7-4-5、モーツアルト生誕250年「Mozart 22 DVDシリーズ(その8)」
「ポントの王ミトリダーテ」K.87、ミンコフスキー指揮、レ・ミュジシャン・デユ・ルーブル−グルノーブル、ギュンター・クレーマー演出、2006年ザルツブルグ音楽祭、

−現地ライブではミンコフスキーの素晴らしい音楽に比べてクレーマーの演出が奇抜であったが、DVDを繰り返して見て納得。エンデイングにさらに工夫が望まれる−

7-4-5、モーツアルト生誕250年「Mozart 22 DVDシリーズ(その8)」
「ポントの王ミトリダーテ」K.87、ミンコフスキー指揮、レ・ミュジシャン・デユ・ルーブル−グルノーブル、ギュンター・クレーマー演出、2006年ザルツブルグ音楽祭、

(配役)ミトリダーテ;リチャード・クロフト、アスパージャ;ネッタ・オーア、シーファレ;ミア・ペールソン、ファルナーチェ;ベジャン・メータ(CT)、イズメーネ;インゲラ・ブリーン、マルツイオ;コリン・リー、アルバーテ;バスカル・ベルタン(CT)
(07年3月21日発売、ユニバーサルDECCA DVD-UCBD-1055/6、市販のDVD使用)


 7-4-5では、モーツアルト生誕250年「Mozart 22 DVDシリーズ(その8)」として、 モーツアルトが第1回イタリア旅行で大成功を収めたオペラ・セリア「ポントの王ミトリダーテ」K.87をお届けする。ミンコフスキーが指揮し、グルノーブルの古楽器グループであるレ・ミュジシャン・デユ・ルーブルの演奏によるもので、ギュンター・クレーマーが超モダンな演出を試みて話題を呼んだオペラである。実は、私はこのオペラを 05年の夏のザルツブルグ音楽祭で見ており、既にその現地での印象をご報告しているのであるが、ミンコフスキーの素晴らしい音楽に比べて演出が奇抜で不明なところが多かったので、新しいDVDを繰り返して見て、早くその内容を確かめたいと楽しみにしていたものである。

 この舞台のライブを見た当初からの疑問は、冒頭の序曲で金髪のカツラに赤い上着を着たロココ風の青年たちが次から次へと舞台セットに登場してから、階下にずり落ちてしまうシーンがあり、強烈な印象が残った。この赤い制服の青年たちは最終場面でも並んで姿を見せていた。また、舞台をよく見ると、一階と二階を使っており、舞台の上部に大きな鏡面板があって、一・二階の壁裏が鏡により中央に映し出されていた。一階の正面の舞台は、登場人物の数だけ出入り口があり、狭い横長の舞台では、登場人物たちはアリアを歌っても下がらずに、常時舞台に残って何かを演技していた。レジデンツホーフの中の臨時仮設スタジオで、狭いながらもいろいろな舞台の工夫が行われていた。
 また、演奏や演技の上でも、3幕ものが中休みや時間の都合で2幕にされていたし、細かく見るとアリアやレチタテイーボの省略や入れ替えが多かったようであるし、終盤のエンデイングについても分かりずらいと考えていた。さらに舞台の作りが奇抜なので、進め方も想像を超えるものがあって、英語の字幕しか当てになるものがなかったので、DVDを見るのが実に楽しみであった。



 ミンコフスキーがオーケストラボックスに足早に登場して会釈をし、直ちにアレグロの軽快な序曲が始まったが、舞台の上部では金髪のカツラに白い入れ目をした赤い上着のロココ風の背の高い青年たちが一人ずつ、次から次へと舞台セットに登場して整列していた。そしてアンダンテに入ると彼らは一斉に壁にぶら下がり力尽きたものから、少しずつずり落ちてしまう様子が、不思議な鏡面で映し出されていた。一方の正面の舞台では第1場の4人の主役の二組のカップルが、赤い服を着て登場していた。そしてプレストに入ると、鏡面の様子では彼らが曲に合わせてメチャクチャに踊りまくっていたし、舞台でもその4人が赤い服を脱いで大騒ぎしていた。何とも奇想天外な不思議なふざけた始まりで、見る方は驚いてあっけにとられていたのが実感であった。これは一体何を意図するのだろうか。序曲での寸劇なので、演奏者側が観客に知らせたい重要なメッセージがあるのであろうと思った。



 その答えは見た人それぞれの感じ方であろうが、観客に強烈な印象を与えていたので、何かがある筈である。青年たちが舞台を去るときに一様にお尻をマクって退散していたので、「このオペラは、大人のモーツアルトが10人以上束になって作ろうとしても、14歳の少年には歯が立たないぞ」と大ふざけで、ミンコフスキーと演出者クレーマーが言いたかったのだろうと私は想像する。これはライブを見て、このDVDを改めて見て考えた上での私の感慨である。このDVDをご覧になって、皆さんはどう感じられたであろうか。恐らく何回も見なければ、この高度な謎解きは出来ないであろうと思われる。



