(最新のBDより、グートとティチアーティの素晴らしい「ティト」、)
18-8-3、クラウス・グート演出とロビン・ティチアーティ指揮による2017グラインドボーン歌劇場による「ティト帝の慈悲」K.621、エイジ・オブ・インライトメント管弦楽団とグラインドボーン合唱団、オラフ・ヴィンターの照明・プロジェクション、
2017年8月、グラインドボーン歌劇場、日本語字幕付き、

−ティチアーティとエイジ・オブ・インライトメント管弦楽団のオペラは、「フィガロ」や「後宮」に続いて3本目であるが、いつもリブレットに忠実で省略がなく、音楽も緩急のテンポを良く心得て、アリアを大切にしっかりと歌わせており、最も基本的なことを大事にする伝統的な発想の舞台であるという思いがしており、今回も彼の音楽作りの良さが、この映像の基本になって、美しい音楽に十分浸ることが出来た。犯罪者全員を赦すという通常では起こりえない話を、舞台上で矛盾なく表すことは容易ではないが、この映像では、ティト帝とセストとの深い友愛関係とヴィッテリアの悪女的な行動力に加えて、セストの裏切り行動や王宮の襲撃の描写などが他の映像以上に説得力があり、とても優れていた。そしてその背景には、演出者のグートをはじめ舞台監督たちが用意した二階が王宮の一室、一階が草原という舞台仕掛けと、プロジェクション・マッピングなどの技術を回想や背景に巧みに活用して、説明力を高めたことによるものであり、感心させられた−

(最新のBDより、グートとティチアーティの素晴らしい「ティト」、)
18-8-3、クラウス・グート演出とロビン・ティチアーティ指揮による2017グラインドボーン歌劇場による「ティト帝の慈悲」K.621、エイジ・オブ・インライトメント管弦楽団とグラインドボーン合唱団、オラフ・ヴィンターの照明・プロジェクション、
2017年8月、グラインドボーン歌劇場、日本語字幕付き、
(2018/07/24、銀座の山野楽器店で購入、Opus Arte OABD7232D、)

     18-8-3は、ドミンゴの「ドン・ジョヴァンニ」の最新盤(2017)と既に予告済みであったが、7月末にもっと新しいグートとティチアーティのイギリス仕込みの「ティト帝の慈悲」の最新のBD盤を購入し一見したところ、これがとても素晴らしく感動的だったので、急遽、自らの決定を変更して、8月分の18-8-3としてアップロードすることにした。これは、最近、このオペラは人気が高まっており、2012年のMETのオペラヴューイングに始まり、2017年のP.セラーズとクルレンツイスの「ティト帝の死?」で衝撃を受けてきたところに、新たにこのグラインドボーンからグート演出、ティチアーティ指揮エイジ・オブ・インライトメント管弦楽団の新鮮で陰影に富む映像(2017)が登場してきたからである。実は、P.セラーズの映像を、オペラ・サークルの皆さんと、近いうちに、一緒に見ようと約束していたので、その時にこの新しいBDについても、必ず話題になると考えられたので、早めにアップしようと、急遽、予定を変更したものであった。


      これまで、ティチアーティ指揮とエイジ・オブ・インライトメント管弦楽団によるグラインドボーンの、「フィガロの結婚」(2013)と「後宮」(2015)をアップしてきたが、演出者は異なるものの、いずれも現代風に読み替えられていた演出であったが、音楽性が豊かであり、リブレットに非常に忠実でありながら新鮮できめの細かさが秀逸であって、とても気に入ってきた。しかし、今回はモダンなクラウス・グートによる演出であって、あの「ドン・ジョヴァンニ」(2008)のように過激な演出でなければと心配していたが、リブレットに忠実でモダンでありながら新鮮味溢れる新しい映像を見て安心をした。


     この新しい映像の特徴がどのように細部に現れるかについて、以下にこのオペラを始めから追っていくことにしよう。2017年、18年と続けてザルツブルグのモーツァルト週間で確かめたこの指揮者とオーケストラが、いきなり三回続けて三和音風に上昇するファンファーレを響かせて、堂々と行進曲風の序曲の第一主題が開始され、その鮮明な響きに気を取らていると、やがて、オーボエとフルートによる第二主題が登場して管の響きが美しい音楽が流れていた。画面では始めから草原のような緑豊かな林の中で、兄と弟のような子供たちが無心で自然を追いかけ、パチンコを手にして遊んでいたが、やがて大きな鳥を見つけて打ったところ、それが不幸にして鳥に当たり血を出して草むらに倒れて死んでいた。この序曲は、まるで深い兄弟愛の遊びの中での不幸な出来事を暗示しており、この寸劇の終了とともに序曲も終了していた。


