7-2-2、生誕250周年記念ドキュメンタリー「モーツアルトの真実−自筆の楽譜が解き明かす素顔−」
解説;池辺晋一郎、2006年、NHK、ハイビジョン特集、

−ピアニストとしても作曲家としても、他に比類のないモーツアルトの非凡な姿が、残された自筆の譜面を通じて克明に読み取ることが出来そうだ。−

7-2-2、生誕250周年記念ドキュメンタリー「モーツアルトの真実−自筆の楽譜が解き明かす素顔−」解説;池辺晋一郎、2006年、NHK、ハイビジョン特集、

(06年7月13日、NHKのハイビジョン特集を、D-VHSレコーダのLS3モードにより、S-VHSテープにデジタル録画。)

 モーツアルトは、生まれながらにして神童であったとか、自由奔放な天才であると言われ、その証拠として彼の自筆の楽譜は、流れるように美しく迷いがないとか、曲は既に頭の中で作曲され、彼の仕事は楽譜に書き下ろすだけであったなどとその天才性が語られることが多い。本映像は、このようなモーツアルトの天才性の秘密について、作曲家や音楽解説者として名高い池辺晋一郎氏に登場願って、モーツアルトとは時代・場所などは異なるが同じ作曲の同業者として、残された自筆の楽譜を基にしてモーツアルトの素顔に迫ろうと企画された1時間45分のハイビジョン番組である。内容はモーツアルトの天才ぶりを示す4つのパートに分かれているが、譜面を見たりピアノを弾いたり、ライブ映像の演奏があったりして、その視覚的な進め方には興味が尽きないので、映像の通りに4つのパートに分けて概要を述べることにする。



1、几帳面な天才、モーツアルト。

 モーツアルトの譜面は印刷されたように美しいと言われるが、これを他の作曲家と比較して考察してみよう。誰でも知っている有名曲として、モーツアルトのアイネクライネK.525とベートーヴェンの第五交響曲の冒頭部分の自筆譜を比較してみる。確かにモーツアルトの譜面は修正がなく綺麗であるが、ベートーヴェンの自筆譜は書き直しが多く乱雑で、素人が譜面を追うことが難しい。これは作曲家個人の筆跡や性格が反映されたものである。ベートヴェンの譜面は感情をそのままぶつけたような書き方で、まるで楽譜に命令をしているように見える。
 モーツアルトの性格を表すものとして彼が28歳の時から記録し始めた自筆の作品目録がある。これは、年月日、作品名、楽器編成、冒頭の数小節の譜面(オペラでは、主要歌手名など)を記録したものであり、こつこつと死ぬまで145曲が記載されていた。これはモーツアルトの几帳面で働き者の天才の姿を映し出す好例であろうと思われる。

2、モーツアルトは神童だった?

 モーツアルトは、音楽家の父親を持ち、楽器がおもちゃ代わりの理想的な環境で育ち、4歳ころから神童ぶりを示す伝説が始まっている。それを伝えるものの一つに、5歳年上のナンネルのためにレオポルドが編集して作成した「ナンネルの練習帳」があり、モーツアルテウムに保存されている。それには父親の手で、「このメヌエットは5歳の誕生日に30分でマスターした」とか、「この曲は5歳と3ヶ月のヴォルフィが作曲したもの」などと書き込まれている。最初に作曲した曲とされるアンダンテK.1aは、レオポルドがあわてて書き留めたものである。この練習帳がモーツアルトの音楽の原点であって、250年前の徹底した幼児教育や天才性の証拠になっているといえよう。


