7-9-5、モーツアルト生誕250年「Mozart 22 DVDシリーズ(その15)」、
オペラ・ブッファ「ラ・フィンタ・センプリチェ(みてくれの馬鹿娘)」K.51(46a)、ホーフシュテッター指揮、カメラータ・ザルツブルグ、06年8月20〜27日、ザルツブルグ音楽祭、

−ホーフシュテッター指揮のカメラータ・ザルツブルグの演奏は、生き生きとした序曲の勢いが全曲に漲って素晴らしく、語り部を使ってテンポの速い現代感覚の舞台を創出した演出者ならびにハルテリウスほかの歌手陣の努力に敬意を表したい−


7-9-5、モーツアルト生誕250年「Mozart 22 DVDシリーズ(その15)」、
オペラ・ブッファ「ラ・フィンタ・センプリチェ(みてくれの馬鹿娘)」K.51(46a)、ホーフシュテッター指揮、カメラータ・ザルツブルグ、 06年8月20〜27日、ザルツブルグ音楽祭、

(配役)●ロジーナ;マリン・ハルテリウス、●ドン・カッサンドロ;ヨーゼフ・ヴァーグナー、●ドン・ポリドーロ;マテイアス・クリンク、●ジアチンタ;マリーナ・コンバラート、●フラカッソ;ジェレミー・オヴェンデン、●シモーネ;ミリェンコ・トウルク、
(07年3月21日、ユニバーサルGRAMMOPHON DVD-UCBG-1199、市販DVD使用)

 このDVDによるオペラ・ブッファ「ラ・フィンタ・センプリチェ(みてくれの馬鹿娘)」K.51(46a)は、ザルツブルグ音楽祭において、三夜にわたり「彷徨(IRRFAHRTEN)」と題されたシリーズのうちの第1夜”彷徨機匹箸靴鴇絮蕕気譴拭これらの3夜全体を通してヨアヒム・シュレーマーが演出し、オーケストラ・ピットには3夜ともホーフシュテッター指揮のカメラータ・ザルツブルグが演奏した一貫性のある構成となっている。一見して、オリジナルの設定にない語り役が登場したり、上演全体が現代人の感覚に合うようドラマを動かしているようであったが、初めて映像化されるこのオペラが、分かり易く納得できるものになっているかどうか気になるところであった。

 この「見てくれのばか娘」を上演するに当たっては、この風変わりで舞台例の無い物語を現代にも通用する劇としてどう捉えるかが問題であろうが、演出家のシュレーマーは、台本を読み変えたり解体する方向を取らず、視覚的にフレッシュな現代的音楽パフォーマンスに変身させようとした。そのための演出上の工夫として、ドイツ語による語り役を創出して、イタリア語の難解なレチタテーボを最小限にしたほか、最後の大団円において新しい重要な役割を与えていた。また、第一幕と第二幕のフィナーレの前の重要でない2曲を削除したり、ダ・カーポを省略したりして、CDでは3枚2時間45分のブッファをおよそ2時間の1枚のDVDに納めている。さらに、「見てくれのばか娘」であり真面目なロジーナの二重のあり方を視覚化するため、ダンサーが演ずる「陰のロジーナ」で愚かな女を演じさせたりしていたが、果たして十分な効果を上げたかどうか評価が分かれるところであろうと思われた。



 アレグロの威勢の良い軽快な序曲で開始されたが、この序曲はアンダンテ・アレグロと続く堂々たるシンフォニーであった。アンダンテに入ると、原作にはないドイツ語による語り役を演ずる俳優が動き出しており、フィナーレのアレグロに入ると、二組の恋人たち、フラカッソとジアチンタ、シモーネとニネッタの4人を舞台上に連れ出していた。そして、序曲に続いてこの4人が「恋とは素敵なもの」と若さと自由を讃える明るい第一曲の四重唱が軽快に歌われていた。そこで語り部は早速、4人の紹介を始めた。フラカッソはクレモナに駐在するハンガリー部隊の隊長、シモーネは部下の軍曹で、二人はクレモナのケチな資産家兄弟カッサンドロとポリドーロの城館に寄宿している。また、女性コンビのジアチンタは、この兄弟の妹であり、ニネッタはその小間使いであった。軽快な語り部の口調と4人の恋人たちの表情などから、これから何が始まるかわくわくする始まりのセレモニーの四重唱であった。(原作のレチタテイーボでは、長々としてこうはいかない筈である。)



