6-2-1、サイモン・ラトルとベルリンフイルのNYジルベスター・コンサート−「プラーハ」交響曲ニ長調K.504ほか、−

−このHP初登場のサイモン・ラトルのきびきびした華やかなオール・モーツアルト・コンサート−

6-2-1、サイモン・ラトルとベルリンフイルのNYジルベスター・コンサート−「プラーハ」交響曲ニ長調K.504ほか、06年01月01日、NHKBS2衛星放送、ベルリンフイルハーモニー・ホールより衛星生中継、
(曲目)1)「フィガロの結婚」序曲、2)ピアノ協奏曲変ホ長調(第9番)K.271「ジュノム」、ピアノ;エマニュエル・アックス、3)交響曲ニ長調(第38番)「プラーハ」K.504、4)「フィガロの結婚」第4幕K.492の最終場面)、
−このHP初登場のサイモン・ラトルのきびきびした華やかなオール・モーツアルト・コンサート−

(06年01月01日、NHKBS-2の衛星中継放送をD-VHSレコーダーのLS-3モードでS-VHSテープにデジタル録画)

 2月分の冒頭の曲は、既に述べた本年最初のコンサート、05年ベルリンフイル・ジルヴェスター・コンサートをサイモン・ラトルの指揮でお届けする。生誕250年のモーツアルトイヤーを飾るオール・モーツアルトのプログラムであり、衛星生中継で放送されたのでご覧になった方が多いと思われる。NHKの案内では曲目は「プラーハ」交響曲ほかとしか紹介されなかったので、標記のように多彩なプログラムで「フィガロの結婚」に始まり、オペラの最終場面の”ペルドーノ”の感動的な部分で終わる意表をつく編成で驚かされ、ラトルがどうモーツアルトを演奏するかを含めて実に期待の多いプログラムであった。


 サイモン・ラトルのモーツアルトと言えば、余り聴いたことがないという答えしか返ってこないと思われるが、さすがにベルリンフイルの要職に選ばれる人だけあって、最初の「フィガロの結婚」序曲を聴いてこのコンサートは行けると安心をした。確かに古楽器風にテインパニーやトランペットなどを強調したところはあるものの、全体としてはごく一部の話であり、心配は消え失せた。むしろ、彼は3本のベースを底辺にしたベルリンフイルを手足のように動かす指揮ぶりであって、実にキビキビしたテンポの軽やかなトーンで序曲を進めながら、輝きに満ちたフルオーケストラの豊かな響きを聴かせており、終わって爽やかな感じの残る華やかで楽しい序曲であったからである。

 期待が高まる中で、2曲目のエマニュエル・アックスのピアノによるピアノ協奏曲変ホ長調(第9番)K.271「ジュノム」が始まった。このピアニストは、1949年ポーランド生まれの逸材で、ザルツブルグのモーツアルト週間には毎年のように参加しており、安心して聴けるピアニストの一人であった。冒頭のトウッテイと続く独奏ピアノによって対話風に始まる出だしは、お互いの探り合いのように慎重な響きを見せるが、ラトルは弦楽器の音に多少の味付けをしながら提示部を進行させる。ピアノが透明な響きを見せながら登場し、オーケストラと競い合うように進み、新鮮な躍動感に溢れるような軽やかな動きを見せた。ラトルとアックスが互いに生み出した新しい響きのような新鮮な感じがした。


 第二楽章はもの憂い表情でゆっくりしたオーケストラの序奏で始まり、独奏ピアノが引きずるようなトーンで引き継いでいく。しかし中間部で見せる独奏ピアノはきりりと締まった表情を見せ、堂々と進行する。冒頭の独奏ピアノによる急速な分散和音で始まるロンド楽章は、その後オーケストラと緊密に結びつきながら急速に進行する。ロンドの中間部で特徴的なメヌエットではソロピアノで歌うようにゆっくりと現れ、更にオーケストラでピッチカート伴奏により優雅に変形されながら拡大されて、この曲の艶やかな場面を構築する。アックスとサイモンの表情豊かな演奏がモーツアルテイアンとしては気になるこの場面を、ウットリさせるように引き立てており、十分満足させるものがあった。

   休憩後のプラーハ交響曲は、ラトルらしいリズムを明確に刻む古楽器的な奏法の序奏でゆっくりと華やかに始まり、進行するにつれて次第に緊張と高まりを増しながら頂点に到達する。ラトルの表情の変化が、音の微妙な変化を伝えており、クローズアップする顔の表情が複雑で、映像ならではの面白さを感じさせる。続いてアレグロの主題がシンコペーションで第一ヴァイオリンにより颯爽と走り出し、次第に形を変え楽器を変えながら進行し、第二主題に引き継がれる。展開部では長い第一主題の断片が次ぎつぎに対位法的な変化を見せ、ラトルがきめ細かく丁寧に主題を追いながらこの長大で充実した展開部をこなしていた。


