7-10-4、モーツアルト生誕250年「Mozart 22 DVDシリーズ(その16)」、
オペラの彷徨供嵳爾戮料曚ぁ廖淵癲璽張▲襯蛤酩覆離瓮疋譟次
ホーフシュテッター指揮、カメラータ・ザルツブルグ、演出;ヨアヒム・シュレーマー、ルードヴィヒスブルグ・シュロス合唱団、06年ザルツブルグ音楽祭、

−モーツアルトという人間のある足跡を「夕べの想い」として言葉と身体、メドレーによる声や音楽によって描こうとした作品−アン・マレイの二つの「夕べの想い」と三つのコンサートアリアが素晴らしかった−

7-10-4、モーツアルト生誕250年「Mozart 22 DVDシリーズ(その16)」、
オペラの彷徨供嵳爾戮料曚ぁ廖淵癲璽張▲襯蛤酩覆離瓮疋譟次
ホーフシュテッター指揮、カメラータ・ザルツブルグ、演出;ヨアヒム・シュレーマー、ルードヴィヒスブルグ・シュロス合唱団、06年ザルツブルグ音楽祭、

(台本)モーツアルトの書簡に基づいた台本;シュレーマー&ベッテイーナ・アウアー、 (配役)●歌手;アン・マレイ、●女優;マリアンネ・ハムレ、●ダンサー;グレアム・スミス、●リュート;ステファン・ラス、●グラスハーモニカ;レッケルト&マルゲーラ、
(07年4月25日、ユニバーサルGRAMMOPHON DVD-UCBD-1200、市販DVD使用)

 演出家のヨアヒム・シュレーマーは、ドイツ語圏を中心にいま最も精力的な演出活動を行っている演出家の一人とされているが、ザルツブルグ音楽祭には2002年に舞踊公演でデビューしており、今回この三夜にわたる「彷徨三部作」を任されている。三部作の第一夜は、9月号の「見てくれのばか娘」=喜劇であり、第二夜は憂いを湛えた「夕べの想い」を中心とした作品、第三夜=フィナーレ「恐るべき大王」という構成になっている。
 第二夜「夕べの想い」では、K.523の歌曲のしっとりとした雰囲気が全体を規定し、そこにさまざまなモーツアルトの楽曲が加えられる。そして、随処でモーツアルト自身の手紙が読み上げられ、この作曲家の細かく揺れ動く心情が紹介される。そこでは音楽と演劇、舞踊とビデオ映像といったさまざまな芸術のジャンルが垣根を越えて参画し、新たな舞台芸術作品を構成しているとされる。しかし、一度さっと見た限りでは、良く理解出来なかったので、繰り返して見て、もう少し深く掘り下げてみたいと考えた。使われているモーツアルトの音楽が多彩であり、断片曲が多かったのが、印象的だったからである。




 舞台は地下鉄の駅の構内の様な場所で、歌手の金髪のアン・マレイが正装で、ばらまかれた紙幣を集めて、バッグに入れている。フォルテピアノが分散和音で「夕べの想い」K.523の前奏を弾きだし、歌手が暗い声でゆっくりと思わせぶりに歌い出す。 「日が暮れて、月が輝く頃、死を予感して、過ぎた日の想いにふける。やがてこの世に別れを告げて、憩いの国にあこがれる。 友よ、私の墓に、すみれを一本、手向けておくれ。ひと滴の涙を落としておくれ。それこそ私の頭冠の、美しい真珠となるだろう。」
この曲の歌詞の意味合いをじっくり確かめながら聴いていると、人生に疲れた人の侘びしい「夕べの想い」が身に浸みて聞こえてきた。

 やがて女優のマリアンヌ・ハムレが金髪の正装で現れ、「私は聞き手もないのに演奏は出来ない」と早口で語り出す。パリのドウ・シャボ侯爵邸で、寒い部屋に1時間も待たされて、彼らの惨めなピアノで椅子や机のために弾いたことを思い出す。ザルツブルグが嫌いなのは、街が小さいからではなく、私の才能に適っていないからだ。私をもっと評価して欲しいという。彼女はこの劇の語り部で、彼女の語る言葉は、全てがモーツアルトの残された書簡にあった言葉であった。やがてフォルテピアノによる幻想曲K.396(385f)が始まり、ハムレの言葉が、モーツアルトの悔しい思いを限りなく告げ、終わりに独奏ヴァイオリンが入って寂しげに中断する。そして男性のダンサーも加わって、4声のカノンK.Anh.191(562c)のヴァイオリンの伴奏に乗って、三人で彼の人生を疲れさせた不平・不満の言葉が山のように語られるが、この曲は断片で、突如として止まり、静寂になる。




 女優ハムリが「私の望みといえば、名誉と名声と財を得ること」と語りだし、グラスハーモニカの音でアダージョハ長調K.356(617a)が静かに始まる。ザルツブルグではどこへ行っても「テーブルと椅子が私の聴衆だ」とハムレは語り、珍しいグラスハーモニカの生演奏を伴奏に三人の語りが続くが、シンフォニアイ短調K.Anh.220(16a)の第一楽章の激しい始まりで語りは中断する。彼の初期の作品にこんな暗いアレグロの激しい曲があったろうか?その間にアン・マレイがヒステリックに髪の毛を切ったり、ダンサーが激しく踊ったりしていたが、曲が終わると再びハムレが「今日は泣くしかない。何も喜びを感じない。」と語りだし、やがて2台のフォルテピアノのためのグラーヴェとプレストK.Anh.42(375a)が重々しい和音で始まり、プレストに入るとダンサーが突然暴れだし、衣服を脱ぎ捨て下着姿のまま狂ったように踊り出していた。



