(最新のコンサート記録;二つのコンサートアリア・コンサートから)
8-11-1、リサ・ラルソンのN響定期(1624回)公演から3つのソプラノ用コンサート・アリアK.582、K.583及びK.578、08年6月25日、サントリーホール、およびブリン・ターフェルとUBSヴェルビエ祝祭管弦楽団による二つのバス・コンサートアリアK.432(421a)及びK.Anh.245(621a)、06年11月21日、東京オペラシテイ、

−ラルソンはやや唐突に始まるコンサートアリアを三つも軽々とこなしていたが、後半になるにつれ次第に調子が良くなり、終わりには汗を流しながら表情豊かに歌いこなす熱演振りであった。ターフェルは、余力を持って二つのアリアを堂々と歌っていたが、彼の本番はワグナーにあった。アンコールで彼の人柄と人気の高さを表す一場面があった。−

(最新のコンサート記録;二つのコンサートアリア・コンサートから)
8-11-1、リサ・ラルソンのN響定期(1624回)公演から3つのソプラノ用コンサート・アリアK.582、K.583及びK.578、08年6月25日、サントリーホール、
およびブリン・ターフェルとUBSヴェルビエ祝祭管弦楽団による二つのバス・コンサートアリアK.432(421a)及びK.Anh.245(621a)、06年11月21日、東京オペラシテイ、
(08年07月30日のNHKBS103の放送をBRデイスクに収録、および07年08月11日のNHKBS102の放送を、D-VHSレコーダーのLS-3モードで、S-VHSテープにデジタル録画。)

 11月号の第1曲は、最新のコンサート記録からの映像であり、二つのコンサートアリアを含むコンサートからのものである。コンサートアリアの映像は非常に少ないが、たまたま、コンサートアリアが演奏された最新のコンサートが二つ収録できたので、合わせて8-11-1の5曲のアリアとして今回取り上げたいと思う。最初のコンサートは、去る08年6月25日にサントリーホールで行われたリサ・ラルソンのN響定期(第1624回)公演で歌われたもので、後期の「コシ・ファントッテ」K.588の初演時にドラベッラ役のソプラノ歌手のために書かれた3つのソプラノ用コンサート・アリアK.582、K.583及びK.578を歌っていた。彼女はスエーデン生まれで95年にスカラ座でデビューしたヴェテラン歌手で、この日はR.シュトラウスの歌曲も歌っていたし、このコンサートは、交響詩「ツアラトウストラはこう語りき」で終わっていた。
 もう一つのコンサートは、モーツアルトイヤーの06年11月21日に東京オペラシテイで行われたブリン・ターフェルとUBSヴェルビエ祝祭管弦楽団によるコンサートで歌われた二つのバス・コンサートアリアK.432(421a)及びK.Anh.245(621a)である。ターフェルは、このHPではお馴染みの歌手であるが、コンサートアリアを歌ったのは珍しい。このコンサートで、彼はワグナーのタンホイザーから「夕星の歌」を歌っていた。これら5曲のうち K.582とK.578の2曲は初出である。
 

 リサ・ラルソンのコンサートは、イタリア出身のマッシモ・ザネッテイ指揮のN響定期であり、この日はオペラ「コシ・ファントッテ」K.588の序曲で始まり、三つのコンサートアリアが続けて歌われた。これらのアリアはいずれも「コシ」の初演時にドラベッラを歌ったソプラノのルイーズ・ヴィエヌーヴのために書かれた曲であり、ほぼ同じ時期に書かれたという共通性があった。
 初めの「コシ・ファントッテ」K.588の序曲は、冒頭のオーボエのソロのテンポが早いので驚かされたが、コントラバス3本の中規模なオーケストラで明るく軽快なテンポで進められた。ザネッテイはオペラ指揮者のように良く身体が動き、歌うように指揮をとり、終わりの「コシ・ファントッテ」の部分では踊るようにリズムをとる明確な指揮振りであった。ブルーレイデイスクで収録したせいか、HEモードであったが、実に鮮明なハイビジョン画像であり、写真で確かめて頂きたいと思う。


 続いてコンサートアリアの第一曲目は、アリア「誰が知ろう、私のいとしい人の苦しみを」K.582であった。この曲は、1789年10月にウイーンで、ソレールのオペラ「情け深い無骨者」の第一幕第14曲として挿入されたアリアで、次の第二幕第5場として作曲されたアリアのK.582とともに書かれている。テキストの作者は、ダ・ポンテとされている。
 このアリアの内容は、ルチア夫人の夫ジョコンドは言えないわけがあって、日頃機嫌が悪い。ルチアはそれが何のためか分かりかね、途方に暮れてこのアリアを歌うのである。
  曲はアンダンテで短い前奏に続いてラルソンが「誰が知ろう、いとしい人の苦しみを」といきなり歌い始め、顔一杯に不安と心配の気持ちを現しながら歌い出した。オーケストラの伴奏が美しく、彼女の声は細いが透き通っていた。後半の繰り返しでは「神よ、いとしい人の苦しみを取り去り給え」と、愛情を込めて祈るように歌っていた。約3分の短い曲であった。



