7-11-3、オペラ・セーリア「皇帝テイートの慈悲」K.621、アーノンクール指揮ウイーンフイルハーモニー管弦楽団&国立歌劇場合唱団、クシェイ演出、2003ザルツブルグ音楽祭、

−ローマ時代の形式主義から訣別して、主役たちのぎりぎりに追いつめられた人間の内面性を追求しようとした現代的な読み替えオペラ。カサロヴァ・レッシュマン・シャーデらの歌の魅力と全体を流れる音楽が見事であった。−

7-11-3、オペラ・セーリア「皇帝テイートの慈悲」K.621、アーノンクール指揮ウイーンフイルハーモニー管弦楽団&国立歌劇場合唱団、クシェイ演出、2003ザルツブルグ音楽祭、

(配役)●テイート;ミヒャエル・シャーデ、●セスト;ヴェッセリーナ・カサロヴァ、●ヴィッテリア;ドロテア・レッシュマン、●アンニオ;エリナ・ガランチャ、●セルヴィリア;バーバラ・ボニー、●ププリオ;ルカ・ビサローニ、
(TDKのDVD、TDBA-0123を利用)


 11月号の第三曲目は、最近になって最新のDVDとして発売されたアーノンクール・ウイーンフイルのオペラ・セーリア「皇帝テイートの慈悲」K.621のDVDである。このオペラは06年ザルツブルグ音楽祭のDVDシリーズM22に含まれなかったが、03年の同音楽祭で収録したこのアーノンクールの「テイト」があったからであり、まさに最新のソフトとして、ご紹介したいと考えている。このDVDは、マルテイン・クシェイの演出によるアーノンクール指揮ウイーンフイル・ウイーン国立歌劇場合唱団の映像であり、テイトにはミヒャエル・シャーデ、セストにはヴェッセリーナ・カサロヴァが当たり、ヴィッテリアにはドロテア・レッシュマン、セルヴィリアにはバーバラ・ボニーが当てられるなど、現在の最高のスタッフが参加した豪華な配役であり、アーノンクールのキビキビした指揮ぶりと彼の解釈が映像にどう反映されるかが期待されていた。

 私は順番として、アーノンクールの「フィガロ」を見てから、このTDKの新しい映像を見ているが、一見して感じたことは、彼一流の音楽作りがとても舞台の動きや歌手の歌い方に合っており、いつも迫力ある見事な音楽が流れていたことと、6人の主役たちのぎりぎりに追いつめられた人間性を追求しようと絶えずクローズアップで迫っていたことが強烈な印象として残り、このアプローチは「フィガロ」と共通であると思った。実際には、「テイト」が03年の映像であり、「フィガロ」が06年のものであるので、「テイト」の成功例を見習って、「フィガロ」にも適用したのであろうと思われる。この登場人物重視のアプローチにおいては、時代がローマであっても現代に置き換えても余り変わらないので、クシェイの現代への「読み替え」の演出を成功させ、むしろ外面的に時代性を繕うアプローチより、人間の内面性を追求する上で効果があったと言うことが出来よう。

 以上のようなこの映像の特徴がどのように細部に現れるかについて、以下にこのオペラを始めから追っていくことにしよう。広くて幕のないフェルゼンライトシューレの舞台に広がる三階建てのアパートのような部屋の一室で、短髪のテイトが夢中になって電話をしているが話し中か通じなくていらいらしているところで、序曲の三和音風に三回続けて上昇するファンファーレが鳴り響き、行進曲風の主題が堂々として開始された。ウイーンフイルによるアーノンクール流に加工された刺激的な音であったが、木管の響きが美しく全体として傾聴に値する音楽が流れていた。画面では序曲の間に「この物語は権力者テイトの苦悩と孤独と、臣下に対する義務と情−強いられた寛容をめぐる劇である」という解説が流されていた。



