(レーザー・デイスク・ストックからのオペラ報告)
8-9-3、91年ウイーン国立歌劇場のアバード指揮の「フィガロの結婚」、ウイーンフイルハーモニー管弦楽団、ジョナサン・ミラー演出、1991年、

−中規模のアン・デア・ウイーン劇場で、台本に忠実な分かり易いミラー演出により、素晴らしいキャストに恵まれて、アバドが生き生きとした弾みのある指揮振りでウイーンフイルの豊かな演奏を引き出した素晴らしい舞台であった−

(レーザー・デイスク・ストックからのオペラ報告)
8-9-3、91年ウイーン国立歌劇場のアバード指揮の「フィガロの結婚」、ウイーンフイルハーモニー管弦楽団、ジョナサン・ミラー演出、1991年5月16/18日、アン・デア・ウイーン劇場、
 (配役)伯爵;ルジェーロ・ライモンデイ、伯爵夫人;シェリル・ステユーダー、フィガロ;ルチオ・ガッロ、スザンナ;マリー・マックローリン、ケルビーノ;ガブリエーレ・シーマ、バルトロ;ハインツ・ツエドニク、マルチェリーナ;マルガリータ・リロワ、バルバリーナ;イヴェッタ・タンネンベルゲローヴァ、その他、
(ソニークラシカルSRLM1062~3、93/7/21発売のレーザー・デイスクより)

 レーザー・デイスク・ストックからのオペラ報告としては、前回のショルテイの「レクイエム」の映像と同じ日に放送されたアバドの「フィガロの結婚」K.492を初めにお届けしたいと考えた。このホームページで5大オペラの中で最も早く完成させたいオペラはこの曲であり、あと8組の未アップソフトがある。毎月「フィガロ」というわけにはいかないが、今後出来るだけ優先的に扱いたいと考えている。また、このアバド盤を取り上げたのは、91年12月4日にウイーン芸術週間として、アバドの「フィガロ」、ベームの交響曲集、ショルテイの「レクイエム」が連続放送されていた。この頃からS-VHSテープで収録してからLDが発売されるということが繰り返され、好きなものをLDで保存するというエア・チェックの有難味が実感できた懐かしい印象的な画像であったからである。そして大病前の若々しいアバドの姿を見ることが出来、大物のライモンデイやスチューダーなどのスタッフも良くアン・デア劇場のような中規模の舞台で得られた理想的なライブとして非常に印象的であったからである。



 元気そうで精力的に見える若いアバドが入場し、いきなり活きの良い音で序曲が開始された。コンマスの今は亡きヘッツエルの顔も見え、アバドはウイーンフイルを楽しむように指揮をしており、明るいテンポの軽快な序曲がこのオペラ「フィガロ」の成功を予感させていた。大きな椅子のある雑然と物が置かれた入口の多い部屋でフィガロが序奏とともに大忙しで動き回っており、ベッドの材料を並べながらアリアが始まった。大きな椅子の上に座ったスザンナは見向きもしないフィガロに不満顔。スザンナは殿様が下さるベッドの話を聞いて反対し、フィガロのデインデインの後に二重唱を歌い出す。スーブレット役のマックローリンは声が明るく動きも良く、角刈りのような元気で動きの速いフィガロのガッロとはお似合い。殿様の企みを知ってフィガロは顔色を変え、大きな椅子の上で憤慨しながら「踊りをなさるなら」と早口で歌い出し、一人で踊りながら歌い上げて、満場の拍手を呼んでいた。



 ノッポのバルトロと太った老け気味のマルチェリーナが登場し、バルトロは「仇討ちの歌」を堂々と歌う。スザンナが入ってきてマルチェリーナとかち合い、二人の口喧嘩の対話風の二重唱が表情が豊かで面白く、スザンナの勝ち。そこへケルビーノが登場し早口で「自分で自分が分からない」と歌ってスザンナを驚かす。歌は上手いが女っぽいケルビーノ役であった。そこへ突然、殿様が現れて二人は大慌て。伯爵がスザンナを口説き始めるとバジリオが登場し、したり顔で伯爵夫人の噂話までしてしまう。それを隠れて聞いていた殿様が大声で立ち上がりさあ大変。スザンナは気絶してしまい、とてもおかしな三重唱になるが、途中でケルビーノが見つかってしまう。バジリオの「女はみなこうしたもの」が歌われ、スザンナが弁解しているうちに、村人たちが花を持って集まってきた。村人たちの合唱が明るく歌われ、続くフィガロのケルビーノの出征を激励する「もう飛ぶまいぞ」が堂々と力強く歌われて、大きな拍手の中で第一幕が終了した。ミラー演出は、ケルビーノの動きを実に上手にきめ細かく演出しており、笑いの絶えない第一幕であった。



