7-4-3、モーツアルト生誕250年「Mozart 22 DVDシリーズ(その6)」
2幕のセレナータ「アルバのアスカニオ」K.111、アダム・フィッシャー指揮マンハイム国立歌劇場管弦楽団、演出;ダーフィート・ヘルマン、2006年ザルツブルグ音楽祭、

−演出者ヘルマンによる思い切った現代化の試みにより、生まれ変わった新鮮な活気ある舞台に様変わりしたが、肝心の語り役によるドイツ語化が、字幕に頼らざるを得ないわれわれ外国人には、改悪としか思えぬ結果となった−

7-4-3、モーツアルト生誕250年「Mozart 22 DVDシリーズ(その6)」
2幕のセレナータ「アルバのアスカニオ」K.111、アダム・フィッシャー指揮マンハイム国立歌劇場管弦楽団、演出;ダーフィート・ヘルマン、2006年ザルツブルグ音楽祭、

(配役)ヴィーナス;イーリス・クープケ、アスカーニョ;ソニア・プリナ、シルヴィア;マリー=ベル・サンデイ、祭司;チャールズ・リード、ファウノ;デイアナ・ダムロウ、
(ユニバーサルGRAMMOPHON DVD-UCBG-1191、市販のDVD使用)


 7-4-3では、モーツアルト生誕250年「Mozart 22 DVDシリーズ(その6)」として、モーツアルトが第2回イタリア旅行で作曲し、ミラノで上演された2幕のセレナータ「アルバのアスカニオ」K.111をお届けする。アダム・フィッシャー指揮のマンハイム国立歌劇場管弦楽団のグループが演奏し、ダーフィート・ヘルマンという若い演出家が、古いオペラを現代で再現するために思い切った演出を行った映像である。この曲は、CDでは3組ほどあり聴いてはいるが、ハーガーのCDに付属していた日本語のリブレットがなくなっており、内容がよく分からないまま見始めた。今回の映像は、映像としては初めての試みであり、この2006年ザルツブルグ音楽祭の期待の一つで極めて注目されていた。

 映像ではいきなりフィッシャー指揮の序曲がテインパニーの一撃で始まり、生き生きと軽快にイタリア風の序曲が進行する。幕が上がると男女の二人の平服の語り役の「旅人」が登場しており、曲がアンダンテに入ると、本来、レチタテイーボで歌われる内容を曲に合わせて、男性の俳優が演ずる旅人気ドイツ語で語り始める。例えば、ここでは「羊飼いたちが祭りに集う広々とした平地。美の女神ヴィーナスを讃える精霊たちと羊飼いたちが、女神の出番を待っている。」というように、状況説明とレチタテイーボ(伴奏付きを除く)と登場人物のセリフなどをドイツ語でしてくれる。恐らく長々としたイタリア語のレチタテイーボを聞かされ字幕で見るよりも、大半の観客にはドイツ語だと遙かに分かり易いための工夫であろう。オペラの登場人物にはいない筈の語り役が舞台で活躍するため、当初はドイツ語が分からなくてDVDの字幕を頼りにするものには戸惑うばかりであった。



 序曲に続いて第2曲は、「女神ヴィーナスを歓迎する精霊たちと三美神の挨拶の合唱」が始まるが、舞台には大勢の金髪のカツラと宇宙服のような制服を身につけた何組かの精霊たちが、駆け足で登場し、整然と並んで元気よく合唱が始まり、良く聴くと「天にいるヴィーナスを賛美しながら、地上に来て欲しい」と歌っていた。最初にこのDVDを見た瞬間には、この異様な宇宙人たちが何を始めようとしているかが全く分からず、ただ呆れて見守るだけであった。しかし、音楽はキビキビと進行しており、男女の区別が分からない宇宙人たちが、整列して見事な混声合唱を歌っていた。



