(特別番組;ドキュメンタリー・テレビ映画などの特集)
9-1-4、ドキュメンタリー「ザルツブルグ音楽祭」−その短い歴史−、(その三)
−カラヤンの死から2006年生誕250年祭まで−、
監督トニー・パーマー、制作2006年、クラシカジャパン、08年9月特集、

−カラヤンの死後、救世主的に登場したモルテイエによる多様なオペラとモダンな演出の登場や大衆化の流れを描いており、これに反旗を翻す有名人の数々が登場し、論議が高まりながら全体としては成功を収めていく音楽祭の様子が写されていた−

(特別番組;ドキュメンタリー・テレビ映画などの特集)
9-1-4、ドキュメンタリー「ザルツブルグ音楽祭」−その短い歴史−第3部(その2) −カラヤンの死から2006年生誕250年祭まで−、
監督トニー・パーマー、制作2006年、クラシカジャパン、08年9月特集、
(クラシカジャパンの08年09月23日の放送をBRデイスク(BD-06-1)に録画。)

 カラヤンが亡くなった。ドミンゴが一時間前に合っていたのにと、その衝撃をパリ空港で語っていた。1989年7月16日日曜日の昼頃の話であった。音楽祭儀典長スザンヌ・ハルフは、余りにも突然の死に誰もが驚き、誰もが今後の不安を隠さなかったと語っていた。小沢征爾の指揮でブルックナーの交響曲第九番ニ短調の映像が映る。小沢はかねてカラヤンから「俺が死んだらこの曲を演奏してくれ」と頼まれていたが、エリエッテ夫人の要請でもあった。第三楽章の冒頭の雄叫びのような深い響きに心を打たれた。



 1992年〜2002年音楽祭芸術監督のジェラール・モルテイエは語った。「カラヤンは音楽祭に多大な貢献をした。カラヤンがいた時代は富裕層がザルツにやってきて有名になった。戦前ナチスが支配する前は、ザルツは文化人の交流の場になっていた。しかし、戦後は彼らは財産を失い、1960年以降は、モナコやラスベガスの富裕層を音楽祭に取り込んだ。音楽祭の前に並んだ高級車の数よりも、自家用飛行機の数が重要視された。しかし、演奏は二の次でした。」厳しい言葉である。
 サイモン・ラトルは続けて語った。「ジェラールは凄い。とんでもない方法で音楽祭を救ったのです。計算通りだったこともあったろうが、生き残る可能性を示したのだ。あんな危険を冒す以外にどんなことが出来たろうか。挑戦をすることで新たな発見をする。それを私は願っています。さもなければ、ただの音楽祭になってしまいます。名前だけでは生き残ることは出来ません。建て直すという強い意志が必要です。」



 映像では「ばらの騎士」の第一幕の元帥夫人とカンカンのベッドシーンが映る。次いで第三幕の料理屋で隠れた人が窓から顔や身体を出すシーンが写されたが、何と明らかに裸体やセックスシーンが登場していた。ウイットゲンシュタイン王妃は語った。「気に入らないものは彼にそう言いました。私はオペラを見て倒れそうになった。」また、セーナ・ユリナッチが言う。「あの「フィデリオ」は問題作です。驚きと怒りでね。第一幕は最悪です。第二幕の「何と暗いことか」という場面は、何とリビングでソファに座っていました。そしてフィデイオは、部屋の明かりを付け、妻のガウンを手に取りキスをしたんですよ。」クリスタ・ルードヴィヒは言う。「ケルビーノが野球のプロテクターを着け、コーラを飲みながら歌っていた。これは必要な演出でしょうか。ジーンズ姿のドン・ジョバンニ?あり得ません。その必要がありますか?オペラなんですよ。」場面は「ドン」で、高級車に乗っているツエルリーナをドンが口説いていた映像が映る。続けて「美しきエレーナ」では格好いいオートバイが舞台を走り廻っていた。



