7-3-1、アーノンクール指揮ウイーンフイル、交響曲第39番変ホ長調K.543、交響曲第40番ト短調K.550、および交響曲第41番ハ長調K.551、06年11月11日サントリーホール、

−従来の主張に加え、ウイーンフイルの力量を生かしながら、常に新しさを追求してやまない個性的な三大シンフォニー−

7-3-1、アーノンクール指揮ウイーンフイル、交響曲第39番変ホ長調K.543、交響曲第40番ト短調K.550、および交響曲第41番ハ長調K.551、06年11月11日サントリーホール、
(06年11月26日、NHK教育TVの放送を、DVDレコーダーでデジタル録画。)


 3月号のトップ7-3-1は、最新のアーノンクールの来日記念コンサートから交響曲第39番、第40番、および第41番であり、彼が77歳2006年の映像であることと、ウイーンフイルハーモニーを指揮したサントリーホールでの録音であることに特徴がある。このHPでは既にクラシカジャパンから収録した1991年のヨーロッパ室内楽団による同三曲の連続映像(1-4-2)があるが、これとは実に15年間のタイムラグがある。そのため比較しながら楽しむことが出来そうであるが、このように本ホームページで複数曲の同一指揮者による演奏は初めてであろうと思われる。



 私は、彼がロイアル・コンセルトヘボウオーケストラを指揮した39番と40番その他を収録したテルデックのCDを持っており、調べてみるとそれぞれ83年と84年の録音であった。この一連のCDは、アーノンクールがモーツアルトの「後宮」とか「イドメネオ」を録音してデビューした当時と同じように、古楽器的演奏の特徴である弦楽器の扱いがぎすぎすし、テインパニーが極端に強調され、強弱の変化が激しく、テンポが揺れて落ち着かない演奏であり、ワルターやベームの優雅な演奏にすっかり馴染んでいた私には、古楽器的な演奏の中でも特に、個性が強すぎてとても好きになれない演奏であった。  今回、最新の日本でのアーノンクールの三大交響曲の映像をアップロードするに当たり、前回アップしたアーノンクールのヨーロッパ室内オーケストラとのウイーン楽友協会ホールにおける1991年における三大交響曲の映像と比較して聴くことを想定して、私は1枚のDVDに新旧の映像を録画して、いつでも比較できるように用意して対応した。



 今回、この新しい映像を見聞きして、前回よりも一曲一曲、遙かに丁寧に聴いたつもりであるが、この2つの演奏の間には、15年ほどの時間差があり、オーケストラの違いもあった。最初に比較したときは直感的に、77歳のアーノンクールの方が以前ほど細部のこだわりにも似た極端さが少なくなっていることと、オーケストラがウイーンフイルのフルメンバーでもあり、全体の響きが伝統的な演奏に近くなっていると感じた。私の耳の方も、当然ながら、古楽的奏法には丸くなっており、彼のCD演奏を初めて聴いた時のような拒絶反応に近いものは薄れていた。新しい映像の方は、やはりアーノンクールらしさに満ちてはいるが、彼の主張も理解できそうなので、私にはモーツアルトをそれなりに楽しめる一つの個性的な演奏であると思われた。以下は、今回アーノンクールらしさを感じた点を各曲ごとに取り出して整理したものである。



 コンサートは、交響曲第39番変ホ長調K.543から始まる。この曲の序奏の古楽器演奏では、全体的にテンポが速く、また冒頭部のトウッテイの和音の後の2小節目の32分音符の急低下する弦楽器の部分がもの凄く早いが、アーノンクールの序奏部は、32部音符の部分はもの凄く早いが、それ以外は比較的ゆっくりと始まっていた。指揮台を置かず前後左右に動きながら両手で指揮をする方法は変わっていないが、序奏部の付点リズムの進行は堂々として盛り上がりを見せ、テインパニーの激しい響きも5本のコントラバスをベースにした全体の響きの中に埋没され、伝統的な演奏の響きと共通していた。歌うような第一主題はやや早めのテンポであるが、最近聴いたノリントンなどよりも遅く柔らかなウイーンフイルの音が聞こえていた。経過部の「英雄」の主題に似た部分では一息遅れて出たり、終えるときにも一息入れる彼独自の目立ったテンポの変化があったが、この一息入れる試みは、前回のヨーロッパ室内楽団の時には見られなかった新しい特徴であった。



 第二楽章では、第一主題は標準的なテンポであったが、第二主題のテンポが前回のヨーロッパ室内楽団のそれよりも早めに進行するように思った。しかしそれ以上に、全体を通じて今回のウイーンフイルの弦楽器の厚みと深い響きが、前回とは格段に大きな差があった。アーノンクールはメヌエットの演奏に独特の色彩を見せる。初めのメヌエットでは、早めのテンポでリズミックにメヌエット部を進行させ、対象的にトリオ部ではテンポを大きく落として十分に歌わせる独特のリズム感を持たせる共通の特徴があった。今回のウイーンフイルでは、メヌエットの開始第一音を長めに取ると言う変化が加わったほか、メヌエットが若干遅めに、トリオも若干遅めになり緩急の変化も前回より薄まったように思われた。素晴らしいメヌエットであるが、以前ほど風変わりな演奏ではなくなっていた。  フィナーレでは第一・第二主題とも軽快に流れ余り大きな変化には気付かなかったが、ここでも小編成のヨーロッパ室内楽団と大編成のウイーンフイルの響きの違いが大きく目立っていた。

 変ホ長調交響曲の指揮ぶりでは、前回のヨーロッパ室内楽団では古楽器色を鮮明に出そうと細部にこだわったやや神経質な指揮振りであり、それが顔の表情にも表れていたが、今回のウイーンフイル相手の場合は、最近では長いお付き合いになっていると見え古楽器的な奏法も行われていたが、細部は団員に任せたような穏やかな指揮振りであった。