 二組の恋人たちは、この城館の主として君臨するカッサンドロが、彼らの結婚を認めないだろうと考えて、フラカッソは秘かに姉のロジーナに加勢してもらおうと作戦を練っていた。「自由と結婚、どちらが望みなの?」との語り部の質問には、自由こそ最高が彼らの答えで、結婚に対しては、シモーネは第2曲で「妻をもらうのは面倒だ」と歌い、ジャチンタは第3曲で「夫は欲しいのよ、でも苦労なしでね」と歌い、贅沢なことを言っている。2曲とも軽快で陽気なブッフォ的前奏を持ったアリアでとても楽しい。
 女嫌いの城館主のカッサンドロが登場し、結婚などまっぴらと第4曲「この世には女しかいない」を歌うが、フラカッソの姉ロジーナが来るというので非常に心配であった。一方、フラカッソは、第5曲「女の顔を見てごらん」と、女性を前にすると男はその魅力に抵抗できなくなると、男の弱さを歌っていた。そこへ主人公のハンガリーの男爵令嬢ロジーナが登場し第6曲を歌う。彼女の役割は、単純素朴な女−「見てくれのばか娘」−を装って城館の兄弟の心を掴み、二組の恋人たちが結婚できるようにすることだった。弟のポリドーロが彼女をのぞき見して直ぐ一目惚れし、第7曲を歌ってロジーナの魅力の虜になっていた。彼は恋をしたがっていたが、兄の圧力に屈して40歳に近いのに、女に近づけない哀れな男であるが、このアリアには喜劇的な伴奏がつき、この駄目男に歌わせるに十分な実に楽しいアリアであった。



   次いで兄のカッサンドロもロジーナの魅力に驚くが、ロジーナが媚びを売って巻き上げようとした高価な指輪を断って、第8曲のアリア「彼女は欲しがっているが、私はやらない」と歌って頑張っていた。その様子にロジーナは、意志の固い芯のあるカッサンドロの方に好意を覚えて第9曲を歌うが、この美しいアリアを歌うロジーナには、彼女の内面の心の中を演ずる影の女が付きまとい、真面目なロジーナとの二重性を現していた。第一幕のフィナーレでは、二組の恋人たちとロジーナ組と、カッサンドロ・ポリドーロ組との対立がはっきりしてくるが、ロジーナからお愛想を言われて気をよくしたカッサンドロが思わずロジーナに指輪を渡してしまった。この宝物を見失なわないように見張っておくために、カッサンドロが全員を食事に招待したところで長い第一幕が終了した。



 第二幕が始まると、レチタテイーボのフォルテピアノの伴奏音が賑やかになり、ニネッタとシモーネの恋人たちが、言い争いをしている。ニネッタにとっては大食せず酒も飲まず、妻の言うがままの夫が良いと第12番のアリアを歌うが、一方のシモーネは、お返しとばかりに第13番のアリア「人によっては鞭が必要なのさ」と妻を厳しく躾けたいと歌っていた。ジアチンタは、「もし私に結婚する夫が来たら」繋ぎ止めて放さないと第14番のアリアを歌うと、まだロジーナを諦めていないポリドーロもジアチンタに同調する。
 一方、ロジーナは二人の兄弟を相手にしたたかな素振りを見せていたが、内面では恋愛によって傷つく不安を隠せない純情な娘でもあり、その想いを第15番のアリア「キュウピットたちよ」で歌っていた。このアリアは、このオペラの最高のアリアであると思われ、長い髪のロジーナのコロラチューラの清純な歌に合わせて、一方では長い髪で裸体を隠しながら傷つきやすい乙女心を演じていた影の娘の姿があった。その大胆な演出には驚かされたが、繰り返し見なければ、演出者の意図が理解できない突飛なものと思われた。



 続いて舞台は、カッサンドロが酔っぱらって酒臭い姿を見せ、第16番のアリアを歌うが、指輪を取り戻したい考えは忘れていない。弟のポリドーロがロジーナと一緒にハンガリーに行きたいので財産を分けてくれと言い出したので、カッサンドロは激高し兄弟喧嘩となった。二人にどちらをと尋ねられたロジーナは、兄弟の両方を夫にしたいと言い立て、カッサンドロに馬鹿な女と言われ、泣き出してしまう有様。ここで、ブッファ的伴奏のポリドーロが歌った第17番のアリア「いとしい花嫁よ」が、おどけていて面白かった。
 ロジーナはオーケストラの伴奏で、カッサンドロにパントマイムで身振りだけの対話をするが、ちんぷんかんぷんのカッサンドロは酔いも手伝って、とうとう眠り込んでしまった。ロジーナは眠った彼の指に指輪を返し、二人をからかって、恋人は一人だけでは満足できないと第18番のアリアで女心を歌った。そして誰かいないかとばかりに客席を歩いて、大袈裟に名刺を配ってばか娘の振りをしていた。
カッサンドロは馬鹿な姿のロジーナを見て、馬鹿な弟とは似合いのカップルかもしれぬが、自分は違うぞとばかりに、ロジーナが指輪を奪ったと騒いでいた。そこへフラカッソが登場し、カッサンドロの手に指輪があるのを見つけて、何たる非礼とばかりに決闘を申し込む。カッサンドロは指輪があれば満足で決闘などはとんでもないとして、二人で第19番の決闘の二重唱となった。舞台では、歌と影絵やスライドなどで二人の喧嘩が始まり、ステージ上の近代的な映像技術の面白さを見せていた。