   序曲が終わると場面はニンフェア市の広場であるが、正面舞台には横長の衝立が置かれ、「ミトリダーテは死んだ」と大きな字のイタリア語で落書きがしてあった。舞台には、長男のファルナーチェと許婚のイズメーネ、次男のシーファレと、父の婚約者アスパージャが登場している(イズメーネが最初から登場するのはこの演出のみである)。赤い服から黒の喪服になったアスパージャが第1曲のアリアで、「私の魂を脅かす運命から」解放させてくれとコロラチューラで歌い、自分に言い寄るファルナーチェから守って欲しいとシーファレに頼んでいた。アスパージャが好きなシーファレはこの依頼を嬉しく思い、第2曲のアリア「僕の心は静かに耐える」を歌うが、二人の恋敵の兄弟はついにはつかみ合いの喧嘩になってしまう。そこにカウンターテナーの総督アルバーテが来て、ミトリダーテ王が生きて戻ってきたという。さあ大変。アスパージャは父の婚約者だけに、三人が三様のあわて方となり、複雑な人間模様が映し出される。この人間関係の葛藤を描くのが、この演出の狙いであろう。

 

 場は王宮の中、シーファレを愛するアスパージャは、帰還したミトリダーテ王に対する許婚の約束を思うと胸が病み、第4曲のアリア「心は悲しみに震えています」を歌う。ファルナーチェは、衝立の落書きを「ミトリダーテは生きている」と書き直し、父の帰還を阻もうと弟に持ちかけ、第6曲のアリア「厳格な父よ」を歌うが、弟は父に忠実にありたいと反対する。しかし、アスパージャを巡る互いの秘密は隠そうと二人は約束した。ここで威勢のいいテインパニーとともに第7曲の行進曲がゆっくりと進行し、ミトリダーテが傷つきながらも帰還し、全員の前に立った。するとアダージョ・マエストーソの堂々たる序奏(交響曲第37番ト長調K.444の冒頭)が鳴り響く。この曲はオリジナルにはなく、どうしてこの曲がと不思議に思ったが、流れには合っており面白い。そして第8曲のカヴァータ「もし月桂冠で頭を飾り」を堂々と歌い上げて、国王の威厳を示していた。
 再度、序奏が鳴り響き、ミトリダーテが不在の間の二人の息子の行動を尋ねると、アルバーチェは、正直に、ファルナーチェが父を裏切ってアスパージャに言い寄ったことと、シーファレは父に忠実であったことを報告する。ここでミトリダーテは伴奏付きレチタテイーボで「これでほっと出来るぞ」と一息入れ、第10番のアリア「叛逆した忘恩の息子よ」とファルナーチェに対する怒りを爆発させる。ここで第一幕は終わりであるが、この演奏では第二幕に続けて入っている。



 ファルナーチェの許婚であるイズメーネは、ファルナーチェを愛しており、第9曲のアリア「私が愛の炎を燃やした方の前では」を歌って、この男の冷たい態度に疑いを募らせている。ファルナーチェはイズメーネに自分の愛は消え失せていることを告げ、口争いになって、第11番のアリア「行って私の過ち明かし」と歌っていた。ミトリダーテが現れ、自分も同じ気持ちだとイズメーネに同情し、ファルナーチェとアスパージャが通じ合っているとシーファレに告げる。
 シーファレがアスパージャと二人きりになって、本当に兄を愛しているのかと問うと、彼女は自分が愛しているのは、シーファレであると告白する。しかし、二人は互いに愛し合っていても、自分たちの義務と本分を守って愛を諦め分かれなければならないと決意する。そしてシーファレは有名な別れの第13番のアリア「愛しい人よ、君から遠く離れて」を歌う。このアリアは、自分も彼女を愛していたが故に、告白されたことを苦しみ、二人は別れて合わないようにしようという決意の悲しい歌で、ホルンのオブリガートが哀調を帯びて美しく響き、ホルン伴奏のカアデンツアも見事で、終わると凄い拍手と声が掛かった。アスパージャも義務と愛のはざまで激しく気持ちが揺れて、苦しみながら第14番のアリア「ひどい苦しみの中で」を歌い、多数の拍手を浴びていた。



 舞台では大勢の兵士たちが集合し作戦会議が始まる。ミトリダーテは二人の息子を前にしてローマ侵攻を提案するが、ファルナーチェが無謀と反対しローマとの和平を求めた。そこで、ミトリダーテは、使者として来ていたローマの護民官マルツイオを追い返し、ファルナーチェを逮捕してしまう。ファルナーチェは第16番のアリア「私は罪人です。過ちを認めましょう」と歌って自分の罪を認め、お返しにアスパージャの愛を得たのはシーファレであると暴露する。アスパージャはミトリダーテに問いつめられてシーファレへの愛を告白したため、ミトリダーテは大いに怒り、第17番のアリア「もう哀れみなど持たぬぞ」と歌い、二人に復讐を誓って、休憩となりDVDの第一面は終了する。