 第二楽章では、ゆっくりしたテンポで弦楽器により第一主題が静かに歌い出され、美しい動機による経過部を経て第二主題が弦により提示される。軽やかな主題でフルートやオーボエが対話しながら進行し、やがて実に印象的なスタッカートの動機が現れ、カノン風に複雑に展開される。ラトルは体全体を動かし、顔の表情まで使って、きめ細かく全員に指示し、自分でも納得するかのような表情を見せながら指揮をしていた。
プレストのフィナーレでは、冒頭の主題が「フィガロ」の第二幕のスザンナとケルビーノの二重唱「早く開けて」の旋律にとても良く似ており、ロンド主題として舞台同様に素早く小刻みに進行する。第二主題は弦と管の美しい対話が続くが、ここでもフルートとオーボエが見事な活躍をする。よく見るとフルート奏者は有名なパユが吹いているように見えた。この交響曲は三楽章形式であるが、終わってみればそれを感じさせない充足感があり、形ばかりのメヌエット楽章は無くても良いことを示しているのではなかろうか。シンフォニー全体を通じて、ラトルの指揮ぶりは颯爽としており、各楽章とも核心をつかんだ演奏をしており、きびきびした表現がとても良かったと思う。

 最期の「フィガロの結婚」の最終場面は、第11景のフィガロのレチタテイーヴォから始まるが、指揮者ラトルはチェンバロを弾きながら指揮をしていた。次いでケルビーノが第2幕のアリエッタを小声で歌いながら飛び出してきてスザンナに化けた伯爵夫人に絡もうとして、第28番のフイナーレが始まる。オーケストラの後と客席との間の狭い花道を利用して、写真に示すような普通の衣裳で、形ばかりの演技を加えた演奏会形式の舞台であった。ラトルの指揮は歌手が動きやすいようにメリハリがついた明快な指揮ぶりで、舞台は表情豊かに一気に進む。私はコンサートの中で、オペラの一部を演奏会形式で演奏するのは今回が初めてであったが、複数の歌手が集まると華やかでなかなか楽しいものだと思った。(今回の生誕250年のザルツブルグの祝祭大劇場における記念コンサートにおいても、最期の曲は「魔笛」の最期の僧侶たちの合唱が歌われたが、これも堂々としたコンサートのフィナーレであった。)


 7人の登場人物は知らない人ばかりであったが、皆さん元気いっぱいで演技たっぷりに朗々と歌い上げ、非常に活気に満ちた楽しい舞台であった。歌手陣のお名前が字幕で紹介されていたので、後日の参考のために記しておこう。彼らはラトルの目に適った将来有望な若手歌手たちだからである。(伯爵;ジェラルド・フインリー、伯爵夫人;カミラ・ニルンド、フィガロ;ジョン・レリア、スザンナ;クリステイアーネ・コルツエ、ケルビーノ;マクタレーナ・コシェナー、ドン・バジリオ、ブルクルト・ウルリヒ、アントニオ;コンスタンテイン・ウオルフ)


中でも伯爵夫人は声量がありマスクも良く立派なソプラノであり、スザンナとフィガロも演技達者な直ぐにでも舞台に立てそうなコンビであった。伯爵の最期の”コンテッサ・ペルドーノ”はゆっくりと実に朗々と歌われて、伯爵夫人の返事を引き出し易くしており立派な幕切れであったと思う。それにしてもモーツアルトの音楽は、どのような場で演奏されても、充実した見事な出来映えになっているとつくづく感じざるを得なかった。


 全プログラムを終わって、拍手の中で花束が歌手と指揮者に贈られたが、その後新年を祝う指揮者ラトルの言葉があり、引き続きモテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」ヘ長調K.618がアンコールとして歌われた。これは弦楽の伴奏で女声3人、男性4人による混声合唱であるが、合唱団による合唱優位ではなく、オーケストラ優位の合唱であった。しかし合唱が少数精鋭で実に透明感溢れる澄んだ声の合唱を聴かせてくれ、一時ではあるがしみじみとした美しい音楽の世界に浸ることが出来た。ラトルとベルリンフイルによる素晴らしいジルベスター・コンサートであり、今後もラトルのモーツアルトへの進出を期待したいと思った。

(以上)(06/02/15)


目次3にもどる
目次2にもどる
目次1にもどる
私の新ホームページへ

名称未設定