(最新のBDCHより、バルグリーのヴァイオリン協奏曲第5番K.219ほか)
18-4-2、ノア・ベンディックス=バルグリーの指揮とヴァイオリンによるヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219、ベルリンフイル、2018/01/21、フィルハーモニー・ホール、および弦楽5重奏曲第3番ト短調K516、
マイスキーとウイーンの仲間たちによる「華麗なる重奏」、2017/05/06、メディキット県民文化センター、宮崎国際音楽祭2017、

−始めのイ長調協奏曲K.219のソリストのバルグリーは、コンサートマスターとしても人気が高いようであるが、ベルリンフイルとの合性は抜群であり、独奏ヴァイオリンを中心として、実に安定したアンサンブルの良さが目立つほか、ソリストしても充分の資質が見え、三楽章ともカデンツアを弾きこなし存在感をみせていた。今後の活躍が期待される逸材と思われた。続くト短調クインテットK.516については、この五重奏団が、全楽章を通じて、終始、落ち着いて、互いの表情を探り合いながら、ヴェテランらしくゆとりを持って弾いており、見事なアンサンブルを見せていた。折角の好演であったのに、第二楽章を故意に欠落させたのは極めて遺憾であり、真に残念に思われたー

(最新のBDCHより、バルグリーのヴァイオリン協奏曲第5番K.219ほか)
18-4-2、ノア・ベンディックス=バルグリーの指揮とヴァイオリンによるヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219、ベルリンフイル、2018/01/21、フィルハーモニー・ホール、および弦楽5重奏曲第3番ト短調K516、
マイスキーとウイーンの仲間たちによる「華麗なる重奏」、2017/05/06、メディキット県民文化センター、宮崎国際音楽祭2017、V;ライナー・キュッヒル、ダニエル・フロシャウアー、Viola;ハインリヒ・コル、川崎雅夫、
(グラモフォンのBDCHによる配信映像、および2018/03/10のクラシック倶楽部より)

        四月号の第二曲目は、やはりBDCHのコンサートからで、このHP初登場のノア・ベンディックス=バルグリーの指揮とヴァイオリンによるヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219であり、2018年1月21日のフィルハーモニー・ホールにおけるベルリンフイル定期における演奏である。この一曲では物足りないと考えたので、2018年3月10日のNHKのクラシック倶楽部から、マイスキーとウイーンの仲間たちによる「華麗なる重奏」という、2017年5月6日の宮崎国際音楽祭2017で演奏された弦楽5重奏曲第3番ト短調K516を加えてみた。放送の都合で、残念がら第2楽章は省略されていたが、メディキット県民文化センターにおける最新の放送による名人たちによるまさに華麗なる演奏であったので、ご期待いただきたい。



          この1月21日のベルリンフイル定期のコンサートのメインは「子供と魔法」であり、小澤征爾が指揮をするプログラムであったようだが、小澤のキャンセルにより、急遽、ヴァイオリン協奏曲はソリストの弾き振りに、また「子供と魔法」はミツコ・フランクの指揮者デビューに変更されたようである。ヴァイオリニストのバルグリーは、ベルリンフイルのコンサート・マスターの一人で樫本よりも若く、これから期待されているソリストのようであった。映像はいつものフイルハーモニア・ホールで、長身のノア・ベンディックス=バルグリーがヴァイオリンと弓を左手に持って登場し、挨拶もそこそこに、右手を振っていきなりヴァイオリン協奏曲第五番イ長調K.219の第一楽章が開始された。



        始めにトウッテイによる主和音の強奏に続いて第一主題が、第一ヴァイオリンによる軽快なスタッカートでアレグロ・アベルトの勢いで堂々と威勢よく開始され、ひとしきりトウッテイで軽快に進行していたが、何とソリストのバルグリーも中央に立って一緒に弾いているのが珍しかった。やがて軽やかな第二主題が弱奏の第一ヴァイオリンで提示されて素晴らしい調子で進んでから、コーダを経て提示部を終え、フェルマータで一呼吸してから、ここで曲はアダージョになり、指揮をしていたバルグリーが正面を向いてヴァイオリンを持ち直し、まるでオペラのアリアのように美しいアインガングを独奏ヴァイオリンで弾き出した。これは、まさにオペラの主役が登場したかのように、一際豊かな美しい独奏ヴァイオリンの登場であり、華やかな音色を聴かせていた。



    曲は再びアレグロ・アベルトとなり、ソリストの生き生きとした独奏ヴァイオリンがオーケストラを従えて第一主題を弾き出したが、このようなアダージョでのソリスト登場は、モーツァルトのコンチェルトでの最初の試みであろう。そして素晴らしい勢いで曲はドンドン進行し、息つく暇もないほどの勢いでヴァイオリンの走句が明るく駆けめぐっていた。やがて軽やかな第二主題が弾むように提示され、バルグリーのヴァイオリンの細かな技巧が十分に発揮されて、オーボエとの重奏も美しく一気に駆け抜けるように提示部を終えていた。
          展開部に入ると独奏ヴァイオリンが新しい主題を提示し、華やかなソロの技巧的な走句が繰り返されてしっかりと展開された後、再現部に突入していた。再現部は第一・第二主題とほぼ型どおり進んでいたが、独奏ヴァイオリンの颯爽とした勢いは素晴らしいものがあり、バルグリーの若々しい独奏ヴァイオリンは、際立った美しさを見せていた。終わりのカデンツアは、聴き馴染んだものとは異なっていたが、この楽章の主題の断片を折り込んだもので、華麗な技巧的なものを弾いていた。



