8-8-1、「山本耕史とたどるモーツアルトの旅」−NHK毎日モーツアルト特別番組−
クリステイアン・ヴィースマン指揮、バーデン・聖シュテファン教会合唱団「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618、06年8月、バーデン・聖シュテファン教会、

−NHK「毎日モーツアルト」のナレータ・山本耕史が初めて経験したモーツアルトイヤーの年の旅である。素人の初めてのモーツアルト・ツアーにしては、良い場所を無駄なく沢山訪問しており、中でもバーデンの聖シュテファン教会でこの教会の合唱団が歌った「アヴェ・ヴェルム」K.618は、貴重な映像記録であり、またプラハでのスタヴォフスケー劇場の訪問も優れた報告がなされていた−

8-8-1、「山本耕史とたどるモーツアルトの旅」−NHK毎日モーツアルト特別番組− クリステイアン・ヴィースマン指揮、バーデン・聖シュテファン教会合唱団「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618、06年8月、バーデン・聖シュテファン教会、

(06年10月13日、NHKBS103のドキュメンタリ−放送を、D-VHSレコーダーのLS-3モードで、S-VHSテープにデジタル録画。)

 8月号の最初のソフトは、モーツアルトイヤーの年のNHK「毎日モーツアルト」の特別番組からの「山本耕史とたどるモーツアルトの旅」である。山本耕史は、この番組のモーツアルトの手紙を読むナレータであり、この旅行をNHKのプロがお膳立てしているため、素人の初めてのモーツアルト・ツアーにしては、良い場所を無駄なく沢山訪問し、中には見どころのある内容のものが含まれていた。その中でも、ウイーン郊外のバーデンの聖シュテファン教会でこの教会の合唱団が歌った「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618は、地元の小母さん小父さんの専属集団で歌は決して上手ではないが、モーツアルトがこの教会の合唱指揮者のために作曲した曲でもあり、これがこの教会の仲間により歌い継がれてきたものであった。そのことを証明するような現地の映像記録が残されたことは、極めて貴重で面白いと思われたので、これをK.618 の異色のコレクションとしてこのHPの「映像のコレクション」に含めようと考え、このソフトを取り上げてみたものである。

 山本耕史は、膨大な手紙をナレータとして読み進むうちに、モーツアルトの生まれた土地を見たり同じ空気を吸えば、手紙に書かれたものの理解をより深めることが出来るであろうと、手紙の書簡集とカバン一つで、夏の音楽祭で賑わうザルツブルグ・ウイーン・プラハなどを気ままに訪問したものである。彼はモーツアルトの35年の人生のうち1/3は旅であり、「同じ場所にいると人は駄目になります」という有名なモーツアルトの旅についての手紙を充分に知っていたため、このような企画がなされたものと思われる。以下、彼が辿った旅行を、映像の順にご紹介していこう。



1、この旅は、まずはザルツブルグより始まる。街は音楽祭の真っ最中で、ファンの熱気がモーツアルト広場にもゲトライデガッセにも溢れていた。中でも人気のM22(全22オペラの公演)は史上初めての試みであり、折からアーノンクール指揮、ネトレプコが活躍する「フィガロの結婚(7-10-5参照)」が上映中であった。彼は、生オペラは初めての経験であると言うが、盛装をして会場へ。序曲や第二幕の最後などが写され、休憩で感想を述べていたが、さすが盛装姿は立派であった。味わったことのない豪華な雰囲気を感じ、声の凄さに圧倒されたと言い、モーツアルトが現代に甦ったような感じを受けたと語った。この映像では、オペラを垣間見ただけであったが、DVDにはない現地の賑わいや会場の煌びやかな雰囲気を肌で感ずるように伝わってきた。