 モルテイエは語った。「観客は15歳の頃に見た名作が、変わらずにあるべきだと85歳の今でも思っています。車の替わりに飛行機で駆け付ける人達がですよ。芸術については、余りにも保守的なのです。私は自信を持ってプログラムを作っているし観衆を魅了したいのです。最も大切なのは、音楽の質にあります。そして将来起きる出来事から目を逸らさないことです。」画面ではピアニストのブレンデルと指揮者のラトルが写り、ブレンデルが「私はこう弾きたい。」と説明していた。
 ラトルは語る。「アルフレードとの付き合いは20代の頃からですが、彼の要求が難しかったのを覚えている。難しさに絶望したこともある。今でも彼は要求してきます。ザルツの活動の中でも、70歳の誕生日のコンサートが印象的でした。ウイーンフイルと共に、彼のキャリアの頂点を迎えたのです。」そこでは暫くの間、ブレンデルの弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番の第二楽章が続いていた。

 場面が変わって、舞台は「ボリス・ゴドノフ」の大写しの鐘の場面が写されていた。  マリインスキー劇場のヴァレリー・ゲルギエフが語っていた。「私にとってザルツブルグ音楽祭は、毎年やってくる一大イベントなのです。ザルツで初演となる演目が多く、「ボリス」も「ホバンシチナ」、「戦争と平和」、「スペードの女王」もそうでした。ここでは、有名な作品も無名に近い作品も私にとっては挑戦です。劇場関係者も同じ気持ちだと思います。何度も演奏していますが、音楽祭に招かれるカンパニーはそう多くありません。
 モリテリエが再び語る。「ザルツ音楽祭で何が見たいのか。新しい発見が欲しいか問われます。「魔笛」を見たいなら何を見つけたいのか?以前にこんなことがありました。音楽祭の中心地から離れた場所で、「魔笛」の上演を行った。そこは町の反対側で貧困層が多く住む場所です。上演は大成功で、チケットも安く抑えられました。勿論まだ高いのですが、通常の上演の半分でした。全てのチケットが売り切れましたが、市には嫌われた。私は続ける気でしたが、こういう人もいました。食事やホテルで金を使わない人向けの上演だと。」



 「魔笛」の夜の女王の新しい演出が現れた。夜の女王が高い声を出すごとに背が高くなっていく。ピエロ姿のパパゲーノが三輪車に乗ってウロウロしていた。黒人二人がドンとレポレロを演じて争っていた。これはピーター・セラーズの演出だと思っていたら、彼が雄弁に語り出していた。「モーツアルトのオペラの演出で重要なのは、民衆の政治活動として描くことです。彼の作品は、知らない間に知らない場所で限られた人だけに起きた話ではないのです。既に過去のことだとして描いてはいません。モーツアルトは当時の出来事を書きました。彼にとっては、同時代の人々への挑戦だったと思います。彼が心から懸念していたことは、当時の憂慮すべき政治的かつ経済的な問題です。自分の作品や歴史を語る物語とは思っていません。近年の批評を見ても解るとおりですが、彼は明らかに社会を侮辱しています。作品は従来の社会構造に対する彼の批判だったのです。だから私も非難されても、不愉快に思いません。影で批判する人達は、古くて死んだも同然のものを守ろうと必死なのです。」