   彼の自筆の譜面が残されている最初の作品はメヌエットト長調K.1であり、父の筆跡に似た書きぶりで綺麗に書かれていた。池辺さんがピアノで弾いて見せ、音程がおかしいところがあり、弾き直してシャープが一つ抜けているという。まだ最初の曲でもあり、頭の中で出来ていても、作曲家はよく書き忘れることがあるもので、神童もミスをすると解説した。(しかし私は海老沢先生と作曲家の中田喜直氏との大激論を思い出したが、今回は最初期の作品なので、ミスとして検証なしでも許されるであろう。)
 8歳の時に作曲した交響曲第1番K.16は、少年の才能が満ち溢れた作品と解説され、ピアノで弾き出して途中でシンコペーションのリズムが使われているところを例にとり、彼の得意なパターンであると言う。ピアノで25番ト短調交響曲の冒頭部分、プラハ交響曲の一部、魔笛の夜の女王のアリアの部分、20番ニ短調ピアノ協奏曲の冒頭部分などにも同じ手法が使われていることを示して、今では音大生が作曲技法で教わることを、8歳で既に使いこなしているという。こういう音楽を生き生きとさせる技法を、モーツアルトは理論として学んだのではなく、生理的に自然に身につけたのであろうと解説していた。もし、父親が教えたなら天才教育者であろうし、クリステイアン・バッハの交響曲から真似たのであれば、まさしく真似の出来ない神童であった?と言うべきであろうか。



3、努力の天才、モーツアルト。

 1781年25歳でウイーンに出て翌年結婚し、それ以降10年間亡くなるまでここで過ごした。バーメルトがN響を指揮するト短調交響曲K.550の第一楽章(3-9-2参照)が鳴っている。曲は流れるように美しい。まるで神の声が流れているようだ。ここで、ひらめきの天才などと呼ばれるモーツアルトの自筆譜を調べて彼の作曲法の秘密に触れてみよう。  この曲の自筆譜はウイーンの楽友協会に保存されており、オットー・ビーバー氏が楽譜を広げて解説してくれた。綺麗に書かれているが、やはりところどころ直している箇所がある。例えばコントラバスが出せない高音域を書いて後で修正したり、ホルンのパートを何小節も書き直したりしており、モーツアルトでも書き損じや間違いはあるという。ハイドン四重奏曲第16番変ホ長調K.428では、譜面の直しが多く、中には全面的な書き直しもあり、譜面もきたなく試行錯誤の推敲の跡が滲み出ているという。頭にあるものを単にさらさらと書いたものではないことが、両曲の譜面からよく分かる。

 彼は下書きをせずに作曲したという説が誤りであることが最近分かってきた。それは彼のスケッチが大量に発見されたからであり、例えばプラハ交響曲K.504の第一楽章では、いろいろな組み合わせの下書きが発見され、試行錯誤の努力の跡が残されており、現在では定説がすっかり覆されている。
 彼より古い時代のバッハの音楽はポリフォニーの時代であったが、モーツアルトの時代では右手でメロデイ、左手で伴奏のホモフォニーの時代であり、彼はメロデイの達人であり、現在でも彼の豊富なメロデイは好まれている。ヴァイオリンとヴィオラの協奏交響曲K.366の第二楽章をピアノで弾いて見せ、伴奏を変えたりリズムを変えたりすると、演歌に化けてしまうが、こういうところが250年後でも身近に愛されている彼の秘密であろう。



4、天才職人、モーツアルト。

 モーツアルトのピアニスト、音楽家としての側面をもっと掘り下げてみよう。ここにピアノ協奏曲第26番ニ長調K.537「戴冠式」の第2楽章ラルゲットの冒頭の自筆の譜面がある。しかし譜面には右手のメロデイ部分だけで、左手の部分は書かれていない。この曲は彼自身が初演したとされており、書く時間がなかったから、自分で弾くので書く必要がなかったから、即興でいつもやっていたからなどと説明されている。自分で弾くなら、全曲の和音だけが分かっていれば、彼の技量なら即興で訳なく出来たはずである。

 もう一つの例は、ヴァイオリンソナタ変ロ長調K.454の例であり、この曲の自筆譜の一部は、ピアノのパートとヴァイオリンのパートのインクの色が異なっているとされる。この曲は1784年4月21日の日付があるが、この時期は2月9日にピアノ協奏曲第14番K.449を書き上げて、僅か45日足らずの間に25回の演奏会をやっており、書き上げた曲が、15番、16番、17番のピアノ協奏曲とピアノ5重奏曲K.452を完成させていた。このヴァイオリンソナタの初演時には、ヴァイオリンパートだけが書かれ、色の異なったピアノパートは後日、必要に応じて書き込まれたと考えられている。
 当時のピアニストには即興演奏が重要であり、モーツアルトは得意であったが、姉のナンネルは出来なかった。そのため即興演奏風のプレリュードK.284aを作曲して、姉に丸暗記して弾かせるようにしたり、別に「転調するプレリュードK.deest」という即興演奏を教えようとする曲を作曲している。ロバート・レヴィンは当時のコンサートではソリストの即興演奏がとても重要であったと述べている。