 第2曲の合唱が終わると、旅人が言う。「皆がヴィーナスを待ち望み、姿を見たがっている。私の美しい植物アスカーニオよ、生きるのです!」。すると、金髪でアイマスクを付けた宇宙人の親分のような姿のヴィーナスが登場し、全員を見渡せる一段と高い席に着き、素晴らしい声の第3曲のアリアで、このアルバの地の国王に息子アスカニオを選んだことを民衆に伝えた。そしてアスカニオに対しては「地上の民は、お前が育ってその枝葉が作る木陰を待っている。栄えよわが植物よ。」と堂々と歌っていた。その最中にひ弱なアスカニオが目覚め、夢うつつの状態で、「最も賢いニンフの娘シルヴィアの夫になりアルバの地を治めなさい。シルヴィアにはアスカニオを思い込ませてあるが、これからシルヴィアを一人で探しなさい。ただし、彼女に自分の素性を明かしてはなりません」とヴィーナスから伝達された。舞台ではヴィーナスは口と手だけを動かし、語りは女性俳優が演ずる旅人兇明確に行っていた。第4曲の合唱は第2曲と同じであり、天に去ろうとするヴィーナスを賛美するものだった。



 ここから、物語は偉大な母親を持つマザーコンプレックスのアスカニオが、一人で花嫁を見つけようと苦しみ悩む、現代でも宇宙でも通づる話となる。アスカニオは、伴奏付きのレチタテイーボで「どうして話してはいけないんだ?」と考え込み悩むが、女神は僕を愛しているから厳しいのだと気づき、掟を信じて一人で見つけようと決心する。そしてシルヴィアへの憧れの第5曲の初めてのアリア「愛しい人よ」を歌うが、アスカニオの非常に不安な気持ちを歌うものだった。そこへ男声合唱団の羊飼いの一団が現れ「来たれ、崇高なる勇者よ」とアスカニオを歓迎し、私たちから離れないようにと忠告する。そこへ空からブランコにのって、半人半獣のファウノ(牧神)が登場し、素晴らしいコロラチューラで、この土地に生きる喜びを歌い、アスカニオに身を隠すよう奨めた。真に幻想的な世界であった。ダムロウにピッタリの朗々とした第8曲のアリアで、終わりのコロラチューラのカデンツアは最高の出来映えで、ブラボーの歓声と拍手が凄かった。



 祭司アチェステがシルヴィアを手押し車に乗せて、羊飼い達の所へ現れて、間もなくこの地に大きな幸福が訪れると歌い、シルヴィアにこの日のうちにアスカニオと結ばれるだろうと伝える。だがシルヴィアは、夢の中の若者に恋をしており心配です、と初めてその気持ちを表す第13番のカヴァテイーナを歌う。そしてアチェステが夢に現れた若者こそ間違いなくアスカニオであると請け合うので、シルヴィアは第14番のアリア「誠実な心に幸せが訪れたのね」と安心して喜びながら歌う。


 一方のアスカニオは、シルヴィアの様子をのぞき見て、思いは募るばかりとなりそれを抑えようと第16番のアリアを歌うが、苛立ちを隠せない様子だった。そこへ女神ヴィーナスが再び天上から登場し、はやるアスカニオに、シルヴィアの美徳がさらに証明されてからと今しばらくの辛抱を求め、この野原に新しい都アルバが誕生することを宣言して、第一部が羊飼いの合唱とともに終幕する。
 


 第二部は、幕が上がるといきなり牧神ファウノが前回同様に空から登場し、ブランコに揺られながらアスカニオを讃えて、「こんな優しい美男に恋された乙女は幸せだ」と第21番のアリアを軽快に歌い上げる。コロラチューラを駆使したコンチェルタンテなアリアで終わりのカデンツアが素晴らしかった。一方、シルヴィアは舞踏スタイルで登場し、夢に現れる愛する人と会えることを熱望し、願いが羽を広げて届くことを祈るアリアを歌うが、歌い終わると倒れてしまう。アスカニオは倒れているシルヴィアを見つけ、二人は初めて互いに見つめ合う。
 シルヴィアは直ぐに夢の中の若者だと認め喜ぶが、それがまだ花婿のアスカニオであることは知らされていないので、心は乱れる。一方、アスカニオも掟のため名乗れないので、惹かれ合う二人であるが、どうしてもこれ以上近づき合うことが出来ず、シルヴィアは、彼は私に何も尋ねないしアチェステもここにいないと悲観して倒れ込んでしまう。