 舞台は6人の主役がボックスの中に収まっている。右端のシーファレが隣のアスパージャに父と結婚するよう勧めるが、彼女はあんな残酷な人とは結婚できないと拒み、結局二人はともに死のうと覚悟をする。そこで美しい前奏が始まり、第18曲の二人の愛の二重唱「もし私が生きるべきではないなら」がシーファレのソロで始まり、アスパージャのソロが綿々と続いて、二人のソプラノの二重唱となり、最後のカデンツアも二人で劇的に歌われて万雷の歓声と拍手を浴びていた。この二人の姿を二階でミトリダーテが斧を持って見ており、激怒してシーファレも兄と同罪だと糾弾する。するとイズメーネが王の心情を察して、自分も裏切られたが復讐はしないと、第15番のアリア「どれほどあなたが心を痛めているか知っています」と歌って、王を慰めた。アスパージャも自分の命に代えてもシーファレを許してやって欲しいと懇願した。ミトリダーテはいっそう怒り出すが、そこへアルバーテが現れ、ローマ軍が来襲して味方は敗走中だと告げる。



 ミトリダーテは急いで出陣をきめ、第20番のアリア「私は最後の運命に立ち向かって行こう」と歌い出し、過酷な運命との対決を覚悟するが、この歌は厳しい声を要求する激しいアリアであった。この最中に、王の闘争心を象徴する手に持った斧が舞台中央の台の上に突き立てられ、ファルナーチェ、シーファレ、アスパージャの三人は手を互いに縛られ目隠しをさせられる。そしてアスパージャに対しては、自分よりも先に死ぬことになろうと、死を宣告して、毒杯を手渡す。アスパージャは恐れおののきつつ、第21番のレチタテイーボとアリア「思った通りになってしまった」を歌い毒杯を飲もうとするが、シーファレが毒杯を奪って飲ませない。そして第22番のアリア「情け容赦ない運命が過酷に」と歌って、出陣を決意し父への忠誠を必死に示そうとした。そこへ、拘束されているファルナーチェの耳に、支援を約束するローマの使者マルツイオの声が聞こえてきた。しかし、父上は?と迷うファルナーチェ。再びマルツイオの声が聞こえてくると、ファルナーチェは悔悟の念で一杯になり、今や王座もアスパージャも捨ててローマ軍と戦う決心をした。そして第24番のアリア「もう目の前のヴェールが取り去られた」を歌った。これを聞いてミトリダーテはファルナーチェの目隠しと両手の縄を外し、抱擁をして彼を許した。





 場面が変わって、戦場に出陣し重傷を負ったミトリダーテが倒れている。そして、闘いに負けたのでなく、自らの手で勝利者として死ぬのだといい、ファルナーチェを喜んで許し、お前に私の愛情を譲ると満足げに目をつぶる。ミトリダーテは死んだ。場面は舞台中央に戻って、4人の男女とアルバーテにより第25曲の五重唱「カンピドーリオなどに負けるものか」を歌って、団結してローマへの支配への抵抗をしようと誓い合っていたが、ここでシーファレとアスパージャの二人が、お互いに目隠しと両手の縄目とをはずし合っていた。どうやら、この演出では、ミトリダーテは長男のファルナーチェだけを許し、言葉が少ないのでよく分からないが、彼ら二人を許さないで死んだ様に思われた。そのため、この肝心の残された人々による団結の五重唱が、全員のまとまりがなく終わってしまったように思われた。



   この演出においては、ファルナーチェだけの許しに重点が置かれ、オリジナルの脚本にはある共に戦ったシファーレを許し、シファーレとアスパージャに王位を譲る場面がなく、ファルナーチェがローマ軍の船に火を付けたと報告される場面が割愛されていた。しかし、これらのカットは全てレチタテイーボで進行するので、オリジナルの音楽の部分には関係がない。ライブでは気づかない細かな話かも知れないが、期待をしていたこのDVDにおいても、音楽が立派な分だけエンデイングが簡単すぎて、自分としてはすっきりしないのが残念であった。
 全てを満足させるライブの舞台や映像はお目にかかれないが、原作と異なっていても音楽が良く舞台がすっきりしていれば良いという解釈もある。最近はやりの現代風の演出は全てこの類である。しかし、私はモーツアルトの場合は、余り原作と異ならないように、音楽を損なうような言葉の変更は避けるべきだと思った。このDVDにおいては、全体の音楽は素晴らしいのであるが、最後の五重唱が余りにもあっさりと終わってしまったので、それまでの出来の良さがこの場面で消えてしまったような気すらして残念であった。

(以上)(07/04/29)


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