7-9-6、コンサートアリアによる愛の物語(オンブラ・フェリーチェ)、ヘルマン演出ラングレ指揮オーケストル・ドウ・ピカルデイ、−−全18曲総括編−−

制作;国際モーツアルト財団、2000年、(モンペリアOP、シャンゼリゼ劇場、リーユOPの共同製作)
出演者;シンデイア・ジーテン(S)、エルツビエタ・スツミッカ(S)、ヴェロニカ・カンジェミ(S)、ナタリー・シュトウツマン(A)、ヤン・ブロン(T)、ヴォイテク・ドラホヴィッツ(Br)、(オペラ・コメデイ・ドウ・モンペリエ収録、

7-9-6、コンサートアリアによる愛の物語(オンブラ・フェリーチェ)、ヘルマン演出ラングレ指揮オーケストル・ドウ・ピカルデイ、 

制作;国際モーツアルト財団、2000年、(モンペリアOP、シャンゼリゼ劇場、リーユOPの共同製作)
出演者;ジーテン(S)、スッミッカ(S)、カンジェミ(S)、シュトウツマン(A)、ヤン・ブロン(T)、ドラホヴィッツ(Br)、
(オペラ・コメデイ・ドウ・モンペリエ収録、CS736CH、S-VHSテープでデジタル録画)


演奏プログラムの目次(演奏順)(出典;属 啓成著「モーツアルト」歌曲編による)
1、K.23、ソプラノのアリア「いつでも忠実に」、シュトウツマン(A)、
2、K.217、ソプラノのアリア「あなたは誠実な心の持ち主」、カンジェミ(S)、
3、K.441、三重唱「ねえあなた、リボンはどこ?」、カンジェミ(S)、ヤン・ブロン(T)、ドラホヴィッツ(Br)、
4、K.419、ソプラノのアリア「いえいえ、あなたには無理なこと」、ジーテン(S)、
5、K.255、アルト、レチタテイーフとアリア「幸いの亡霊よ」、「別れの時が来た」、シュトウツマン(A)、
6、K.272、ソプラノ、レチタテイーフとアリア「あ、予感がしていた」、「あ、あなたはもう見たくない」、カンジェミ(S)、
7、K.432(421a)、バス、レチタテイーフとアリア「あなたはかくも裏切った」、「激しい後悔が」、ドラホヴィッツ(Br)、
8、K.369、ソプラノ、レチタテイーフとアリア「あわれな私、ここは何処!」、「あ、これを語るのは、私でない」、カンジェミ(S)、
9、K.431(425b)、テノール、レチタテイーフとアリア「あわれ、お、夢か、うつつか」、「あたりに吹くそよ風よ」、ヤン・ブロン(T)、
10、K.316(300b)、ソプラノ、レチタテイーフとアリア「テッサリアの民よ」、「私は求めない永遠の神々よ」、ジーテン(S)、
11、K.612、バス、アリア、「この美しい手に」、シュトウツマン(A)、
12、−−−、四声のカノン、全員参加。
13、K.256、テノール、ブッフォ・アリア「クラリーチェは、いとしのわが妻に」、ヤン・ブロン(T)、
14、K.583、ソプラノ、アリア「私は行く、だがどこえ?」、スッミッカ(S)、
15、K.295a、ソプラノ、レチタテイーフとアリア「もう沢山、あなたの勝ちだ」、「あ、私を捨てないで」、ジーテン(S)、
16、K.513、バス、アリア「娘よ、お前との別れに際し」、ドラホヴィッツ(Br)、
17、K.374、ソプラノ、レチタテイーフとアリア「あ、来たれわが胸に」、「天はいま、あなたを私に」、カンジェミ(S)、
18、K.621a(K.Anh245)、バス、アリア「私は別れていく、お、いとしき人よ、さらば」、シュトウツマン(A)、

