(古いS-VHSより;スコダ・ピアノソナタを弾く、K.475、K.457、K.511、)
18-8-2、パドウラ・スコダによるピアノ選集;幻想曲ハ短調K.475、ピアノソナタハ短調K.457、ピアノのためのロンドイ短調K.511、
1988年、90年、ザルツブルグ小ホールおよびザルツブルグ博物館、ORF制作、A.ライツエンシュタイン監修、クラシカ・ジャパン、

−この映像は、古いVHSテープの中から見つけ出した貴重な映像であり、パウル・パドウラ=スコダによる「モーツァルト・ピアノ選集」と題されたもので、幻想曲ハ短調K.475、ピアノソナタハ短調K.457およびピアノのためのロンドイ短調K.511、の3曲が収録されていた。 この3曲は、独立して演奏されており、その特徴は、当時まだ珍しかったフォルテピアノの演奏であり、特に、ロンドは住家の博物館で演奏されていた。スコダのフォルテピアノは、ゆっくりしたテンポで一音一音、粒たち良く明瞭に弾かれており、これらの曲に実にピッタリと合った穏やかな深みのある響きを見せていた。私には曲が単純な形でできており、まさに模範的な素晴らしい演奏であると思われた−

(古いS-VHSより;スコダ・ピアノソナタを弾く、K.475、K.457、K.511、)
18-8-2、パドウラ・スコダによるピアノ選集;幻想曲ハ短調K.475、ピアノソナタハ短調K.457、ピアノのためのロンドイ短調K.511、
1988年、90年、ザルツブルグ小ホールおよびザルツブルグ博物館、ORF制作、A.ライツエンシュタイン監修、クラシカ・ジャパン、
(2000年5月20日18:30より、クラシカ・ジャパンの放送をS-VHS345.1に収録)

    8月号の第二のファイル18-8-2は、これも古いVHSテープの中から見つけ出した貴重な映像なのであるが、パウル・パドウラ=スコダによる「モーツァルト・ピアノ選集」と題されており、幻想曲ハ短調K.475、ピアノソナタハ短調K.457およびピアノのためのロンドイ短調K.511、の3曲を収録したものである。1988年および90年の映像とされ、ザルツブルグ小ホールおよびザルツブルグ博物館で、ORFが制作したものであり、当時はまだ珍しかったフォルテ・ピアノによる短調の曲ばかりを集めたコンサートであった。この映像が見つからなかったので、この3曲のデータベースの総括が出来ずに困っていたが、今回のご報告でこの3曲の総括を完成させたいと考えている。


    最初の曲の幻想曲ハ短調K.475では、非常に暗い映像で演奏者の顔が示されることなく始まっていたが、緩急緩急緩と大別すると大きく五つの部分に分かれている緩の部分が静かにゆっくりと開始されていた。この4分の4拍子の瞑想的なアダージョは、ユニゾンで主題を開始し、直ぐに静かにppで休止していたが、重苦しい悲愴的な主題がじっくりと繰り返されてから、主題が右手から左手に渡され、次第に暗い表情が高まっていき、再び右手に移されていた。やがて明るく頂点に達すると、静かに収まりを見せていたが、スコダはすごく丁寧にキチンと弾いていた。スコダは当時としては珍しいフォルテピアノを弾いていたが、残念ながら、ピアノの姿が良く映らない。やがて無言歌のような美しい静かな主題が現れ、その主題がひとしきり続いてアダージョの部分を締めくくってから、やがてアレグロで力強いオクターブの和音とともに激しい速いパッセージが始まった。このアレグロは繰り返されて激しく頂点を築いてからフェルマータの後、穏やかに収まりを見せていた。


         続いて4分の3拍子のアンダンテイーノに入り、暫く穏やかな部分が続き、必ずしも燃焼しないままに、続いてピウ・アレグロの部分に入り、ここではもの凄い勢いで激しく両手が鍵盤上を駆けめぐっていた。スコダは、見事なピアノの技巧を見せながら、嵐の頂点に達していたが、次第に穏やかになり、いつの間にか初めのアダージョが始まっていた。静かに一音一音大切に和音が進み、主題が左手に移ってから再び右手に戻り、深い和音で締めくくられていたが、右手のフォルテのクレッシエンドで静かに休止していた。ここで最初の演奏は終わって、映像は切れていた。


           第二曲目のハ短調ピアノソナタK.457は、休憩の後にスコダが着席して、第1楽章の冒頭のアレグロの第一主題がフォルテで始められた。この主題は、重々しく上昇する緊張した和音の連続で始まるが、後半では半音階的な下降の動きを見せて、スコダのフォルテピアノは、先の幻想曲の暗いアレグロの緊張した気分を引きずっているかのように響いていた。緊張感が溢れる表情で第一主題は激しくどんどんと進み、経過部を経て、やがて軽やかに右手と左手が応答するような優しい第二主題に入り明るさを取り戻していた。この楽章の提示部はこれら二つの特徴ある対象的な主題で構成されており、しっかりと進んでから、演奏では提示部は明るく繰り返されていた。しかし、スコダはこの繰返しをしっかりと緊張感を持って弾いており、ここでは装飾音は殆ど使わずに、力強く繰返していた。
         続いて展開部では、第一主題の冒頭部の音形が力強く繰り返し展開され、緊張感を増しながら進行して、フェルマータで一息入れて再現部へと移行していたが、スコダのピアノは、このアレグロ楽章を絶えず緊張感を保ちながら力強く弾き進んでいた。再現部では型通りではあったが、フォルテピアノらしい軽やかな音を響かせてスピード感あるピアノで明るく進み、最後の繰返しは、省略されていた。フォルテピアノであっても、気になる装飾音はほぼ指定通りの姿のままで、一気にコーダへと進んでから、そこで明るくトリルで結んで、急速に終結していた。このアレグロ楽章は、一気呵成に一息で終わりまで、緊張の連続であったが、素晴らしい迫力のある雰囲気をもった、さすがスコダと言えそうな第一楽章であった。