 場面は変わって、フラカッソはシモーネに、今夜ジアチンタとニネッタを連れて、ここを逃れようとかねての計画を打ち明けた所で、第21番の第二幕のフィナーレが始まる。ポリドーロはまだロジーナと一緒にハンガリーに行くため自分の財産を分けよとカッサンドロに要求した。ロジーナに確かめると、彼女は二人の両方に気を持たせ、二人を翻弄してはっきりさせない。そこにフラカッソが現れ、妹のジアチンタが一家の有り金を全部持って姿を隠したと報告する。また、シモーネも駆けつけて、ニネッタも金目のものを集めて逃亡したと告げる。動転した兄弟に対し、何としても見つけ出すという二人に、兄のカッサンドロは、彼女たちを見つけたものに結婚を許すと約束してしまう。どうやら恋人たちの企みは成功に向かいだし、大騒ぎの合唱の中で第二幕が終了した。このフィナーレの最後に歌われた五重唱は、このオペラのクライマックスとも言える盛り上がりを持った盛大なものであった。





 第三幕では、カッサンドロとの約束で結婚がもう決まった積もりになって、始めにシモーネとニネッタの「結婚しよう」という二つのアリアが甘く歌われるが、二人の考えが少し噛み合わず、いさかいをしていた。また、ジアチンタは「もし兄さんが私を見つけたら」大変なことになると激しくアレグロの第24番のアリアを歌うが、フラカッソが任せておけとばかり元気づけ、得意げにアレグロの第25番のアリアを歌って、彼女を安心させ、最後のフィナーレが始まる。





 この第三幕のフィナーレは素晴らしく、まるで小「フィガロ」のフィナーレが始まっているように見えた。二重唱から三重唱に始まって、別の四重唱も始まり、最後には7重唱になって見事な4組のカップルが誕生して、お祝いの見事なフィナーレとなった。  この最後のフィナーレが始まっても、ロジーナは兄弟に向かって二人の両方と結婚をしたいと駄々をこね、馬鹿な娘の振りをする。しかし、途中で三拍子のテンポになりロジーナはポリドーロと二人で美しい二重唱を歌い出しこれで決まったかに思わせて、手を出すと兄のカッサンドロとしっかり握手をしていた。三重唱となって馬鹿な弟はまだ信じられないと泣き出していたが、そこでテンポが変わって、「さあ、結婚式だ」と4人の恋人たちが駆けつけて四重唱が始まる。そして兄のカサンドロを見つけると、妹のジアチンタが、「お兄さんごめんなさい。これも愛のせいです。」と謝り、ニネッタも「ご主人様、ごめんなさい」と盗んだ振りをしたことを謝ると、ロジーナを得たカッサンドロはご機嫌で全員を快く許していた。人の良い弟のポリドーロだけが残されたと思っていたら、皆に当てつけられていた語り部が「私と結婚しない」と誘うと、直ぐにOKとなったが、これはリブレットにない演出上の機転であり、かくして4組のカップルがここに目出度く誕生した。カッサンドロは、善良な見てくれのばか娘、ロジーナ万歳を歌い、全員が喜び合って大団円となった。



 以上がこのオペラの概要であるが、冗長で余分な話にも曲を付けざるを得なかった12歳の幼少な作曲家には気の毒なリブレットであった。しかし、すでにブッファの生き生きしたオペラ作りの片鱗を見せつけており、最後のフィナーレでは「フィガロ」を思わせるような重唱の妙と赦しの世界が開けていたことに初めて気が付いた。これは映像で舞台を確認して初めて理解できることで、CDの音だけの世界では捉えきれないことであろうと思われる。冗長なリブレットを2曲の削除のみに止め、語り部を使ってレチタテイーボを最小限とした演出者の工夫と努力には敬意を表する。アリアの大半を生かしたため、リブレットのせいでストーリーが右往左往して見る方が大変であったが、これはそれぞれの音楽が素晴らしく魅力的で、カットがどうしてもできなかったものと推察する。この点でM. ホーフシュテッター指揮のカメラータ・ザルツブルグの演奏は、序曲の勢いが全曲に漲っており素晴らしかった。(CDのL.ハーガー指揮モーツアルテウム・ザルツブルグの演奏の一連の初期オペラ集は、歌手陣は未だ魅力的であるが、演奏スタイル面では過去のものとなったと思われる。)



 ザルツブルグのレジデンツ内の仮設舞台であったため、舞台は狭かったが立体的な構造が得られ、白赤の照明や動くスライド画などの映像装置活用など新しい舞台感覚が得られ、若い出演者や現代的な衣裳によりわれわれの感覚に合った生き生きした舞台活動が得られていた。内面の心を演じた影の女は、アイデアとしては面白いが、説明がなければ理解できぬ不自然な存在であったと私には思われた。初めて舞台を見るオペラとしては、CDとは比較にならぬ予想を上回る作品の内容があり、それを現実に舞台上で確認が出来たので、ファンとしては大きな喜びがあり、演出者など関係者にはお礼を申し上げたい。終わりに、このオペラは9月号としてアップする予定であったが、内容把握のため繰り返しチェックが必要だったことと、私事ではあるが9月末で退職をしたため行事が多くて時間がなく、アップが大幅に遅れてしまったことをお詫びしたい。

(以上)(07/10/05)


目次5にもどる 目次4にもどる
目次3にもどる 目次2にもどる
目次1にもどる 私の新ホームページへ

名称未設定