2、ゲトライデガッセの生家に入ると、ガイドさんが案内してくれた。昔のままの燻った台所に驚き、居間の片隅のクラヴィコードに驚き触ってみた。神童が使っていたと言う説明に、音を出してみる。父の名著ヴァイオリン教則本を見て、英・仏・露語に翻訳された本に驚く。この偉大な父に英才教育を受けたことを知り、父の存在の大きさを実感した。
 4階の生家から階段で、その真上の5階のお家を訪問した。18世紀末から代々暮らしてきたというレストラン経営者ご夫妻であった。古い建物を上手に使いこなしておられ、モーツアルトが味わった筈の地元のお菓子とワインをご馳走になった。お菓子は映画「アマデウス」でサリエリが大好きだった甘い「ヴィーナスの乳房」であった。



  3、ザルツブルグから列車でウイーンに向かう。モーツアルトは6歳からウイーンへの旅をしていた。ウイーンの都心の賑やかさ、大都会振りに驚く。早速、夏の離宮と言われたシェーンブルン宮殿を訪問し、18世紀の贅を尽くした大ギャラリーに驚く。モーツアルトが御前演奏をしたという鏡の間へ案内され、その時の様子が絵になっていることに再び驚く。また、ハプスブルグ家の皇太子の結婚を祝う音楽会の大きな絵が飾られており、その観衆の一人に6歳のモーツアルトが描かれているのを発見し、この幼い時から既に有名人であったことを知って驚いた。



4、ここからは暫く写真の世界。三年半にわたる大旅行に出発し、初めにパリ。エッフェル塔とセーヌ川が写り、ヴェルサイユ宮殿が現れ、コンテイ邸の大きな絵が写し出される。次はロンドン。産業革命に沸く大商業都市であり、交響曲第一番K.16の自筆譜面が写された。旅行と言えば当時は馬車。試しに馬車に乗ってみるが、揺れて乗り心地が悪く、痛くて大変だ。それでも、その不平を手紙に残して、モーツアルトは旅を愛した。
 次いでブレンナー峠を越えて音楽の祖国イタリアへ3回の旅。ヴェローナの橋が写り、ローマのヴァテイカン宮殿が現れ、ミラノ大公から14歳でオペラの作曲を依頼され、オペラを上演して成功した。この頃から故郷の母への手紙が残されている。

5、イタリアでの成功で17歳のモーツアルトは新しい住家に移った。演奏会も出来るほどの大きな家で博物館になっている。訪問すると館長さんが地下の非公開の資料室に案内してくれた。直筆の譜面や手紙類が豊富に保存されており、中には競売で500万円もしたというが紙きれ風の新発見の小さな自筆譜やTrazomなどとふざけた署名が書かれた有名な手紙もあった。ここに4年間過ごしたが、この町は彼には退屈な街であり、大司教との対立があった。もっと大きな所で働きたいという思いが通じて、母とともに新天地を目指す旅に出た。マンハイムではアロイジアとの出会いがあり、父の厳命でパリに行くが、職探しは進まないまま、不幸にも母を亡くしてしまう。この旅の間の父との手紙の往復は大変な数に及び、一つのドラマをなしている。



6、1781年、旅行中のウイーンで大司教との激突があって、ザルツブルグに帰らずにそのままウイーンで、フリーランスの音楽家として自立した。まずはピアノ教師を始めて、作曲活動を続けながらピアニストとしての予約演奏会が成功し、スタートは順調であった。望んでいたオペラも書き、結婚をして子供も出来、父も訪問をした「フィガロハウス」で充実した音楽活動をしていた。その人生の絶頂期にあった当時の建物が新装され「モーツアルトハウス」と名を変え新名所となったので訪問した。館長さんに案内され、1784年の予約者リスト174人の名簿を見せて貰った。この家で書いた「フィガロの結婚」の自筆譜が飾られていた。好きだった玉突き台の置かれた部屋もあった。