 一方、画面では、M22の「ドン・ジョバンニ」での裸姿の女性群が写され(7-5-4)、ドン・ジョバンニ役のトーマス・ハンプソンが熱心に語り出した。「ジェラールは、音楽祭のために闘ったのです。戦いの相手は音楽祭の信奉者と、強烈な個性と才能を持った実力者カラヤンでした。どちらにも嫌とは言えません。「伝統」とは何でしょうか。情熱を保つことだけではありません。セリフを生かし続け、その芸術性と価値を守り続けることです。音楽祭にはその責任があると思います。不利益をもたらすこともあるでしょうし、リスクを招くこともあります。それでもセリフは守らなければなりません。過去も現在も未来においてもです。」 次いでジェラールは続けた。「モーツアルトにとって、「ドン・ジョバンニ」の発表は勇気が必要だった筈です。これを只の娯楽作品にするなら、こんな音楽祭は続けるべきではありません。娯楽にしては、多額の費用が掛かるのですからね。娯楽なら自費でやるべきです。皆さんは興味がないかもしれないが、休憩時間に使える食堂を私が初めて作ったのです。観客の皆さんは飲み物が買えます。しかし、出演者たちが使える食堂はありませんでした。また、リハーサル室なども造り、最高の環境になりました。昔ながらのチケット売り場も改装しました。改装しても芸術的な効果があるとは限りませんがね。
 次に私が重要視したのが劇場でした。ピーター・シュタインを監督に迎え、チケット代を抑えて、知識人や若い人の関心を集めようと考えました。狙い通り実現できました。」



 一方、画面は「ジュリアス・シーザー」となり、シーザーが刺され、「ブルータスよ、お前もか」の場面が写っていた。続いて「ドン・ジョバンニ」の 地獄落ちの場面が写され、「この手が私を掴んでいる。逃げられない。」と悲鳴をあげていた。
 映画監督イングマール・ベルイマンは、これを受けて語っていた。「ドン・ジュアンもスガナレルも、誰の中にもいるのです。ドン・ジュアンには道徳を主にする面もありましたが、彼も同じ人間なのです。「祭典」とは何でしょうか。人々を一つにすることです。また、芸術を通して答えを示すのでなく、疑問を通して人を導くことです。問題を提起できる作品を挙げるとすれば、アイスキュロスの「ペルサイ(Persei)」でしょう。セラーズと共にこの作品に取り組むと決めたとき、現代の姿を写した作品にしたいと考えました。音楽祭を観光客集めではなく、本来あるべき芸術的な祭典にしたかったのです。」
 画面では、イラク戦争のピンポイント空爆の映像が写されたが、目的物の破壊の次に何が起こるか、深く考える人はいないという説明があった。  P.セラーズは続けて「ギリシャ悲劇では、常に正義とは何かが問われます。とても難しい問題提起です。善と悪の違いは何なのか。アイスキュロスの意図は、良心を刺激するだけでなく、自分の敵は自分だと気付かせることです。西欧諸国も自ら気付くべきです。私が考える音楽祭の存在意義は、議論の中心にいることです。ギリシャの大デイオニュシア祭と同じく祭典が人々を立ち止まらせ、一つにまとめるのです。そしてレイプや近親相姦や捕虜の扱いまで話し合うのです。音楽祭の役割は、芸術を極めて高いレヴェルに押し上げることです。広く認知させることで、完成度が高まり、音楽祭は本当に強い願いとなるのです。ザルツブルグは力の象徴であり、客を引き寄せる場所です。観客の中には、国家元首や財界人の権力を持ち、決定を下す人がいます。」



 映像では、客席の元チェコスロヴァキア大統領ヴァーツラフ・バヴェルが写り、続いて白黒映像で元ソ連共産党第一書記ニキタ・フルシチョフが写り、さらに現在話題のチベット亡命政府指導者ダライ・ラマ14世の顔が見えた。

 セラーズは語った。「彼らは好き嫌いに関係なく、作品を見ることになる。そして誰もが音楽祭を話題にする。翌日には、町中がこの話で持ち切りになるのです。社会全体を巻き込むことこそ私たちの狙いなのです。」
 ここでオーストリアのトーマス・クレステイル大統領(1992〜2004)が、音楽祭で演説をした。「ホフマンスタールは、見事に私たちの現状を言い表しています。ザルツブルグの賑わいと音楽祭では、つまらないことより、お互いの最高を認め合う。皆さん、私たちの世界は、古くさく平凡なものになりつつあります。」