 第二曲目は、第40番ト短調交響曲K.550であった。この演奏では全体を通じて早めのテンポの厳しい表情で一貫しており、全く隙のない締まった演奏であった。第一楽章は速いテンポの第一主題で始まり、いわゆるため息の主題が休みなく厳しく続き、ヴァイオリンで始まりクラリネットが引き継ぐ第二主題に入って初めてホッとする状態であった。アーノンクールは、前回のヨーロッパ室内楽団でもクラリネットの入った第二版を使っていた。繰り返しを行うときや展開部に入る冒頭で一呼吸置いて入る新しい指揮振りがここでも気になった。展開部でもため息動機による対位法的な展開が厳しく繰り返され、再現部に入っても息が抜けない展開であった。

 第二楽章では非常に早いテンポで第一主題がスタートし後半に現れる木管による32部音符の上下の変化が実に美しい。第二主題も同様なテンポで進行するが、前回のヨーロッパ室内楽団の時の演奏よりも心持ちテンポは遅いと思われた。メヌエット楽章は、第39番の時と同様に、メヌエット部は速いテンポでリズミックに力強く演奏され、トリオでは、反対にゆっくりしたテンポで、弦とオーボエ及びファゴットにより2度、それから低弦と二つのホルンにより2度それぞれ繰り返されるが、後半のホルンの美しい深い響きが実に印象的であった。  フィナーレの初めの主題は、第一楽章の冒頭の主題と対応しているのであろうが、アーノンクールは伸びやかに弦楽器を歌わせており、フィナーレになってやっと明るさを取り返したように、第二主題が明るく現れた。後半のクラリネットのくすんだ響きが印象的で救いのように心に残った。しかしこの楽章でも展開部で第一主題を執拗に変形しながら繰り返し展開され、厳しい緊張感を生み出していた。アーノンクールはここでも繰り返し部を丁寧に再現し、オーケストラを十分に歌わせてさり気なく終結した。何とも暗い感じのト短調交響曲であった。1曲目が大らかさを持っていたのに対し、2曲目のこの曲は、暗さと厳しさを兼ね備えたような演奏であった。



 第三曲目のジュピター交響曲K.551は、ウイーンフイルの堂々たる三つの和音と続く短いフレーズの荘重な響きが二回繰り返されて始まる。アーノンクールは前回のヨーロッパ室内楽団では三つの和音のあと軽く一呼吸おいて進めていたが、今回の演奏では、もっと間合いを取って始められていた。良く聴いていくとこの間合いの取り方が、例えば第二主題の始まりでも、その次のブッファ風の結尾主題の始まる前でも、はっきりと一呼吸置いて始められ明快なダイナミックな指揮振りを生み出していた。これは今回の39番や40番の第一楽章でも見られたことであるが、最近のアーノンクールが重要な場面で聴衆を惹き付けるために意識的に取り入れているように思われる。このように大事な場面でアクセントを付けることにより、全体との関連が明確になり、これを乱れなく自然体で行うためには訓練を重ねて指揮者と一体にならなければならないであろう。ワルターやフルトヴェングラーの演奏の中で昔感じた独得のパウゼのようなものが、77歳になったアーノンクールの演奏にも感じられたのはとても面白く、この指揮者が以前よりも身近に感じられるようになった。この第一楽章では、繰り返しも丁寧に演奏されていたが、繰り返すたびにこのパウゼが表れており、それによって全体の躍動感が明確になり、堂々とした第一楽章になっていた。



   第二楽章は、早めのテンポであるが、甘い感じの第一主題が静かに流れ、強弱のコントラストを付けながら流麗に流れていく。第二主題は遅めのテンポとなり、これも優雅に進行する。この進め方は前回のヨーロッパ室内楽団とは殆ど変わらないが、今回のウイーンフイルの方が遙かに流麗な響きを聴かせていた。第三楽章では、始めのメヌエット部は早めのテンポで、強弱の変化を激しく付けながら壮麗な響きを見せる。終わりの二つのオーボエによる二重唱が良く歌われ妙に印象的であった。トリオではゆっくりとしたテンポで静かであるが、後半から終楽章の主題が力強く示され、全体として壮大な楽章となっていた。フィナーレでは、第一主題が堂々と勇壮に響き、このジュピター主題が次から次へとフーガ風に楽器を変え対位法的に重なり合いながら息をつく暇がないほど壮大に現れる。これはもう前三楽章だけのフィナーレではなく、続けて聴いてきた三つの交響曲全体のフィナーレのように勇壮に響いていた。ここには、前回のヨーロッパ室内楽団を遙かに超える深さと大きさが込められた響きがあり、アーノンクールの三大交響曲の最後を締める力強さがあり、素晴らしい盛り上がりを持って、堂々と終結した。

 この三つの交響曲は、1778年の夏に約1ヶ月半の短期間で一気に書かれているが、変ホ長調、ト短調と続いた後の最後の交響曲は、やはり記念碑的な長調作品で完成させたいという思いがあったに違いない。その結実はこの曲の終楽章に現れているが、磯山先生はこれをソナタ形式の原理とフーガの原理、新しいものと古いものの渾然とした統一体であると述べている。近年、一つのコンサートで、この三大交響曲を一気に演奏することが多くなったが、演奏者の側でもこのモーツアルトの執念のような思いに気が付いて、このようなプログラムが多くなったのであろう。このホームページでも、これでアーノンクールが2回とホグウッドのものがあり、いずれも古楽器指揮者であることが共通して面白いと思った。

(以上)(07/03/24)


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