    7、このモーツアルトの旅でどうしても行きたかった街があった。それはモーツアルトを愛し、「フィガロ」を喝采し、「ドン・ジョバンニ」を注文したプラハの街であった。プラハの中心地にこれらのオペラを初演した劇場が、「スタヴォフスケー劇場」として現在でも使われていた。200年以上前の建物で当時の姿が保存されている世界で最も美しい劇場と言われている。劇場ガイドのボンドルシュカ氏に現在でもオペラが上演される建物の内部をあちこち案内をしてもらった。オーケストラ・ピットの床に、モーツアルトがここで指揮をしたという目印の金色のプレートが付けられていた。彼は当時のプラハの街で、パン職人が口笛を吹いて歩いていた曲として、「フィガロ」のアリアをチェンバロで2曲弾いてくれた。それは「お殿さま、もし踊りをなさるなら(第3番)」と「こう飛ぶまいぞ、この蝶々(第9番)」で、器用に弾いてくれたので驚いた。彼は、今でこそ老後でこの仕事しているが、10年前はこの劇場で指揮棒を持っていたと笑っていた。



 カレル橋を渡り賑わう町中を散策して、16世紀以降の古文書が保存されている「クレメンテイヌム」に案内された。書記の女性がハシゴを登って、無造作に書架から取り出してくれた一冊の古い本は、モーツアルトの友人ニーメニェックがプラハで出版した「モーツアルトの生涯」の初版本(プラハ1798年)であった。この最初期のモーツアルト伝(高野紀子訳・解説1992)は日本では訳本で読むことが出来るが、プラハ生まれの人により、ウイーンでなくプラハで出版されたことに極めて意義深いものがあろう。

8、行きたい街の一つにウイーン郊外にある温泉保養地バーデンがあった。モーツアルトの晩年に妻コンスタンツエが保養地として出かけていた街であり、当時は王侯貴族・芸術家が集うウイーンの森の高級温泉地として名高かった。コンスタンツエが滞在していたモーツアルト・ホフは今でも保存されており、また彼女が世話になったことから名曲「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618がバーデンの地元の教会の合唱長アントン・シュトルのために作曲されたことが有名である。バーデンにある聖シュテファン教会の現在の合唱団長クリステイアン・ヴィースマン氏を訪れ、教会を案内して貰ったが、そこで彼の指揮により、この教会の合唱団が鄙びたオルガンの伴奏で「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618を歌ってくれた。この合唱団は、地元の小母さん小父さんの素人専属集団で歌は決して上手ではないが、モーツアルトがこの教会の合唱指揮者のために作曲し初演された通りに、この場所で歌われたものであり、200年以上もここで愛され歌い継がれてきたものであった。オルガンだけの伴奏も心に響き、制服を着て声も良く揃い、心温まる演奏であった。






   この演奏は遠い日本から、モーツアルトを訪ねてやって来た山本耕史氏を歓迎して歌われたものであったが、当時の合唱指揮者・合唱団を継承する皆さんの手により、初演地の聖シュテファン教会で記念碑を前にして歌われている。そして、そのことを証明するような現地の映像記録が残されたことは、極めて貴重で面白いと思われた。この演奏を現地で聴いて、彼はカメラがなければ涙が出ただろうと皆さんに挨拶し、この名曲はやはり愛するコンスタンツエのために生まれたのだと語っていたが、その通りであろうと思われる。

9、1791年の最後の年に作曲されたドイツ語オペラ「魔笛」K.620が、ウイーンのアン・デア・ウイーン劇場で上演されており、その一場面が出た。この「魔笛」を作曲したと言われる小屋が、ウイーンからザルツブルグへ運ばれ、モーツアルテウムに移築・保存されていたので見てきた。今となっては木造の粗末な小屋であるが、当時はフォルテピアノも置かれ、作曲するに相応しく集中できる環境を備えていたに相違ない。ここで「魔笛」の無言の喝采をコンスタンツエに告げる喜びに溢れた手紙が朗読され、第一幕のパパゲーノとパミーナの有名な二重唱が画面に出た。オペラの完成後、モーツアルトは再び自信を取り戻したが、体調を悪くしながら、「レクイエム」を作曲していた。

