8-2-1、アンネ=ゾフイー・ムッターとカメラータ・アカデミカによるヴァイオリン協奏曲シリーズ(その1)、(曲目)ヴァイオリン協奏曲(第一番)変ロ長調K.207、協奏曲(第二番)ニ長調K211、協奏曲(第三番)ト長調K.216、指揮とヴァイオリン;アンネ=ゾフイー・ムッターとカメラータ・アカデミカ・ザルツブルグ、05年12月、

−この映像では、スタイルのよいムッターが、頭と腕を振る女性らしい仕草で指揮をしながら、流麗なヴァイオリンの音を響かせており、古楽器的奏法とは異なる期待通りの溌剌とした演奏であった−

8-2-1、アンネ=ゾフイー・ムッターとカメラータ・アカデミカによるヴァイオリン協奏曲シリーズ(その1)、(曲目)ヴァイオリン協奏曲(第一番)変ロ長調K.207、協奏曲(第二番)ニ長調K211、協奏曲(第三番)ト長調K.216、指揮とヴァイオリン;アンネ=ゾフイー・ムッターとカメラータ・アカデミカ・ザルツブルグ、05年12月、
(07年06月09日、NHKBS102CHの放送を、DーVHSレコーダーのLS-3モードで、S-VHSテープにデジタル録画。) 

 08年2月号と3月号は、全て、モーツアルトイヤーの各地の記念行事である最新のソフトばかり集めてみた。これらは一刻も早くご報告すべき記念ソフトであり、同時に08年1月にかねての懸案であったわがHPの表紙の改装記念として、2/3月号については、特別サービスの意味を込めて、最新ソフトばかりを予定したものである。  始めのムッターのヴァイオリン協奏曲集は、05年12月にザルツブルグで収録されたものであり、カメラータ・アカデミカをムッターが弾き振りしたものである。私は05年7月にロンドンフイルを指揮した同曲集の2CD(これにはバシュメットとのK.364も含まれていた)を持っており、素晴らしい演奏であると思っていたが、今回の映像は全く別のザルツブルグの記念行事の一環として演奏された異なる録音であった。一見したところスタイルのよいムッターが、頭と腕を振る女性らしい仕草で指揮をしながら、流麗なヴァイオリンの音を響かせており、基本的なスタイルは変わっていなかったが、期待通りの溌剌とした演奏であった。これでムッターは、協奏曲集全5曲、ヴァイオリンソナタ集全16曲、ピアノ三重奏曲集全3曲を全て映像で揃えたことになり、この記念すべき時期に、最も活躍したという記録を残したヴァイオリニストとなった。
 今回は、5曲をじっくりと味わうために、ヴァイオリン協奏曲集(その1)として、第1番から第3番までの3曲をお送りするものである。 



 始めのヴァイオリン協奏曲(第一番)変ロ長調K.207は、最近になって作曲年代が1773年4月14日に変更され、モーツアルトが作曲した最初の協奏曲作品と考えられるようになってきた。このオリジナルの初めての協奏曲作品であることは、もっと広く重要視されてよい。様式的にも、年代的に近い全五曲のヴァイオリン協奏曲のうちこの曲だけが独立して、全楽章とも協奏的ソナタ形式で書かれており、次の協奏的作品、ピアノ協奏曲第5番ニ長調K.175(73年12月)も同様にこの形式を踏んでいて、両曲ともやや窮屈な堅苦しいスタイルで書かれたように思われる。
 第一楽章では、ムッターがにこやかな表情でオーケストラの前に登場し、いきなり始まるトウッテイに自らも参加して第一主題がやや早めなテンポで始まった。しかし、彼女は最初の4小節しか弾かずに、後は頭と体を使って第一主題・第二主題とオーケストラの提示部を指揮していた。色彩鮮やかな華やかなホールの中央で、素敵なドレスを身にまとったムッターは、独奏ヴァイオリンのひときわ高めの音で第一主題を軽快なテンポで弾き進み、さらに新しい主題を提示していく。彼女はまさにヴィルテイオーゾ的なスタンスで流麗な音色を響かせており、短い展開部においても主導的に活躍していた。カデンツアはいつも聴くものであったが、後半の難しそうな重奏部分を軽々とこなしていた。



