(レーザー・デイスク・ストックからのオペラ報告)
8-12-3、アルノルド・エストマン指揮、ハンペ演出、ドロットニングホルム宮廷劇場管弦楽団及び合唱団によるオペラ「イドメネオ」K.366、1991年、スエーデン、ドロットニング宮廷劇場、

−古い木造の宮廷劇場の奥行きがあるが狭い舞台でのハンペの演出はこの古いセリアには合っていたし、テノールのキューブラーを配したウイーン版の採用も説得力があり、主役の4人もまずまずの出来であったが、エストマンの指揮の一部に、ついて行けないほど早いテンポの部分があり、興ざめであった。−

(レーザー・デイスク・ストックからのオペラ報告)
8-12-3、アルノルド・エストマン指揮、ハンペ演出、ドロットニングホルム宮廷劇場管弦楽団及び合唱団によるオペラ「イドメネオ」K.366、1991年、スエーデン、ドロットニング宮廷劇場、
(配役)イドメネオ;スチュアート・ケイル、イダマンテ(T);デイヴィッド・キューブラー、イリア;クリステイーネ・ビール、エレットラ;アニタ・ソルド、アルバーチェ;エリク・ヤーコブソン、
(フイリップス、PHLP-9032〜3、レーザー・デイスクより)

 12月号の第三曲は、レーザー・デイスク・ストックからの懐かしいオペラ報告であり、今回は古楽器オペラのエース、アルノルド・エストマン指揮のドロットニングホルム宮廷劇場管弦楽団及び合唱団によるオペラ「イドメネオ」K.366である。この演奏は、1991年にスエーデンのドロットニング宮廷劇場でハンペ演出で行われたものであるが、この演奏の特徴の一つは、18世紀の木造の宮廷劇場での古楽器による演奏で、演奏者も18世紀風の衣裳で演奏している。このHPでは、エストマン指揮によるモーツアルトオペラは初登場であるが、彼は「女庭師」K.196、「イドメネオ」K.366およびそれ以降の6大オペラを全てこのスタイルで映像化している。私はこれらの映像を全て収録しているので、今後たびたび登場することになる。また、この演奏の第二の特徴は、王子イダマンテをテノールが歌っているいわゆるウイーン版を用いていることにある。このオペラ劇場の歌手陣は通常はスエーデン出身の地元の歌手陣が多いが、今回のテノールにはシュヴェツインゲン音楽祭の常連であるアメリカ人のデイビット・キューブラーを登場させており、異色の「イドメネオ」を残そうと仕組まれていた。イダマンテがテノールであると、女性がやるよりも視覚的にはごく自然であり迫力があって映像上は好ましい。モーツアルトの手による第二版であり、追加されたテノールのためのアリアK.490やテノールとソプラノのための二重唱K.489なども加わって、私は好ましいと考えているがいかがなものであろうか。


 木造の舞台では、始まりの木槌を叩く合図で、指揮者エストマンが登場し直ちに序曲が開始されたが、拍子の取り方が古楽器調でそのテンポが何と早いこと、早すぎて音楽をじっと味わう暇がないほどであった。良く見るとオーケストラの皆さんがカツラを着けて弾いており、200年前の宮廷劇場を再現しようとした試みであった。終わりに近づくと幕が上がり、イリアが一人で舞台に立ち、第一幕の始まりのレチタテイーボが始まった。舞台は簡素で奥行きがあり、先は荒波の海に見えた。イリアの心境を語る長いレチタテイーボに続いて第一曲のイリアのアリアは何と早いテンポなのか。主演スターのビールだから安心して見ていたが、もっと情感を込めてじっくりと歌わせて欲しいと思った。そこに男性のイダマンテが登場しイリアとの王子と王女の会話の後に王子のアリアでは、刀を抜いて刃先を胸に当てて愛を語るところは「コシ」の先取りで、テンポがやはり速いがまずまずの出来であった。第三曲の合唱も弦が揃って美しい伴奏であったが、テンポがやはり早すぎる。途中でエレットラが登場して様子を見ており、終わりにアルバーチェが現れて「父上が海難で亡くなった」と知らせ、動転して驚く王子と王女の仲の良さを見て、嫉妬に燃えるエレットラの第四曲のアリアが始まった。4本のホルンが響く激しいアリアで彼女は狂ったように歌うが、早いテンポがこのアリアに合っていた。


