(BDCHのアーカイブ;フックスのクラリネット協奏曲イ長調K.622ほか)
18-8-1、ヴェンツル・フックスのクラリネットとアラン・ギルバート指揮ベルリンフイルによるクラリネット協奏曲イ長調K.622、2018/04/27、フィルハーモニー・ホール、およびD.オイストラフのヴィオラとI.オイストラフのヴァイオリンによる協奏交響曲K.364、

−ベルリンフイルの首席クラリネット奏者のヴェンツル・フックスと客演指揮者のアラン・ギルバートは、このクラリネット協奏曲を一体となって豊かに演奏しており、この曲のしみじみとした味わいを充分に暗示しているように思われた。特に、この第二楽章は、よく晩年のモーツァルトの心境を現したものとたとえられるが、ギルバートの祈るようなオーケストラの進め方といい、フックスのクラリネットのしみじみとした響きといい、演奏者たちが無心で弾いている姿といい、この澄み切った世界をじっくりと描いているような気がした。一方のメニューヒン指揮モスクワ交響楽団とD.オイストラフのヴィオラとI.オイストラフのヴァイオリンによる協奏交響曲K.364では、イゴールとダヴィドの親子が、さすが手慣れた演奏で、それぞれ対等で弾き合ったり、オクターブ離れて弾いたり、重奏したり、模倣し合ったりして賑やかに進行し、この曲の持ち味を充分に示しながら、豊かな楽想でこの曲をまとめ上げていた−

(BDCHのアーカイブより;フックスのクラリネット協奏曲イ長調K.622ほか)
18-8-1、ヴェンツル・フックスのクラリネットとアラン・ギルバート指揮ベルリンフイルによるクラリネット協奏曲イ長調K.622、2018/04/27、フィルハーモニー・ホール、およびD.オイストラフのヴィオラとI.オイストラフのヴァイオリンによる協奏交響曲K.364、メニューヒン指揮モスクワ交響楽団、
1963年ロイヤル・アルバート・ホール、ロンドン、
(2018/06/07の BDCHのアーカイブおよび2012/01/21CS736、BD037-1.2より、)

      このコンサートは、アラン・ギルバートの指揮のコンサートであり、この日は第1曲目がアデス作曲の「クープランによる3つの習作」と第3曲目のドビッシーの組曲「映像」に挟まれて、このクラリネット協奏曲イ長調K.622が、息抜きのように燦然と輝いているベルリンフイル定期公演であった。クラリネットのヴェンツル・フックスは、このオーケストラの首席クラリネット奏者であり、このBDCHをよく見るようになって気がついたクラリネット奏者であった。ギルバートとフックスが一緒に舞台に登場し、ギルバートが、オーケストラ全体を見渡してから、静かにこの協奏曲の第一楽章がオーケストラで始まった。舞台をよく見るとコントラバスが4台で大きめのオーケストラであり、コンサート・マスターは樫本の布陣であった。


         ひなびた感じがする美しい第一主題が速いテンポの弦楽器で現れて、繰り返すように軽快なテンポで進行していたが、やがて長い穏やかな第一主題から派生するモチーブが軽快に明るく進み出し、第二主題が現れないままオーケストラが高まりを見せてオーケストラによる第一提示部が終了していた。
         ソリストのフックスの独奏クラリネットがいきなり第一主題を厳かに奏で始め、オーケストラの伴奏でクラリネットが新しいパッセージを披露しながら軽快に進行していた。フックスのクラリネットは柔らかな含みのある音色で、身体を大きく動かしながら良く歌っており、やがてトウッテイのあとにクラリネットが短いエピソード的な主題を提示してから、荘重な第一主題とは対照的な息の長い華やかな第二主題が初めて独奏クラリネットで登場していた。そこでのクラリネットの変化の激しい音色とくすんだ響きが印象的であり、フックスの確かな技巧により滑らかに美しい音色が続いて、フェルマータで一段落していた。そして第一主題をもとにして独奏クラリネットとオーケストラがお互いに対話を重ねるようにして盛り上がりながら曲が進み、素晴らしい勢いで提示部を終了していた。


