7-8-4、モーツアルト生誕250年「Mozart 22 DVDシリーズ(その13)」
宗教劇「救われたベトウーリア」K.118(74c)、クリストフ・ポッペン指揮、ミュンヘン室内管弦楽団、ウイーン国立歌劇場合唱団、06年8月18日ザルツブルグ音楽祭、

−オラトリオの性格を重視した演奏会形式の舞台であったが、15歳時の創作とは思えぬ起伏の激しい劇作品であり、成功した初映像により、この曲への理解が深まった−

7-8-4、モーツアルト生誕250年「Mozart 22 DVDシリーズ(その13)」
宗教劇「救われたベトウーリア」K.118(74c)、クリストフ・ポッペン指揮、ミュンヘン室内管弦楽団、ウイーン国立歌劇場合唱団、 06年8月18日ザルツブルグ音楽祭、

(配役)●オツイーア;ジェレミー・オヴェンデン、●ジュデイエッタ;マリヤナ・ミヤノヴィチ、●アミタール;ユリア・クライター、●アキオール;フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ、●カーブリ;イレーナ・ベスバロヴァイテ、●カルミ;ジェニファー・ジョンストン、
(07年3月21日、ユニバーサルGRAMMOPHON DVD-UCBG-1194/5、市販のDVD使用) 

 8月号の第4曲目は、モーツアルト生誕250年の「Mozart 22 DVDシリーズ」からの第13曲目の宗教劇「救われたベトウーリア」K.118(74c)の映像であり、クリストフ・ポッペン指揮、ミュンヘン室内管弦楽団およびウイーン国立歌劇場合唱団による演奏である。全22曲のシリーズの中でこの曲だけが、理由はよく分からないが、06年8月18日に1日限りの演奏会形式の形で上演されたものであり、そのためこの映像はライブ中のライブとも言える貴重な映像となっている。この曲のCD録音はいまだ数組しかなく、映像はこれが初めてのものである。私はこの曲の演奏会形式での演奏を06年2月にプラハで見たことがあるが、この時はレチタテイーボをナレーターが現地語で解説する方式であって、あらすじは分かっていても、内容まではとても理解できなかった。この映像では、全てが日本語の字幕で出る初めてのものなので、とても楽しみにしていた。





 全16曲のアリアと合唱は、当時のイタリアのオラトリオの伝統に従って二部に別れ、各曲の前には劇の進行がレチタテイーボで語られるが、コロラチューラの多い華麗なアリアや、アリアの前奏や伴奏などの充実した管弦楽などはオペラ的であった。しかし、得意なアンサンブルがなく、合唱曲を重視しており、祈りの部分がある信仰的なアリアには弦楽だけの伴奏にしたり、何よりも主役のジュデイエッタにアルトの声域を与えていることなどは十分にオラトリオ的な要素が強いと考えても良かろう。このようなこの曲独自の性格を考慮してか、今回の舞台は演奏会形式のスタイルでの上演となったようであるが、衣裳は付けられていたし、意図的に行われた歌手たちのいくつかの入退場によって、劇作品としての奥行きのある雰囲気が多少とも醸し出されたように思われた。
 フェルゼンライトシューレの幅広い階段状の舞台に、小規模なオーケストラが横に、合唱団が階段を利用して縦に並び、ソリストの椅子が前方に並んでいた。指揮者のクリストフ・ポッペンが入場して直ちに、威勢良く序曲がアレグロで軽快に始まる。しかし、ニ短調であり早いテンポで重々しさが付きまとうが、特徴ある聴き馴染んだ旋律であった。やがて中間部の暗い沈んだアンダンテに入り、終わりはコーダ的なプレストになって急速に終結した。イタリア風の短い序曲であるが、不安な様子を保った緊張感が溢れた曲であった。




   始めにベトウーリアの首長オツイーアが、レチタテイーボで「ベトウーリアの民よ」と呼び掛け、アッシリア軍によって包囲され悲惨な苦しい状況を説明する。そして長い序奏の後に第1曲「あらゆる罪の中で」敵よりも怖いのは、必要以上に恐れすぎて神への信仰心が揺らぐことだと述べ、信仰と愛と希望の三つが我らを救うと高らかに歌う。華麗なソロにコンチェルタントな伴奏で、カデンツアまで用意されていた。カーブリ族の首長とイスラエルの貴婦人アミタールが敵の将軍ホロフェルネスが全ての井戸を占領し、ベトウーリアから水を絶とうとしていることを述べ、カーブリが第2曲「これほど多くのことが」迫っているが、屈しないで勇気を持とうと力強くト短調のアリアを歌う。また、貴婦人アミタールは母としての苦しみを訴え、オツイーアに対して第3曲「あなたには心がないのです」と責め、アッシリアと話し合い、乾きで苦しむよりも降伏をと迫っていた。



 首長オツイーアは、待て、5日間だけ一緒に神に祈りを捧げてくれと諭し、第4曲合唱付きアリアでオツイーアが「主よ、あなたがお怒りなら」敵を罰して下さいと祈り、合唱団も市民の祈りとして歌って、ソロと合唱が三度、繰り返された。ピッチカート付きの伴奏で敬虔なソロを歌い上げ、続いて合唱もこの最も有名な曲を復唱して、最後には城門を開くしかないと祈っていた。
 そこへマナッセの寡婦ジュデイエッタが喪服姿で登場し、神への信仰が揺らいでいること、街を明け渡す話があることに驚き、第5曲「肥沃な川の流域も」信仰が薄れ暴挙に走れば、作物が育たないと、激しい口調でゆっくりとアリアを歌った。街の救出のために一計がありそうであったので、オツイーアは日暮れに城門で待つように告げ、再び合唱付きアリアが繰り返されていた。



