(S-VHSアナログテープ・ストックによる懐かしい映像;バレンボイムの弾き振り)
9-1-2、バレンボイムの指揮とピアノによるピアノ協奏曲第13番ハ長調K.415(387b)(96年11月1日)および第27番変ロ長調K.595(8900)、バレンボイム指揮ベルリンフイルハーモニー管弦楽団、

−二つの協奏曲とも、バレンボイムがいつも通り指揮をしピアノを弾く、破綻が見当たらない安定した自然な演奏ぶりであり、いずれもピアノの音がクリアで安心して見ていれる演奏であった−

(S-VHSアナログテープ・ストックによる懐かしい映像;バレンボイムの弾き振り)
9-1-2、バレンボイムの指揮とピアノによるピアノ協奏曲第13番ハ長調K.415(387b)(96年11月1日)および第27番変ロ長調K.595(8900)、バレンボイム指揮ベルリンフイルハーモニー管弦楽団、
、 (2002年12月12日のクラシカジャパンによる放送をD-VHSレコーダによりデジタル録画、及び2000年9月6日クラシカジャパンによる放送をS-VHSレコーダーによりS-VHSテープにアナログ録画)

 1月号の第3曲目は、ベルリンフイルを用いたバレンボイムの指揮と彼のピアノによるピアノ協奏曲第13番ハ長調K.415(387b)および第27番変ロ長調K.595である。この二つの曲の演奏ソースは別々であり、ピアノ協奏曲の「映像のコレクション」を充実させるために考えた苦肉の策でこのようになってしまった。第13番ハ長調K.415(387b)は、ベルリンフイルハーモニー管弦楽団が毎年行っている97年ヨーロッパ・コンサートを収録したものであり、97年5月1日に行われたヴェルサイユ宮殿ライブである。指揮者バレンボイムは第2曲目を弾き振りしており、因みにこのコンサートの第1曲はラヴェルの「クープランの墓」であり、第3曲目は「英雄」交響曲であった。ハ長調のピアノ協奏曲は、トランペットやテインパニーを含み、大ホール向きなので、採用されたのかも知れない。このライブコンサートは、S-VHSのアナログ(97)でもデジタル(102)でも収録されていたので、デジタル録音で聴き直してみた。

 一方の第27番変ロ長調K.595は、第25番・第26番とともに録画用の宮殿の一室を使って収録されたスタジオ演奏であり、クラシカジャパンの連続放送から録画をしたものである。バレンボイムのこのベルリンフイルとのスタジオ演奏のシリーズは、第20番・第21番及び第22番・第24番などがアップ済みとなっており、この最後の曲はこれらに次ぐものであるが、今回は残念ながらS-VHSテープによるアナログの画像であった。
 今回のこれら2曲のアップにより、第13番ハ長調K.415(387b)が初めて「映像のコレクション」に登録されることになり、また第27番変ロ長調K.595については、7種類の素晴らしい特徴ある映像が備わって全てアップロードが完了するので、この曲をコレクションの「完成曲」扱いにしたいと考えていた。





 ピアノ協奏曲第13番ハ長調K.415(387b)は、先にも触れたように大規模なオーケストレーションになっているが、当初は他の第11番ヘ長調K.413、第12番イ長調K.414とともに小編成のサロン的な協奏曲として作曲されていた。それにファゴット2が追加され、トランペットやテインパニがさらに増強されていったのは、この曲の持つ楽想が雄大で規模の大きさに根ざすものと思われている。この曲が初演されたのは1783年3月23日、ヨーゼフ二世の臨席のもとに、先の2曲のうちいずれかと共に演奏されている。
 バレンボイムがコンサートの2曲目として拍手を浴びながら登場し、ピアノの前に立って両手を挙げ指揮を開始した。第一楽章は行進曲風のリズムに乗って第一ヴァイオリンが弾きだし、カノン風に各楽器が整然と加わって、管楽器の参加と共に強奏に変わり、第一主題が交響曲のように堂々たる姿で進行する。短い副主題が加わり再び主題冒頭のカノン風の入りがあってやがてコーダに入るが、これも実に堂々としており、ジュピター交響曲の一部を思わせるようであった。ヴェルサイユ宮殿の王室歌劇場の舞台は広く、ベルリンフイルはコントラバスが3台の標準規模であったが、音がやや響きすぎ混濁してクリアーな音色に欠けていた。
 続いて独奏ピアノがレガートでアインガング風に新しい主題を提示してから、第一主題が弦で現れると直ちにピアノがこれを引き継ぎ、そのまま美しいアルペッジョを連ねていく。それからバレンボイムが独奏ピアノで流麗な美しい第二主題を弾きだし、これも流れるように弾き進んでから、コーダの動機がピアノに現れて素晴らしい技巧を発揮しながら提示部が終結していた。展開部ではピアノがリードしながら新主題を提示し、それが展開されて進んでいったが、再現部では型どおりのように進められていた。カデンツアは第一主題を反映した堂々としたものであった。



