(最近の放送デジタル記録;ハーゲン弦楽四重奏団のライブコンサートから4曲)
9-1-1、弦楽四重奏曲第14番ト長調K.387、第15番ニ短調K.421(417b)、第20番ニ長調K.499、および第21番ニ長調K.575、ハーゲン弦楽四重奏団、06年9月25日、浜離宮朝日ホール、

−前2曲では8年前の映像よりも荒さが取れてよりアンサンブルを重視するスタイルになっており、経験を積むと共に演奏も着実に熟達してきたものと思われた。ハイビジョン映像では、個々の楽器の音色が遙かに鮮明に取れており、合奏時においても混濁せずアンサンブルの美しさがより明快になったような気がした−

(最近の放送デジタル記録;ハーゲン弦楽四重奏団のライブコンサートから4曲)
9-1-1、弦楽四重奏曲第14番ト長調K.387、第15番ニ短調K.421(417b)、第20番ニ長調K.499、および第21番ニ長調K.575、ハーゲン弦楽四重奏団、06年9月25日、浜離宮朝日ホール、
(08年06月15日のNHKBS102の放送をBRレコーダーのHEモードでBD-03-1にデジタル録画)

 1月号の第2曲目は、最近の放送のデジタル記録であり、久し振りで登場するハーゲン弦楽四重奏団による四重奏曲を4曲お届けするものである。最初の2曲は、ハイドンセットから第14番ト長調K.387及び第15番ニ短調K.421(417b)であるが、これはこのHPではこの団体の2度目の登場である。前回は、98年のザルツブルグ・モーツアルト週間で6曲を演奏したものを3回に分けてアップロード(3-3-2)しており、比較して聴くことができるので楽しみであった。浜離宮の朝日ホールで聴くと、ザルツブルグのモーツアルテウムのグロッサーザールと遜色ない響きが得られており、映像と言い音声と言いハイビジョンの威力を充分に感じさせていた。
 また、第20番ニ長調K.499及び第21番ニ長調K.575の連続演奏はこのHPでは初めてであり、前2曲の今回の演奏が素晴らしかったので、この2曲にも期待している。  これら4曲のアップによって、新たに第15番ニ短調K.421(417b)と 第20番ニ長調K.499の2曲が、目次3による「映像のコレクション」に追加され、弦楽四重奏曲では5曲が掲載されたことになるが、このジャンルではあと5曲の追加が必要であろうと思われる。



 第一曲目の第14番ト長調K.387の第一楽章は、馴染みのある第一主題を第一ヴァイオリンが提示していくが、フォルテとピアノのリズムが交互に現れて、これが各楽器にも歌い継がれ、この主題を特徴づけていたが、何となく気分が落ち着かない。続いて弾むようなリズムを持った親しみやすい第二主題は第二ヴァイオリンで静かに提示されると、直ぐに第一ヴァイオリンにより一オクターブ高く繰り返され、チェロのリズミックな伴奏が全体を支えていた。ハーゲン四重奏団は、前回の録音から8年経っているが、以前ほど荒削りの所はなくなったが、威勢の良さは変わっていないと感じた。提示部では繰り返しを省略してそのまま展開部に入り、冒頭主題のモチーブが繰り返し現れた後に、ヴィオラに新しい動機が現れて、各楽器に引き継がれていた。最後の特徴ある終止形のフレーズが美しく印象的だった。

 第二楽章は意表をつくメヌエットであるが、第一ヴァイオリンがソロで弾くフォルテとピアノが交互に進む半音階的な上昇モチーブは異様な印象を与え、各楽器にこのモチーブが現れるが、これはもはや踊りの音楽ではない。続いて第一ヴァイオリンは副主題を提示するが、第二ヴァイオリンは、先の上昇モチーブを伴奏し、規模の大きなメヌエットになっていた。トリオは対照的にユニゾンで始まる短調の厳粛なもの。ハーゲン四重奏団はこの暗いメヌエット部分を薄く、厳しいトリオ部分を密に弾いてこの楽章を性格づけていたが、これまでにない新しいモーツアルトの響きのメヌエットのように聞こえた。
 第三楽章はアンダンテ・カンタービレとなっており、第一ヴァイオリンが装飾を付けて優雅に歌い出すが、わずか数小節しか続かない。この楽章では、第一ヴァイオリンがソロのパッセージを見せたり、4声が互いに対話するように進んだり、ユニゾンで動いたりさまざまな展開をしていたが、優美なセレナーデ風の楽章とは全く異にしていた。
フィナーレ楽章はジュピター交響曲のフィナーレを思わせる堂々たる意欲的な作風。第一主題はフガートの形で第二ヴァイオリンで始まり、第一ヴァイオリンがこれに応え、チェロ・ヴィオラの順に4声が出揃う。この曲では初めてのような明るい伸びやかな第二主題もフガート風に提示され、二つの主題は二重フーガのように結ばれて進行する。ハーゲン四重奏団は早いテンポでこの楽章を進め、陽気で民謡風の経過主題を楽しげに合奏しながら、冒頭の主題を回想しつつ静かに終結していた。