 場面は続いて嵐の場面となり、荒れ狂う空と海を背景に住民の男声4部の合唱が稲光に怯えながら「神よ、お慈悲を」と激しく歌っていた。嵐が静まると、海から「やっと助かった」とイドメネオ王が登場する。しかし、生きて帰った喜びも反面に、ネプチューンとの約束に「悲しげな亡霊につきまとわれるだろう」とアンダンテイーノで歌い、後半は絶望的なアレグロで歌っていた。そこへ悲しみに溢れたイダマンテが登場し、助けようとして「お父上では?」との喜びの言葉に、呆然と立ち去る父との不思議な対面劇。愛する父に会えたのにどうしたのかとイダマンテが、早いピッチカートの伴奏で「死ぬほど悲しい」と第7番のアリアを歌ったところでデイスクは終わり、第一幕の終了となって休憩に入った。リブレットを変更して第一幕が早く終了していた。





   第二幕は第8番の行進曲がゆっくりと序曲風に始まり、続いて王を出迎えて全員で無事の帰還を祝って「ネプチューンを讃えよう」と第9番の合唱に入った。中間部で二人の女性の二重唱と二人の男性の二重唱に続き四重唱があり、始めの合唱に戻って、盛大に帰還を祝っていた。終わりにイドメネオとアルバーチェの二人が残り、王が生贄によりネプチューンに助けられた話をし、生贄はイダマンテなので何とか助けてくれと懇請する。イダマンテを他の土地に行かせて民衆の中に隠せば良いと二人の考えは一致し、エレットラとアルゴスの地に生かせようと話し合った。これを立ち聞きしたイリアが仰天して、顔を合わせたイダマンテに「私を忘れてくれ」と突き放す。ここでアルバーチェの第10番のアリアは省略されたが、アルバーチェのレチタテイーボに続いて、第10b番としてウイーン再演時のテノールのイダマンテのアリアK.490が歌われた。この曲はヴァイオリンの美しいオブリガートがついた「愛しい人よ、僕の心は君のもの」と歌う素晴らしい曲で、ピアノ伴奏付きのコンサートアリアK.505と同文異曲の対をなす名曲であった。さすがキューブラーと思わせる力強い迫力のアリアが歌われて、イリアは落ち着きを取り戻し、イドメネオ王に初対面のご挨拶をした。囚われの王女が明るい表情で「平穏である」と第11番のアリアを歌うが、この曲もテンポが早すぎて肝心のオーボエや木管のオブリガートが落ち着かず残念であった。王はイリアの明るさを不思議に思うが、これは王子への思いだと悟り、そうなれば生贄は三人になると、ネプチューンを恨む第12番のアリアを歌う。これは激しい序奏を持った本格的なコロラテウーラ・アリアで朗々と歌われ、最後にはカデンツアが付いていた。凄い拍手で迎えられていた。






 一方、イダマンテと本国のアルゴスに帰れることになったエレットラは、海を見ながら素直に喜んで第13番のアリアを歌っていた。イリアさえいなければ状況は変わると「愛しい人よ」と歌う愛のアリアであったが、まだ終わらないうちに行進曲がゆっくりと聞こえてきた。家来たちが集まってきて、「海は穏やかだ、いざ行こう」と第15番の合唱が明るく盛大に始まる。中間部ではエレットラがソロで「そよ風よ吹け」と優しく歌い、再び合唱が歌われた。そこでイダマンテ、エレットラ、イドメネオの第16番の別れの三重唱が始まるが、イリアを前にして、王は「これが運命なのだ」と息子とエレットラに告げた。そして王は息子の無事を祈り、息子はイリアとの別れを悲しみ、エレットラは思わぬ旅の喜びを歌いながら、アデユーと別れを告げているうちに、急に空と海が荒れ始め、嵐となってそのまま大勢の合唱に突入した。群衆は「ネプチューンよ、お許しよ」と歌っているうちに、海神を怒らした罪人は誰かと叫び始め、遂にイドメネオは「罪深いのは私一人だ」と告白してしまう。そして終幕の群衆の第18番の「逃げろ」と叫びながら、走って逃げ惑う合唱で幕を閉じたが、背面にはネプチューンの絵姿が浮かび、イドメネオがただ一人、うなだれながら立ち去って第二幕が終了した。