 場面は二階のヴィッテリアの部屋でのセストとの情事の後か衣服を整えながら、ヴィッテリアがセストを口先ばかりと頻りに責めていた。逆らえないセストはあなたのためなら何でもやると第一曲を歌い出し、やがて二人がそれぞれの思いを語る二重唱となった。そこへ背広姿のアンニオが登場し、テイトが呼んでいる、ベレニーチェとの結婚を諦めたようだと二人に告げた。ヴィッテリアはそれを聞いてセストに暗殺の中止を伝え、望みが出てきたと第二曲の激しいコロラチューラのアリアを歌う。恋人の言いなりにならざるを得ないセストと対照的に、ふてぶてしさを漲らせた傲慢な嫉妬深い女性の姿が見え隠れする。続くアンニオとセストのセルヴィリアを介した友情を誓い合う第三曲の二重唱が短いながら素晴らしい曲に聞こえた。
 場面が変わりファンファーレとともに行進曲が始まり、皇帝を讃える民衆たちの合唱が続くが、テイトの姿はヤクザの親分のような精力的な風貌であった。テイトはセストとアンニオを呼び、セストに妹のセルヴィリアを妃に迎えたいと告げたので、二人は仰天する。セストは親族としての地位を約束されるが、一方のアンニオは逆らえずにセルヴィリアを誉めてしまうので、本人に伝えるよう頼まれてしまう。アンニオが愛するセルヴィリアにお妃だと伝える苦しみと、彼女の驚きと苦悩に満ちた第七曲の愛の二重唱は木管のオブリガートを伴って実に美しい。行動力のあるセルヴィリアはテイトのところに駆けつけて「私の心はアンニオのもの」と告白し、テイトは意に従わぬのは罪だが正直な心を誉め、皆がこれほど忠誠ならと第8番のアリアで正直な彼女を許した。



 ヴィッテリアは、次にセルヴィリアが妃に選ばれたと知って嫉妬の余り腹を立て、セストに、私を好きならテイトを殺して王座をと再び唆す。テイトへの友情が強いセストは、その苦しみを第9番の前半のアダージョで歌うが、私を愛するならとナイフを手渡され、遂に「命令通り私は行きます」とアレグロで強く歌い上げ、大拍手を浴びていた。見送ったセルヴィリアの所にプブリオとアンニオが駆けつけ、「陛下がお呼びです。皇后さまです。」と告げた。ヴィッテリアの驚きとセストは?もう手遅れかと混乱するヴィッテリアのソロと喜びを伝える男たちの二重唱が奇妙な対象を示す面白いアンサンブルとなっていた。迷い苦しみながら放火をし、遂に人を刺してしまったセストのレチタテイーボの後に、フィナーレとなった。火の煙の中を人々が逃げ惑い、プブリオは犯人を追い、ヴィッテリアはセストに「絶対しゃべらないで」と念を押し、裏切りだと騒ぐ群衆の大合唱で真っ暗になったが、やがて舞台では大爆発が起こり、混乱の中で第一幕が終了した。



 まだ煙が残っている部屋でアンニオは逃亡しようとしていたセストに出合った。そして、恐ろしさと後悔で動転していたセストに、「テイトに戻れ、悔いを示せ。」と諭しながら、第二幕の冒頭のアリアを歌った。逃げようとするセストはヴィッテリアに合い、逃げてと言う彼女に別れを告げ「君の憐れみが欲しいんだ」と歌い出し、ヴィッテリアの後悔と不安な気持ちとの二重唱となり、次いで二人を見つけセストを逮捕しようとするプブリオとの複雑な第14曲の三重唱となって、セストはプブリオに遂に連行されてしまう。
 場面が変わり王宮の広場で「テイトは助かった。王宮は救われた。」と神に感謝する民衆の合唱が始まった。プブリオはテイトにセストの犯行を提訴するが、テイトは信じない。プブリオの進言があっても、アンニオの話にも耳を貸さぬテイトは、尋問会議の判決文に署名する前にセストに合おうとした。プブリオがセストを連れてくると、苦しみ抜いたセストは「これがあのテイトの顔だろうか」と歌い、苦悩に溢れるテイトは「これがあのセストの姿だろうか」と呟き、プブリオは署名させようと、それぞれが万感を込めて歌う第18曲の三重唱となった。セストは恐ろしくて打ち明ける勇気もなく、死を覚悟して第19番の有名な別れの歌をアダージョで歌い出し、ホルンの悲しげな伴奏で「絶望して死にます」とアレグロで歌って沈黙を守り、大変な拍手を受けていた。  友情と法の裁きの板挟みになった皇帝は、理由を告げぬセストに対し「アレーナへ」と厳罰を科して第20曲の厳しいアリアを歌う。アレーナへとの兄の判決を知ったセルヴィリアがアンニオとともに絶望的な第21曲のアリアを歌いながら、必死でヴィッテリアに助けを求めた。張本人のヴィッテリアは、セストが自分のために口を閉ざして死を迎えようとしている誠実さを知り、深く良心の呵責を覚えた。そして、自分だけが后妃になろうとしていた心を深く反省し、全てを諦めてテイトに告白しようと決断し、第23番の有名なロンドを歌い出す。始めに「全ては幻に終わった」とラルゲットでゆっくり歌い出し、バセットホルンが響き始めるとアレグロになって激しく絶望的な気持ちを歌うレッシュマンの最高の歌と熱演が見られ、大変な拍手を浴びていた。