         続く第二楽章は、穏やかな蔭りのある主題がゆっくりと美しく現れるアダージョで、ロンド形式の楽章であった。スコダのピアノは、実に丁寧に、一音一音確かめるように弾かれており、ひときわ穏やかに高まりを見せて進んでいた。この美しい主題は、アダージョ楽章では珍しくロンド主題であり、続いて、早速、第一のエピソードが温和しく現れた。この主題も細やかな動きを見せながら、丁寧に弾かれて繰り返されて、再び美しいロンド主題となるが、ここでは見事に変奏されて再現されていた。スコダのフォルテピアノは、軽やかで肌理の細かなピアニッシモの美しさが目立つ音調で進んでいたが、続く第二のエピソードは、ベートーヴェンの「悲愴ソナタ」の第二楽章の冒頭部分によく似た主題で美しく推移しており、途中のアルペッジョの部分が異常に美しい。このエピソードは、再び変奏されて繰り返されて、別の分散和音で現れており、モーツァルトのピアノの肌理の細やかさを写し出していた。最後に再びロンド主題が形を変えて変奏されて登場しており、細やかな動きのコーダで結ばれていた。このスコダのフォルテピアノは、このアダージョにとても良く合っており、丁寧で肌理が細かく、譜面に忠実に華やかに演奏されていた。


         フィナーレは変則的なロンド・ソナタ形式であり、三拍子のシンコペーションをもつハ短調の第一主題が終始重要な役割を果たすが、後半には勢いのよいリズムで進行しても、突然の休止があったりして、焦りや不安な情緒をもたらすものであった。続いて一見伸びやかに始まる第二主題も、半音進行の翳りを示しており、スコダのピアノは勢いはあるものの決して明るくはならない。再び第一主題が再現してから、短いエピソードが現れてから、第二主題と名付けた主題が現れて、力強く主題を変奏して変化を見せており、これがあたかも展開部のように聞えていた。再び第一主題が変奏されながら再現されていたが、続いて短いエピソードのあとコーダとなって結ばれていた。スコダは、終始緊張感を持った不安な楽章のように弾いていたが、最後はしっかりとこの楽章をまとめていた。

       スコダは、この曲を幻想曲ハ短調K.475と切り離して、一呼吸おいて別の独立した曲として演奏しており、このソナタハ短調K.457の全楽章をそれぞれしっかりと弾きこなしていたが、映像を続けて見ていると、やはり、ハ短調の緩急緩と続く幻想曲の影響を受けているように思われた。スコダのフォルテピアノの軽やかさや、一方では力強さもあり、第一楽章にはスピード感や技巧的な表現の緻密さといい、第二楽章の幻想風な美しいアダージョといい、終始緊張感溢れたフィナーレといい、スコダは素晴らしい熱演を示してくれており、期待通りのフォルテピアノのコンサートであった。


        第三曲目のロンドイ短調K.511は、上記の二つの演奏とは会場も日時も異なった演奏であり、映像が始まると、ザルツブルグの住家の博物館であり、モーツァルト家の4人の絵画が飾られているあの部屋の、ワルター製のフォルテピアノによる演奏であることが類推できた。ただし、映像の写りが悪く、明確にワルター製かどうか、確定できたわけではない。演奏は2年後の1990年とされており、いずれもORFに帰属する映像であった。


            この曲はアンダンテで書かれており、A-B-A-C-Aの標準的なロンド形式で書かれており、6/8拍子のシチリアーノ風のゆったりとしたリズムの主題で始まった。このロンド主題は、親しみやすい哀愁を帯びた曲調であったが、スコダのフォルテピアノはゆっくりと丁寧に弾かれていた。続く第一のエピソードでは半音階風な進行を見せて悲しげに進んでおり、再びロンド主題に戻ってから、第二のエピソードに進んでいたが、ここでは幻想風な展開を見せてなお一層の悲しさが深まり、全体的にみれば、メランコリーに満ちた展開のロンドであった。

            スコダのフォルテピアノは、ゆっくりしたテンポで一音一音、粒たち良く明瞭に弾かれており、この曲に実にピッタリと合った穏やかな深みのある響きを見せていた。私には曲が単純な形でできており、まさに模範的な素晴らしい演奏であると思った。こうした短い簡単そうに見える曲でも、演奏によっては深遠な趣が心を捉えてしまう一面があることをつくづく知らされたように思った。

(以上)(2018/08/09)



目次5にもどる 目次4にもどる
目次3にもどる 目次2にもどる
目次1にもどる 私の新ホームページへ


名称未設定