 9月号の第6曲として紹介する「コンサートアリアによる世にも不思議な愛の物語(オンブラ・フェリーチェ)」は、これまで3度に分けて報告してきたが、とても面白いモーツアルトのコンサートアリアのライブ演奏であり、不明であった3名のソプラノ歌手の名も写真により特定できたので、改めて修文の上、見やすく全体を再編成したものである。制作は何と国際モーツアルト財団とされる2000年の最新作であり、実際の製作はモンペリアOP、シャンゼリゼ劇場、リーユOPの共同製作となっている。ヘルマン演出、レクレア監督、ラングレ指揮オーケストル・ドウ・ピカルデイの演奏によるオペラ・コメデイ・ドウ・モンペリエで収録されたものである。


 

 モーツアルトのコンサートアリアは、オペラのアリアの代替曲または挿入曲として独立したコンサート用に作曲されたものが多いが、その中から「恋の問題」、「愛の物語」を主題にしたアリアを、レチタチーボ付きで18曲選定されている。当然のことながら各曲はそれぞれ独立しており、相互に物語としての関係はないが、4人のソプラノ、テナーとバスの6人が各曲の登場人物として小さな舞台に入れ替わり登場し、簡単な寸劇を行いつつアリアを歌う面白い趣向であり、各曲の進め方にフランスものらしい道化役を活用した意表をつく独特の工夫がある。短いコンサートアリアの台詞の内容を理解して、連続して聴くことは至難の技であるが、この映像では歌う主人公の立場を衣裳などで明確にし、相手役や取り巻きを登場させて原曲をいじらずに、オペラのようにうまく歌わせることに成功している。

 コンサートアリアは有名な曲以外は殆ど馴染みがないので、どの曲が歌われたか注意深く聴かなければ分からないので、多くはレチタチーボの冒頭部分の言葉からどの曲かを推測する必要がある。K.272、K.316、K.612など素晴らしい曲やカノンや「リボンはどこ?」K.441など面白い曲が含まれており、聴く機会が極めて少ないコンサートアリアのライブ映像として実に貴重なものと言えよう。しかし、個々のアリアの演奏の水準は必ずしも十分とは言えないものがあったり、またレチタチーボの字幕は出るものの、やはり手元に解説書がなければ画像だけでは理解するのが難しいという難解さがつきまとう。

 この映像は、パリのメトロの電車からの風景が映し出され、次いでこのオペラ演奏を収録したシャンゼリゼ劇場が写される。そして各アリアの繋ぎ役として活躍するお婆ちゃんの道化役が写される。彼女はパリの舞台ではよく見かける役者であったが、舞台では現役として繋ぎ役の少年役の二役を演じており、少年役の出来映えを心配そうに見守っていた。舞台では何かがもう既に始まっており、少年が「恋の物語をやろう」と大声で叫んでいた。舞台の袖には、6人の歌手が3組のアヴェックのペアに別れて何かを囁いており、舞台上には二人の恋人たちが登場し音楽が始まっていた。


1、K.23、ソプラノアリア「いつでも忠実に」;シュトウツマン(A)

  弦五部の柔らかな音の前奏が開始され、女役のマンダーネが恋人に対しアンダンテで「いつまでも忠実であり、私がここに残って、心配していることを忘れないで、」と別れの言葉を囁いており、「せめて時々は、私のことを思い出してくれ、」と切なそうに繰り返し歌っていた。やがて、中間部に入り短調になり場面が変わってから、「私は自分の愛の力で、自分の心の中で、お前とはいつも語り合っているだろうから」とリズムとトーンを早めに変えて歌い、再び前奏と共にアンダンテに戻って、同じ言葉がダ・カーポされて歌われていた。
  歌詞は、メタスタージオのオペラ「アルタセルセ」から取られたもので、舞台の場面はアルタセルセの妹マンダーネが、恋人のアルヴァーチェに対して別れのつらさを切々と歌う場面であった。1766年の大旅行の帰路ハーグで作曲されたという。ここでは、ソプラノの替わりにアルトのシュトウツマンが歌っており、辛い別れに際して苦しげな表情を見せながらしっかりと歌っていた。





2、K.217、ソプラノアリア「あなたは誠実な心の持ち主」カンジェミ(S)