       そして場面は、引き続き草原の木々が豊かな自然の中で、ヴィッテリアとセストとの情事の後か、二人は衣服を整えながら、ヴィッテリアがセストを口先ばかりと頻りに長々と責めたてていた。逆らえないセストはあなたのためなら何でもやると第一曲を歌い出し、やがて二人がそれぞれの思いを語る二重唱となり、アレグロに入っての二重唱でヴィッテリアは、セストに拳銃を手渡していた。
       そこへアンニオが登場し、ティトが呼んでいる、ベレニーチェとの結婚を諦めたようだと二人に告げた。驚いたヴィッテリアはそれを聞いて、セストにしつこく言い含めていた暗殺の中止を伝え、望みが出てきたと第二曲の激しいコロラチューラのアリアを歌い出していた。恋人の言いなりにならざるを得ない不幸なセストと対照的に、ふてぶてしさを漲らせた傲慢な嫉妬深い女性の姿が見え隠れしていた。一人になったセストに、アンニオが会いに来て、自分とセルヴィリアとの結婚を認め、ティトの了解を得て欲しいと頼み込み、そこで二人の友情を誓い合う第三曲の二重唱が短いながら歌われそれが素晴らしい曲に聞こえていた。


                   場面が変わりここはティトの居室か、ファンファーレとともに行進曲が始まっていたが、ここで黒人の美女ベレニーチェが無言でティトに別れを告げにきてプブリオと二人で見送るシーンが示されており、目新しさがあった。続いて皇帝を讃える民衆たちの合唱が始まるが、この合唱でベレニーチェはローマ市民から気に入られていない様子が露骨に示されていた。ここでプブリオが市民から寄せられた貢物の報告をすると、ティトは「これをヴェスヴィオの被災者救済に充てたい」と2階からローマ市民に高らかに告げ、再び合唱が始まって、ティト帝が称えられていた。


                     ティトはセストとアンニオを呼び、セストに妹のセルヴィリアを妃に迎えたいと告げたので、二人は仰天する。セストは親族としての地位を約束されるが、一方のアンニオは立場上逆らえずに、セルヴィリアを「后にとして相応しい知性ある女性」と誉めてしまうので、ティトはアンニオから本人に伝えるよう命じ、「玉座にも喜びがある」と第6番のアリアを歌っていた。


                      アンニオは、さあ大変となって、愛するセルヴィリアにお妃だと伝える苦しみを味わいながら、彼女の驚きと苦悩に満ちた第七曲を歌いだすが、これが木管のオブリガートを伴った愛の二重唱となって、万雷の拍手を浴びていた。しかし、行動力のあるセルヴィリアはティトのところに駆けつけて「私の心はアンニオのもの」と告白すると、ティトは彼女の真面目な正直な心を誉め、「意に従わないのは罪だが皆がこれほど正直に忠誠なら」と第8番のアリアで正直な彼女を許していた。

          ティトから許されて彼女の喜ぶ姿は、まさにハ短調ミサ曲のアリアにピッタリなのであるが、そこで出会ったヴィッテリアは、次にセルヴィリアが妃に選ばれたと知って嫉妬の余り腹を立て、「次は貴女の番よ」と言われて侮辱されたと怒っているうちに、出会ったセストに怒りの矛先をぶつけて、ティトの暗殺を中止しておきながら、「まだ実行していないのか」と迫まって、「ティトが死ななければ、また、私は彼を愛するかもしれない」とセストを脅して、悪女ぶりを発揮していた。

        そしてヴィッテリアはセストに、私を好きならティトを殺して王座を手にしようと再び強く唆していた。そこでセストは、遂に決心をして「私は行きます」と第9番のアリアを歌いだした。ティトへの友情が強いセストは、その苦しみをクラリネットのオブリガートで前半のアダージョで悲しそうに歌うが、後半のアレグロでは、「命令通り私は行きます」強く歌い上げ、彼の最高のアリアとなって、大拍手を浴びていた。

