7-4-1、クラシカジャパン「モーツアルトのある毎日」第7回、
セレナードニ長調(第8番)K.286「ノットルノ」スダーン指揮モーツアルテウム管弦楽団(2000)、および交響曲第31番ニ長調K.297「パリ」アーノンクール指揮ウイーンフイルハーモニイ管弦楽団(1984)、

−スダーン指揮モーツアルテウムの本場の珍しいエコー音楽、セレナード「ノットルノ」、およびアーノンクール・ウイーンフィルによる新鮮な感覚の「パリ」交響曲−

7-4-1、クラシカジャパン「モーツアルトのある毎日」第7回、
セレナードニ長調(第8番)K.286「ノットルノ」スダーン指揮モーツアルテウム管弦楽団(2000)、および交響曲第31番ニ長調K.297「パリ」アーノンクール指揮ウイーンフイルハーモニイ管弦楽団(1984)、、

(06年07月21日、クラシカジャパンCS736の放送を、D-VHSレコーダーのLS-3モードで、S-VHSテープにデジタル録画。)


 7-4-1では、第1曲は、セレナードニ長調(第8番)K.286「ノットルノ」であり、スダーン指揮モーツアルテウム管弦楽団の2000年のモーツアルト週間からの映像である。この曲の演奏には、4つのオーケストラが必要なので、まさに映像向きの珍しい曲と言える。 第2曲は交響曲第31番ニ長調K.298「パリ」で、アーノンクールがウイーンフイルを指揮した古い映像(1984)である。これらの曲は、いずれもクラシカジャパンの「モーツアルトのある毎日」のK番号順の連続放送から収録したものである。ようやくK番号の半ばに到達してきた。



 セレナードニ長調(第8番)K.286は、4つのオーケストラのための「ノットルノ」と呼ばれているが、自筆譜は過去にあったものの三楽章しかなく、完成日付も記載されていない不思議な曲である。この曲の編成や内容に関することは、「映像のコレクション」のK.286のデータベースで述べているので、ここでは繰り返さない。今回の映像は、ザルツブルグのモーツアルテウム管弦楽団による謂わば本場の演奏であるので、この曲の作曲された事情を良く反映した演奏であると考えられよう。注目すべき点は、舞台上のオーケストラが4群からなり、1群は弦5部と2ホルンとで構成されている。写真では前列の左右に第1群と第2群、後列の左右に第3群と第4群が見えている。コンサートマスターがいるグループが第1群であるので、第1群が演奏する楽句を、第2〜4群がそれぞれその楽句の後半部分をエコーのように順番に奏していくかたちで作曲されており、総譜のスコアを見るとエコーの付け方が一目瞭然である。



 第一楽章は、アンダンテの序奏風の第一主題がエコーを伴って演奏され、続いてアレグロ風の早い第二主題が現れて、これも見事にエコー効果が示され、なかなか面白かった。完全に反復された後に、新しい主題が現れるが直ぐに初めのアンダンテに戻り、微妙に変化を加えながら二つの主題が再現されていた。スダーンは楽しげに両手を使って4つのオーケストラを自在にコントロールし、第1群のトマージ班が常に張り切ってリーダシップをとっていた。映像ではエコーを演奏する第2〜第4群がそれぞれクローズアップされるので、譜面を見なくても映像だけでよく分かった。
 第二楽章はアレグレットの早い短い楽章。展開部のないソナタ形式で、始めから軽やかに速いテンポで進みエコー効果も明解で、エコーを楽しむように作曲されているに違いない。第三楽章は、リズミカルなメヌエット楽章で、リズムが明解な分だけエコー効果が高まっていた。トウッテイでも、弦5部でも見事なエコー効果を示していたが、ここではホルンだけでもエコーが楽しめ面白かった。しかし、トリオだけはエコーがなく全ての弦だけで普通に演奏されていた。これはエコーをつける時間がなかったのかとも考えられ、この楽章の、ひいてはメヌエットで終わるこの曲の未完成説を裏付ける理由の一つになっているのであろう。



 オーケストラ作品の映像を見る面白さには、この曲や「ノットウールナ」K.239のように複数のオーケストラのものや、複数のソリストたちが出てくる協奏曲などで典型的に
表れる。LPやCDのように音だけでは、いくら解説されていても自信を持って判断出来ないからである。今回はホルンが8台、ベースも8台必要だったので、演奏する側も全員体制である必要があった。18世紀にはこうして音楽の変化を楽しむ優雅な雰囲気があったものと思われるが、現在演奏されるエコー音楽は、モーツアルトのこの曲だけで、他の同時代の作曲家の曲は残されているのだろうか。