 第三幕は木槌の音でエストマンが入場し、幕が上がってイリアが甘い第19番の「そよ風よ、私の心を伝えて」と愛のアリアを歌い出したが、このアリアについても歌も声も良いのであるが、テンポが早すぎ興が削がれてしまった。そこに「死を覚悟して怪物を退治に行く」とイダマンテが現れると、イリアは「死なないで」と答えて、ウイーン版によるテノールとソプラノのための第20b番の愛を語り合う二重唱K.489が始まった。別れの愛を奏でる二人のソロアリアに続き、終わりの二重唱では愛を誓い合う場面となったが、エレットラとイドメネオがそれを目撃してしまう。そしてイリアを前にしてイドメネオが「出発しろ」と声を掛けると、4人がそれぞれの心情を歌う第23番の別れの四重唱が始まった。イダマンテがイリアに思いを残し「一人でさすらいの旅に出よう」と歌うと、イリアは「私も王子の死ぬ所へ連れて行って」と歌い、イドメネオは「非常なネプチューンよ」と罵り、エレットラは「もう我慢が出来ない」と復讐を誓って、互いの非常な運命を嘆き合い終わりにはアデユーと歌っていた。



 第22番のアルバーチェのアリアは省略され、祭司長が群衆を引き連れて登場し、「王よ、街は死の海だ。生贄は誰だ」と鋭く迫る第23番のレチタテイーボが歌わた。「生贄は息子だ」との答えに、一同は「おお、恐ろしい誓い」と驚き、悲しみの第24番の合唱を歌い始めた。中間部で高僧が「神よ、王子に罪はなく、非道な誓いを許せ」とソロで歌い、再び悲運の合唱が繰り返された。続いてゆっくりした第25番の行進曲が静かに始まり、生贄を捧げる祭壇の用意がなされた。そして「受け給え、海の神よ」とピッチカートによる美しい伴奏でイドメネオが祈りを捧げ、第26番の神事の儀式を行っている途中で、行進曲と共に「イダマンテが勝利した」という合唱とともにイダマンテが登場した。しかし、彼は父の苦悩と儀式の意味を察知しており、「今になって分かりました」と父の前にひざまづき、手に最後のキスをして「受けた命をお返しします」と第27番のレチタテイーボを歌い、覚悟して祭壇に頭を垂れた。「許せ、息子」と王はひるむが、息子に励まされ、覚悟を決めて「死んでくれ」と刀を振り上げた時に、「お止め下さい」とイリアが飛び込んできた。皆の静止の手を振り切り、「生贄は私です」と雄弁にギリシャの敵である自分を説明して祭壇に跪いた。この劇的な場面に荘厳なトロンボーンが響き、ネプチューンの影が映って、第28d番の地下からの海神の声が響きわたった。何たる驚きであろうか。このような劇的なシーンはかってオペラの世界で経験したことがあったろうか。イリアの捨て身の迫真の行動が神々を動かしたに相違ない。