    見送ったセルヴィリアの所にプブリオとアンニオが駆けつけ、「陛下がお呼びです。皇后さまです」と告げた。ヴィッテリアが驚いて「セストはどこか。もう手遅れか?」と混乱するヴィッテリアのソロが始まり、彼女は必死でセストを探すが見つからず、喜びの余り彼女が混乱していると歌うプブリオとアンニオとの三重唱が奇妙な対照を示す面白いアンサンブルとなっていた。続いてセストの歌う劇的な伴奏つきレチタティーヴォが始まり、彼が部下に命じて王宮を襲わせ、迷い苦しんで歌っているうちに、放火がなされ、王宮が襲撃されて、遂に人を刺してしまった様子が描かれていた。


    フィナーレの五重唱では、燃える火の海を背景に、まずセストが歌いだし、続いてアンニオが駆け付け、セルヴィリアが放火のようだとつぶやき、煙の中を人々が逃げ惑う姿が見え、プブリオは皇帝への謀反だと騒いで五重唱が続き、ヴィッテリアはセストに遭って最後に「絶対しゃべらないで」と念を押していた。裏切りだと騒ぐ群衆の大合唱で、一旦画面は真っ暗になったが、やがてティトの死を暗示するプロジェクション・マッピングの画像が効果的に表れて、混乱の中の合唱で第一幕が終了していた。セストが行動する伴奏つきレチタティーヴォ以降からフィナーレを終えるまでの映像表現は、どの映像も余り成功していないが、この映像はよく考えられて作られ、説得力があるものと思われた。



    第二幕は、まだ煙が残っている草原で、アンニオは逃亡しようとしていたセストに出合った。そして、恐ろしさと後悔で動転していたセストに、ティトが元気であることを告げて「ティトに戻れ、悔いを示せ。」と諭しながら、第二幕の冒頭のアリアを歌っていた。逃げようとするセストはヴィッテリアに会い、逃げてと言う彼女に別れを告げ「君の顔にそよ風を感じたら、それは私のため息だ。君の憐れみが欲しいんだ」と歌い出し、ヴィッテリアの後悔と不安な気持ちとの二重唱となり、次いで二人を見つけセストを逮捕しようとするプブリオとの複雑な第14曲の三重唱となっていたが、最後にセストはプブリオに連行されてしまっていた。



          場面が変わり王宮の広場では「ティトは助かった。王宮は救われた。」と神に感謝する民衆の合唱が始まった。ティトは群衆に元気な姿を見せてソロで答えてから、再び合唱となっていたが、犠牲になった人の姿も見えて、明らかにこれが謀反であること示していた。プブリオはティトにセストの犯行であると提訴するが、ティトは信じない。そこでプブリオは、彼の唯一のアリア「裏切りに気づかぬ人は、人の不実が分からない」と歌っていた。


    プブリオの進言があっても、アンニオが歌う第17番のアリアで、セストは死に値するが許して欲しいというお願いがあっても、人の話に耳を貸さぬティトは、尋問会議の判決文に署名する前に、自身でセストに合い、自分で確かめようとした。プブリオがセストを連れてくると、苦しみ抜いたセストは「これがあのティトの顔だろうか」と歌い、苦悩に溢れるティトは「これがあのセストの顔だろうか」と呟き、プブリオは署名させようと、それぞれが万感を込めて歌う第18曲の三重唱が歌われていた。そして、ティトの友人としての問いに対しても、セストは口を割ることはなかった。


  セストは恐ろしくて打ち明ける勇気もなく、死を覚悟して第19番の有名な別れの歌をアダージョで歌い出し、ホルンの悲しげな伴奏で「絶望して死にます」とアレグロで歌っていたが、序曲の仲の良い兄弟の姿が回想されていた。友情と法の裁きの板挟みになった皇帝は、理由を告げず本心を明かさぬセストに対し、厳罰を科す第20曲の厳しいアリアを歌っていた。


   兄の死の判決を知ったセルヴィリアがアンニオとともに絶望的な第21曲のアリアを歌いながら、必死でヴィッテリアに助けを求めた。張本人のヴィッテリアは、セストが自分のために口を閉ざして死を迎えようとしている誠実さを知り、深く良心の呵責を覚えた。そして、激しい伴奏つきのレチタティーヴォで、自分だけが后妃になろうとしていた心を深く反省し、全てを諦めてティトに告白しようと決断をした。