 ここで、客席の聴衆の一人、モルテイエの顔が見えた。大統領の話が続く。 「音楽祭の批評家がどう言おうと、エリートの要求に私たちは迎合出来ません。しかし、民主的発想には応えるべきです。これは調和でなく対立を意味するでしょうか。和解でなく挑発になるでしょうか。芸術の真実性ではなく見せ物となるのか、有益な働きかけでなく平和の破壊となるのか。音楽祭は、エリートのものかそれとも大衆のものか?ホフマンスタールは、こう答えを出しています。「心の中で人とは何かを考えている者は、区別されることを拒絶する」と。」

 この時期の音楽祭の演奏会担当(1991〜2001)のハンス・ランデスマンは、語ってくれた。「ジェラールは体制とは相容れませんでした。彼は音楽祭を娯楽とは思っていません。オペラやコンサートを鑑賞した後には、人々の中に変化が起こるものなのです。素敵な夜を過ごしたくなるようにね。クレステイル大統領はそれを理解しなかった。その点については賢かったとは言えません。彼は観客の気持ちを全く理解しておらず、ただ美しいものを眺めていたいだけでした。ジェラールはそれに腹を立てたのです。」



 ジェラールは語っていた。「信じられないほどのショックでした。私は彼のために、欧州全体を視野に入れて、大変な努力をしてきました。ザルツでの欧州フォーラムも実現しました。しかし、彼のスピーチは欧州の精神を無視しています。保守的過ぎて、大統領の発言とは思えません。私はここを去ろうと思いました。我慢が出来なかったのです。」

 メトの歌姫ルネ・フレミングが歌う。コルンゴルド作曲の「死の都」からの美しいアリアで「幸福は私のものだった。戻っておくれ、私の恋人よ。」と歌っていた。  第一部で出たザルツ音楽祭総裁のヘルガ・シュタットラー女史が語っていた。「ペーター・ルジツカが後任となりました。彼はある点を理解していた。ザルツの歴史はナチス抜きには語れない。ナチスに占領された一方で、これを喜んだ人々もいたわけです。ルジツカは重要なことを思いつきました。かってナチスに禁じられた作曲家たちの曲を、ザルツブルグに甦えさせたのです。」
 歴史家クルト・アラーは「コルンゴルドの曲を聴くことは、1950年代からその後1990年代までなかった。演奏されず聴く機会がなかったのです。反ユダヤ主義が大きな一因だと確信しています。今ならユダヤ系でもあんな苦労はなかった。コルンゴルドが見直されるまで何十年もかかった。やっとザルツブルグで復活したのです。」



 ザルツ音楽祭芸術監督(2002〜06年)のピーター・ルジツカは語った。「二つの大戦の間には優れた作曲家がいました。亡命した彼らの曲を復活させたかった。コルンコルドやシュレーカー、ツエムリンスキーなどザルツブルグでこそ演奏されるべき曲を復活させたのは、偉業と言ってもよい。実に喜ばしいことに、今も世界中で演奏されています。ザルツの芸術が戻ってきました。」
 再び、ルネ・フレミングの「死の都」の歌が流れていた。  総裁のヘルガは語った。「モーツアルトのオペラを全作上演しようと、ルジツカが言いました。2006年のモーツアルトイヤーのことです。誰もが反対しました。「どう考えても無理だ」と散々言われたのです。モーツアルトの初期のオペラには客が来ないと言われましたが、結果は大成功でした。」



 ルジツカは語った。「音楽祭の要となるモーツアルトの企画には、妥協できません。しかし、考え方は世代によって異なります。完全な解釈など存在しないのです。」  ザルツブルグ州副知事ヴィルフリート・ハスラウアーは語った。「188の演目を用意しました。前回の来場者数は23万8千人です。座席の94%が埋まったことは町にとっても大きな意味があります。音楽祭による経済効果は、1億6800万ユーロという膨大な金額でした。税収はおよそ2700万ユーロになった。大成功でした。」

