6-8-3、F.X.ロス指揮ボワトウ=シャランド管弦楽団による「プラーハ」交響曲K.504、および飯森泰次郎指揮同楽団による交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551、「熱狂の日」音楽祭よりライブ中継、東京国際フォーラム、06/05/05、

−グザヴィエ・ロスによる早めのテンポの現代風な「プラハ」交響曲K.504と飯守泰次郎による重厚な堂々とした「ジュピター」交響曲K.551−

6-8-3、F.X.ロス指揮ボワトウ=シャランド管弦楽団による「プラーハ」交響曲K.504、および飯森泰次郎指揮同楽団による交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551、「熱狂の日」音楽祭よりライブ中継、東京国際フォーラム、06/05/05、

(06年05月05日、NHKのBS2による放送を、D-VHSレコーダーのLS-3モードで、S-VHSテープにデジタル録画。)

 8月分の第三曲目は、本場の「ラ・フォル・ジュルネ」で毎年活躍しているフランスのボワトウ=シャラント管弦楽団の演奏で、フランスの若手でピカイチと言われるフランソワ=グザヴィエ・ロスの指揮による「プラーハ」交響曲(第38番ニ長調)K.504、およびバイロイトで活躍していた飯守泰次郎の指揮による「ジュピター」交響曲(第41番ハ長調)K.551である。いずれも今年の5月5日に行われていた「熱狂の日・音楽祭2006」東京国際フォーラムCホールからのBS-2によるライブ中継を収録したものである。
 初めて聴くボワトウ=シャラント管弦楽団は、この音楽祭用に毎年編成される臨時編成楽団であるが、楽員は様々な音楽院で教鞭をとる若手の音楽家が7割を占め、個々の技術水準は高いと言われている。編成はモーツアルトの交響曲を演奏するに必要な最小限の大きさでコントラバス2本をベースにした30数人程度の編成であり、テインパニーやトランペットなどが良く響く管弦楽団であった。ロスの「プラーハ」交響曲は、古楽器指揮者のような指揮ぶりで、早めのテンポのキビキビした演奏であり、あっさりした現代風な演奏であった。一方、飯守の「ジュピター」交響曲は、オーソドックスなテンポの重厚な堂々たるジュピターであったが、テインパニーやトランペットを余り抑制できずギスギスした感じの響きとなり、にわか作りの演奏のように聞こえ残念な感じがした。



 このボワトウ=シャラント管弦楽団の交響曲の演奏は、「サリエリ」と言う1500人を収容できるCホールで行われたが、東京フォーラムではAホールの5000人に次ぐ二番目に大きなホールで、ここでは最も使われることの多いホールであった。資料によると、残響時間を調整できる残響可変装置などを備えた最新鋭のホールのようであるが、BS2で収録されたこの2曲については、編成が小規模な楽団であったせいか、重量感にやや乏しく、金管楽器がキラキラ目立ち、軽いひ弱な音響という印象であった。



 ニ長調の「プラーハ」交響曲K.504は大きな序奏を持っているが、両手を広げて古楽器風の指揮をするロスは、冒頭の序奏の出だしの和音の響かせ方が早く面食らってしまう。その後も早めの序奏の進行となるが、アレグロの第一主題は対比するかのように通常より速いテンポでぐいぐいと進める。気分が落ち着かないが、やはりテインパニーとトランペットが響きすぎ、オーケストラ全体の響きが痩せて聞こえる。オーケストラの規模の影響もあろうが、古楽器風の音の出し方やホールの響きも関係しているかもしれない。展開部に入ってもこの勢いは変わらず、第一主題の断片的な動機が次ぎつぎに対位法的な展開をみせ、オーケストラが混乱しないようロスは精力的に細かく主題を追いながらこの長大で充実した展開部を処理していた。



 第二楽章では、やはり早めのテンポで弦楽器により第一主題が静かに歌い出され、引き続いて第二主題が弦により提示されるが、フルートやオーボエが軽やかに対話しながら進行する。ロスは体全体をよく動かし丁寧に指揮をしているが、型通りの演奏で余り特徴がないアンダンテであった。フィナーレに入って、冒頭のロンド主題が「フィガロ」の第二幕のスザンナとケルビーノの二重唱「早く開けて」の軽やかな旋律に良く似ており、素早く小刻みに進行する。ここでもフルートとオーボエがとても印象的な活躍をする。この軽快なプレストに入って、やっとこの指揮者と楽団のキビキビした小気味よさに慣れてきた。

   これまで良く聴いてきたベームやクーベリックの「プラハ」のもつ、どっしりした重々しさとか重量感などとは無縁の、全く異なった早いテンポの演奏であるが、オーケストラが小規模で若い人達ばかりの演奏になると、このように様変わりしてしまう。これが現代風の演奏と言うことになるのかもしれないが、私には寂しい感じがした。



 「ジュピター」交響曲では、同じオーケストラで指揮者がドイツ仕込みの飯守泰次郎になったが、オーケストラの団員の配置がすっかり変わり、向かって左側にいたコントラバスが右側に移り、後方に金管・木管が一列に並ぶなどの変更があった。人数はほぼ同じなので、結果的に響きがどう変わるのか、興味のあるところである。

 第一楽章の始まりは、ずっしりと来る和音が続き、第一主題は重厚な響きでゆっくりしたテンポでまずまずであったが、やはりトランペットがうるさく響いて落ち着かず、また弦楽器がギスギスした感じで滑らかさがない。第二主題もまずまずに推移し、後半のブッファ的な副主題がピッチカートに乗って心地よい。展開部では専らこの副主題が繰り返し形を変えて現れるが、飯守は小型のオーケストラで如何に堂々と力強く鳴らそうかと苦労しているように見受けられた。





 第二楽章では非常にゆっくりしたテンポで厳かに始められるが、淡々と進む厚いオーケストラの流れがよい。続いて第二主題も静かに落ち着いて提示され、静けさが保たれており、弦の力強い厚いうねりも聞こえる。この楽章は飯守のふくよかなペースがキチンと保たれていた。メヌエットでは、フルオーケストラにより小気味よく壮大に進行し、飯守の導く堂々としたテンポで展開された。トリオでも弦の厚い悠々とした進行によってメヌエット主題に力を与えていた。フィナーレでは、軽快なテンポを取り終始堂々と進行し、この壮大な楽章を圧倒的な力で盛り上げようと試みられていたが、弦楽器など全体のオーケストラの響きに対してトランペットの高音が響きすぎ、テインパニーの音も突出して、ギスギスした響きで終始した。



 小規模の楽器編成であり、このオーケストラの持つ宿命的なやむを得ない全体のバランス音なのであろうが、先の「プラハ」交響曲ほど極端ではなかったが、特にフィナーレ楽章では最強音においてもう少し両楽器を抑制するように出来ないものだろうかと思った。演奏後何回か呼び出され、飯守のにこやかに拍手や声にこたえる表情にはヴェテランの味が漲っていた。

(以上)(06/08/25)


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