   ここで再び少年がひとしきり活躍してから、第二曲が、主役のソプラノ娘がテノール君をからかっているような仕草で始まっていた。アリアは二つの主題を三度繰り返していくロンド形式のような形であり、始めにアンダンテイーノ・グラチオーソのメヌエット風の3拍子で、主役の女性ドリーナが、余り好きでない求婚者をからかうように「あなたは誠実な人、熱心な求愛者、私の夫になる人、でも心が変わらないかしら、本当を言って」と語りかけるように歌っていた。そしてアレグロで次の主題が「忠実を守るとは思えない、きっと私を騙すのよ、今からとは言わないけれど、信用はできないの」と手厳しく、コロラチュアで華やかに歌う。そして、この二つの主題は交互に繰り返して歌われるが、その都度長さも形も変形されて、劇的な様相を深めながら進行し、ソプラノ娘が終わりには勝利するように歌うブッファ的な明るいアリアであった。カンジェミは、オペラの舞台のように伸び伸び歌っており、演奏会とは違う良さが発揮されていた。
  歌詞は、ガルッピ作曲のオペラ「ドリーナの結婚」への挿入曲であり、ゴルドーニの台詞から取られている。1775年のザルツブルグでの作とされ、主人公ドリーナが、召使いと庭師の両方から求婚され、自分の揺れ動く気持ちを歌ったものである。


3、K.441、三重唱「ねえあなた、リボンはどこ?」;カンジェミ、ヤン・ブロン、ドラホヴィッツ、

 舞台ではリボンの三重唱の前奏がオーケストラで始まっており、三人の女性が登場し歌いながら何かを探していた。そこへソプラノ(コンスタンツエ)、テノール(モーツアルト)、バリトン(ジャカン)の三人が歌いながら、ふざけ合いながら、リボンを探し始めた。本来ならこれが三重唱で終わりまで続くのであるが、この舞台では大勢の人が仮面を付けて登場し、歌いながらぐるぐると這いずり回りながら、リボンを探し出している。やがて「リボンが見つかった」という声と共に、全員が仮面のまま立ち上がり、喜び合って歓声を上げていた。三重唱がここではいつの間にか合唱曲になって賑やかに楽しく歌われていた。 

 新婚後間もない1783年頃の作と考えられており、モーツアルト夫妻と親友ジャカンとの愉快な日常生活の一コマを映し出した、自作の歌詞に作曲した即興的な冗談音楽の一種であるとされる。



 


4、K.419、ソプラノアリア「いえ、いえ、あなたには無理なこと」;ジーテン(S)、

 舞台では直ちに第4曲目のアリアが「いえ、いえ、いえ」と開始されていた。ソプラノ嬢がバリトン氏を相手にヒステリックにアレグロで歌っている。そして「あなたには無理なこと。あなたには礼儀や尊敬は望めません」と続けてハイソプラノで激しく怒りながら、相手を非難していた。
 やがて後半に入ると、アレグロ・アッサイに変わり、「帰ってください。そんないやな人は嫌いです。あなたのためにため息をしていたのに」と怒りに燃えながら、コロラチューラを生かしながら、連続して強いトーンで相手を攻撃していた。

 この曲は、1783年6月に、K.418とともにアロイジアのために作曲された曲で、テキストは両曲ともアンフォッシのオペラ「あつかましい好奇」から取られ、ランゲ婦人用に書き換えたものとされる。場面は侯爵の忠実な新妻のクロリンダが、伯爵に誘惑されそうになって激しく伯爵を非難するアリアである。初演ではこの曲はアンコールされており、アロイジアの声にピッタリであったとされ、高い音は第3線のホ音を示している。 ジーテンはアロイジア用の曲をすべて歌っており、オペラの舞台のようにしっかりと歌っていた。


5、K.255、アルト、レチタテイーフとアリア「幸せな亡霊よ」、「別れの時が来た」;シュトウツマン(A)、

 子供の道化が再び舞台で活躍してから、前奏とともに「幸せな亡霊よ」と、アルトのシュトウツマンの長いレチタテイーボが始まる。曲は、ロンド形式のアリアで、アンダンテのロンド主題「別れの時が来た。これが最後の別れかも、お、愛しい人よ」とゆったりと美しく歌われる。次いでアレグロ・アッサイの副主題が「正義の神よ、誰がこの過酷な苦痛を予期したであろう」とせき込んで歌われ、この二つの主題が交互に変化を加えながら反復され循環していく。別れの辛い気持ちを歌った厳しいアリアである。