   ネトレプコが雑誌について聞かれ、「縁がないのです」と大笑いして「気になるのは写真写りね。後は興味ないんです。真面目な話しですが、自分ではどうすることも出来ません。私はやるべきことをやるだけです。何を話しても、書くのは彼らですから。」  顔をしかめたくなるモーツアルト・グッズの山。ザルツのセールスマンは語る。「これはザルツの畜産業を支えている美味しいソーセージです。牛肉と豚肉を使用しています。」
 ザルツブルグ市の観光局のH.ブルガー氏は「モーツアルトはブランド化され、規制がないので誰もが使おうとします。一体どれだけあるか数えてみたいです。ソーセージにビール。日本にはモーツアルトのワインもある。モーツアルトのチョコは、年に100万個も売れている。見逃せない市場です。名前だけで100万個ですからね。年間にザルツブルグへの観光客は、500万から700万人訪れます。飛行機が便利になり、まだ増えて行くでしょう。昨年、急激に増えたのが、中国からの旅行者です。」と語っていた。



 中華人民共和国オーストリア大使のルー・ヨンファ氏は語っていた。「ザルツブルグは美しい町なので中国でも有名です。オーストリアの風景は素晴らしい。中国ではそこが人気です。2本の映画のお陰です。1本は「プリンセス・シシー」。毎年放映され、誰もが見ていて、美しい風景に心惹かれます。もう一本は「サウンド・オブ・ミュージック」です。ランランが目を輝かして語っていた。「子供時代のアイドルは、モーツアルトとトム、バックス・バニー、ミッキーマウスでした。あとはカンフーの得意な孫悟空ですね。例えば、モーツアルトのソナタを弾くとき、楽譜には彼らの小さな写真が貼ってあります。モーツアルトのソナタ第一巻の中にはミッキーたちがいるんです。大好きな彼らに囲まれると、落ち着きます。モーツアルトの横顔も欠かせません。あのシルエットのね。あれをピアノの横に置くと、触発されます。」  ここでランランの24番ハ短調協奏曲K.491の第一楽章のカデンツアを得意げに弾いている姿が写された(8-3-2)。



 ヨンファ大使は言う。「上海とザルツブルグは交流都市ですが、人口には大きな差があります。上海は1600万人を超えていますが、オーストリア全体の人口はその半分です。ザルツブルグはさらに少ない。」
 ザルツブルグ州の観光局レオ・バウエルベルガー氏は、「毎年行われる音楽祭は、私たちにとって大きな収入源です。信じられないほどのブランド価値があります。数字で言えば、年間5000万ドルの価値です。宣伝には苦労しません。先日中国へ行ったとき、オーストリア大使館に招待されました。そこで最後に「エーデルワイス」が演奏されたんです。その光景を見て驚きました。中国人は全員が曲を知っていて一緒に歌っているんです。オーストリア人は皆うつむいていました。歌えないんです。」  ジェラールはこれに追加する。「ザルツブルグ音楽祭は完全に営利目的です。そうなってしまった。オーストリアの中でもザルツは飛び抜けて裕福な町になりました。一人あたりの所得は最も高い。音楽祭のお陰です。ホテルやレストラン、タクシーの運転手始め、誰もがこの夏のイヴェントで働いています。これは非常に危険な状態だと思うのです。私がいた15年前よりも悪い状態にある。モーツアルト以外をもっと取り入れるべきです。」











 ザルツブルグ州知事ガービ・ブルクシュターラーは、「音楽祭の予算に関する援助を定めた法律がある。4割は政府が援助してくれ、ザルツ州から2割、ザルツ市から2割です。さらに観光振興基金から2割出ている。音楽祭のために設立された基金です。」  1996年から2004年まで州知事だったフランツ・シャウスベルガー氏は、「音楽祭に特別な法律が設けられ、公的資金による援助を受けるようになった。しかし国庫金にも限りがあり、これで他の資金源が必要になってきたのです。しかし回収率は非常に高い。チケットの売り上げで7割は戻ります。スポンサーのお陰で、現在の演目が実現できた。モーツアルト・ハウスの改装も実現しました。」ここで音楽祭総裁は続けて語った。「夏になると私たちは演奏者や技術者を約3600人雇用します。ザルツブルグの大企業の3倍以上です。地域の経済発展を担っているのが、文化団体だと言うことは面白い事実ですね。私たちが国内最大の企業と言うわけです。」 