 作曲家モーツアルトとしての名人芸をあげると、弦楽四重奏曲第21番K.575は、チェロを弾くプロイセン国王のために作曲した曲である。これも自筆の譜面から分かるのであるが、珍しくチェロのパートにメロデイラインがあったりして、チェロが際立つように書かれている。また、フルートとハープの協奏曲K.299のフルートのパートには、低いドの音が出るように作られているが、これはドの音が出る当時特別のフルートを持っていた注文者の求めにより書かれていた。後年のシュタートラーのためのクラリネットの曲も、低音部に特別の工夫があるとされる。彼は、このように注文者の求めに応じて、喜ばせる作曲技術を十分に心得ていた。

 次いでピアノ協奏曲第27番K.595の第三楽章の冒頭とリート「春へあこがれ」K.597の似通った部分を取り上げ、さらに「早春賦」と「知床旅情」を弾いて説明する。始めの2曲はモーツアルト作であるが、後の2曲は別の作曲家の作品であり、問題になる限界のすれすれのところであろうという。同じ作曲家が自分の曲の一部を借りることはよくあるが、やはり全く同じにせず少しひねって変えるようにする。例えば、オーボエ協奏曲K.332の第三楽章と「後宮」K.385のブロンテのアリアは、ほぼ同じメロデイではあるが、少し変えて使った例である。当時は目先の注文をこなすため大急ぎで作曲することが多く、250年後に繰り返し聴かれることは考えてもいなかった。今日のアーテイストの仕事と言うより、職人芸の巧みな技を十分に発揮した曲が多いとでも言うのであろうか。



5、レクイエムK.626、永遠に残された謎、

 レクイエムの自筆譜はウイーンの国立図書館の中にあり、7000万冊の蔵書の一冊といわれる。本格的に作曲されたのは死の二ヶ月前とされ、映画「アマデウス」に見られるように死因と共に謎の多い曲である。死の5日後に聖ミハイル教会で完成部分だけ演奏されたという。自筆譜上はイントロイトスのみが全て完成され、「涙の日」で筆を置いたとされる。コンスタンツエは、アイブラーに補作を依頼したが、彼の仕事は「涙の日」までの補作に留まった。彼の補作した部分は、筆跡とインクの色で、ほぼ明確にされている。困った彼女は、続きをジュスマイヤーに頼み、半年後に現在のジュスマイヤー版として完成された。表紙にはモーツアルトの作曲と書かれており、これまで広く演奏されてきた。



 池辺氏も補作の経験をお持ちのようであるが、モーツアルトのスケッチがどれだけ残されていたかは不明であり、弟子の彼にどれだけの指示をしたかが分からないので、彼のオリジナルな部分がどれだけあるかは謎である。しかし、これまで使われた動機などを組み合わせて補作するのが常道のようであり、苦労が多かったであろうとされる。最後のコンムニオの部分を歌詞だけ変えてキリエと同じようにしたのは補作の仕方としては妥当であったとしている。
 しかし、レクイエムへの挑戦は終わることはなく、不満を持つ人により、現在でもいろいろと補作が試みられている。1991年に補作を完成させたロバート・レヴィン氏は、最善を尽くしたが、まだまだ不十分で完全なものとは思っていないようだ。


6、むすび、

 以上の通り自筆の譜面を仔細に眺めて見ると、モーツアルトは神様のような筆を持っていたわけでなく、われわれと同じ人間の仕事であることが分かり、とても親しみがわいてくる。そして時代は違うが、われわれの身近に存在した天才であり、今日のわれわれにも通ずる音楽を沢山書いてくれたことが分かってくる。モーツアルトが、この親しみやすい存在であることが、250年後も国境を越えて万人に愛される理由であろう。

(以上)(07/02/06)



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