7-3-5、モーツアルト生誕250年「Mozart 22 DVDシリーズ(その5)」
「コシ・ファン・トッテ」K588、ホーネック指揮ウイーンフイルハーモニイ管弦楽団、ウルセル&カール=エルンスト・ヘルマン夫妻演出、2006年ザルツブルグ音楽祭、

−スポーテイな感じの若い男女4人が声量豊かに歌い、実に生き生きと動き回る美しい舞台が素晴らしく、何よりもホーネック率いるウイーンフイルがきびきびとしたテンポで爽快な演奏を聴かせてくれた−

7-3-5、モーツアルト生誕250年「Mozart 22 DVDシリーズ(その5)」、
「コシ・ファン・トッテ」K588、ホーネック指揮ウイーンフイル、ウルセル&カール=エルンスト・ヘルマン夫妻演出、2006年ザルツブルグ音楽祭、

(配役)フイオルデリージ;アナ・マリア・マルテイネス、ドラベッラ;ソフィー・コッホ、グリエルモ;ステファーヌ・ドグー、フェランド;ショーン・マゼイ、デスピーナ;ヘレン・ドナート、アルフォンソ;トーマス・アレン、
(06年02月26日、ユニバーサルDECCA DVD-UCBD-1053/4、市販のDVD使用)


 7-5-5は、これもモーツアルト生誕250年「Mozart 22 DVDシリーズ(その5)」であり、ホーネック指揮ウイーンフイルハーモニイ管弦楽団の「コシ・ファン・トッテ」K.588である。このシリーズは定評あるヘルマン夫妻のいわば現代的な演出によるもので、2004年のザルツブルグ音楽祭から指揮者や歌手達は多少変わっているが同じ舞台が続けて上演されていた。私は05年のこの音楽祭でこの舞台を見ており、その結果を別途報告しているが、ライブで見た現代劇としての強烈な印象と、よく理解できなかった細かな点が、DVDではどう見せてくれるかがとても気になっており、今回早くお届けしたいと考えて7-5-5の形に早めにセットした。



 祝祭大劇場の広い横長の舞台に、大きな卵のような石と大きな衝立と傘、それにピアノという小道具と、森になったり林になったり海になったりする背面の色彩の美しい印象は、全く同じであった。指揮者と若い男女4人は変わっていたが、初めから舞台にわが物顔で登場するしたり顔のアルフォンゾのトーマス・アレンと、物知りで元気の良いやや老けたデスピーナのヘレン・ドナートの二人は変わらず、しっかりと舞台を引き締めていた。バドミントンやフェンシングが上手でスポーテイな感じの若い男女4人が、声量豊かに歌い、広い舞台を実に生き生きと動き回る様子は好感が持て、そして何よりもホーネック率いるウイーンフイルがきびきびとしたテンポで実に爽快な演奏を聴かせてくれた。



 演出に当たったヘルマン女史がドキュメンタリーで女性たちが恋人達の変装を見抜けないという設定はあり得ないと語っており、この演出では、男達の策略を真に受けずに、ゲーム感覚で女達が対応している。例えば、男達の賭を女達が見届けていたり、男達の毒を飲んで自殺するのを女達は酷すぎるわと笑っていたり、DVDだからよく分かるのであるが、ドラベラが毒薬をこっそり味わってみたりしていた。従って、ここでは何処までがゲームで、どこからが真剣な愛なのかが見ていて判然としていない。この恋愛ゲームの結末は、元の鞘に収まるか、けんか別れになるか、判然としない結末に終わるかであろうが、その判断はどうやら観客に任せているようである。4人がそろって退場する最終場面で、中央に置かれた白い箱のようなものに4人が吸い込まれるように入って終わりとなっていたが、これは何を意味しているのであろうか。どうやら、ここでは喧嘩はしていないようであり、その前にフィオルデリージがアルバニア人の格好のフェランドに激しいビンタを食らわしていたり、ドラベラがロケットを返して貰った時に泣きながら反省していたので、私はこの結末は、恐らく元の鞘に収まったのであろうと考えている。



 全体としては以上のような特色を持つ新しい感覚の現代的な「コシ」であったが、各部分部分でそれぞれ気が付いたことを幾つか以下に指摘しておこう。
 幕がない大きな舞台の中央の机にアルフォンゾ役のトーマス・アレンが顔を出し、曰くありげにタバコに火を付け、ニャリとする。序曲の開始である。舞台では若い4人が伸び伸びとバドミントンをしていた(昨年はテニスであった筈)。オーケストラが颯爽としており響きが快い。いつの間にか男二人が中央でフェンシングを始め、第1曲が開始されてアルフォンゾと女友達のことで大きな声で口論になっており、女友達にも聞こえていた。第2曲の「女の貞操なんてアラビアの不死鳥のようなもの」が始まり、論争が続いて収まらず賭をしようということになるが、フィオルデリージが舞台の脇でこの男達の賭け事をしっかりと見ており、これらがこの物語の伏線になっていた。これはDVDだから分かる程度の些細な動きであり、ライブで気が付く人は少ないであろう。