 舞台が回転し、伯爵夫人の部屋に変わって第二幕が始まる。伯爵夫人が椅子から立ち上がって「愛の神様」のアリアを歌うが、恰幅が良く堂々と歌われさすがと思わせた。フィガロのややこしい計画に乗ってケルビーノが登場し、スザンナの伴奏で夫人に「恋の歌」を捧げ、素晴らしい出来映えの歌であったので、夫人は大変なご満悦であった。スザンナが歌いながら、ケルビーノの着せ替え劇が始まり、スカート姿に大笑いしている最中に殿様の声がしてさあ大変。狩から帰った殿様が犬を連れて入ってきて三重唱となり、苛立つ伯爵に夫人が良く動き廻って抗弁し、大物二人のいさかいがドラマテイックであった。工具を取りに外に出た隙に、ケルビーノが逃げ出す早口の二重唱が面白く、二人が戻ってきて、第二幕のフィナーレが始まった。



 夫人がケルビーノを隠していることを知った伯爵が勢い込んでいると、「シニョーレ」とスザンナが現れて、伯爵夫人に謝る伯爵との二重唱に対して、女二人が伯爵を攻撃する三重唱となって賑やか。伯爵が平謝りのところへフィガロが顔を出したので、伯爵はしめたとばかりに手紙の件でフィガロを責め立てて四重唱になった。そこへアントニオが「窓から飛び下りたものがいる」と苦情を言い、五重唱になった。フィガロが女二人の助けを借りて何とか殿様の攻撃をしのいだところに、マルチェリーナ、バルトロ、バジリオの三人が駆けつけ、殿様に裁判が必要であるとせまり、三人対四人の七重唱となって緊迫した盛り上がりとなり、長い第二幕が終了した。  ここで休憩の前に大変な拍手が続き、出演者全員が三度も呼び出されるなど大変な人気の舞台であり、後半が楽しみの舞台となった。



 第三幕は伯爵の部屋で、伯爵が考え事をしており、窓越しに伯爵夫人とスザンナが見えていた。スザンナが部屋に入ると伯爵はこの時とばかり言い寄るが、良い返事に聞こえる二重唱となって焦らされた挙げ句に、スザンナがフィガロに訴訟は勝ったと漏らしたのを聞いた。伯爵は大いに腹を立てて怒りのアリアを歌うが、これがライモンデイの名調子のアリアとなり大いに沸かせていた。再び犬が登場して伯爵が狩りに出掛けた後、バルバリーナとケルビーノが逢い引きする場面があった。その後、同じ部屋で伯爵夫人がレチタテイーボと「楽しかった日々はいずこへ」というアリアを歌い出し、これが堂々と格調高く歌われて大きな拍手となっていた。二つの場面の順序が入れ替わったようだが、続いて、フィガロが借金を払うか老女と結婚するかどちらかと言う判決が出て、フィガロが貴族の出身だから親の承認がいると全員に意義を申し立て、右腕に痣があることから、マルチェリーナの攫われた息子であることが分かり、実に珍妙な六重唱となった。スザンナがお金を持って駆けつけると、フィガロが母親と抱き合っており、平手打ちを喰わせるが、「マードレ・パードレ」の説明で事情が判明し、伯爵一人が取り残されていた。



 そこで手紙の二重唱が始まり、伯爵夫人がスザンナに「松の木の下で」という文面を書き取らせ、ピンで封をして、このピンは返すようにと書かせた。この二人のおおむ返しに復唱する二重唱のアリアが何とも魅力があって、大変な拍手を浴びていた。そこへ村の娘たちが伯爵夫人に花を捧げにくるが、なんと女装したケルビーノがいたが、アントニオの目は誤魔化されず、伯爵が来て怒り出すが、何とバルバリーナに丸められてしまっていた。
 行進曲が明るく始まってフィナーレに入り、大勢が合唱し二組の結婚式が始まりそう。二人の娘達が祝福の二重唱を歌い、二人の花嫁が頭に飾りを付けて貰い、続いて踊りが始まる。スザンナとフィガロが二人でゆっくりと踊り出し、続いて全員が踊り出すが、伯爵は受け取った手紙のピンで傷つき、フィガロに怪しまれてしまう。伯爵は上機嫌で、祝賀パーテイを盛大にやろうと挨拶して、行進曲とともに第三幕が閉幕した。



 第四幕はバルバリーナの可愛いアリアで始まり、フィガロは困っている彼女を助けながら、「松の木の下で」と聞き出し、これが新妻の仕打ちと誤解していきり立つ。続く二つのアリアは通常通り省略され、そのままフィガロの「怒りのアリア」となって、第一幕のアリア同様に激しい調子で朗々と歌われ、多くの拍手を浴びていた。場面は暗がりで、スザンナが伯爵夫人と互いに洋服を取り替えて茂みに現れ、疑っているフィガロの前で、「とうとうその時がきた」とレチタテイーボを歌い、オブリガートのオーボエのソロとピッチカートに乗って甘く美しい誘いのアリアを歌った。暗闇で表情は見えなかったがしっかりと歌われ、これも場内から凄い拍手を浴びていた。