そしてヴィッテリアは、第23番の有名なロンドを歌い出していたが、始めに「全ては幻に終わった」とラルゲットでゆっくり歌い出し、バセットホルンが響き始めるとアレグロになって激しく絶望的な気持ちを歌いだし、彼女の本日最高のアリアと熱演になって、大変な拍手を浴びていた。場面が変わって広場には民衆が集まっており、湧き上がる大合唱の中でティトが入場し、罪人のセストが皆の前に引き出されていた。




ローマの民衆の前で、ティトがセストに対し罪状を語りかけた時に、ヴィッテリアがティトの足下に駆け寄り、「私がセストを唆した張本人です」と告白した。ティトは驚きそして困惑したあげくに、理由を質すが、それは「陛下の善良さに復讐したのです」と告げられティトは愕然とする。そして改めて反省した上で、他人の裏切りにあっても自分の仁慈は常に不変であることを語って、その場で皆を許すことに決断した。これはまさにティトのこのオペラ最大の迫真劇であった。




          フィナーレになって、セストが「私の心が許しません」と語り、ヴィッテリアも思わぬ結果にティトに深く感謝し、「死ぬまで忠誠を誓いますと」とティトを讃えていたが、セルヴィリアとヴィッテリアの二人の深い感謝の二重唱が清らかに響き、「神々よ、ローマと陛下の聖なる日々を」という民衆の大合唱の中で、ティトは祝福されて終わりとなった。




         この映像を見終わって、この映像はティト帝と友人セストとの兄弟愛的な深い友情関係を強調した映像であると感じられ、この二人の関係が危機状態になると、序曲の寸劇で出てきた仲の良い二人の子供たちの姿が見え隠れして、その場面を強調しているように思われた。また、先帝の娘ヴィッテリアが、愛人セストを唆す場面が厳しく描かれて、悪女ぶりの姿が強調されており、これらがこの映像を特徴づけ、全体を分かりやすく迫力あるものにしていたように感じられた。私はいろいろなティトの舞台を見てきたが、その中ではこの映像は、主役の6人が揃って生き生きとして、最後まで全員が悩み苦しみ抜いた、充実した舞台であったと思う。


          犯罪者全員を赦すという通常では起こりえない話を、舞台上で矛盾なく表すことは容易ではないが、この映像では、上記のティト帝とセストとの深い友愛関係とヴィッテリアの悪女的な行動力に加えて、セストの裏切り行動や王宮の襲撃の描写が他の映像以上に説得力がある必要があるが、それらの点でこの映像はとても優れていた。そしてその背景には、演出者のグートをはじめ舞台監督たちが用意した二階が王宮の一室、一階が草原という舞台仕掛けと、プロジェクション・マッピングなどの技術を回想や背景に巧みに活用して、説明力を高めたことによるであろう。そのため、今回の新しいモダンな演出の中では、抜きんでてリブレットに忠実な舞台が得られ、新しく新鮮な感覚でこの映像を楽しむことが出来たと思われる。

         ティチアーティとエイジ・オブ・インライトメント管弦楽団のオペラは、 「フィガロ」や「後宮」に続いて3本目であるが、いつもリブレットに忠実で省略がなく、音楽も緩急のテンポを良く心得て、アリアを大切にしっかりと歌わせており、最も基本的なことを大事にする伝統的な発想の舞台であるという思いがしており、今回も彼の音楽作りの良さが、この映像の基本になっているような気がしており、美しい音楽に浸ることが出来た。
         6人の主役の全員が、いつものグラインドボーンの映像と同様に、このHP初めての歌手たちであったが、揃ってそれぞれの役を完璧にこなしているのには驚かされ、さすが伝統あるグラインドボーン歌劇場であるという印象を得た。中でも題名役のティト帝のリチャード・クロフトの均整の取れた美声が素晴らしかった。また、悪女役のヴィッテリアを演じ歌ったアリス・コートのふてぶてしさと低音の魅力が重なり印象的であった。セストのアンナ・ステファニーは、カサロヴァやガランチャほどの迫力はなかったが、第9番や第11番では、素晴らしい歌と演技で頑張っていた。この主役の3人の頑張りにより、この映像は、このオペラ「ティト帝の慈悲」を語るときには、必ず話題になる新しい映像といえるであろう。

(以上)(2018/08/19)



目次5にもどる 目次4にもどる
目次3にもどる 目次2にもどる
目次1にもどる 私の新ホームページへ


                              名称未設定