 この曲は、1776年9月にイタリアのアルトのカストラート、フォルテイーニのために作曲されたとされる。テキストはモルテラーリのオペラ「アルサーチェ」から取られたもので、曲の内容は、アルサーチェ将軍が国王によって捉えられた許婚の美女セレーナとの別れの辛さを歌う悲惨なアリアである。モーツアルトの唯一のアルトのための曲である。






6、K.272、ソプラノのレチタテイーフとアリア「あ、予感がしていた」;スツミツカ(S)、

 プラーハからザルツブルグに来て滞在していたヨゼファ・ドシェク夫人のために1788年8月に作曲されたモーツアルトのコンサートアリアの会心の作と言われる。
 パイジェッロのオペラ「アンドロメダ」から取られ、アンドロメダが自ら死を選んで、レーテ河の彼岸で死に行く愛人を待とうとするつらい心情を歌っている。弦の暗示的な前奏の後、アレグロで胸の裂けるような思いを歌う早いせりふのアリアが続き、長いレチタチーボの後に、ピッチカートとオーボエで導かれる中間部のアンダンテイーノがとても美しい。この映像では、レーテ河を「ああ、渡らないで、」と絶唱するあたりが真に迫っており、この難しいアリアを理解する上で、貴重な存在であると思われる。 スザンナ・パミーナ・ドンナアンナなどを得意とするポーランド生まれのスツミツカは、余力を持ってこの名作に箔をつけていた。

  7、K.432(421a)、バス、レチタテイーフとアリア「あなたはかくも裏切った」、「激しい後悔が」;ドラホヴィッツ(Br)、

 舞台ではバリトンのドラホヴィッツがアレグロで独り言のレチタテーボを「あなたはかくも裏切った。何と愚かなことか」と歌い始める。
 場面は陰謀の首謀者である王の腹心のセバステが、愛する王女ロッサーネの裏切りを怒って歌うもので、計画の失敗を嘆き、逃れる術もない不運を嘆くレチタテーボである。続くアリアはアレグロで、「激しい後悔が、私の過失がもとで溢れてくる。おお神よ、なぜ今になって私の心をこれほど苦しめるのですか」と後悔と怒りに満ちた激情のアリアで、三連音符による弦の伴奏音形が、セバステの不安な心理を表しており、アレグロの早口で激しく歌われていた。






8、K.369、ソプラノ、レチタテイーフとアリア「あわれな私、ここは何処!」、「あ、これを語るのは、私でない」;カンジェミ(S)、

 前曲が終わると直ちにオーケストラの悲しげな伴奏が始まり、続けてレチタテーボが「あわれな私、ここは何処!」と歌われていた。

 場面は、メタスタジオの「エチオ」から取られたフルヴィアのアリアであり、彼女は愛人のエチオの死を悲しみ、父にあるその罪をかわすため、最後の解決策として自分の命を絶とうとする追いつめられた絶望の気持ちを歌うものである。アリアは、アンダンテ・ソステヌートで、フルヴィアが全ての望みを失った心境で、「あ、これを語るのは、私でない」と切々と歌われる。そして後半からテンポがアレグロになり、「過酷にも天は、私の苦悩に思いやりがない。」と自分の不幸を早口で嘆いていた。 

 このアリアは、1781年3月にイドメネオ作曲のためにミュンヘン滞在中に書かれており、イドメネオ上演のため世話になった選帝侯の愛妾バウムガルテン伯夫人のために作られた。彼女がアマチュアのソプラノ歌手であったため、その能力に合わせて、かなり易しく書かれていると言われる。カンジェミは楽々と、このアリアをこなしているように見受けられた。


