6-7-1、ウエザー・メストとチューリッヒ歌劇場の最新のオペラ「皇帝テイトスの慈悲」K.621、2006年5月、演出;ジョナサン・ミラー、

−長いレチタテイーボをセリフに変えた現代風の新鮮で若々しい感じの新しい映像−


6-7-1、ウエザー・メストとチューリッヒ歌劇場の最新のオペラ「皇帝テイトスの慈悲」K.621、2006年5月、演出;ジョナサン・ミラー、

−長いレチタテイーボをセリフに変えた現代風の新鮮な感じの新しい映像−


(配役)テイトス;ヨナス・カウフマン、ヴィテルッリア;エヴァ・メイ、セスト;ヴェッセリーナ・カサロヴァ、セルヴィリア;マリン・ハルテリウス、アンニオ;リリアーナ・ニキテアヌ、ププリオ;ギュンター・グロイスベック、
(06年6月16日、BS102CHの放送をD-VHSレコーダーのLS-3モードで、S-VHSテープにデジタル録画。)
 

  7月分の第一曲は、去る6月16日にNHKのBS2で放送されたNHKのウエザー・メスト指揮のチューリッヒ歌劇場の最新のオペラ「皇帝テイトスの慈悲」K.621である。この映像は今年の1月28日にBS2で一度放送されたものであるが、私はザルツブルグに旅行中で留守録が出来ず、再放送を願っていたものであった。このオペラについては、今年の4月にコンヴィチュニーが演出した「テイトス」が新国立劇場で公演され、このオペラが話題になっていた( フォルツーナさんの公演記録参照)が、私は見に行けず残念に思っていた。このオペラは、映像を見ても、言われるほど手抜きの多いオペラではなく、上演されたりソフトが増えるにつれて、必ず評価が高まってくるオペラであると感じているからである。
 チューリヒOPはモーツアルトの5大オペラを全て映像化しており、この映像は6番目のオペラである。そしてヴィテリアのエヴァ・メイ、セストのヴェッセリーナ・カサロヴァ、セルヴィリアのマリン・ハルテリウス、アンニオのリリアーナ・ニキテアヌたちは、この劇場の花形スターでこのホームページにも良く顔を出しており、彼女らの歌と演技の期待は大きく、この映像の再放送を待ちこがれていた。




 ミラーの演出が背広姿の現代風の形で表現されていたのには驚かされたが、テイトスのヨナス・カウフマンは無難な出来であり、背広姿のカサロヴァもよく似合い、エヴァ・メイのふてぶてしさも堂に入っていたし、セルヴィリアとアンニオもこのコンビにピッタリの役で、なかなか楽しめた。このオペラの映像には、古代ローマをイメージさせ定評のあるレバイン・ポネルの映画方式のもの、古楽器演奏の古い時代の舞台で熱演するエストマン・ドロットニングホルムズの纏まりのよい映像などが揃っていたが、これらに現代風の若手による新鮮な感じのする新しい映像が加わって、少ないコレクションではあるが、少し充実したような気がした。
 夕映えの美しいチューリッヒ歌劇場の全景が映し出され、配役の紹介とジュスマイヤーの作とされるレチタテイーボをセリフに変えて上演しているとの説明がなされる。ウエルザー・メストが入場し、序曲が開始される。一晩で書いたとされているが、弦と木管群の対話も美しく、セリアらしく堂々とした簡潔な序曲である。





 螺旋形の階段が中央にある建物内部の情景でヴィッテリアのエヴァ・メイと背広姿のセストのカサロバが立ち話をしながら階段を下りてくる。カサロバは肩幅が広く背が高いので背広やネクタイがよく似合う。カサロバの歌に合わせてメイが応ずるアンダンテからアレグロに入って第1曲は快調な二重唱であった。アンニオのニキテアヌが背広に山高帽の姿で登場し、皇帝がベレニーチェとの結婚を諦めたとの話。セストに実行を待てと指示するメイのアリア第2番の後半のコロラチューラが良く通り、セリフのせいもありテンポ良く進行する。続いて男役二人の約束の二重唱は短いがとても印象的であった。

 行進曲が始まり、集まった近代的な軍隊と民衆による盛大な合唱に続いてテイトスが「ローマの人よ」と挨拶し、セストとアンニオを呼んでセルヴィリアを妃にすると告げる。仰天する二人を前に、テイトスの第6番のアリアは威厳があり朗々と歌われ貫禄十分であった。アンニオからテイトスの意思を告げられたセルヴィリアは、何故私が?と驚き、アンニオとの第7番の二重唱となるが、この重唱が「コシ」にも負けないくらいに美しく改めて感動する。セルヴィリアはテイトスに「心はアンニオのもの」と直訴し、テイトスが「皆がこのように誠実なら」とセルヴィリアを許し、明るい声で第8番のアリアが歌われる。