          展開部では、常にクラリネットが主導しながらまるで変奏曲のように主題が展開される長大なものであり、中でも独奏楽器による早い走句の上昇音階と下降音階や、低音から高音への飛躍などが見事にミックスして流れ出すクラリネットの技巧には、この楽器の魅力を充分に伝えていた。再現部では 型通りに終始していたが、フェルマータ以降のクラリネットの変化の激しい技巧が明示されて、カデンツアの必要性を感じさせなかった。この曲の流れ出るようなしみじみとした味わいや楽想の豊かさは、最晩年の澄みきった特有の響きを感じさせており、このギルバートのオーケストラもフックスのクラリネットもこの曲のしみじみとした味わいを充分に暗示しているように思われた。


          第二楽章は、アダージョで、フックスの独奏クラリネットが弦の三拍子の伴奏に乗ってゆっくりと美しいメロデイを歌い出すが、このクラリネットのくすんだ寂しげな音色としみじみとした低音の響きは実に味わい深いものがあった。合奏で繰り返してから再びお返しの美しい旋律でクラリネットのソロが始まり、オーケストラが続いていたが、ギルバートも無心に指揮をしており、この第一部はクラリネットの美しい音色が心に深く滲み入るように響いていた。続いて中間部に入ると、新しい明るい主題が独奏クラリネットで現れ、ここでは技巧的なパッセージが続き、低音から高音に繋がるクラリネットの自在な音色をフックスは巧みに演奏しており、変化に富む音色が終始安定しており、とても魅力的であった。終わりのフェルマータのあとにカデンツア風の短いソロが一息あってから、再び冒頭の寂しげな主題が非常に静かに再現されていたが、この後半のアダージョは、アリニョンが巧みに装飾をつけながら吹いており、実に味わい深い心に浸みる静寂の歌のように聞こえていた。
        この澄み切った透明な感じの第二楽章は、よく晩年のモーツァルトの心境を現したものとたとえられることが多いが、ギルバートの祈るようなオーケストラの進め方といい、フックスのクラリネットのしみじみとした響きといい、演奏者たちが無心で弾いている姿といい、この澄み切った世界をじっくりと描いているような気がした。


       フィナーレはロンド形式で、A-B-A-C-A-B-Aの形で早いテンポで進む颯爽としたアレグロであった。早いスタッカートが目立つロンド主題がクラリネットのソロで飛び出して軽快に開始され、オーケストラに渡されるが直ぐにフックスのクラリネットが早いパッセージを繰り返し、オーケストラとの変化に富んだ掛け合いが美しい。第一のエピソードはクラリネットにより華やかに提示され、ここでも独奏楽器が縦横に音階を駆け巡ってからロンド主題に戻っていた。続く第二のエピソードも、独奏クラリネットにより提示され、早いパッセージが繰り返され、独奏とオーケストラが親密な呼びかけをして、クラリネットが技巧を示しながら自由奔放に駆け巡っていた。再度ロンド主題が顔を出してから、第一のエピソードが姿を見せ、続いて第三のエピソードか、クラリネットが勢いのある分散和音形で上昇したり下降したりして新鮮味を加えて、ロンド主題で締めくくられていた。フックスのクラリネットは、高音から低音まで広い音域を自由にこなしており、どんなパッセージであっても、安心して見ておれる確かなもののように思われた。


         終わると凄い拍手で迎えられ、フックスもギルバートも満足そうな笑顔で答えていた。ソリストに花束が贈呈されても拍手は鳴り止まず、三度目に舞台に現われた時には覚悟を決めたのか、いきなりプッチーニのトスカのアリアを、クラリネットが朗々と歌い出し、思わぬアンコールに観客は大喜びで、このコンサートは休憩になっていた。
(以上)(2018/06/11)