 コンサートアリアの第二曲目は、アリア「私は行く、だがどこへ?」K.583であり、この曲も前曲と同様に、ソレールのオペラ「情け深い無骨者」の第二幕第5場の挿入曲として作曲されたアリアである。アリアの内容は、夫ジョコンドの機嫌が悪かったのは彼の仕事が上手くいかない悩みにあることを知り、破産に直面したルチア夫人が、夫を不幸に追い込んだ責任が自分にもあったことを感じて、その苦悩を訴えるアリアである。
 曲は力強い前奏の後にアレグロで「私は行く、だがどこへ?」といきなり絶望的な表情で力強く歌われてから、早口に自分の苦しみを訴えていた。後半に入ってアンダンテに変わり美しいオーケストラの前奏の後に、悲しみに満ちた沈痛さで「迷いを取り去って下さい」と祈るように歌っていた。ラルソンの表情も歌声も悲しみと憂いに満ち、クラリネットの伴奏も美しく、繰り返しながら祈りを込めて歌われた。



 コンサートアリアの第三曲目は、アリア「大いなる魂と高貴な心は」K.578であり、この曲は1789年9月にウイーンで上演されたチマローザのオペラ「青砦の二人男爵」の第一幕第八場への挿入曲として書かれたものである。オペラの筋のあらましは、トタロ男爵には美しい婚約者ドンナ・ラウラがいるが、彼はまだ彼女と会ったことがない。そこへつけ込んだのがラウラに気があったもう一人の男爵フランケットで、彼はラウラを横取りしようと、彼女からの使いと偽り、妹のサンドリーナの絵姿をトタロ男爵に届ける。トタロが一目惚れして信じてしまうことから、そこへやって来たラウラは大変怒って二人の女性の対決となるが、男爵がサンドリーナと手を握るので、激昂したラウラはサンドリーナを軽蔑し、トタロに復讐を誓ってこのアリアを歌うものである。
 アリアはオーボエのソロと弦の軽快な伴奏を持つアレグロの前奏で始まり、「大いなる魂と高貴な心の持ち主は、貴女のような人を軽侮するでしょう。」と歌い、自分は名誉を尊ぶ貴婦人だとラルソンはオーケストラの伴奏に合わせて、明るく声を転がすように朗々と歌っていた。長いフェルマータの後に後半のアレグロ・アッサイに入ると、男爵に復讐の念に燃えて早口で歌い出し、テンポを速めながら力強く終息した。

 この種の他のオペラへの挿入曲としてのコンサートアリアは、初めて聴くと言葉も背景も知らずに、主人公が何を歌おうとしているかがさっぱり分からずに大いに戸惑うものであるが、何回か聞き込んで曲の構造やメロデイなどが頭に入ると、自然に主人公の気持ちが分かり、歌に反映されているのが理解できるようになる。1789年のほぼ同じ頃に、「コシ」を歌ったソプラノに同じような曲を3曲も作っているのは、この歌手に余程思い入れがあったのだろうと思われる。ラルソンはやや唐突に始まるコンサートアリアを三つも軽々とこなしていたが、二曲目・三曲目となるにつれ調子が良くなり、後半では汗を流しながら表情豊かに歌いこなす熱演振りであった。モーツアルトのオペラを得意としているようであったが、この日はR.シュトラウスの歌曲を数曲歌っており、リリックなソプラノの曲を得意としている印象を受けた。




 一方のブリン・ターフェルの歌ったコンサートでは、二つのバスアリアを歌っていたが、コンサートはまず、「フィガロの結婚」K.492序曲で始まった。東独出身でかってN響でも客演指揮者を勤めていたクラウス・ペーター・フロールは、白髪になったが若いヘアスタイルにして指揮台に登場していたが、今回は毎年スイスのヴェルビエ音楽祭で結成されるUBSヴェルビエ祝祭管弦楽団を率いていた。このオーケストラは世界中から集まってくる17歳から29歳以下の若人から成る女性の多い集団で、夏の音楽祭で鍛えられた後秋にその成果を示すため世界中の大都市を演奏旅行するようであり、2006年東京公演として東京オペラシテイで06年11月21日に演奏したものを収録している。
 第一曲目の「フィガロの結婚」K.492序曲では、フロールは始めから指揮棒を持たずに両腕だけの軽快な指揮振りであったが、進行に合わせて出番を指示する腕の振り方に独特の特徴があり、指示が明快であると思われた。オーケストラはコントラバス3本の中規模で、弦や木管が軽やかな音を出していたが、全体としては厚みのあるしっかりした響きであり、充分に満足できるオーケストラであった。