10、このレクイエムは、ザルツブルグ音楽祭で大聖堂で演奏されていたので聴いてきた。大聖堂のドーム直下は十字路のようになっており、正面に祭壇が、左右には別の小祭壇が置かれ、後面に参拝客の座席が並び、背後の上部に大きなパイプオルガンが置かれ、通常のミサ曲はここで演奏される。しかし、オーケストラや合唱団の人数が多い「レクイエム」などは、どういう配置で演奏されるか、前から不思議に思っていた。ドーム直下の十字路の4つの二階コーナーには、小型のパイプオルガンがそれぞれ4基も置かれているので、混乱のもとになっていた。今回のドームでの「レクイエム」の演奏(恐らく、ボルトン指揮モーツアルテウム管弦楽団)では、正面の祭壇に指揮者が向かうように立ち、直前にオーケストラが、合唱団が左右に分かれて2階コーナーのオルガンの下に並び、左2階コーナーのオルガンが演奏に使用され、ソリスト4人が右2階コーナーに陣取って、写真のような形で演奏していた。この形なら祭壇にも余裕があり、合唱団などの人数が増えても充分対応が出来、ソリストも目立った形で歌えると思った。しかし、この大聖堂での演奏は、録音の仕方にもよるがもの凄く残響が多く、宗教曲らしい反面、演奏者にとっては演奏しずらい会場であろうと思われた。折からソプラノが歌っていたが、高いところからなので、声が非常に良くとおっていた。



11、以上の通り、「レクイエム」が紹介され、最後にマルクス墓地の風景の中で、この旅行の感想が語られて映像は終わりとなった。ナレーターとしての山本耕史はなかなか優秀であり、場面場面でタイムリーに手紙を朗読してくれたのは印象的であった。  しかし、このドキュメンタリー的な映像には、次のような貴重な映像が得られており、これだけでもモーツアルテイアンにとって非常に印象深いと思われたので、結びに変えて整理しておこう。第一に、プラハの「スタヴォフスケー劇場」が、現在でもオペラ劇場として現役で使われているものを、良く見ることが出来たのは、特筆ものと思われた。このHPでは、バレンボイムとベルリンフイルのコンサート(6-11-1)、およびホーネックとチェコフイルのガラ・コンサート(6-10-1)などがこの劇場で収録されている。第二に、バーデンの教会の地元合唱団が歌った「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618も、この映像でなければ得られない貴重な存在なので、早速、「映像のコレクション」のK.618に載せたいと考えている。第三に、最後に述べたザルツブルグ大聖堂の「レクイエム」の演奏風景の映像が得られたことである。この映像により、私のドームの使い方に関する長年の疑問が解決された。

12、NHKのモーツアルトイヤーにおける06年の「毎日モーツアルト」は、毎週日曜日にその週の1週間分をまとめて放送していたので、レコーダの不調で失敗したごく一部の番組を除き、ほぼ収録済みである。毎日の10分間の内容がどんなものかについては、一部について別添の通り整理が完了しているが、アップが大変であり、途中で作業を放棄してしまった。しかし、モーツアルトを知る映像番組としては、モーツアルトの手紙を中心にして整理され組み立てられているので、出典が明確で客観的に史実が捉えられており、また映像の内容もハイビジョンカメラを用いた最新の映像が多く、講師陣なども充実していた。値段が高かったので購入していないが、NHKが全てをDVDで発売したので、その資料編を見ればその内容が整理されていると信じて、このHPではこれ以上この番組に触れないというスタンスを取っていた。新しいソフトのアップが一段落したら、この番組についても見直しをして、このHPとしてのこの番組の取り扱いを決めたいと考えているので、暫く時間を頂きたいと思う。

(以上)(08/07/24)


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