 このハイドンセットの第一曲は、モーツアルトがハイドンを超えようと意識して、ハイドンから学んだ各楽器の独立した使い方や主題の展開法などに加えて、対位法の活用やカンタービレの旋律表現など彼自身の特徴を発揮しようともがき抜いた作品のように思われる。まだ消化しきっていないギスギスした部分や意表をつく耳慣れない部分が目立っており、こういう所が馴染みにくい曲にしていると思われた。

 第二曲目は、第15番ニ短調K.421(417b)であり、唯一の短調作品であるのが特徴であり、私自身にとって「狩り」の四重奏曲と並んで親しみやすい曲となっている。第一楽章の第一主題は第一ヴァイオリンがソット・ヴォーチェで美しい主題を提示してから一転して1オクターブ高くフォルテで反復して聴くものを驚かす。この楽団を引っ張る第一ヴァイオリンのルーカスの独壇場に見えた。そして第二主題もせき立てるようなヴィオラの16分音符の刻みの上に第一ヴァイオリンが優雅に祈るように歌い出し、夢見るような素晴らしい部分を造り上げており、前曲には不足する美しさに満ちていた。しかし展開部になって一転して暗い表情となり、第一主題の冒頭のモチーブが緊迫した姿で繰り返され頂点を築いてから再現部に入り、再び和やかな気分に引き戻されていた。



 第二楽章のアンダンテでも第一ヴァイオリンが微妙できめ細かい音を散りばめる繊細な味わいを与える美しい主題を弾きだし、いわば束の間の至福の姿を描き出す。この主題は休符が重要な要素になっており、続くモチーブの強弱が微妙な影を落とし、ここでもルーカスの繊細なヴァイオリンとこれを支える3声のアンサンブルの良さが際立っていた。
 愛三楽章は、堂々たるメヌエット楽章で、第一ヴァイオリンとチェロ、第二ヴァイオリンとヴィオラが対になって掛け合う素晴らしい重厚なメヌエットとなっていた。またトリオでは一転してピッチカート伴奏の上に第一ヴァイオリンが付点音符のついた優雅な旋律を奏でここでも束の間の至福の姿を描き出す。この楽章でもルーカスの腕の見せ所となっていた。

 フィナーレは、意表をつく珍しい変奏曲であり、主題と5つの変奏部から出来ていたが、やはりハイドンのロシア四重奏曲作品33にヒントを得たとされる。ハイドンの曲と同様にシチリアーノのリズムを持つ親しみやすい変奏主題が提示されホットさせる。第一変奏では第一ヴァイオリンの16分音符による早いテンポの変奏。第二変奏では第ニヴァイオリンが刻む細かなリズムの上で、第一ヴァイオリンのフォルテとピアノを多用したシンコペーション旋律を奏でる。第三変奏ではヴィオラが活躍し単純化された主題を奏する。第四変奏では二つのヴァイオリンがオクターブのユニゾンでテーマを奏していき、最後の第五変奏ではテンポを速めてもう一度最初のテーマを奏し、繰り返しを止めてあっさりと終結した。



 このハイドンセットの二番目に当たる四重奏曲は、短調作品とか変奏曲とか外見的なものをハイドンから学んでおり、作風はモーツアルト本来の旋律美に満ちた作品であると思われた。各楽章とも、第一ヴァイオリンが常にリードしており、ルーカスの緻密で繊細なヴァイオリンが聞きものであった。  98年の映像と今回のものとを見較べてみたが、98年の演奏ではソナタ型式の提示部の繰り返しを丁寧に行っていたが、来日公演では4曲とも全て省略されていたほか、若さ溢れる荒っぽい感じの演奏が、年並みに穏やかな演奏スタイルに変貌して来たと思われる。
そしてハイビジョン映像の方が演奏全体が洗練されて来ており、また、個々の楽器の音色が遙かに鮮明に取れており、合奏時においても混濁せずアンサンブルの美しさがより明快になったような気がした。

 続く第三曲目は第20番ニ長調K.499であり、前後のセットとなった曲集から離れて単独で作曲されているが、どうして作曲されたかは分かっていない。「ホフマイスター」という通称名があるが、ここから出版されたためであろう。
 第一楽章はアレグレットでユニゾンで静かに始まる独特の音形を持った第一主題が提示され、この主題の音形に基づいて第一・第二ヴァイオリンとヴィオラ・チェロのコンビが対位法的な動きで受けついでいく。やがて第一ヴァイオリンにより新しい主題が提示されていくが、第一主題と同型で次第に発展してから最弱奏のスタッカートで提示部が終息する。ハーゲン四重奏団は提示部の繰り返しは行わず、直ちに展開部に進むが、展開部ではこのスタッカートの音形が主題となって、いろいろな楽器によってカノン風に競い合い転調が行われて展開部を構成する。再現部では型どおりに進むが、最後に長いコーダが付け加えられており、この部分が実に美しく素敵な終わり方をしていた。