 場面が変わってアレーナに民衆が集まっており、湧き上がる大合唱の中でテイトが入場し、その前にセストが引き出される。アンニオとセルヴィリアが赦しを求めるが、相手にしないテイトが罪状を語りかけた時に、ヴィッテリアがテイトの足下に駆け寄り、「私がセストを唆した張本人です」と告白した。テイトは驚きそして困惑したあげくに、理由を質すが、それは「陛下の善良さ」に復讐したのだと告げられテイトは愕然とする。そして改めて反省した上で、他人の裏切りにあっても自分の仁慈は常に不変であることを語って、皆を許すことに決断した。これはまさにテイトのこのオペラ最大の迫真劇であった。
 フィナーレになって、セストもヴィッテリアも、思わぬ結果にテイトに深く感謝し「死ぬまで忠誠を誓いますと」とテイトを讃え、セルヴィリアとヴィッテリアの二人の深い感謝の二重唱が清らかに響き、「神々よ、ローマと陛下の聖なる日々を」という民衆の大合唱の中で、テイトは祝福されて、花火と共に終わりとなった。



 見終わって、登場人物6人の互いのぎらぎらする人間関係をぶつけ合った迫力ある歌と演技が最後まで続き、迫真の舞台が続けられたと思う。私はいろいろなテイトの舞台を見てきたが、その中では最後まで全員が真っ黒な姿で悩み苦しみ抜いた舞台であったと感じた。しかし、私自身はローマの遺跡を背景にしたレヴァインとポネルの映像(まだアップしていない)が最初の舞台として頭に刷り込まれているので、ヤクザみたいな激しいテイトが登場しても権力者の上品なローマ皇帝の姿であることが分かるが、この映像を初めて見る人には、非常に理解しずらいものと思われた。また、舞台の最初と最後に出てきた処刑を受けるような裸の子供たちの姿が見られたが、これらは一体何を意味するのだろうか。史実では皇帝テイトはユダヤ人の目からすれば大変残虐な人物だったようであり、そのことを暗示していると解説書に書かれていたが本当なのであろうか。



 テイトのシャーデは、オッターヴィオ役の美声が売り物であったが、見事な変身ぶりで驚かされた。セストのカサロヴァは当初からの当たり役であり、現在最高のセストであろうと思う。レッシュマンの体当たり的な歌と演技にはいつも感心するが、今回は見事にヴィッテリアの悪役ぶりを演じていた。バーバラ・ボニーのセルヴィリアはお嬢さん役でピッタリであったが、今回は行動力のあるきつい役を演じていたし、これはアンニオのガランチャにも言え、温和しい役が動き回る情報屋の役に変身していた。
ヴィッテリアの浅はかな嫉妬に始まった単純な劇の筈であったが、一旦、アーノンクールの手に掛かるとこんなにまで深刻な人間くさい劇になるのであろうかと思い知らされた。見終わると、大作を見た後のように肩に力が入って疲れた感じになった。モーツアルトは果たしてここまで考えて作曲したのであろうかと、つい思いたくなってしまうが、兎に角、立派なオペラに仕立てられたものと感心をした。 

(以上)(07/11/26)


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