7-2-1、NHK音楽祭2006、アーノンクール指揮ウイーン・コンツエントウス・ムジクス、「主日のための夕べの祈り」K.321、及び「レクイエム」K.626、NHKホール、

−アーノンクールも手慣れたオーケストラと合唱団なのに、年齢と共に変わって来て、ますます深みを増してきたことを裏付ける古楽器演奏であろうか。−

7-2-1、NHK音楽祭2006、アーノンクール指揮ウイーン・コンツエントウス・ムジクス、「主日のための夕べの祈り」K.321、及び「レクイエム」K.626、NHKホール、06/11/19、
(演奏)S;ユリア・クライター、A;ベルナータ・フインク、T;ウエルナー・ギューラ、B;ルーベン・ドローレ、アルノルト・シェーンベルク合唱団、指揮E.オルトナー、
(06年12月02日、NHK103CH、HV放送をD-VHSレコーダのHVモードにより、S-VHSテープに5.1CHサラウンドでデジタル録画。)
 
 2月号の第1曲目は、NHK音楽祭2006におけるアーノンクール指揮のウイーン・コンツエントウス・ムジクスによる「主日のための夕べの祈り」K.321および「レクイエム」K.626であり、巨匠の手慣れたオーケストラと合唱団とによる古楽器の演奏である。ハイビジョンで5.1CHで収録してあるので、今後に残る貴重な映像であると思われる。なお、このNHKの音楽祭シリーズは、すべて同じNHKホールでの5.1CHサラウンド音声によるハイビジョン映像であり、毎年ほぼ同じ条件で収録されているので、演奏団体の客観的な比較が出来、集積すると貴重な記録になるものと考えられる。

 ベスペレ(晩課)は、主日晩課(主日のための夕べの祈り)K.321と有名な荘厳晩課K.339の二つが完全な形で作曲されているが、映像の記録としては今回の演奏が初めてである。
ベスペレは、六つの部分からなり、五編の詩篇が朗唱されて最後にマリアを讃えるマニフィカートで締めくくられ、以上6楽章の終わりには必ずアーメンで結ばれる。今回の映像では、これまで聴いたCDには含まれていなかったが、各楽章の始めと終わりに、男声合唱によりグレゴリオ聖歌の斉唱が付け加えられていたのが珍しかった。


 1曲目のデイクシット(Dixit)では、始まる前に一部の男声合唱団により、「主よ、われらを助けたまえ」などとお祈りの斉唱があってから、アレグロの合唱で盛大に開始される。テインパニーやトランペットが賑やかな中できりりとしたソプラノのソロが気高く歌われ、合唱と交互に進行する。合唱団はお揃いのユニフォームが美しく、ソリストたちの重唱と交互に夕べの祈りを歌いあげる。ベースが2台の室内楽団風の規模であるが、オーケストラの古楽器的な響きが新鮮である。終わりの栄唱グロリア・バトリも同じ主題で歌われて、アーメンによって締めくくられていた。2曲目のコンフィテボル(Confitebor)では、アレグロでソプラノのソロで明るく始まり、合唱がこれを受けて、それからソプラノやソリストたちと合唱とが交互に対和風に進行し、やはりアーメンで静かに終息した。




 3曲目のベアトウス・ヴィル(Beatus vir)では、これもアレグロの短い序奏の後に和声的な合唱で始まり、ソプラノとテノールが続くが、後半の全体の斉唱の水準が高く変化があって面白い。4曲目のラウダテ・プエリ(Laudate pueri)では、終始合唱だけで歌われ、対位法による古い教会的な様式による祈りの合唱曲である。終始部のグロリア・バトリでも同じ主題で歌われた。

 5曲目のラウダテ・ドミヌム(Laudate Dominum)では、オペラのアリア風のソプラノの独奏曲であり、ヴァイオリンとオルガンの伴奏で朗々と歌われる。華やかなコロラチューラの部分すらあり、最後には短いがカデンツアも歌われた。6曲目のマニフィカート(Magnificat)では、アダージョの序奏風の合唱で始まり、アレグロに変わってからソリストたちと交代で進行し、グロリア・バトリに到るまでポリフォニー的な声楽とシンフォニックなオーケストラが激しく交錯する堂々とした盛り上がりを見せ、アーメンで終結した。その後のグレゴリア聖歌での終わりが風変わりに感じられた。





