7-6-3、クラシカジャパン「モーツアルトのある毎日」第11回、
レヴィンとホグウッドのピアノ協奏曲第15番変ロ長調K.450(1997)、レヴァインのピアノとウイーン・ベルリンアンサンブルのピアノ5重奏曲変ホ長調K.452(1986)、パウル・グルダのピアノとカメラータ・アカデミカのピアノ協奏曲第17番ト長調K.453(1999)、

−今回取り上げた三曲は、レヴィン、レヴァイン、パウル・グルダの三者三様のピアニストの独壇場の曲であり、彼のウイーン初期の最も活力ある時期の作品でもあって、ピアノの内容もいわば彼の真髄と言っても良いほどの活きの良さが現れていた−

7-6-3、クラシカジャパン「モーツアルトのある毎日」第11回、
レヴィンとホグウッドのピアノ協奏曲第15番変ロ長調K.450(1997)、レヴァインのピアノとウイーン・ベルリンアンサンブルのピアノ5重奏曲変ホ長調K.452(1986)、パウル・グルダのピアノとカメラータ・アカデミカのピアノ協奏曲第17番ト長調K.453(1999)、

(06年08月23&24日、クラシカジャパンCS736の放送を、D-VHSレコーダーのLS-3モードで、S-VHSテープにデジタル録画。)


  6月号の第三番目の7-6-3は、やや盛り沢山ではあったが、私の大好きな3曲のピアノ曲をお届けする。始めは、このHP初出のピアノ協奏曲第15番変ロ長調K.450をレヴィンのフォルテピアノとホグウッド・エインシャント室内楽団の演奏である。これは1997年のモーツアルト週間における素晴らしい演奏である。第二曲目は、これもこのHP初出のモーツアルトが父宛の手紙で会心の作と自賛したピアノ5重奏曲変ホ長調K.452をピアニストでもあるレヴァインのピアノとウイーン・ベルリンアンサンブルと称する木管アンサンブルで演奏したものである。第三曲目は、フリードリッヒ・グルダの長男であるパウル・グルダのピアノとカメラータ・アカデミカのピアノ協奏曲第17番ト長調K.453をお届けする。これはグルダが99年にモーツアルト週間に初登場したときの記録であり、選曲も良く、大変な人気であった。



 ピアノ協奏曲第15番変ロ長調K.450をロバート・レヴィンのフォルテピアノとホグウッドが指揮するエインシャント室内楽団による古楽器の演奏である。これは1997年のモーツアルト週間における一連の素晴らしい演奏であり、この年にはピアノ協奏曲第5番K.175第26番「戴冠式」K.537コンチェルトロンドK.382などをこのコンビで演奏し、いずれもこのHPに収録済みであった。
 管楽器の合奏により開始される第一主題が弦楽器と一緒になって行進曲風のリズムで、心地よい躍動するようなテンポ感で進み思わず惹き付けられる。よく見るとフォルテピアノのレヴィンも合奏に参加しており、続いて第二主題もオーケストラにより提示され、オーボエやホルンにより装飾され、弦に渡されていた。やがて独奏ピアノが華やかに登場しソロ・パートとして印象ずけてから、フォルテピアノが中心になって各主題を再呈示していくが、フォルテピアノと木管や弦楽器との絡みが美しく賑やかであった。カデンツアはレヴィンのオリジナルであった。



   第二楽章は、弦で優しい歌のような主題で始まり、フォルテピアノが繰り返し、お互いに再度主題提示を行うが、これが変奏曲の提示部のアンダンテであり、直ちにフォルテピアノが装飾音符を絡めた第一変奏が始まっていた。次いで左手で分散和音を、右手で力強く主題を弾く第二変奏が続き、弦と木管が加わってピアノと共に変奏を行ってから、第三変奏に入り、その後半にはフォルテピアノにオーボエのソロと低弦のピッチカートが入って賑やかな盛り上がりを見せていた。
 第三楽章は、野原を駆け回るような軽快なロンド主題が飛び出し、フォルテピアノでも再現されて楽しげに進み、新しい主題が次から次へとピアノとオーケストラが提示していく。中間部の木管とフォルテピアノとのアンサンブルの繰り返しが喩えようもなく美しく、後半の長大なピアノのカデンツアが入って見応えがあった。最後のロンド主題の終わりにファンファーレ風のパッセージがフォルテピアノで力強く示され、フルートやオーボエが続いて見事な盛り上がりで終結した。
  私はこの曲は、ブレンデルのピアノによる堂々とした骨太の演奏が好きであったが、この古楽器グループによるきめ細かな歯切れ良い軽快なフォルテピアノとオーケストラを聴いて、まるで別の曲を聴いているような感じを受け、この調子なら私の大事な変ホ長調の第14番K.449も、是非、このコンビでお願いしたいと思った。

