(S-VHSアナログテープ・ストックによる懐かしい映像;N響定期1304回から)
8-12-2、イングリード・ヘブラーのピアノとフロール指揮N響によるピアノ協奏曲変ロ長調第27番K.595、およびフロール指揮N響による「レクイエム」K.626−東京芸術大学合唱団−96年11月1日、NHKホール、

−LPやCDで懐かしいイングリード・ヘブラーがこのHPで初めて登場して元気でな姿で彼女らしい演奏を示してくれた。クラウス=ピーター・フロールとN響・芸大合唱団による「レクイエム」も指揮者の若さとエネルギーが満ち溢れた壮大な演奏であった。また、ヘブラーとの協演も彼の優しさが滲み出たような指揮振りであった−

(S-VHSアナログテープ・ストックによる懐かしい映像;N響定期1304回から)
8-12-2、イングリード・ヘブラーのピアノとフロール指揮N響によるピアノ協奏曲変ロ長調第27番K.595、フロール指揮N響による「レクイエム」K.626−東京芸術大学合唱団−96年11月1日NHKホール、
(レクイエム・ソリスト)S;菅英三子、A;永井和子、T;吉田浩之、B;多田羅迪夫、
(1996年11月12日のNHKBSによるBモードステレオ放送を、S-VHSレコーダーによりS-VHSテープにアナログ録画)

 12月号の第二曲は、S-VHSアナログテープ・ストックによる懐かしい映像として、96年11月1日NHKホールで行われたN響定期1304回から、イングリード・ヘブラーのピアノとフロール指揮N響によるピアノ協奏曲変ロ長調第27番K.595およびフロール指揮N響と東京芸術大学合唱団による「レクイエム」K.626の2曲をお届けする。レクイエムのソリストたちは、菅英三子、永井和子、吉田浩之、多田羅迪夫、の多彩なメンバーであった。このソフトは、96年11月12日のNHKBSによるBモードステレオ放送をS-VHSテープにアナログ録画したものであるが、写真の通り画質・音質とも優れたものであった。
 このコンサートにより第27番変ロ長調K.595の協奏曲は、あとバレンボイム・ベルリンフイルの演奏をアップすれば全映像のアップ完了となるし、レクイエムK.626についても91年のコープマンの来日演奏をアップすれば、全映像のアップが完了するので、このHPにとっては、都合の良い曲の組み合わせのN響定期であった。



 このコンサートの第一曲目は、ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595であり、懐かしいイングリード・ヘブラーが登場するが、彼女は私にとっては協奏曲にせよソナタにせよ聴き始めた頃の先生のような存在であり、この変ロ長調の27番にしても、最初に聴いたLPは第19番とペアになったフイリップスの彼女のレコードであった。後年、フェラインの仲間とNHKホールで彼女の協奏曲を一度期待を持って聴いているが、あの大きなホールの後部の座席であったので、遠くで豆粒のように見えるピアニストが、やっと聞こえる程度の音量で弾いており、彼女の微妙なニュアンスを持ったピアノの音は聞こえずに、ガッカリしたことを思い出す。それに引き替えこのビデオでは、ほぼ同じ頃のライブ演奏なのに、彼女の表情や手の動きなども克明に写し出しており、ピアノの音も充分な音量で、かぶりつきの席にいるように良く響いていた。若い頃の写真がありジャケットなどでヘブラーの優しい顔立ちは良く知っていたが、1929年生まれなので当時はまだ67歳であり、十分貫禄が出てきているが、まだまだお元気であるという様子に見えた。



 第一楽章はフロールの指揮でゆっくりと歌うようにオーケストラが始まる。N響の弦が良く鳴っており、澄んだ清楚な第一主題に続き弦とフルートとが対話するように続く第二主題も美しく響き、次から次へと新しい副主題が流れるように現れていく。若々しく見えるフロールはこの長いオーケストラによる提示部をきめ細かく丁寧に指揮をしていた。やがてヘブラーの独奏ピアノが第一主題を変奏しながら登場するが、ヘブラーのパッセージは粒だつように弾かれ、音の輪郭が明確に聞こえていた。ピアノは呟くようにパッセージを連ねていき、4本のコントラバスをベースとした中規模のオーケストラがピアノに答えるように支え、ピアノとオーケストラが新しい主題を交互に弾き分けて進んでいた。ヘブラーは硬い表情で生真面目に集中して弾いており、その姿には彼女の人柄が刻み込まれているように思えた。展開部では先導するピアノに対しオーボエや木管の競い合うような響きが美しかった。再現部ではピアノが途中から参加し、オーケストラを従えながら独壇場のようにパッセージを重ねていた。カデンツアはモーツアルトのものであった。