 

 第二楽章ではアンダンテの伸びやかな主題が第一ヴァイオリンでゆったりと現れて、もう一度繰り返されたあと、独奏ピアノがこの主題を弾き始めた。オーケストラの伴奏付きで変奏しながら繰り返されてから、バレンボイムの独壇場となりピアノが綿々と美しいパッセージを重ね、弦が繊細な動きを添えていく。カデンツア風の独奏ピアノが花を添える実に美しい楽章であったが、終えると直ぐに、気分を変えるように独奏ピアノがフィナーレの軽快なロンド主題を開始した。
 この楽章はABACABAの典型的なロンド型式の構成を取るが、続くBの部分は全く意表をつくアダージョでハ短調の暗いもの。独奏ピアノでゆっくりと入り、管弦楽がこれに付き添い木管もまとわりついて、カデンツア風のソロピアノのあと再び急速なロンド主題に戻った。Cの部分はまるでAの主題による展開部のよう。ピアノが音階とアルペッジョを交替させつつ華麗に走りめくり、弦が主題の動機を何度も歌い交わしてピアノと交錯していた。再びアダージョとなりひとしきり変化を見せたあとロンド主題がアレグロで登場し盛り上がりを見せて終結したが、その終わりがさらりとして消えていた。



 初めて見るヴェルサイユ宮殿の王室歌劇場でのコンサートは、豪華に見えるボックスシートも満席であり、天井も高く、シャンデリアも煌びやかなものであったが、恐らくマイクの位置設定が悪いのか、音が響きすぎてモヤつき、前後のラベルや運命交響曲も迫力の乏しい音響となっていたのが残念であった。ベルリンフイルでは指揮者として有名になってきたシェレンベルガーのオーボエを吹く姿が良く映り、「クープランの墓」ではソリスト並みに活躍していた。バレンボイムは自分のコンサートで良くピアノ協奏曲の弾き振りをしており、いつものように客席に背を向けて指揮をしピアノを弾いていたが、このコンサートでは、残念ながら、良く見せるピアノのアンコールは見られなかった。


 第二曲目は第27番変ロ長調K.595であり、これもバレンボイムのベルリンフイルとの弾き振りであるが、これはコンサートでなく録画用のスタジオ演奏であり、放送では25番、26番、27番の連続放送を収録したS-VHSテープのアナログの画像である。


 横長の広いホールにピアノを囲んでコの字型にオーケストラが配列されており、バレンボイムは客席に背を向けて立ち上がって第一楽章の指揮を始めた。静かな波を打つような伴奏に乗って弦がお馴染みの旋律を弾き始め管楽器群の強奏によって終える第一主題の特徴的なパターンが繰り返されていき、続いて第一ヴァイオリンとフルートが対話しながら歌われていく第二主題が流麗に現れる。バレンボイムの指揮はさらに続き、美しい流れるような副主題を提示していくが、後半のチッチッチと泣く特徴ある部分で調子を取りながら長い提示部を元気よくこなしていた。オーケストラの指揮を終えてピアノに向かい第一主題を装飾しながら弾き始めるが、ピアノの音は粒だっていて弦楽器と良く混じり合って美しく流れていく。そして時には右手で細かなパッセージを弾きながら左手を上に上げて指揮をするような名人芸を見せていた。第二主題もピアノで煌めくように弾かれ続いて副主題に入って、後半のチッチッチとなる部分をピアノで遊びながら表情を付けて弾いていた。5本のコントラバスによる大規模なオーケストラがピアノと交錯しながら明るく進み、提示部を盛り上げながら締めくくっていた。
 展開部はピアノが第一主題の冒頭部をオーケストラと交互に執拗に繰り返しながら進むが、オーボエとピアノが歌い出し、ピアノの弾くパッセージをファゴットやフルートそして弦楽器が飾って進む所が実に印象的で美しかった。再現部ではピアノが途中から参加し、オーケストラを従えながら独壇場のようにパッセージを重ねていた。終わりの長いカデンツアは馴染み深いモーツアルトのものを弾いていた。