 セルヴィリアに先を越され嫉妬が収まらないヴィッテリアはセストを責め、セストはクラリネットのオブリガートが美しい有名な第9番のアリアを、始めはゆっくりと、後半にはアレグロのコロラチューラを早口に連続させて「私は行きます」と歌いきり、飛び出していく。それを見送ったヴィッテリアは、アンニオとププリオから「お妃にとテイトスが探している」と告げられしばし当惑する。「待って。セストは?軽率だったわ?」と歌うヴィッテリアと祝福を告げる男二人の三重唱は風変わりに聞こえるが、メイの歌声はさすが充実していた。テイトスを裏切ったことを後悔するうちに火の手が上がって死を覚悟するセストの第11番の激しいレチタテイーボがあって、舞台はフィナーレへと突入。「裏切りだ」「誰がやった」とテイトスを除いた5人の五重唱に合唱が加わり盛り上がるが、ヴィッテリアが狼狽と恐怖からセストに「自白しないで」と告げて、緊迫のうちに激しいテインパニーと合唱で幕となる。赤い火の手を示す演出と群衆の合唱が混乱の場を盛り上げ、非常に効果的であった。

 第二幕は、幕が開くと同時に逃亡しようとしたセストに対し、テイトスは生きている、テイトスのもとへ戻れと諭すアンニオの第13番のアリアで、どうしようか迷うセスト。そこへヴィッテリアが登場し、お互いを守るため黙って逃げてくれと言う。そこへセストが刺したのは別人であったことを把握したプブリオが、セストを捉えに駆けつける。セストとヴィッテリアの別れの歌に「行こう」としつこいプブリオとの第14番の三重唱は、三人三様の立場で歌われ、複雑だが心に残るアリアであった。場面が変わりテイトスの無事を讃えた民衆の合唱とテイトスが皆のお陰でと挨拶。しかし、セストが犯人と聞いて大変に驚く。プブリオはセストへの疑いを信じようとしないテイトスを戒めようとする。



   アンニオが登場してセストのためにテイトスに慈悲を請い第17番のアリアを歌い、一方では、プブリオが判決の書類にテイトスの署名を要求する。署名の前にテイトスはセストを呼び、問い質そうとするが、ここでも迷うテイトスと被告のセストと署名を急ぐプブリオのそれぞれの立場が異なる複雑な第18番の三重唱が印象的。そして死を覚悟して理由も動機も明かさないセストの第19番のアリアがアダージョで重苦しく始まり、死を覚悟した後半のロンドで諦めを訴えたセスト最後のアリアとなる。第20番のテイトスの心を鬼にした決断のアリアに続き、セルヴィリアの「兄を助けて」と訴えるアリアは悲愴であり、自分のためにセストを犠牲にするヴィッテリアは厳しく良心の呵責を受ける。そして、ヴィッテリアは、セストのためにテイトスに全てを自白し罪を軽くしようと決意するレチタテイーボに続き、第23番の有名なバセットホルンのオブリガートがついたラルゲットとロンドの決意の心を歌う。メイの声が力強く響き、苦悩を強く訴える最高のアリアであった。



 アリーナでは群衆が大勢集合し、大合唱の中にセストが連れてこられ、そこでテイトスがセストに死に値すると宣告しようとした最中に、ヴィッテリアが登場し「セストに命じたのが私です」と名乗り、私が最も罪深いものと自白する。一人の罪人を処刑しようとしている時に別の罪人が出てきて驚愕するテイトスは、自分の身内の嫉妬と誤解に基づくものと知り、全ての者を許すと告げる。フィナーレに入りセストに続きヴィッテリアもテイトスへの感謝と新たな忠誠を誓い、テイトスを讃える壮大な合唱が続き、感動の中で幕となる。最後の許しのテイトスのレチタテイーボでは、テイトスの悠然とした広い心と態度が印象的でこの劇を盛り上げていた。

 このオペラは急いで書かれたという一夜漬け的な先入観とリブレットが古くさくて面白味がなく、人物が描き切れていないと言う評判からこれまで演奏機会が制限されてきた様であるが、改めてよく見ると楽しめるアリアや重唱もあり、音楽的にはやはり水準以上のものがあると感じざるを得ない。特にこの舞台においては、レチタテイーボのセリフ化によりテンポが速くなり、アリアも間延びせず簡潔に聞こえ、結果的に上演時間が2時間少々と短縮化されていた。さらに現代的な衣裳や舞台設営もあって、リブレットの古さを解消させ、セリフの対話方式が現代風な新鮮さを助長させていた。全曲を通じてメストのキビキビした指揮ぶりにも好感が持て、新しいミラーの演出に花を添えていた。

(以上)(06/07/08)


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