 第二楽章は、ヘブラーが呟くような静かな音で弾き出すラルゲットであるが、このソロピアノはまさしくヘブラーの音。オーケストラがくり返したあとに弾くピアノがもの寂しく響き、淡々と弾く透明感溢れるピアノが美しく素晴らしい。中間部のリズミカルな主題もピアノが弾むように弾かれ、その流麗なピアノの響きが美しく、音の粒だちやちょっとした間の取り方や変化が巧みであり、オーケストラの動きと良く調和して、悲しげで極上のピアノの世界を繰り広げていた。

 第三楽章は、早すぎないテンポでピアノソロで始まる踊りだしたくなるような軽快なロンド主題。オーケストラが引き継いだ後に再びピアノソロで現れるが、これに似た主題が後日のリート「春への憧れ」K.596で再び現れるのは有名な話。ヘブラーはオーケストラと一体になって、軽やかなテンポで淡々と指を走らせる。その無心な生真面目そうな姿に、ソナタであれ変奏曲であれ、ギーゼキングと並んでモーツアルトのピアノの世界を全て極めてくれた先駆けのピアニストとの想いが重なる。短いカデンツアのあと、再び冒頭のロンド主題に戻り、新しい少し技巧的なエピソードがピアノ主体で出てくるが、ヘブラーは軽やかに音色の変化を見せながら進めていた。終わりのカデンツアもモーツアルトの備え付けのものであったが、ここでちょっとした指の縺れがあったのはご愛敬。澄みきった透明な曲調を見事に顕してくれた物静かな後味の良い終わり方であった。



 素晴らしい拍手に迎えられて、ヘブラーは初めて嬉しそうな笑顔で応えてくれたが、素晴らしい味わいのある演奏であった。3回ほど舞台に出てきて、笑い顔で愛嬌を見せてくれたが、すっかりドイツのおばさん風に変貌し、面影がなければこれがあのモーツアルトのピアノ音楽の透明な世界を知らしめてくれたピアニストとは気がつかないであろう。お元気そのものの姿を拝見し何よりであった。


このN響コンサートの第二曲目は、同じモーツアルトの「レクイエム」ニ短調K.626であるが、休憩後にまず左右両側から男声の合唱団が、続いて女性の合唱団が入場し、奥の席に男女2列づつ20人*4列=約80人位の東京芸術大学合唱団が着席した。ソリストが入場し、指揮者フロールが指揮台の上に立ってゆっくりと見渡し、一息おいて静かに右手を振り下ろす。ファゴットとバスクラリネットの深く沈んだアダージョの響きによりイントロイトウスが開始された。ゆっくりした低音の厳かな序奏に次いでバスから順次上方へと合唱が始まり、80人の大合唱団による荘厳な響きがホールを満たし、エト・ルクス・ペと歌いながら上昇を重ねて進む。やがてソプラノの菅英美子が透き通るような細い声で主への賛美を高らかに歌い出し、合唱団が続いて堂々と二重フーガ風に続け豊かに盛り上げていた。フロールは両腕をしなやかに廻し身体全体を使った大きな身振りで、オーケストラと合唱団を統率していた。キリエでは男声合唱から始まり女声合唱が加わってアレグロの早いテンポで激しい二重フーガが開始され、続けてうねるように壮大にフーガが展開されていくが、フロールは自ら歌いながら激しく、力強く指揮を進めていた。フロールとN響によるこのレクイエムの開始は、重厚で厳粛そのものであり、若さ溢れる合唱団も規模が大きく壮大で力に満ち、これからの進展が大いに期待された。





 セクエンツイアに入って第一曲のデイエス・イレでは、激しい合唱とテインパニーとトランペットが炸裂し、弦の途絶えることのない目まぐるしい旋回が「怒りの日」の激しい姿を示していた。そして合唱団の力強い迫力ある合唱が続く中で、女声合唱と男声合唱とが対話するように力強く進み一気に盛り上がりを見せていた。第二曲のトウーバ・ミルムでは、一転して静寂の中からトロンボーンのソロが厳かに前奏してバスの多田羅が朗々と歌い出し、トロンボーンとバスがしみじみと互いに対話しながら進む。続いてテノールが明るく歌い出し一際燃えてから、アルト・ソプラノへと上昇しながら進んでソプラノが美しい声を張り上げて、4人がそれぞれ存在感を示すように、美しい四重唱がゆっくりと続く。激しい勢いで威勢良く始まったレクイエムの中で、一服の休息を得たような感じで進んだ。第三曲のレックス・トレメンデでは、早いテンポの刻むような荒々しいオーケストラの後にレックスの大合唱が始まり、テインパニーが強くこだまし、合唱がこれに重なり合いながらうねるように進んでいた。フロールは両腕を使って力強く指揮してどこまでも強く進んでいたが、一転して力を緩め、終わりには悲痛な訴えの合唱となり、祈るように静かに治めていた。