9、K.431(425b)、テノール、レチタテイーフとアリア「あわれ、お、夢か、うつつか」、「あたりに吹くそよ風よ」;ヤン・ブロン(T)、

 この曲は、1783年12月にウイーンで作曲され、同月22日と23日に宮廷劇場で開催された退職音楽家協会の慈善演奏会で、「後宮」のベルモンテ役を歌ったアダムベルガーが演奏したという記録がある。このプログラムでは「ロンドー」と記されており、また父宛の手紙にも同じ表現があるが、この曲は形式的に見てロンドとは言えず、この時歌われた曲がこの作品と断定する根拠にはならないようである。

 このレチタテイーフとアリアのテキストは、どのオペラから取られたか、誰の作詞かなどは不明である。その内容は、愛人と別れて死に向かう絶望的な男が、陰惨な下界に達して、亡霊どもに地獄の門を開けろと歌うものである。
 レチタテイーボでは、哀れな私、これは夢を見ているのか現実か、自分はただ一人、いよいよここで果てるのかと嘆き、地獄の扉を開けよと叫ぶ。これに続くアリアでは、 「あたりに吹くそよ風よ、わが愛しい人にこの溜息を届けてくれ」とアンダンテ・ソステヌートで歌う。後半部は、アレグロ・アッサイになって感情は高まりを見せ、絶望感と悲痛さを増して「まわりの無数の亡霊とその声が私を悩ませる。何たる恐怖。何たる残忍な運命か」とその恐怖を歌っていた。 
 テノールのヤン・ブロンは、絶望的な心境をレチタテーボで歌い、ゆっくりしたテンポで「この溜息を届けてくれ」と強く歌い、終わりに速いテンポで助けを求めるようにこの不気味な激しい曲を歌っていた。


 


10、K.316(300b)、ソプラノのレチタテイーフとアリア「テッサリアの民よ」;ジーテン(S)、

 パリ旅行中にアロイジアのために書かれたコロラチュアの技巧が必要な曲として特に有名である。曲はグルックのオペラ「アルチェステ」の序章第二場から取られ、国王アドメドの重病に身代わりの生け贄になろうと決意する王妃アルチェステの絶望的な心情を歌うものである。

 赤い衣と冠をまとった王妃が数人の取り巻きを従えて、自分の気持ちを告白する長いレチタテイーボの後、アンダンテイーノのアリアが歌われるが、この部分のオーボエとファゴットのオブリガートが印象に残る。ソプラノの声に応えるようにオーボエが伴奏し、ファゴットも加わって、声と木管がからんで見事な調和をみせる。やがて最後のアレグロでコロラチューラのアリアが続き、ジーテンはかなり余裕を持って歌っていたが、最高音の第三線のト音が2度出てくる箇所では、ジーテンは映像では精一杯のやや苦しげな歌い方であった。それにしても10代の若かったアロイジアの声は素晴らしく、モーツアルトを驚喜させたに違いない。


11、K.612、バスアリア、「この美しい手に」;シュトウツマン(A)、

 この曲から第二部に入り、アリアの前にコントラバス君が遅れて登場すると言うユーモラスなコンサート進行上の寸劇が入りびっくりする。この曲は、コントラバスのオブリガート付きのバスアリアで、「魔笛」のザラストロ役であったゲールとコントラバスの名手だったビシュルベルガーのために作曲されている。アリアの内容は、愛の告白であって、前半のアンダンテでは、この美しい手に愛を誓うと歌い、後半のアレグロでは、喜んでいるのか、その顔をこちらに向けてくれと歌う。しかし、コントラバスの伴奏といい、音楽の内容といい、ユーモアに溢れたパロデイ的な遊びの要素が入った曲である。このライブでは、バスの替わりにアルトが歌っているほか、コントラバス奏者はピエロの衣裳を着て弾いており、かなりくだけた演奏となっていた。




12、−−−、4声のカノン、(おならのカノン?);全員参加、

 舞台では、続いて何やら面白そうな寸劇が始まっていた。指揮者がいないので大騒ぎをしており、何やらカノン風の歌を歌いながら、順番にコントラバス君のお腹をさすっており、楽器で妙な音が鳴り大笑いしていた。曲名が分からないので、ここで勝手に「おならのカノン?」と名ずけてみた。モーツアルトもこの種の悪ふざけをしていたようなので、勘弁してくれるであろう。 