 フィナーレに入りスザンナの衣裳を着た伯爵夫人をケルビーノが見つけからかい出すが、伯爵がそれを見つけて暗がりの中でケルビーノを殴ると、それが隠れていたフィガロに当たるなどのお笑いを見せながら、暗くても場面が良く分かるように工夫されていた。伯爵夫人は上手くスザンナを演じて、口説きだした伯爵からダイヤの指輪まで仕留めて逃げ出してしまう。様子を見ていたフィガロが伯爵夫人を見つけるが、声でスザンナだと気が付き、からかって口説きにかかって、スザンナからここでも平手打ちを喰らう。しかし、二人は仲直りして伯爵の前で、夫人と従僕の不倫を演ずると、伯爵がそれを見つけて大きな声をあげ、平謝りの二人に対し、大声で「絶対に許さない」と皆の前で怒ってしまう。それを見ていた伯爵夫人がスザンナの衣裳を脱ぎ捨てて姿を現すと、伯爵は自分の間違いに初めて気が付き、奥方に深く頭を下げて赦しを請うた。大勢が見ており、今度は伯爵も懲りたと信じたか、奥方も「ハイと申します」と引き下がり、伯爵を懲らしめる長い劇が大団円となった。それから出演者全員の合唱で互いの和解を祝い、結婚するものを祝福する賑やかな騒ぎで終幕となった。



 この生き生きした舞台の成功は、この劇場の熱狂ぶりから第一にこのアン・デア・ウイーン劇場が身の丈丁度の大きさで、聴衆にとっては身近に声を掛けられる手頃な広さであったに違いない。また、台本に忠実な分かり易いミラー演出も成功の要因で、一見クラシックで地味な舞台構成ではあるが、細かな配慮が隅々まで行き届いていた。特に、基本の空間を変えず、細部の変更や工夫のみで第二幕から四幕までを通していたことは驚嘆に値する。アバドの生き生きした弾みのあるリズムと丁寧なカンタービレをもたらす鮮やかな指揮振りは、ウイーンフイルの豊かな表情を誘い出し、このオペラの生き生きとした陰影溢れる響きを表出していた。アバドに合った二人の大物のライモンデイとスチューダーはとりわけ存在感があり、マックローリンとガッロのコンビも歌も動きも良く、加えてヴェテランのコンビと若手のケルビーノやバルバリーナのコンビも実に適切で、素晴らしいキャストに恵まれた舞台であった。

 私はこの劇場でのライブはまだ見ていないが、国立歌劇場の約半分(収容人員約千人)と言われており、アバドは狭い空間を生かした舞台にしようと当初から考えていたようである。実際、彼の最近の「ドン・ジョバンニ(1996)」(5-11-1)「コシ・ファントッテ(2000)」(6-4-1)の舞台は、もっと狭いフェラーラ劇場を使っており、オーケストラと声のアンサンブルを重視しているように見えた。イギリスの演出家ジョナサン・ミラーの演出はグラインドボーンなどで馴染み深いが、実にオーソドックスな舞台造りであり、衣裳などとのバランス感覚は素晴らしいものがあった。伯爵夫人にすがるような子供の姿や伯爵が登場するときの猟犬や召使いの姿などが目新しい説明道具のように思えた。

 ライモンデイとスチューダーは風貌や体つきなどがとてもお似合いであり、歌もさることながら演技や表情が豊かで、さすが沢山の舞台をこなしてきた大物という印象であった。スチューダーはワグナー歌手の印象が強いがこのホームページでは、コンサートアリアK.505(6-1-3)などでモーツアルトにもお馴染みである。マックローリンの生彩溢れるチャーミングな歌と動きは印象的で、申し分のない見事なスーブレットであった。彼女の真面目な役は、バーンスタインの「レクイエム(1988)」(5-7-2)で見ることが出来るし、最近のアーノンクールの「フィガロ(2006)」(7-10-5)ではマルチェリーナで存在感を示していた。ケルビーノ役のガブリエーレ・シーマとバルバリーナのイヴェッタ・タンネンベルグローヴァは、立派に役をこなしており将来が楽しみな存在であったが、残念ながら最近は消息を絶っており、名前を聞くことはないようである。

   前から繰りかえし見てきた懐かしい舞台であったが、久し振りで見ると舞台上の動きが少ない落ち着いた舞台であったが、言葉を換えると、やはり古くさくなったと考えるべきなのであろう。しかし、私はベームの映画方式と並んでこのアバドのライブ舞台が、細かな細工が隅々まで行き届いていて、いつも安心して見ることが出来、落ち着いて好きな映画を味わうように映像に浸ることが出来るソフトであると改めて感じた。この「フィガロ」は、「フィガロ」にふる里があるとすれば、私のふる里のような「フィガロ」の映像なのであろう。

(以上)(08/09/25)


目次5にもどる 目次4にもどる
目次3にもどる 目次2にもどる
目次1にもどる 私の新ホームページへ




名称未設定