   全員が呆然となっている最中に、エレットラが狂気のように短剣を抜いて第29番の狂乱の歌を歌って風のように逃げ去った。イドメネオ王が立ち上がって厳かに第30番のレチタテイーボで「平和が到来した」と布告し、「新しい国王の誕生だ」と剣をイダマンテに渡し、その王妃としてイリアを皆に紹介した。そしてしみじみとレチタテイーボで「クレタに平和がやって来た」と歌っていた。終わりに第32番の民衆の大合唱が始まり、神を讃え、新しい王と王妃を祝い、平和がきた喜びを讃えるハッピーエンドの合唱が続いていた。合唱団にも初めて笑顔が戻っており、素晴らしい全員の笑顔で喜びを讃えつつ終幕となっていた。
 舞台は盛大な拍手で迎えられていたが、やはり順番に出てきたイリア、イダマンテ、エレットラ、イドメネオに一段と高い拍手が送られていた。このカーテンコールの際に通常、指揮者が加わるのであるが、エストマンは最後まで加わらず、オーケストラへの起立の指示は、舞台からイリアが行っていた。



 今回改めてこのエストマンの「イドメネオ」を見て、舞台のあり方、進行方法、ウイーン版の採用、歌手陣の出来映えなどを総合的に考えると、次の諸点を除くと、全体的に非常に良く纏まった説得力ある「イドメネオ」であったと思われた。マイナスの諸点は、エストマンの指揮振りにあり、序曲の異常な早さ、イリアの三つのアリアの異常な早さなどであり、これらが通常のテンポで満足出来れば、最高のイドメネオの映像と評価したいと思われた。イリアの三つのアリアは確かに何れも重要な部分にはないが、オーケストラの伴奏も含めて、非常に美しいアリアであり、レチタテーボは通常のテンポなのに、美しいアリアだけを歌わせずに無感情に早いテンポで処理する点が最後まで解せなかった。これから、エストマンのオペラをたびたび紹介していくことになるが、古楽器演奏の早いテンポに慣れてきたものの、アリアやオーケストラの美しさを阻害するようなテンポの速さは遠慮して欲しいと思った。これはこれから聴く彼の全てのオペラにおける共通の問題点である。



 これ以外は全てこの映像の良さを指摘することになるが、ウイーン版を正面から取り上げキューブラーに歌わせたことは素晴らしく、このオペラの映像面での弱点をモーツアルトの手を使って除いてくれた。その反面、女性歌手陣が弱くなるが、その点でイリアの三つのアリアを朗々と美しく歌わせて欲しいと強く感じた。また、ハンペのこの奥行きの深い劇場を使いこなした演出は見事で説得力があったと思う。イドメネオは、古い物語のセリアであるので、このような狭い劇場にこそ相応しいオペラであると思われた。ポネルのメトの映像のような広い舞台も一つの行き方ではあるが、どうしても舞台設定に無理が来るので、今回のような見えない舞台の方が望ましい。このオペラはまだ、新しい演出家による変な読み替え劇の犠牲になっていない唯一のオペラであるが、レチタテーボが長いオペラで、演出の場面設定が難しい場面が多いので、変な舞台を作るよりは音楽が素晴らしいので、むしろ舞台のない演奏会形式で行った方が充分な感動を得られるオペラであると思われる。また、通常の映像では最後のイリアの生贄になる場面が説明不足になりがちであったが、この映像ではイリアに語らせて充分に説得力があったし、神託の声も第28d番を用いて迫力があり、海神の影絵も写真のように効果を発揮して、見ている側も満足であった。

 歌手陣は主役の4人が好演しており、イドメネオとイダマンテ以外はスエーデンの専属的歌手陣であったが、イリアのビールもエレットラのソルドも安心して見ておれた立派なモーツアルトの歌い手であると思った。私は、この古い宮廷劇場で一度だけオペラを見たことがあるが、木槌による始まりの知らせと、木製の長椅子の座り心地の悪さと、休憩時間の白夜のような明るさなどには驚いてきた。エストマンの極端なテンポの早い部分を除くと、この劇場のオペラは何れも簡素で古楽器のアンサンブルがよく、見どころがあるのでDVDに復活して欲しいと思っている。

(以上)(08/12/16)


目次5にもどる 目次4にもどる
目次3にもどる 目次2にもどる
目次1にもどる 私の新ホームページへ




名称未設定