13、K.256、テノール、ブッフォ・アリア「クラリーチェは、いとしのわが妻に」;ヤン・ブロン(T)、

 続けてテノールのためのブッフォ・アリアがもう1曲。1776年9月ザルツブルグでテノール歌手パルミーニのために作曲された。ピッチーニ作曲のブッフォ・オペラに挿入するために書かれたとされる。
 筋のあらましは、守銭奴のテイモテオの息子レアンドロは、園丁の娘ラウリンダを愛し、彼女の兄ファッチエンダ大尉はレアンドロの妹クラリーチェに求愛している。このアリアは、大尉がクラリーチェの父テイモテオに、自分の学識教養を吹聴し、未来の妻クラリーチェの美点を途方もない能弁の早口でまくし立てるアリアである。始めに大尉は、「クラリーチェは、いとしのわが妻になる人、それは...」と立て板に水の調子でしゃべりまくるので、たまりかねたテイモテオが「もっとゆっくり」とレチタテイーボで頼むが、彼は構わず、相変わらずの能弁を続ける。
 旋律らしい旋律もなく、ただ自分の格好良いところを威勢良く見せたい一心の典型的なブッファ・アリアであり、ヤン・ブロンは見事にこの早口のアリアをこなしていた。





14、K.583、ソプラノ、アリア「私は行く、だがどこえ?」スツミツカ(S)、

 この曲は、1789年10月にウイーンで、ソレールのオペラ「情け深い無骨者」の挿入曲として作曲されたもので、「コシ」のドラベラを歌ったルイーズ・ヴィエヌーヴのために、前曲のK.582とともに書かれている。テキストの作者は、ダ・ポンテとされている。

  アリアの内容は、ルチラ夫人の夫ジョコンドは日頃機嫌が悪く、その原因は彼の仕事が上手くいかない悩みにあった。彼は債権者たちから厳しく責められて、気まぐれで無骨男の叔父に助けを求めようとするが、ルチラはその事情を知り、夫を不幸に追い込んだ責任が自分にもあったことを感じて、その苦悩を訴えるものである。

 曲は始めに絶望感を持ったアレグロで、早足で「私は行く、だがどこえ?」と歌われていくが、後半にはアンダンテ・ソステヌートに変わり、悲しみに満ちた沈痛さを持って、「私から迷いを取り去ってください」と祈るように歌われた。ソプラノ歌手スツミツカの堂々たる歌いぶりが目立っていた。


15、K.295a、ソプラノ、レチタテイーフとアリア「もう沢山、あなたの勝ちだ」、「あ、私を捨てないで」;ジーテン(S)、

 この曲は、1778年2月にマンハイムにおける3曲のアリアの最後の曲で、マンハイムのフルート奏者ヴェントリンクの妻ドロテアの求めに応じて書かれたとされる。歌詞はメタスタジオの「捨てられたデイドーネ」の第二幕第四場から取られているが、これを選んだのも夫人とされる。手紙では、このアリアの叙情豊かな美しさに、夫人は驚喜していたと書かれている。 

 レチタテイーボでは、デイドーネが、自分はこれほど愛しているのに、それを裏切って自分を捨てることがどうしてできようかと嘆き、さらにアリアのアンダンテイーノでは、「あ、私を捨てないで、わが愛しいあなた」と歌われ、中間で4小節の短いレチタテーボで「あ、私を捨てないで」を反復して、アリアが再現していく。アロイジアの曲を得意とするハイソプラノ歌手のジーデンが歌っているが、彼女には容易に歌える曲に見えた。





16、K.513、バス、アリア「娘よ、お前との別れに際し」;ドラホヴィッツ(Br)、

 私は日本モーツアルト協会からこの曲のK番号を頂いているが、良い曲なのにCDはまだ4種類しか持っていない。演奏機会が少なく、勿論、映像は今回が初めてであるので、極めて関心があった。