 第二楽章は、独奏ピアノが弾き出す心にしみこむような優雅なピアノでゆっくりと始まり、バレンボイムは装飾を付けながら丁寧に繰り返していた。バレンボイムが立ち上がりオーケストラが主題を繰り返したあとに弾くピアノがもの寂しく響き、淡々と静かに弾くピアノは透明感に溢れていて美しく素晴らしい。オーケストラのあとに続けて続けて始まる中間部の一音一音クリアーに弾くリズミカルな新しい主題は、まさに幻想的なピアノの世界であり、オーケストラとピアノが渾然一体となっており、バレンボイムは淡々と弾き進んでいた。モーツアルトが最後のピアノ協奏曲として悟りを拓いていたように聞こえる悲しげな幻想的な世界を、バレンボイムがオーケストラの動きと良く調和させながら、静かに繰り広げていた。始めの歌うような主題に戻っても、その流麗なピアノの響きは変わらずに、音の粒だちや間の取り方に変化の工夫を見せながら、静かに終息していた。無心にピアノに向かうバレンボイムの淡々とした世界と、立ち上がって指揮を続ける姿とが交錯していた。

 フィナーレは踊りだしたくなるような軽快なロンド主題でバレンボイムのピアノで始まり、オーケストラが引き継いだ後に再びピアノソロで現れる。この主題はリートの「春へのあこがれ」K.596として記憶されているが、続く経過部の後に現れる副主題も暫くして現れる新しい第二主題も似たような踊るような主題が続いて、良く聴くとロンド形式の第二エピソードに相当する部分が無い。短いカデンツア風のパラフレーズが続いて再びロンド主題が現れたときには、この楽章の再現部の第一主題に相当しており、この楽章はロンドの性格を持った展開部を欠いたソナタ形式と解釈でき、全体はABA'BAのようになりそうである。
 再現されたロンド主題のあとは同じように副主題も第二主題も続けて現れるが、何れも独奏ピアノが先導しオーケストラを従えて駆けめぐるように活発に動き、バレンボイムのピアノの独壇場の姿で一気呵成にカデンツアまで到達していた。そして終結部ではもう一度ロンド主題が独奏ピアノで現れてオーケストラがひとしきり活躍して静かに曲が閉じられていた。コンサートではないので映像はそのまま終了となっていた。



 今回、バレンボイムの弾き振りで、コンサートによるライブ演奏と、ビデオ取りのスタジオ演奏との両方で見てきたが、オーケストラはいずれも手慣れたベルリンフイルであり、弾き振りと言って特別な様子や意気込みもないごく日常的な自然な姿での演奏風景が写されていた。バレンボイムにとっては、若い頃のイギリス室内管弦楽団との最初のLP録音の時代から指揮者を兼ねていたので、当然の当たり前のことだったのであろう。
 私たちは協奏曲と言えば、指揮者とソリストがお互いに協力したり主張をぶつけ合って成立するものだと理解しているが、バレンボイムにとっては、指揮者がいれば自分の意思通りにはならぬ存在と考えるのであろうか。最近のベートーヴェンの5つの協奏曲でも彼はベルリンフイルを相手にして、同じようなスタイルで全て弾き振りで通している所が立派であり、私たちには驚きである。

 

   バレンボイムの二つの協奏曲は、いずれもピアノの音がクリアで、全く破綻のない安定した自然な演奏ぶりであった。今や指揮者として有名になったバレンボイムが、オーケストラを相手に指揮をするのは当然であり、彼が指揮をしてピアノを弾く姿も、もはや当然の姿として見ることが多くなった。それ程、彼の指揮とピアノは自然であり身に付いたものなのであろう。そのベースにあるのは、全てを暗譜している抜群の記憶力と、恐らく少ない練習で成果を引き出せる特別の才能を持ったピアニストであるからなのであろう。
 しかし、彼の弾く協奏曲は余りに淡々として弾かれ、造形美に溢れているものの、今一つ感銘度が薄く感ずるのも事実であり、それはどうしてなのか考えることも多くなった。私見ではあるが、彼の協奏曲の驚くべき破綻の無さは両面をコントロールする弾き振りに由来するものであり、反面、協奏曲においてどこかに期待する激しいオーケストラとピアニストとの闘いやぶつかり合いみたいなものが、弾き振りにより表面化しないことが迫力を薄れさすのではないかと感ずるようになった。彼のスタジオ録音の弾き振りの20番以降の8曲のうち、23番、25番、26番がまだアップされていないようなので、今後はこのようなことを気にしながら聴いてみたいと思う。

(以上)(09/01/15)


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