 NHKの番組なのでアーノンクールへの短いインタビューがあり、なぜ古楽器奏法に目覚めたのかという話に触れていた。ウイーン交響楽団にいてチェロを弾いていたが、バッハ以前の音楽が非常に寂しいと感じていた。他の絵画や彫刻などの芸術では少しも退屈さはないので、なぜこの時代の音楽だけが寂しいか、当時の楽器と奏法に立ち戻って、十分に考え直してみた。1957年のコンサートから古楽器奏法を試みているが、嵐のような凄い反響があり、われわれの登場を待ち望んでいたかのようだった。重要なのは古楽器を使うだけでは昔に戻るだけで意味がなく、それが現代の音楽演奏として生命と内容を持つたものとなすべく常に心がけることが重要であると述べていた。




 レクイエムの演奏としては、オーケストラの規模は小ぶりであり、合唱団の数も少なめである。バセットホルンの小さなくすんだ響きにファゴットが重なり、やがてトロンボーンが鳴り響いて厳かにイントロイトウスが開始され、合唱が始まるが、アーノンクールの出だしのテンポは予想以上に遅目である。強弱が激しい古楽器演奏特有の響きで溢れているが、このテンポなら何とかついて行けそうな感じである。ソプラノも落ち着いて「神よ!」ときりりとした声で歌い出す。さすが5.1CHで、各楽器の細かな音色が鮮明に聞こえて来る。キリエに入ってもテンポはやはりゆったりしており、合唱のそれぞれの声部の重なり合いがとても美しく水準の高さを感じさせる。終わりのキリエの大合唱は、さすがに壮大に歌われていた。



 セクエンツイアに入って、「怒りの日」では、キリエと対照的に金管が激しく吼え、弦が鋭くうねり、女声と男声が交互に激しくぶつかるように素早く進行する。一転して古楽器のトロンボーンのソロが厳かに響き、バスがゆっくりとしっかり歌い上げる。このコントラストの見事さは、傾聴に値する。次いでテノール、アルトとの順に続き、最後にソプラノがノンビブラートで透き通るような声で歌い上げ、続く四重唱もゆっくりと豊かに歌われて、聴くものに救われたような感覚をもたらす。




 激しいオーケストラとトロンボーンの響きに導かれ、共にレックスの大合唱が始まるが、アーノンクールも叫びながら指揮をしており力に溢れ迫力十分であった。祈るような静かな合唱の終わりが実に良くコントロールされ印象的であった。リコーダーレでは、管と弦の絡みあった前奏に続いて、アルトとバス、ソプラノとテノールとが順に厳かにゆっくりと歌い出し、やがて中間部から非常に深みのある四重唱となり、ソリストたちの資質の高さを感じさせた。コンフュータテイスでは、男声合唱の激しさと、悲鳴のように聞こえる女声合唱の切なさが繰り返され、映画「アマデウス」のこのシーンを思い出させ、心にひしひしと迫るように聞こえた。続いてラクリモサがヴァイオリンの切々たる音で静かに始まり、合唱により次第に高まりを見せながら、終盤にバセットホルンとトロンボーンが厳かに響いて高みに達し、終わりのアーメンの合唱で結ばれ、セクエンツイア全体が締めくくられた。 アーノンクールは、しばらく祈っているような姿勢で一息入れてから、速いテンポで次のオッフェルトリウムへと移行していった。




 映像でアーノンクールの異様さとも言えるテンポのゆれや強弱の激しい指揮ぶりを確かめながら、彼の個性溢れるレクイエムを聴いた。バイヤー版を使用しており、アーメンフーガのような新たなものは避けた穏当なものと思えたし、冒頭のテンポの遅さには驚きながらも、77歳になったアーノンクールが、20年前の昔の録音とは別の世界を歩み出していることを実感した。今回のような情感豊かな演奏なら、部分的に古楽器的な響きが強い所があっても、全体としては受け入れ可能であると思われる。

   彼は2003年11月にウイーン・コンツエントウス・ムジクス設立50周年記念の演奏会で、同じ合唱団でレクイエムをライブ録音しSACDになっている。ソリストは、アルト以外は全員変わっていた。演奏のスタンスはほぼ同じであると感じたが、このCD演奏よりも今回の演奏は心持ちテンポが遅く、映像で見ているせいか、緩急・強弱の揺れが強めに感じられた。映像で見た彼の語りも、彼のいつも話している古楽器奏法のあり方について、確信を持って語っていた。映像だから気が付くのであるが、博物館で見かけそうな折れ曲がったバセットホルンや細めのトロンボーンなどの古楽器が使われていたが、不思議に思うくらい良く鳴っており、この楽団も確実に進歩していることを実感した。アリス夫人もお年を召したが健在であった。

(以上)(07/02/17)


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