  第2曲目は、指揮者ジェームズ・レヴァインのクラヴィーアとウイーン・ベルリンアンサンブルの木管のための5重奏曲変ホ長調K.452である。演奏者はファゴットがミラン・トルコヴィッチ、クラリネットがカール・ライスター、ホルンがギュンター・ヘーグナー、オーボエがハンスイエルク・シェレンベルガーというウイーンフイルとベルリンフイルのトップ奏者達で、モーツアルト週間の常連であった。ザルツブルグのヘルブルン宮殿の一室で著名な演出家ジャン・ピエール・ポネルの監修で収録されており、画面が古いのでやや暗いが音質も映像も演出も優れたものであった。特に、舞台を前にしたコンサートの演奏と異なり、映像のためにピアノを前に出し、ピアノを取り囲むように管楽器の4人が位置しており、背景の繪も古さを感じさせ、趣のあるものであった。



 管楽合奏とピアノとが交互に重々しい和音を奏でる重厚なラルゴの序奏でピアノと管楽器群がひとしきり歌い上げてから、ピアノがアレグロの第一主題を明るく提示し、続いてオーボエが歌い出し、入れ替わり立ち替わりピアノと木管が交互に主題を展開させていく。第二主題もピアノと木管群が交互に応答しあって主題を進め、ピアノの技巧的な楽句が挿入されて素晴らしい第一楽章をかたち作る。かってモーツアルトが父に自慢したこの曲の意味が良く分かり、さらにこの曲の前後のピアノ協奏曲に管楽器がいかに重用されてきたかに思い当たると、この曲の一見孤立した存在が不思議でなくなった。
 第二楽章もオーボエで始まり、ピアノが引き継ぎ、合奏で締めくくる長い主題を、今度は楽器を代わる代わる交代させて反復され、やがてはピアノのアルペッジョに伴奏されて管楽器が交互に交代して演奏する部分がとりわけ美しい。展開部の後半にホルンが豊かに提示する主題に乗せてピアノが愁いに満ちた主題を響かせる部分も何とも美しく、実に豊かな楽想に満ちた素晴らしい曲だと思わざるを得ない。
 フィナーレは一転して華やかに飛ぶようなロンド主題がピアノにより始められ、実に軽快に楽しく進行する。ABACBAにカデンツアという順序で華やかに進むが、最後の全楽器で歌われるカデンツアが面白い。このカデンツアは、長大すぎて映像でじっくり見るまでは、その存在に余り気が付かなかった。



 このように色々な楽器がソロで競い合うように登場する五重奏曲は、映像で見ると実に楽しく、これは絵を見るような素晴らしい本格的な映像であると言わざるを得ない。序奏もあって作りも大曲的な構成であり、管楽器の優れた取り扱いは、その後のピアノ協奏曲に十分反映されている。この曲は突如として生まれたのでなく、その前にウイーンに来てからの3曲のセレナード類で技巧が養われ、ピアノ協奏曲へと橋渡しする中間の産物のように見える。ベートーヴェンにも同じ構成の曲があるが、彼もウイーンに出てきてこの曲の存在に気が付いたのであろう。

 第三曲目は、フリードリッヒ・グルダの長男であるパウル・グルダのピアノとザルツブルグのカメラータ・アカデミカによるピアノ協奏曲第17番ト長調K.453である。コンサートマスターは、このホームページでもセレナードなどでお馴染みのヤニチェックである。この映像は息子パウル・グルダが99年にモーツアルト週間に初登場したときの記録であり、画面を見ていると、彼がオーケストラや観衆にとても好かれていることが一目で分かる雰囲気を持っていた。選曲も彼に良くあった曲であり、彼が照れたような表情で不慣れな指揮をする様子も若々しく、新鮮な印象を伝えるものであった。