 アスカニオは、掟に忠実な余りシルヴィアを苦しめていることを悟り、第22番の美しい前奏のアリア「愛しい人が目の前で」を歌い、後半のアレグロで女神よ助けてくれと激しく願い、彼も倒れ込んでしまう。シルヴィアは、夢に見た愛する面影とは別の男と結婚すべく定められた自分の運命をアダージョで嘆くが、アレグロに入ると、健気にも神によって定められた義務に従うことを決心する。彼女は倒れているアスカニオを起こそうとし、あなたがアスカニオ?と返事をしない彼に何度も訪ね、たとえ醜い男でも定めにより結婚しようと決断した。

 シルヴィアのこの勇気ある決心に応え、羊飼い達の合唱が始まり、まだ二人の愛の証がなく心配なので、天上のヴィーナスに降りてきて下さいと祈り、ヴィーナスを待ち望んでいた。舞台では旅人機⇔洪有兇慮譴蠅隆屬法▲凜ーナスの凜とした声で「シルヴィアの夢の中の若者こそアスカニオである」との確たる一言が天上から皆に告げられた。そこで、驚いてアスカニオのもとに走り寄るシルヴィア、喜び合う二人にさらに高僧アチェステも加わって女神に感謝し、それぞれが喜び合う三重唱となった。しかし、喜び合う二人のぎこちなさが目立ち、歌い終わると舞台の3人と役割が終わった二人の旅人が舞台上で倒れてしまい、どうしたものかと驚かされたが、最後に羊飼い達の感謝と喜びの大合唱があり、大歓声の中でハッピーエンドの幕となった。



 このオペラは退屈だという評価があり、現代のオペラにおいてどう演出させ、生き生きとした演劇的な舞台をいかに創作するかが課題であったと演出者ヘルマン、舞台・衣裳デザインのヘツファーが語っていた。語り役の旅人はオリジナルにはないが、イタリア語の難解さからのドイツ語によるセリフはスピード感を出すために現代版では欠かせないことを理解して欲しいと言っていた。しかし、ドイツ語を理解しないわれわれ外国人には関係がなく、むしろ改悪としか思えない。合唱団や羊飼いの異様とも言える宇宙服のような姿には触れられなかったが、時間も空間も特定されないファンタジーの世界を演出するのに必要だったのであろう。


 このような奇想天外な二つの試みにより、18世紀の祝祭劇が、現代でも宇宙でも通づる男女の結ばれるまでの話となったかに見えたが、やはり牧神ファウノや女神ヴィーナスなどの空想的な登場人物のお陰で、演出者の試みにも限界があって、むしろこのような現代化は矛盾が広がるばかりで、私には無理なように思えた。また省略曲が8曲もあったことが気になった。これくらいなら、滅多に上演されないオペラだけに、記録を残す意味でも、オリジナルの原作に相応しい演出で上演されるべきであったと考える。今回のザルツブルグ音楽祭で現代化に成功したと思われる「にせの女庭師」、「牧人の王」、「ミトリダーテ」なども、キチンとした原作通りの映像があって初めて新しい試みが比較の意味で成功していたように思われた。
 アダム・フィッシャー指揮のマンハイム国立歌劇場管弦楽団の演奏は、生き生きとして生彩があり素晴らしいと思ったし、歌手の中では牧神ファウノのダムロウが、若々しい見事な声を聴かせてくれた。終わりにドイツ語圏の人々には喜ばれる新しい舞台の制作に携わった関係者の意欲と努力には、深く敬意を表したいと思う。

                         (以上)(07/04/15)


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