「富を持って死ぬのは不名誉だ。」これはカーネギーの言葉である。  慈善家のドナルド・カーンが言う。「子供や孫を思うと賛同は出来ないが、言いたいことは解ります。金の目途を選び、社会を豊かにしようと考えるのです。カーネギーが図書館や医療施設を作ったようにね。社会貢献です。この考え方については正しいと思います」。ここはザルツブルグで最初のコンサートホールですと語る氏は、ここでモーツアルトは10歳と14歳の時に、初期のオペラをこのホールで上演したと語っていた。



 07年から就任しているザルツブルグ音楽祭ユルゲン・フリム芸術監督は言う。「ザルツブルグは伝統を発展させようとしない。せっかくの伝統も死んでしまう。昔のものほど素晴らしいと思っている。ルジツカの言うとおり、過去に捕らわれすぎて、新しいものに無関心だ。舞台の世界は日々進化しています。ザルツブルグも将来を見据えて変化すべきです。新たな舞台の楽しみ方を、観客に解って貰えばいい。新しいものを目にする素晴らしさを、観客に知って貰うのです。考えさせるのです。考えることは楽しみになります。人はなぜ、クロスワード・パズルをやるのか。考えることが楽しいからです。
 未知の成功を他人と分かち合うことを、多くの人々が求めています。第927回に「コシ」をやりましたが、非常に退屈でした。例えば、コンピューターの展示会には、最新の機器が大人気です。なぜ舞台に関してはそうではないのか。ここが問題です。なぜ未来を信じようとせず、過去にこだわるのか。後ろばかり見て前を見ないのはおかしな話です。」










 トーマス・ハンプソンは再び語る。「私たちに衝撃を与え、気持ちを駆り立てるものは何か。ただ公衆の面前で演ずる見せ物ではありません。芸術が挑発的とは思いませんが、何らかの刺激がなければ成功とは言い難い。芸術の目的が刺激だというわけでなく、芸術家は挑発的であるべきなのです。お互いに力を合わせながら、ギリギリの所まで大胆な挑発をしたい。」と語っていた。
 ジェラールは最後に語った。「芸術とは何でしょう。芸術家は繊細な感性を持って、人々に歴史を伝えたいと願う人達です。むかし劇場は討論の場でした。人々はその劇場を通じて、物事の存在意義を見出そうとしたのです。常に交流があり、孤独感は余り感じない世界でした。私の周りにもいません。音楽祭をきっかけとして、心の扉を開いて欲しいとと思います。さまざまな人間と触れ合うのです。イースター音楽祭で最悪の経験をしました。こんな声が聞こえたのです。「ブラームスは良かったわ」「8時だからホテルに戻りましょう」こういう人達は来て欲しくない。忘れられません。」

 そこで「イエダーマン」の映像が出た。「誰の使いだ」「私は死神だ。イエダーマン。人など恐れん。みな覚悟しろ。誰も逃がさんぞ。」
 これを演じていた俳優のクラウス・マリア・ブランダウアーが言った。「私は幼い頃から、先を知りたがりました。今はさらに興味を持っています。あの世にとても興味があるんです。死の宣告が来る瞬間を想像すると、生命のはかなさに身震いしてしまいます。でも、それと同時に楽しみな気もして、私は今も好奇心旺盛ですから、痛い思いさえしなければ、平気です。」
 サイモン・ラトルは最後に語っていた。「これほど質を保っている音楽祭はありません。理想型を頭に描きながら、さらに素晴らしいものに発展を続けて欲しいです。今までも素晴らしかったが、それに満足してはいけない。同じ意見も出たでしょう。カメラの前では無理かな?」