 女二人がスカート姿で登場し、大きな卵の台を挟んで話し合っている。そこへアルフォンゾが登場し、二人が戦場に行くという。そして第6曲目の悲しみの五重唱が始まる。やがて舞台上の衝立が動き出し、行進曲が始まる。何と衝立の陰に大勢の合唱団がアイマスクをしセンスを持って「船が来た」と歌っていた。続くお別れの五重唱、船が去った後の「風よ穏やかに」の第10番の曲へと舞台は一気に進むが、美しい音楽の洪水と、アンサンブルの豊かさ、舞台の目を見張る美しさなどに酔ったような気持ちでウットリしていた。
 第一幕で最高の拍手を受けたのは、第14番のフィオルデリージの「岩のように」であった。上手に変奏してデスピーナに気が付かれなかったものの、この悲しい時に家に男の人がいると姉妹には徹底的に追い出され、フィオルデリージの逆鱗に触れ、扇子を使って低い低音から高音がよく伸びるアリアが歌われた。姉妹に近づけない男二人はフィナーレに入って、遂に毒を飲んで奥の手の自殺未遂を行うが、この作戦も気付かれていた様子。広い舞台を有効に使ったデスピーナのお医者さんのドタバタと介抱劇が続くが、さらにキッスをと求めるので姉妹を怒らせて幕となった。






 第二幕に入ってデスピーナの「女も15にもなれば」の第19番が歌われ、第20番のドラベラの「黒髪の彼にするわ」で、姉妹は次第に警戒心を解き始めた。舞台が急激に盛り上ったのは、何となく不器用なセレナード劇の後であった。第23番でドラベラがロケットを受け取ってしまい、第25番でフィオルデジーリが苦悩の長大なロンドを歌ったあたりから、凄い拍手が続きだした。グリエルモがドラベラのあっさり心を許したことを責める第26番の真剣そのもののアリアでは遂にブラボーが出、続く27番のフェランドの復讐を誓いながらも彼女を愛さざるを得ないアリアの真剣さに対してもブラボーが出た。さらに自分のせいでフェランドが怒り狂っていることを立ち聞きしたドラベラが、口説いたグリエルモに対して「酷い人ね」と怒りながら反省して歌う28番の「恋は盗人」のアリアでもブラボーが続いた。そして帽子を軍服の替わりにしてフィオルデリージが負けまいとして頑張っているのに、フェランドがその剣で突き殺してくれと迫る迫真の二重唱となり、オーボエの悲鳴と共に陥落してしてしまう場面でも最高の拍手があった。遊びの積もりが遊びでなくなる場面として、実に上手に歌われ描かれていた。第30番でアルフォンゾに金を渡しながら「コシファントッテ」と歌う男達は惨めな姿であり、アルフォンゾの上手そうなタバコの煙が印象的であった。







 第二幕のフィナーレに入って、舞台は結婚式の明るく楽しい場面やデスピーナの公証人の登場で一段と盛り上がり、行進曲と共に戦場に行った男二人が戻ってくる話になる。私は先述の通り、結末としてはこの4人は元の鞘に戻ったと考えるのであるが、このDVDを見て皆さんはどう感ずるであろうか。

 第二幕の半ば当たりからブラボーが続出して大いに盛り上がったが、このフィナーレでもとても賑やかであった。このオペラでは合唱団が舞台作りに参加して活躍するが、フィナーレでも、床の掃除をしたり、結婚式場を作ったり、行進曲を歌ったり、優れた歌と動きを見せていた。また、皆さん歌が上手であり、制服を着てアイマスクをし、扇子を使って揃って演技する姿には、慣れるまではびっくりしたものである。





 また、指揮者ホーネックは、この「コシ」の指揮で最高の評価を受けたようであるが、このDVDを聴くと、それが実感できるものと思われる。この指揮の後にホーネックは日本に来て、「フィガロ」を振ったり、「レクイエム」のホーネック版を指揮したりして、印象に残る活躍をして、日本でも急速に有名になったと思われる。
 最後に04年からこの「コシ」の演出を手がけ、3年目に入ったという人気のヘルマン夫妻の演出と特色ある舞台装置と衣裳デザインなどにも一言。この美しい現代的舞台と女達が変装を見破っていたとするユニークで新鮮な演出が話題を呼び、ロングランの形で評価された。この「コシ」を見ずに今後の舞台は考えられないことから、この「コシ」がこれからの舞台に与える影響は多大なものがあると考えざるをえない。参考までに今回は、この美しい舞台の映像写真を、大幅に増加させているので、お楽しみ頂きたい。

(以上)(07/03/14)


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