      続く18-8-1の第二曲目は、偶然、ブルーレイ・デイスクに取りだめしていた古い映像なのであるが、不思議と未アップのまま残されていた貴重な映像であり、オイストラフ親子とメニューヒンの指揮モスクワ交響楽団によるものである。古い白黒の映像(1963)であるが、ヴァイオリンとヴィオラの協奏交響曲K.364であり、これはかって有名なLPで残されていた貴重なものとは異なった、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで収録された貴重な白黒映像であった。メニューヒンとオイストラフはかねて親交があり、お互いが指揮とヴァイオリンを交替して演奏することが多かったという。解説によると、メニューヒンは、オイストラフを「音色だけでなく、存在自体が清らかな男」と評し、最高の共演者とみていた。今回の映像は、息子も加わった夢の共演ということが出来る。


         映像では、オーケスオラが勢揃いしている広い舞台の中央の指揮台の上にメニューヒンが立ち、中央左にイゴールが、その右にダヴィッドが立ち、メニューヒンの一振りで、ヴァイオリンとヴィオラのための協奏的交響曲変ホ長調K.364の第一楽章が、ユニゾンで荘重な雰囲気で始まった。アレグロ・マエストーソの指示通りに、オーケストラは全合奏の重々しい前半と第一ヴァイオリンの明るいスタッカートが目立つ堂々とした後半の第一主題が提示され、直ぐに経過部を歯切れ良く進んで盛上がりを見せていた。よく見ると右奥にコントラバスが4台勢揃いしてフルオーケストラを支えており、大規模なオーケストラが力強く進行していた。やがて、二つのホルンとオーボエによる軽快な第二主題が弦楽器のピッチカートに支えられながら伸びやかに提示されていた。このオーケストラによる主題提示部は、クレッシェンドを重ねて次第に頂点に達するが、随所に現れるシンコペーションの響きとトリルの音形には緊張感が伴い、メニューヒンは実にゆったりとして雄大にオーケストラを響かせて、交響的な提示部を締めくくっていた。
         続いて独奏ヴァイオリンとヴィオラがオクターブで合奏しながら、輝くようなトリルでアインガングを奏して第二提示部が開始されると、オーケストラが第一主題の冒頭部を提示していた。やがて独奏ヴァイオリンが第三の主題を提示すると、独奏ヴィオラがこれを引き継ぐようにそっくりと模倣していた。軽快なヴァイオリンに対して重々しいヴィオラが応えるように華やかに進行し、ここでは二人はまず模倣の手法で交互に競い合っていた。続いて新しい第四の主題においても同様にVnが先行してVlaが模倣していたが、その後は重奏をしたり、交互に追いかけあったり、合奏をしたりといろいろ変化を見せながら進行し、やがてトウッテイのコーダに入り、第二提示部を雄大に締めくくっていた。


        独奏ヴァイオリンが溜息をつくようにフェルマータで一息し、展開部に入って独奏ヴァイオリンが新しい主題を提示してから、そのまま同じようにヴィオラが繰り返した後、両楽器が速いパッセージで活発に追いかけあって技巧的な展開を行っていた。
        再現部では冒頭の第一主題がオーケストラで開始され、続いて第三の主題がヴィオラで提示されてからヴァイオリンに受け継がれていた。Vlaが先行しVnが模倣する順序に替わり、やがて第四の主題に次いで第二の主題の順に再現されて、提示部とは異なる独自の構成で主題が再現されていた。最後のカデンツアは新全集のスコアに示された通りであったが、ヴァイオリンとヴィオラが互いに競い合ったり合奏したりする美しいもので、最後のアダージョの部分で二人は、改めて呼吸をピッタリ合わせて見事な合奏を行っていた。カデンツアは、いつものよく聞くものデあったが、さすがこの二人は見事にピタリとあっていた。
         イゴールとダヴィドは、カデンツアにみられる通り、さすが手慣れた演奏で、それぞれ対等で弾き合ったり、オクターブ離れて弾いたり、重奏したり、模倣し合ったりして賑やかに進行し、この曲の持ち味を充分に示しながら、豊かな楽想でこの曲を締めくくっていた。