 第2曲は交響曲第31番ニ長調K.298「パリ」で、アーノンクールがウイーンフイルを指揮した古い映像(1984)であり、ベームの交響曲シリーズのように楽友協会ホールで指揮をしたと同様の暗い映像であった。コンサートマスターは亡くなったヘッツエル氏であり、アーノンクールもまだ若い顔つきで、この演奏は古楽趣味が殆ど顔を出さない当時としては割りにおっとりした演奏のように見受けられた。
 アーノンクールには「古楽とは何か」という音楽之友社(1997)の著作があり、その中に「モーツアルトの手紙についての一考察」という小文が最後に掲載されていた。その手紙とは、1778年7月3日、母が亡くなった日の夜に書いたパリからの父宛の手紙であり、彼の最も美しい手紙の一つとされる。それは、母の病気がとても重いと述べて、読む父に心の準備をさせている憂いの部分と、パリでの彼の交響曲の初演の成功を述べた溌剌とした明るい部分を持つ感動的な手紙であった。アーノンクールは、この手紙から当時のパリの聴衆の好みが、今日の既に聴いたことがある音楽ではなく、新しい音楽から楽しい驚きを得るのを常としており、彼の作曲時に考えた新しいことがどういう結果をもたらすかを述べた重要な証言であると捉えていた。



 第一楽章は全オーケストラのフォルテのユニゾンで壮大に開始される。この「最初の弓の一撃」は、パリの大オーケストラの独特のものとして著名であり聴衆が期待していたフォルテであり、この楽章で何回も顔を出す。モーツアルトは「最初のアレグロの中ほどで客に気に入るに違いないパッセージを用意した」と手紙に書いているが、これは第二主題が始まってから直ぐに入る「バスのピッチカートを背景に弦楽器がオクターブで柔らかにスピッカートのパッセージを弾き、フルートとオーボエが長い和音を吹く部分である」とアーノンクールは述べている。当日は予期していた通りその部分で大拍手が起こったと手紙には書かれていたが、アーノンクールはこの部分を良く心得ているといった顔つきで意識的に軽快に流していた。



 第二楽章は、6/8拍子の初演版で演奏されていたが、このアンダンテの第一主題は実に情緒豊かな旋律で、弦楽器の美しい流れの中でフルートやオーボエやホルンなどにも出番があった。続く第二主題も荘重な弦楽合奏の後にフルートやオーボエの優美な応答があり、洗練された豊かなアンダンテであるが、モーツアルトの手紙には、ル・グロに気に入られず、初演後3/4拍子の新たなアンダンテを創作している。
 フィナーレでは、第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンとの完全な弱音でデリケートな二重奏で開始され、八小節後のわざとらしい高揚を経て全オーケストラによる開放的なフォルテのユニゾンで爆発し、軽快なアレグロで進行する。モーツアルトの手紙では、客はフィナーレでも「最初の弓の一撃」に慣れていたので、最初の8小節のみはピアノで書いて客をびっくりさせようとしたが、それが大当たりで、フォルテの部分では拍手が沸いたと報じていた。アーノンクールは、このモーツアルトの意図する効果が正しく発揮された演奏を残念ながら聴いたことがないと述べているので、この演奏のフィナーレは、最初のピアノとその後のフォルテを対比して強調した新しい演奏であろうと思われる。



 この演奏は、つい先月にアップしたアーノンクールとウイーンフイルのサントリーホールの交響曲シリーズとは22年間のタイムラグがあり、別物のスタイルの演奏に見受けられた。彼のこのころのウイーンフイルとの演奏には、クレーメルと共演したヴァイオリン協奏曲の全集(1984〜86)やオペラ「コシ・ファントウッテ」(1989)などがあるが、これらの演奏も強弱の激しい変化や歯切れの良いテンポ感などの特徴はあっても、古楽器色の強い演奏ではなかった。この時代の彼がロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団やウイーン・コンツエントウス・ムジクスなどを指揮した交響曲や管弦楽曲の演奏と、この曲のようにウイーンフイルを指揮したときの演奏とは、オーケストラの編成規模の違いもあるが、古楽器色の強さ加減に大きな差があり、彼自身もオーケストラも、時代と共に変化を重ねており、この演奏などはその経緯を知る重要な演奏の一つであると考えられる。

(以上)(07/04/04)


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