 この曲は、第一楽章はアレグロで始まるソナタ形式であるが、第二・第三楽章は、とても自由な雰囲気を持った変奏曲形式であり、フルートやオーボエなどの管楽器が特に活躍し、ピアノとの対話が実に美しいと言う特徴を持っている。これは今回自筆作品目録の第2番K.450、第4番K.452、第5番K.453とK番号順に聴いてきたのでよく分かるのであるが、これら全ての曲に共通でこれ以降の協奏曲などにも管楽器の活躍は影響を与えている。
 息子のグルダは、チョッキ姿の自由なスタイルで、若いのに親父に似て額はかなり廣くなっており、彼の指揮ぶりもまたピアノの弾き方も自由奔放であり、これは映像ソフトでなければ気づかないものと思われる。

  第一楽章は、オーケストラによる流麗な第一主題で型どおりに始まるが、直ぐにフルートやオーボエのソロや合奏が続き、これが絶妙な橋渡しとなって、第二主題に繋がる。やがてピアノが登場し第一主題を原型のまま弾き進むが、グルダのピアノの音が実にクリアで新鮮である。そして続く第二主題のオーボエやフルートとピアノとの対話が実に美しく繰り返し現れる。長い展開部では新しいモチーブが提起されるがピアノが中心になって力強く展開され、ピアノのアルペッジョがさざ波のように聞こえ印象的。カデンツアはモーツアルト作のもので変化はなかったが、グルダの弾き方が優しく穏やかで、まさに和やかな雰囲気の響きを聴かせていた。
  第二楽章は序奏のようにオーケストラで短い第一主題が提示され、続いて突然にオーボエとフルートが第二主題を歌い出しファゴットも加わって幻想的な雰囲気を醸し出す。これらの主題が変奏されて5回現れることになるが、独奏ピアノが主導したり、フルートとオーボエが中心となったり、独奏ピアノとオーケストラと木管の三つ巴が静かに主題を再現したりする。グルダの独奏ピアノが呟くように変奏を行い、カデンツアも組み込まれて清澄な世界を造り上げる。


  フィナーレはオーケストラで鳥の囀るような軽快な主題で始まり、パパゲーノのアリアを思わせ、威勢の良い独奏ピアノに引き継がれていく。この主題はモーツアルトが飼っていたムクドリの歌声の中から聞き取った旋律とされ、良く聴くとこの楽章は、この主題をテーマにした自由な変奏曲のスタイルである。第三変奏では、オーボエとフルートの活躍が目ざましく、ムクドリの鳴き声を模倣しているという。速いテンポのピアノとオーケストラや木管が複雑に絡み合って明るく華やかに推移し、フィナーレと書かれたプレストでは実に賑やかに躍動的に盛り上がっていた。グルダのピアノの音は明瞭で常に明るく、オーケストラの中心にあってしっかりと存在感を示していた。

  曲が終わっても満員の聴衆の拍手は止まず、何回か挨拶をした後に、コンサートマスターと相談し、一人でソロのアンコールをすることになった。ラヴェル作曲の「ハイドンの名によるメヌエット」と言う曲であったが、この曲は彼らしい情感を持った人をくったようなところのある面白いセンス溢れる曲であった。
  今回取り上げた三曲は、レヴィン、レヴァイン、パウル・グルダの三者三様のピアニストの独壇場の曲であり、モーツアルトの中期の最も活力ある時期の作品でもあって、ピアノの内容もいわば彼の真髄と言っても良いほどの活きの良さを示していた。そのため、この7-6-3の作成作業は実に楽しい作業となった。なお、今回のアップ作業で気が付いたのであるが、ピアノ協奏曲第16番ニ長調K.451だけが不思議と映像記録がなく、私のデータベースから除かれることになる。どなたかこの曲K.451の映像ソフトをお持ちの方はおられれないだろうか。 (以上)(07/06/16)


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