           第二楽章のゆっくりしたアンダンテ楽章では、オーケストラがもの憂げに弱奏する印象的な序奏に導かれ、深い憂いに閉ざされたような雰囲気の中で、独奏ヴァイオリンが溜息をつくように変奏しながらソロで第一主題を提示し、やがて独奏ヴィオラもすすり泣くように変奏を始めソロで一オクターブ下の主題を提示していた。続いて短い第二主題になると独奏ヴァイオリンが弾き出すと、それを独奏ヴィオラが追いかけるように弾き出す掛け合いとなり、二人は互いに顔を見合わせながら慰め合っているように見えた。やがて間にトウッテイも入って進行し、二人のソロが半小節遅れから一小節おくれにカノン風の追い掛け合いが続いてから、トウッテイとなって提示部が静かに収束していた。
          展開部はなく再び冒頭の第一主題が今度は独奏ヴァイオリンで変奏しながら再現され、独奏ヴィオラも変奏して続き、交替から合奏になっていた。第二主題に入ってからは追い掛け合って対話しながら進んで、提示部の単なる繰り返しではないいろいろな変化のある再現部となっており、ヴァイオリンもヴィオラも対等な形で進んでいた。カデンツアでは、ヴァイオリンで始まり、ヴィオラが一小節遅れで追いかけるカノン風に始まるが、後半では両楽器が激しく応答し合う、この曲ならではの美しいものであった。ダヴィドヴィオラが常に親父のように堂々として対等以上に弾いているのに対し、イゴールのヴァイオリンは常に冷静に負けないように落ち着いて弾いており、二人の息の合った姿と、時には懸命な様子が窺われ、オーケストラが仲介役となって印象的に進んでいた。二つの楽器が溜息をつくような音形で綿々と進行する姿には、聴くたびに感動させられる。


          はじめの二つの楽章が充実した交響曲的な響きで進行してきたが、このフィナーレは一変して快活に躍動する平明なプレストの終楽章であり、協奏曲風の結びの楽章となっていた。形式は、全体的にはA-B-A-B-Aのロンド形式であるが、Aの部分がロンド主題で始まるオーケストラのパーツとソロが活躍するパーツに別れる変則的な造りになっていた。 オーケストラのロンド主題がいきなり飛び出してきて、プレストで明るく軽快に進行するが、オーボエが明るく響きホルンが繰り返す木管の活躍があって、最後にホルンが素敵なファンファーレを行ってオーケストラの部分が終結していた。続いて独奏ヴァイオリンが第二の主題を提示してから独奏ヴィオラに引き継ぎ、二人が交互にひとしきり弾き合ってから、独奏ヴァイオリンによるBの部分が始まった。ここではヴァイオリンとヴィオラが新しい第三の主題を互いに追いかけるように交互に目まぐるしく進行し、最後には二人の重奏のような形で収束し、素晴らしい効果をあげていた。
            再びロンド主題が両楽器で登場してから、今度はヴィオラが先行する形となり、直ぐに第二主題が独奏ヴィオラで提示され、独奏ヴァイオリンが引き継いでから、ヴィオラが第一の主題に次いで第三の主題を提示し、独奏ヴァイオリンと交互に追い掛け合いながら素晴らしい展開を見せていた。最後にロンド主題が両楽器で登場してから新たな展開を見せているうちに、あのホルンのファンファーレが聞こえてきて独奏ヴィオラが、続いて独奏ヴァイオリンがそれぞれクレッシエンドしてそれぞれの頂点に達してからコーダで結ばれ終結していた。素晴らしく軽快なプレストであり、一気呵成に頂点にまで登りつめた厚みのある終楽章であった。


             演奏が終わると、凄い拍手が湧き起こり、指揮者がソリスト二人に敬意を表してから、二人は互いに笑顔を見せながら、指揮者やコンマスと握手をしてご挨拶をしていた。拍手は鳴り止まず、長く続きそうであったが、真に残念ながら、この映像はすぐに終わりとなっていた。オイストラフ父子によるこの曲は、CDが二組のあって、今回が3度目であるが、メニューヒンの指揮がオーソドックスで素晴らしく、二人の共演も手慣れたもので、模範的な演奏になっていた。この映像には、第一曲に、オイストラフのソロで、バッハのヴァイオリン協奏曲第一番BWV1041が演奏されていたが、これも名演奏であり、「20世紀の巨匠たち」の名にふさわしい記録が残されていた。


(以上)(2018/08/02)



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