 レコルダーレでは、チェロとバスクラリネットによる厳かな序奏の上でアルトとバスの二重唱からソプラノとテノールの二重唱にと上昇しつつソロの四重唱が始まる。ゆっくりとしたテンポのアンダンテで、4人は斉唱したり互いに折り重なったり、男女が互いに掛け合いをしながら、朗々と素晴らしい四重唱を繰り広げ、期待に応えていた。ここでもこの四重唱が、激しくて重苦しいレクイエムの中での安らぎを得る場を与えているように見えた。コンフターテイスでは、全オーケストラの荒々しい伴奏で男声合唱が激烈な調子で「呪われた者よ」と歌い出すが、一転して女声合唱が対照的に全奏の弦の静かな伴奏で救いを求めるようにかすれるような細い声で歌い出し、再びこれらが重々しく繰り返された。そして素晴らしい対照の妙の効果を挙げながら、続けて静かな混声合唱で歌い繋ぎ、喘ぎながら次第に終息して、厳粛で静寂な音の世界を造り上げていた。不協和音や半音が重なり合う激しい表現の仕方には、映画「アマデウス」でのサリエリとの架空のやりとりを思い出させるが、ラクリモサの前段として瞠目すべき深遠さをもたらしていた。






 ラクリモサでは、ため息のような暗い短い弦の序奏に続いて静かに合唱が始まり、ソプラノが一段一段と階段を上り詰めるようにクレッシェンドしながら徐々に高みに達していたが、フロールはこの頂点の8小節目で一息休んで、静寂な中から再び荘厳な合唱により高みを徐々に築き上げていた。「涙の日」のこの部分は、もはやモーツアルトの手による部分ではないが、8小節の始まりがあって初めて到達できる高みであり燃焼の姿であろうと思われる。続いて再びバスクラリネットやテインパニーの響きとともに全体の合唱が登りつめ激しく燃え上がってからアーメンの繰り返しで堂々と終息していたが、フロールは大合唱団を緊張の中で高揚させるため、深く掘り下げた指揮振りを見せていた。これには若いフロールのエネルギーを感じさせたが、若々しい芸大の合唱団やヴェテランのN響も良くこれに応えており、これはライブの映像でなければ決して味わえぬ高揚した感動的な場面であると感じさせた。



 私の「レクイエム」の報告記は、例によってこの「涙の日」で途切れてしまう。モーツアルトは、この長大なセクエンツイア全体を締めくくる「アーメン」のために壮大なフーガの構想を持っていたことが16小節のスケッチにより明らかにされているが、自身の作なら、この部分がどのように展開されたであろうかと考えてしまう。いろいろな版が印されているのは、誰しもが現状に十分満足せず、もっと出来ると考えるからなのであろうか。

 今回の指揮者クラウス=ピーター・フロールは、1953年のライプチヒ生まれであり、ベルリン交響楽団やフイルハーモニア管弦楽団の首席指揮者を経て、N響の客演指揮者を務めていた。この演奏は43歳の頃であり、メガネの奥に優しさと元気の良さを蓄えた評価の高い方であったと記憶している。今回のヘブラーとの協演も彼の優しさが滲み出たような演奏であったし、「レクイエム」も彼の若さとエネルギーが満ち溢れた演奏であったように思う。彼の現在の活躍振りは、モーツアルトイヤーの06年11月21日に東京オペラシテイで行われたブリン・ターフェルとUBSヴェルビエ祝祭管弦楽団によるコンサートで、既にご紹介済みである。まだ53歳の若さであったのに白髪なので驚いたが、若いヘアスタイルにして指揮台に登場しており、世界中から集まってくる若人から慕われながらオーケストラの指導者として活躍していた。

 このビデオテープによる懐かしい映像シリーズの古いビデオには、亡くなったカラヤンが元気な姿で出てきたり、若い頃音盤で活躍したヘブラーが登場したり、オールドファンには喜ばれるものが多いと思う。今回のN響コンサートもわずか12年前の映像でありながら、N響の顔ぶれに変化があるのに気付くが、当時から実力は充分にあったと感じさせた。これから古い映像が続々と登場してくるので楽しみにしていただきたいと思う。

(以上)(08/12/12)


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