 第二楽章では、右手で軽く相図をするようにアダージョの三拍子で指揮を始め、オーケストラが動き出すと体をしなやかにくねらせながら第一主題・第二主題を指揮をしていた。独奏ヴァイオリンは短いアインガングで新しい主題を弾き始めてから優美に第一主題を提示していたが、それ以降は新しい主題を含めて独奏ヴァイオリンが主体的に全体を導いていた。オーボエの伴奏で弾かれた第二主題が実に美しく響いていた。展開部的な部分も独奏ヴァイオリンが中心となり、終わりのカデンツアでも、技巧的な重音奏法のものが弾かれていた。フィナーレも、協奏的ソナタ形式であり生き生きとした第一主題がオーケストラのプレストで登場し、第二・第三主題まで提示してから、独奏ヴァイオリンが華やかに登場し、勢いよく第一・第二主題を駆け抜けるように一気呵成に弾き始め、ソリストのその勢いは止まらない。長い展開部もソロが主役で再現部へと突き進んでいた。この楽章にもカデンツアがあり、第一主題中心の軽やかな技巧的なものが弾かれていた。
 これまでの映像では、この曲はカヴァスコにしろ古楽器のムローヴァにせよ指揮者なしの演奏が多かったが、彼らは始めから楽譜通りにオーケストラと同じパーツを弾いていたが、ムッターはマイペースで必要な場所だけを弾いており、それよりも独奏ヴァイオリンのパーツを一段と高いレベルからヴィルテイオーゾ的に弾き下ろすように響かせていた。さすが独奏者としての経験が長いムッターのヴァイオリンは、これまでのアンサンブル重視型のソリストの演奏とは一線を画していたように思われた。そのせいか、カヴァスコの演奏の時には、カメラータのコンサート・ミストレスのお馴染みのナタリー・チェーさんがオーケストラの先頭で演奏の表に出ていたが、この演奏では、映像の撮り方にもよるが、ムッターの陰に隠れた存在のように見えた。



 第二曲との間のムッターへのインタヴユー画面では、ムッターは、「モーツアルトの悲劇の真髄は、喜びに満ちた旋律と表裏一体の突然の転調で、悲劇性を高めるところにあり、これは彼の全作品に共通した特徴である」と語り、さらにこのことは彼の生涯に重ね合わせることが出来そうだと、難しいことをドイツ語で語っていた。
 第二曲目のヴァイオリン協奏曲(第二番)二長調K.211 は、1775年のミュンヘンでオペラ「偽りの女庭師」を完成させてからの最初の3月の協奏曲で、この旅行の成果とも言えるフランス風のギャラントな様式を積極的に取り入れた作品である。その具体的な現れは、第2番以降の第三楽章で、これまではイタリア語でRondoと書くべきところに、フランス語でRondeauとしていることに現れており、12月20日の日付けを持つ協奏曲第5番イ長調に至るまでの4曲に共通している。
 この曲の第一楽章は、前曲同様に協奏的ソナタ形式であり、ムッターのヴァイオリンによる指揮でオーケストラのトウッテイで第一主題が颯爽と開始されるが、ムッターのヴァイオリンは最初の数小節まで。後は体を動かしながら指揮を続け、第二主題も第一ヴァイオリン中心にオーケストラで示されてから独奏ヴァイオリンの登場となる。独奏ヴァイオリンは第一主題を高らかに颯爽と提示し、次いでヴァイオリンの伴奏で新しい経過的な主題を示してから静かでオーケストラの伴奏に導かれユニークな第二主題を提示する。ムッターのヴァイオリンは朗々と全体を支配し、ヴィルテイオーゾ的な輝きを随処で示していた。展開部でも独奏ヴァイオリンの弾く部分が中心となり、続く再現部でも独奏ヴァイオリンが精力的に先導していた。この楽章のカデンツアは、第一主題の冒頭部を重奏和音で弾く非常に技巧的なもので、ムッターらしい流麗なヴァイオリンを見せていた。



 第二楽章ではアンダンテでムッターのヴァイオリンはオーケストラと一緒に第一主題を提示してから、独奏ヴァイオリンとして新たにオーケストラを従えて、フランス風な歌謡的な美しいこの主題を繰り返していた。独奏ヴァイオリンは、そのままこれも歌うような愛らしい第二主題を弾きだし、ウットリさせるような表情で進行しオーケストラに引き渡していた。大きく全体が繰り返されるような形で、再び第一主題から独奏ヴァイオリンに中心が移って進行し、最後のカデンツアでは、主題の冒頭部を重奏音で弾く、短いが力強い華麗なものであった。フィナーレのロンドの全体の構成は、A-B-A-C-A-B-Aの標準的な構成であったが、主題的にはB'的なものやC'的なものが混ざリ合って、譜面を見るものを混乱させた。軽快で踊るように弾むロンド主題がヴァイオリンで登場したりオーケストラで繰り返されたりして全体で4度登場しており、独奏ヴァイオリンがこの最後の楽章を飾るように随処で素晴らしい技巧を提示していた。



