要以上のことはしていないが、最近では、トルコ風を強調する演出が多いせいか、或いは最後の寛容さを説明させようとしているせいか、セリムに過剰な出番を設ける演出が目立つようになっている。私見を交えて恐縮であるが、私はリブレット以上の出過ぎたセリム役は、遠慮して欲しいと考えている。

  このバイエルン・シュターツ・オーパーには、私のHPの旅行記には載せていないが、古い格別の思い出を持つた訪問旅行があった。それは97年2月のことであるが、私は日本モーツアルト協会の仲間たちとザルツブルグのモーツアルト週間に初めて参加し、帰路にオペラ仲間では先輩の原山氏と島女史との三人で、ミュンヘンに足を伸ばして三泊し、このシュターツOPで2オペラ、ヘラクレスザールでオーケストラを聴いたことがあった。劇場直ぐ裏手の今思えば高級なホテルに泊まり、日中はモーツアルト行脚をしながら夜はオペラであったが、初めて入ったボックスシートではヘンデルの「ジュリアス・シーザー」を見て、翌日は平土間であったが、何とグルベローヴァがロジーナ役の「セヴィリアの理髪師」を見ており、彼女の人気の凄さに改めて目を見張る思いをしたことがあった。今回の映像は1980年の作品であり、映像を見始めて蓄積した約20年後に初めて、私は現地での確認旅行が体験出来たことになる。

  終わりに09年11月号の「レコード芸術」の広告欄を見ると、偶然ではあろうが、このベームの「後宮」がユニヴァーサル・ミュージックから初のDVD(UCBG-9114)となって2940円で発売されることになっていた。手元のレーザー・デイスクを見ると12800円であり、思えばこのソフトの値段の高さが、私の放送の録画意欲を高めさせ、当時のS-VHS録画に没入させて、その資産を今日HPでアップしてご紹介していることになる。DVDを用いてアップすれば、レーザー・デイスクよりも映像も音質も通常ワンランクアップするので、写真写りが格段に良くなるのであるが、今回はお許し頂きたいと思う。

(以上)(09/10/23)


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