 第二楽章はメヌエット楽章で、レントラー風な早いテンポで始まり、第一ヴァイオリンが弾き出す明るい主題が繰り返されたあと、第二部ではこの主題を各楽器が模倣していく。トリオでは第一ヴァイオリンが三連符の素速い下降音形の主題を提示しこれを各楽器が何回も繰り返してメヌエット部との対照を明確にしていた。
 第三楽章は第一ヴァイオリンが中心になって繊細な調べを繰り広げていくアダージョ楽章。幅のある息の長い旋律的な主題が第一ヴァイオリンにより続けられ、各声部が模倣しながら厚みを付けて優雅に進行するが、中間部で総奏の最強音による和音により覚醒される静かな楽章であった。フィナーレは一転して三連符と休符を主体にした機智とユーモアに溢れる走り回るような急速なアレグロの主題が現れ、やがて対照的な明るく軽快な第二主題が現れて、一気に全体を締めくくろうとするような勢いに満ちた楽章であった。

 ホフマイスターから依頼された曲には、二つのピアノ四重奏曲K.478及びK.493があり、「フィガロ」を挟んでこの曲とほぼ同時期に書かれているが、共通して内面的な充実が図られている反面に難解な印象を与えるのは事実であり、この曲にもこうした特徴が現れている。



 最後の作品は第21番ニ長調K.575であり、作曲の動機に因んで「プロシア王四重奏曲作品第1番」とも呼ばれている。チェロの達者な王を意図して書いたとされ、チェロの動きが目覚ましい四重奏曲となっている。
 第一楽章は、ソット・ヴォーチェの指示通りに第一ヴァイオリンによって密やかに始まり、ヴィオラに美しく引き継がれていく親しみ易い第一主題に始まり、経過部を経てチェロがドルチェで弾きだし、第一・第二ヴァイオリンがスタッカートで応えていく第二主題が耳に優しく印象的であった。チェロが高い音域でこのように活躍するのは珍しく、チェロのクレメンスが存在感を現していた。短い展開部のあと再び二つの主題が現れるが、親しみを持って楽しめた楽章であった。

 第二楽章はアンダンテ楽章であるが、これもチェロの伴奏でソット・ヴォーチェで弾かれる三弦による主題が美しい。そして第一ヴァイオリンが流れるような調べを弾き出すと、チェロ、第二ヴァイオリン、ヴィオラが順番に歌い出していた。終わりのドルチェによる主題の再現はここでもチェロが中心となり、ヴァイオリンとヴィオラが変奏して繰り返していた。
 第三楽章はメヌエットであり、明るく活発なメヌエット主題が踊り出し、第一ヴァイオリンが中心であるが、各楽器間で激しく競う合うように揃って躍動していた。トリオでは、第一ヴァイオリンが導入しチェロが応えるように旋律を奏で、続いて朗々と各楽器を従えてメロデイラインを担当していた。
 フィナーレはアレグレットのロンドであり、チェロがヴィオラを伴奏に堂々と弾むようなロンド主題を提示しており、この主題が各楽器や二声で現れたり、さまざまな伴奏型を持って変化して現れたりして、スピーデイに目まぐるしい変化を見せながら盛り上がって終結していた。
 曲全体を通じて、チェロの活躍が目立つほか、親しみやすい歌謡的な主題に溢れた四重奏曲であり、前作の第20番ニ長調K.499よりも馴染みやすい曲であった。



 演奏が終わると大変な拍手で迎えられ、日本でもこのザルツブルグ出身の兄妹グループはよく知られて人気を持っている様子が見えていた。アンコールには、第17番変ロ長調K.458「狩り」からその第二楽章のとても親しみやすいメヌエットが演奏され、これも実に軽快で楽しく明るく演奏されたので、素晴らしいアンコールとなっていた。

 モーツアルトイヤーに来日して、最も得意とするモーツアルトの四重奏曲の連続演奏会を行ってくれて、この団体はすっかり人気者になったと思われる。第一ヴァイオリンのルーカスは8年前と変わらずスマートで腕を上げたと思われ、常に中心にいて全員をリードしていた。第二ヴァイオリンのシュミットは頭が少々薄くなったが、ルーカスと絶妙のコンビとなっており欠かせない存在と見えた。紅一点のヴェロニカは髪が長くなり痩せた感じがするが、特有の存在感があり観客を惹き付けていた。チェロのクレメンスも8年前と変わらず元気な姿を見せており、体を大きく揺すって力を入れて演奏するスタイルには独特のものがあった。8年前よりも荒さが取れてよりアンサンブルを重視するスタイルになっており、経験を積むと共に演奏も着実に熟達してきたものと思われた。

(以上)(09/01/09)


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