   第三曲への繋ぎのインタビユー的なところでは、ムッターは最近20年くらいは現代音楽までやって来たが、最近改めて古典を見直すようになっている。指揮なども始めたのでモーツアルトも楽譜全体から勉強をし直している。ホルン奏者などから質問が出ても答えられるように、楽譜の全体を勉強していると笑いながら語っていた。
 第三曲目のヴァイオリン協奏曲(第三番)ト長調K.216 は、75年9月に完成しているが、4月末に初演されたオペラ「羊飼いの王様」K.208と関係があり、この第一楽章の冒頭の旋律は、オペラの第3曲アミンタのアリアを転用している。この曲の開始では、ムッターは右手を軽く振りながら指揮を始め、オーケストラが第一主題・第二主題と続けて提示していくが、ムッターは頭を振りながら指揮に専念していた。やがて満を持したようにムッターの独奏ヴァイオリンが装飾音を加えながらアミンタのアリアを歌い出し、続いて晴れやかに新しい主題の提示に移っていく。やがて、オーボエとホルンの重奏に続いて独奏ヴァイオリンが第二主題を提示し、さらに主題を変奏しながら繰り返していくが、ムッターのヴァイオリンは実に伸び伸びとして勢いがあり、素晴らしい効果を上げていた。展開部でも実に印象的な新しい主題が独奏ヴァイオリンにより提示され、再現部に流れ込んでいた。カデンツアは第一主題から取られた多彩な長いものであった。

 アダージョの第二楽章ではオーボエの変わりにフルートが活躍している。ムターは右手で体を揺すりながら弦楽器主体のオーケストラの指揮を始めるが、直ぐに独奏ヴァイオリンとしてこの美しく透明な主題を高らかに歌い始め、変奏を加えながら繰り返しす。やがてフルートと第一ヴァイオリンのオクターブによる主題の提示に続いて独奏ヴァイオリンが引き継いでいくが、このピッチカートを伴った独奏ヴァイオリンのアダージョの美しさは実に喩えようがないものがあった。最後には短いがカデンツアがしっかり弾かれていた。フィナーレのロンド楽章では、まずオーケストラで耳慣れたロンド主題が軽やかに提示され、続いて独奏ヴァイオリンがロンド主題を繰り返していく。その後はA-B-A-C-A-とロンド形式の形で進んでいくが、途中で曲調が一転してアンダンテとなり、弦のピッチカートに乗って独奏ヴァイオリンが美しい新しい歌を歌い出し繰り返された後、アレグレットに変わって再び独奏ヴァイオリンが民謡調の別の歌を歌い出し、聴くものをビックリさせる。フェルマータの後に楽章最初のテンポに戻って、再びロンド主題に戻ってくるが、ムッターはこれらの変化を楽しむかのように受け入れていた。この連作のロンド楽章にはいろいろな機転や工夫が加えられており、注意深く聴いていきたいと思う。



 ムッターのヴァイオリンでヴァイオリン協奏曲を第一番から第三番まで順番に丁寧に聴いてきた。第一番は全楽章がソナタ形式でかなり型にはまった枠組みの中で作曲されていたように感じたが、第二番では第二・第三楽章にフランス風の旋律や自由さが現れてきたように思った。そして第三番になって第一楽章の冒頭主題にオペラのアリアが使われると、独奏ヴァイオリンの歌い方がより生き生きとし始め、旋律美が一段と高められたように思われ、第二楽章のアダージョにおいても、優れたオーケストラ伴奏の効果もあって、独奏ヴァイオリンの歌い方がより綿密になったような気がした。さらに、フィナーレのロンド楽章においても新しい変化が工夫されるなど自由な雰囲気が取り入れられていた。第二番も第三番も同じ年に作曲されているが、第三番以降の作品が格段に優れているのは、モーツアルトが独奏ヴァイオリンをオペラのアリアのように歌わせる技法を協奏曲に持ち込んで、いろいろな工夫を加えていったからではないかと想像する。ムッターのヴァイオリンは、ヴィブラートを効かしたヴィルテイオーゾ的な独奏ヴァイオリンを聴かせるので、このような旋律美の捉え方が出来たような気がする。来月に残された第四番も第五番も、より丁寧に聴いてみたいと考えている。

(以上)(08/02/07)


目次5にもどる 目次4にもどる
目次3にもどる 目次2にもどる
目次1にもどる 私の新ホームページへ




名称未設定