 この曲は、親友のバス歌手ジャカンのために作曲しており、原曲はパイジエロのオペラ「ダリオの敗北」から取られている。アリアの前半のラルゲットの部分は、弦の細やかな前奏の後で、娘とのかなしい別れに際しての切々たる感情を歌っている。後半のアレグロではクラリネットに導かれ、激しい心の動きを見せながら「私は行く、さらば」を繰り返し盛り上がりをみせて終わる。映像の男性歌手ドラホヴィッツは、バスと言うよりバリトンに近いので、この曲に合っていたと思われるが、最近聴いたハンプソンのような切れがなく、残念に思った。


17、K.374、ソプラノ、レチタテイーフとアリア「あ、来たれわが胸に」、「天はいま、あなたを私に」;カンジェミ(S)、

このソプラノのためのアリアは、1781年4月にザルツブルグの大司教コロレド伯の本家(ウイーン)でブルネッテイの演奏によるK.373とK.379(いずれもヴァイオリンの曲)とともに演奏されたとされる。このアリアは、ザルツブルグの宮廷歌手のカストラートのチェッカレリの声に合わせて作曲され、本人により初演されたが、同夜の演奏でアンコールされたことが父宛の手紙で書かれている。

 このアリアのテキストは、ジョバンニ・デ・ガメラのリブレットによるパイジェッロのオペラ「蒙古のシスマノ」の第三幕第七場のテキストと一致している。蒙古の皇帝シファーチェとペルシャ王シスマノとの戦いで、シファーチェが勝利をおさめて凱旋する。待っていた愛人のゼミーラにそれを告げれば、彼女はそれは過ぎた苦しみと今再会の喜びをこのアリアで答えるものである。 

 このアリアはロンド形式で書かれており、ロンド主題は「天はいま、あなたを私に返してくださる。」と歌われ、前後3回現れ、穏やかで叙情性を持ったアリアである。ソプラノ歌手はヴェロニカ・カンジェミであり、カストラートの曲と思えない音域の幅が大きくない曲であった。




18、K.621a(K.Anh245)バス、アリア「私は別れていく、お、いとしき人よ、さらば」;シュトウツマン(A)、

 自筆作品目録に記載されていないので、真作かどうか疑義のある作品である。しかし、現存する自筆譜は全体としてモーツアルトのもので、コンスタンツエの証言と異なっている点にも問題がある。この曲は1791年9月に「テイト」の初演に訪れたプラハで書かれ、ウイーンに帰る直前に、別れを惜しんで短い時間に書き上げたものとされており、別れの曲として演奏される機会が多く、ここでも最後の別れの曲として使われている。 

 この曲は、アリエッタともカヴァテイーナとも呼ばれる短い小さなアリアで、作詞者は不明であるが、その内容は、愛人と別れなければならない辛さを歌ったものである。 アリアはアダージオで、「私は別れていく、お、いとしき人よ、さらば」と歌われ、全体をもう一度繰り返してから、「アッデイオ、アッデイオ」で繰り返して終わる。感傷的で単純な中で、深い叙情を訴える曲である。
 ここでは、始めに道化役のピアノと歌による前奏があり、その後アルトのシュトウツマンがオーケストラの伴奏で厳かに歌っており、このコンサートアリア集の最後を飾る「アッデイオ」の、きめ細かく情感のこもった歌となっていた。


 この映像は、演奏機会に恵まれないコンサートアリアを、巧みに取り上げてあたかもオペラを見聞きするように演出されたもので、このコンサートの企画立案には大変な苦労があったものと推察する。また、この様な面白い企画が、フランスで上演されたと言うことにも特徴があり、深刻な内容をもつアリアを少しでも面白く一般向けするように、劇の進行などを楽しくする工夫が、至る所で試みられていた。沢山の曲の間に、パリのメトロの乗車風景が映し出されていたが、これも劇中の固苦しい状況から現実に引き戻すための演出上の配慮であろう。しかし、この映像では効果があったと思われるが、実際のライブの舞台ではどのように扱われたのかは分からない。
 以上は私なりの独断に満ちたこの映像の印象記であるが、とにかく類例のない珍しい作品であるので、余り売れないかも知れないがDVDなどで発売され、多くの方々の評価を得ることを期待したい。

(以上)(07/08/30)


目次5にもどる 目次4にもどる
目次3にもどる 目次2にもどる
目次1にもどる 私の新ホームページへ




名称未設定