 フイッシャー大統領が最後にこう語っていた。「今日はモーツアルトの生誕250年を祝う日です。また、アウシュビッツ収容所の解放日から61周年の記念日でもあります。人間というものには驚かされます。理解するのが難しい。真理を得るのは不可能でしょう。しかし、素晴らしい至高の音楽を生み出す力が、人間には確かに備わっているのです。同じ人間でありながら、心ない振る舞いをする人も存在しています。アウシュビッツの殺人の数々の犯罪が良い例でしょう。義父が収容所にいたので、感慨もひとしおです。1月27日と言う日は、とても特別な日だと思います。人間の中の善と悪の間に大きな溝を実感させてくれるのです。」
 ストラヴィンスキーの「詩編交響曲」の教会で神に祈りを捧げる合唱の声が、最後に静かに聞こえてきて、長い第三部が終わりとなった。

 第三部の読み取りを終えて、日本は政治から社会から芸術に至まで何と閉塞感に満ち、変化への努力を怠ってきた何と保守的なお国柄なのであろうかと感じた。行く度にドンドンと変化を続けているあのザルツブルグでも、保守的であるとされ、将来のためにもっと変革することを求められているようである。
 私は最近のモーツアルトオペラの極端な読み替えオペラに危惧を抱いている一人であるので、この第三部をことさら興味深く拝見した。各人の発言の正確性を期するため、殆ど字幕通りにしてあるので、冗長に過ぎたかも知れないが、レポーターとして客観性を確保した積もりである。

   私は現在の状態は、行き過ぎはあっても何れ良いものは良く、不自然なものは駄目だとして時間と共に自然に淘汰されていくものと思っているが、演出家を規制するための何らかの限度なり節度をどこに求めたらよいのか気になっていた。私はかねて、その限度は、セリフを守りながら音楽を大切にしていく姿勢が重要であると考えていたが、同じようなことをトーマス・ハンプソンがこの映像で語っていたので安心をした。ここで熱弁を奮っていたピーター・セラーズが、もはや古典になってきたと言われるほど、舞台の変化は激しいと思っていたからである。

   モーツアルトは、確かにオペラ作品で時代を批判したため、支配階級に冷や飯を食わされた。芸術家は常に新しさを求めて批判を高めていくのであろうが、行き過ぎると体制や社会から見放されるものである。新しい芸術監督のフリムのオペラは、アーノンクールとチューリヒ歌劇場のものなので、ここではほぼ紹介済みになっている。彼の演出したオペラは現代風であっても節度を守っていると考えてきた。  私は「イエダーマン」を見ていない。ドイツ語だから見ても解らないと敬遠していたが、その精神はザルツブルグに今なお生きているようだ。第一部を整理していて、「イエダーマン」やカソリックとピューリタン、ユダヤ人との係わりなどザルツブルグに潜んだ底辺の知識不足に気がついた。もし記述に誤解があったら、ご指摘願いたいと思っている。

 終わりに第三部では、カラヤン以降の音楽祭芸術監督の語りに触れることが出来たが、モルテイエ(92〜02、演出家)については、新しい演出以外は化石扱いにし、音楽祭で扱うオペラの範囲を拡大したことが、多くのオペラ演出家を生み出し、オペラ界を活性化させたことを評価したい。また、ルジツカ(02〜06、作曲家)については、ナチの時代以降排斥されたユダヤ人作曲家の復活を試みたことや、モーツアルトイヤーにおける全オペラ上演を成し遂げたことを評価したいと思った。従って、現在のフリム(07〜、演出家)がどういう風に音楽祭を引っ張っていくかに非常に関心があるが、私は彼の演出家としてのモーツアルトオペラ(チューリヒ歌劇場)作品は殆どアップロード済みであり、現代風の演出であるが音楽を大切にしたリブレットに忠実な映像であることを理解している。従って、彼のこれまでの演出の姿を全てのオペラに徹底させてもらえば、リブレットを変え、音楽を等閑にする行き過ぎたオペラ演出は避けられるものと信じおり、彼の頑張りに期待したいと思っている。

(以上)(09/01/03)(追記09/01/30)


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