 第二曲目は、バスのためのレチタテイーフとアリア「あなたはかくも裏切った」、「激しい後悔が」K.432(421a)であり、ブリン・ターフェルが入場してきたが、この人は見るからに頼りがいのありそうな大男で、黙っていても存在感ある姿を見せていた。
 曲は1783年ウイーンで恐らく「後宮」の初演でオスミンを歌ったルードヴィッヒ・フイッシャーのために書かれたものと推定されている。テキストはメタスタージオの「テミストクレ」第三幕第八場から取られているが、挿入アリアか独立したコンサートアリアかの区別ははっきりせず、上演記録も確認されていない。
 アリアの内容は、陰謀の首謀者である王の腹心のセバステが、愛する王女ロッサーネに裏切られ、彼の革命計画が国王に知られてしまったため、彼女の裏切りを怒って絶望的に歌うもので、計画の失敗を嘆き、逃れる術もない不運を嘆くレチタテーボと、心配と怒りが混ざり合った激情のアリアとされる。
 始めのアレグロのレチタテイーフでは、ターフェルはオーケストラ伴奏で独り言のように歌い始め、次第に暗い悲劇的な感情を高ぶらせて長いレチタテイーフを続けた。続いてアリアではアレグロのオーケストラ伴奏がシューベルトの「魔王」を思わせる弦の三連符の不吉な感じで始まるが、この伴奏型が曲全体を支配しているようであり、続いて「神よ、なぜ今になって私の心を苦しめるのか」と後悔の念を歌い上げる。ターフェルは、ゆとりのある声で、この早口のアリアを不安げな表情で歌い、苦しみと怒りの気持ちを精一杯豊かに堂々と歌っていた。


 第三曲目には、バスのためのアリア「私は別れていく、お、いとしき人よ、さらば」K.Anh245(621a)であり、自筆作品目録に記載されていないので、真作かどうか疑義のある作品とされている。しかし、現存する自筆譜は全体としてモーツアルトのものとされており、ジャカンの作に弦の伴奏譜を付けてやっただけというコンスタンツエの証言と異なっている点が問題なようである。
 この曲は1791年9月に「テイト」の初演に訪れたプラハで書かれ、ウイーンに帰る直前に、別れを惜しんで短い時間に書き上げたものとされており、別れの曲とし演奏される機会が多いとされる。作詞者は不明であるが、その内容は、愛人と別れなければならない辛さを歌ったものである。アリアはアダージオで、「私は別れていく、お、いとしき人よ、さらば」と歌われ、全体をもう一度繰り返してから、「アッデイオ、アッデイオ」で繰り返して終わる。感傷的で単純な中で、深い叙情を訴える曲である。
 アダージョの弦五部のゆっくりした静かな序奏に始まり、ターフェルがこのオーケストラの伴奏で厳かに真面目な表情で歌っていた。二回目の繰り返しではゆっくりと感情を込めて声高らかに歌い、三度目の繰り返しでは深い悲しみをこみ上げるように表情を変えて歌って、最後にはアッデイオを小さな声で呟くように三度繰り返していた。


   このコンサートでは、続いてワグナーの「さまよえるオランダ人」の序曲を演奏してから、ターフェルがタンホイザーから「夕星の歌」を実に朗々と歌っていた。ターフェルはワグナーのアリアを歌ってから、アンコールとしてにわか覚えの日本語で挨拶をし、親しみやすいウエールズの民謡を歌っていた。彼の人柄と人気の高さを表す一場面であると思った。また、休憩後のコンサートでは、プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」組曲から演奏していたが、若々しい元気な張りのある迫力一杯の音を聞かせていた。

 コンサートでソリストがオペラの中の有名なアリアを歌うことは多いが、モーツアルトのコンサートアリアを続けて歌うことは極めて稀であり、恐らくソリストはモーツアルトの曲を得意として研究を重ねた結果、自分のコンサートとしての効果を考えた上での公演であろうと思われる。このようなコンサートが珍しく二つも収録出来たことは喜ばしいことであり、今後、この二人の歌手を注目して見守って行きたいと思う。

(以上)(08/11/06)


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