 そこへ族長カルミがホロフェルネスの盟友であり異教徒のアンモン人の首長アキオールを連れてくる。アキオールはホロフェルネスにべトウーリアの住民の信仰心が強いので陥落しないと進言したため、敵将の怒りに触れ追放されたのであった。彼は第7曲のバスアリア「恐ろしい風貌に」加え、粗野で高慢なホロフェルネスは、自分が神だと自負して傲慢になっていると歌っていた。オツイーアがアキオールの身の安全を確約したところへ、ジュデイエッタが美しく着飾った明るい姿で現れ、日が沈むので城門を開けてくれと、第8曲のアリア「私は行きます。武器も持たずに」と歌い出す。アレグロの決意に満ちた堂々たるアリアで、中間部のアダージオでは、心の中では勝利を得ると聞こえていると歌っていた。オツイーアは、神が彼女に霊感を与えてくれたのだと城門を開けた。第9番の合唱で、民衆はジュリエッタの決意に驚くが、無謀には見えない姿には希望を与えてくれると成功への祈りを込めて歌い、第一部の終わりとなった。



 第二部では、オツイーアと異教徒のアキオールとが神について議論しており、オツイーアが第10曲のアリアで「もしあなたが神を見たいなら」この世のすべての物に見ることが出来ると歌い、これに対してアキオールは、イスラエルの神を崇拝こそすれ、唯一の神に対する信仰など理解できないと告白していた。そこへアミタールが登場し、状況は悪くなっているが、この静けさはどうしたのか、不吉な前触れでないかと心配し、第11番のアリア「ひどい嵐の中で」船長が黙るのは、難破が近いからだと、心配して歌っていた。コロラチューラのアリアで中間部のアンダンテでは、病人の呻きが止まるのは死の前兆であるとも歌っていた。舞台は次第に高まりを見せ、彼女のコロラチューラの歌唱力には、客席からブラボーが出ていた。




 そこで「武器を取れ、城門を調べよ」と言う騒ぎが突然起こり、ジュデイエッタが現れた。霊感を得た身には怖さはなかったと語り、ホロフェルネスを自分で殺したことを告げた。アッシリアの番兵に直ぐ捕まった彼女は、ホロフェルネスの前に差し出され、隊長たちにも囲まれて夕食を共にした。ワインを沢山のみ、夜も更けて隊長たちも一人ずつ帰り、飲み疲れたホロフェルネスと二人になるのを待ち、寝込んでしまったところを見計らって、「さあ、今です、イスラエルの神よ」と祈りながら、傍にあった剣で彼の首を撥ね、その首を見つからぬように証拠として持ち帰ったのであった。長い告白のレチタテイーボの後に、美しい前奏に続いて歌った第12番のアリアでは、アレグロで「恐ろしい所から」晴れやかな所に戻った囚人には、陽の光に目を閉じると歌い、3拍子のアンダンテに変わった中間部では「陽光よ、再び照らして、元気づけ給え」と歌い、力強くダ・カーポしていた。






 アキオールは、打ち落とされた首をホロフェルネスのものと認め、奇跡だと驚き、今までの神を捨て、イスラエルの神への信仰を誓い、第13番のアリア「限りない能力の持ち主よ」私はあなただけを敬いますと歌って誓っていた。続いてアミタールが始めの第3番で神への不信を歌ったことを詫び、第14番アリア「ひどく卑怯な罪で」この魂は、あなたを冒涜しました。どうか主よ、お慈悲をと、信仰の足りなかったことへの許しを願っていた。そこへ、首長カルミが登場し、アッシリアの兵がホロフェルネスの死を知り、敵陣ではパニックが生じて、互いに殺し合い敗走していると伝え、第15番「恐ろしい夜の中から」を歌って、味方が勝利したことを報告した。

 オツイーア、アミタール、カーブリ、アキオールが一人一人、ジュデイエッタの勇気と行動を誉め称えるが、彼女は「十分です。私は神の手先になっただけ」と神にこそ感謝すべきと、謝意のすべてを拒絶していた。フィナーレは第18番がジュデイエッタのソロで始まり、続いて「偉大な神を讃えよう」と大合唱が始まる。このジュデイエッタのソロと喜びの合唱が三回繰り返されるうちに次第に盛り上がり、「ベトウーリアは解放された」、「勇気を出せ」、「傲慢こそ大罪だ」と勝利を喜び讃えながらこの大規模なオラトリアは終結した。







 15歳の作品とは思われない大曲の堂々たるオラトリオであり、現代にも通づる起伏の激しい映像が記録として残された。中でも3曲の大きなアリアを歌ったジュデイエッタのミヤノヴィチの劇的な歌唱力や豊かなアルトの表現力には敬意を表したいと思った。また、同じく3曲のアリアを歌ったソプラノのアミタールのユリア・クライターも地味ではあるがしっかりと全体を支えていた。彼女がアーノンクールと来日し、レクイエムを歌った(7-2-1)ことをご存じであろうか。オツイーア役のオヴェンデンは、代役で登場したというがそれ以上の活躍をしていた。モーツアルトの初期の劇作品は、カストラートの時代でもあって、女性役が多くCDではリブレットを見ても区別が付かないというもどかしさがあったが、映像によって主役の様子が分り、字幕によって言葉が確認できると、理解力は格段と高まり、アリアへの関心が全く異なってくる。この「救われたベトウーリア」を含む初出のDVDの効果は、予想以上のものがあった。改めて内容を知ってから、古いCDを聴き直すことを楽しみにしていたが、終わりに、ピーター・マークとパドウヴァのCD(1991)が、思い切った遅いテンポで非常に迫力に満ちた熱演をしていたことをご報告しておこう。

(以上)(07/08/16)


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