 やがて二人のソプラノとバスのためのノットルノK.438「いとしい人が遠くにいると」を三重唱で歌い出し、いつの間にか合唱になって静かに終わり、続いてセレナード第10番変ロ長調K.361(370a)から第三楽章アダージョが厳かに始まった。舞台では、男性ダンサーが、はだか姿で憑かれたように踊りまくるが、まるで苦しさや寂しさを全身で表現しているようであった。そして女優ハムレが「寒くも暑くもない。何も喜びを感じない。聞き手もいないのに演奏を、」と語り出すと、弦楽五重奏曲第4番ト短調から第四楽章のアダージョの部分の演奏がピッチカートを伴奏に開始された。悲しげなヴァイオリンの音が寂しさを募らせ、ハムレの「寒くも暑くもない。」というセリフが続く。やがて合唱団が突然に現れ、12声のカノン「優しい心であなたを愛す」K.348(382g)を歌い出す。初めて聴く曲であった。続いて二重カノン「私たちの生はあまりに短い」K.228(515b)が静かに歌われていた。



 一呼吸おいてグラスハーモニカのためのアダージョとロンドK.617が厳かに重々しく響き出す。ダンサーが体をくねらせて苦しげに皆が見ている前で踊り出す。歌手が一人で集めたお金に火を付けている。ハムレが「愉快な夢。夢が現実だったなら」と寂しげに語る。アダージョが終わり、よく見るとアン・マレイがピストルを片手に、再びリュートの伴奏で「夕べの想い」K.523を「私のお墓の前で」の部分から歌い出す。ダンサーは疲れて休んで聴いており、リュートの伴奏で「美しい真珠だ」と歌い終え、大きな拍手を浴びていた。
 次いでグラスハーモニカのためのロンドK.617の部分が始まり、目をこらすと舞台の奥のプールではダンサーが曲に合わせて泳ぐ姿が写し出されていた。二台のグラスハーモニカでライブ演奏されており、その音色はフルートや弦とかみ合って実に透明で美しい。それから、オーケストラの伴奏でアン・マレイが2曲の珠玉のコンサートアリアで別れの悲しみを歌っていた。始めに「私は行きます。でもどこへ?」K.583と歌い出し、「ああ、神々よ、私から迷いを取り去って下さい。」と美しく歌った。続けて、オーケストラ伴奏で「幸せの影よ、私はあなたと別れる。」K.255を歌い出し、レチタテイーボの後に、「私は行きます」と別れの歌をしみじみと歌い、大きな拍手を浴びていた。素晴らしかった。



 舞台では、アン・マレイと合唱団の女性たちがソプラノのための4声のカノン「私は涙にくれる」K.555を歌っていた。周りの女性たちが「もう花が咲いている」と騒いでおり、そしてハムレが「彼女が言う。もう春が笑いかけている」と語り始め、全ての枝に花が咲いているという。そこでカッサシオン第2番変ロ長調K.99(63a)から第三楽章アンダンテがピッチカートの前奏で静かに演奏が始まった。舞台では主役の三人が手にピストルを持って、何やら衝立の影になったり隠れたりして動き回っていた。やがてピストルの轟音とともに舞台上に置かれていた昔の三人の写真に命中して飛び散り、オーケストラの明るい伴奏とともに未完のコンサートアリア「もう春が笑いかけている」K.580が始まっていた。見事な過去との訣別の場面転換であった。
 アン・マレイが「もう花が咲いている」と春の喜びの歌を歌い出し舞台を一回りした後に、今度はテンポが変わりアンダンテでゆっくりとフォルテピアノとリュートの伴奏で「私は座って涙する」と歌い出し、終わりにステージに腰をかけて座り、始めに戻って「私は座って涙する」「やっと春が来た」と、明るく歌っていた。突然、舞台は真っ暗になり、ステージは終わりを告げた。断片曲の唐突な突然の終わりを意味するものであろう。何とも不思議な「夕べの想い」と題する創作劇であった。



 この映像は、受け入れようという積極的な気持ちがなければ、つまらない作品に見えるであろうが、その気になって舞台に入り込むと、恐らく普段あまり聴かれない断片曲でも素晴らしく良く聞こえ、アン・マレイの二つの「夕べの想い」と三つのコンサートアリアが、このために作曲された曲であるかのように、その場面にはまって良く聞こえていた。演出者たちの素晴らしい選曲と演奏が、この作品を価値あるものにしたようであった。



 この映像は、危機に瀕した芸術家の嘆きを主題にして、主人公の書簡の中の言葉をセリフにして、見るものの共感を得るように「夕べの想い」として描いたものであり、モーツアルトという人間のある足跡を「夕べの想い」として言葉と身体、メドレーによる声や音楽によって描こうとした作品である。作者のヨアヒム・シュレーマーは、2年半前から皆で話し合い3夜の構想を練り上げたという。終わった後に舞台の感想として、この舞台の出来には満足していると語っていた。このような新規さに好き嫌いはつきものであろうが、私はメドレーの音楽の作りの上手さに感心させられたので、この作品は良く考えられた創作力に満ちた映像であると感じさせられた。
 このドラマで使われたモーツアルトの作品については太字で示してあるが、そのうちほぼ全曲が演奏されているものについては、このHPの映像のコレクションにアップロードしたいと考えている。

(以上)(07/10/27)


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