    第二楽章はアダージョの美しい楽章。はじめにトウッテイで第一ヴァイオリンがゆっくりと綿々と歌い始め、直ぐに続けて細やかな第二主題も提示されひとしきり演奏されてトウッテイによるオーケストラの提示部が終了する。そこでバルグリーによる独奏ヴァイオリンが第一主題をおもむろに弾き始めるが、直ぐに主題を独奏ヴァイオリン向きに鮮やかに変奏しながらソロ主体で進行していた。続く美しい第二主題も歌うように変奏されながらドンドンと進行し、後半にはバルグリーの独奏ヴァイオリンが新しい軽やかな美しいエピソードを弾き始めてコーダを経て第二提示部を終えていた。展開部では冒頭の第一主題を中心に、独奏ヴァイオリンがリードしながらオーケストラを相手にいろいろと変化を見せて展開され、再現部へと移行していた。再現部でもバルグリーが独奏ヴァイオリンを自在に弾き進み豊麗な音色を際立たせていたが、終わりにはカデンツアがあり、バルグリーはここでもしっかり弾いて存在感のある技巧の冴えを見せていた。



    この曲は「トルコ風」などと呼ばれているが、それはこの第三楽章のロンド・フィナーレの中間部に「トルコ風」の名の由来の部分があるためであり、通常のロンド形式よりも大きな構成になっている。フランス語でRONDEAUと書かれたこの楽章は、最初にテンポ・デイ・メヌエットとされたイ長調のメヌエットのロンド主題からなるA-B-A-C-Aのロンド形式の部分と、中間部にアレグロと書かれたイ短調の「トルコ風」的な部分が挿入されて、最後に再びテンポ・デイ・メヌエットのA-B'-A'で終わる大型のロンド形式になっていた。
         バルグリーの独奏ヴァイオリンによりメヌエット調のロンド主題が開始されると、これをオーケストラが受けて繰り返されてから、独奏ヴァイオリンが新しい主題を提示して再びトウッテイが繰り返すというロンド形式で軽快に進んでいた。冒頭のメヌエット主題が三度現れてから、フェルマータになり、ここで突然曲調が一転してアレグロになり、途中からバルグリーの独奏ヴァイオリンが急速な走句を弾き始め、繰り返しが行われてから第一ヴァイオリンを中心とするトウッテイが「トルコ風」のリズムを持った活発な主題をもたらし、さらにクレッシェンドが賑やかな半音階風の主題が流れ、異国風の異様さを加えていた。再度、アレグロの部分が戻ってから、このトルコ風のメロデイも繰り返されて行き、異国風の印象を深めており、ここでもカデンツアがあり、バルグリーはしっかりと弾いていた。そして再び独奏ヴァイオリンが、冒頭のメヌエット主題を弾き出して、曲は穏やかに終息していたが、この楽章はいろいろな意味で、独奏ヴァイオリンが活躍して、当時流行していた異国風の工夫が加えられた曲となっていた。

     曲が明るく終わると、大変な拍手によって迎えられており、演奏は快く観衆に理解されたように見え、花束の贈呈があったり、絵になる光景が続いていた。バルグリーは長身のイケメンであり、コンサートマスターとしても人気が高いようであるが、ベルリンフイルとの合性は抜群であり、独奏ヴァイオリンを中心として、実に安定したアンサンブルの良さが目立つほか、ソリストしても充分の資質が見え、三楽章ともカデンツアを弾きこなし存在感をみせていた。今後の活躍が期待される逸材と思われた。

(以上)(2018/04/03)




      この4月号の映像の第二曲目は、2018年3月10日のNHKのクラシック倶楽部で収録したものであり、マイスキーとウイーンの仲間たちによる「華麗なる重奏」というテーマで、2017年5月6日の宮崎国際音楽祭2017で演奏された弦楽5重奏曲第3番ト短調K516であった。放送の都合で、残念ながら、第2楽章は省略されていたが、メディキット県民文化センターにおける最新の放送による名人たちによるまさに華麗なる演奏であった。演奏者たちは、チェリストのミーシャ・マイスキーを中心に、ヴァイオリンが元ウイーンフイルのCMのライナー・キュッヒルとウイーンフイル現役のダニエル・フロシャウアー、およびヴィオラのハインリヒ・コル、アメリカで活躍中の川崎雅夫と言うヴェテランの面々であり、この日の音楽祭の演奏のために集まって来た顔ぶれであった。



          この弦楽五重奏曲ト短調K.516は、ほぼ同じ時期のハ長調K.515とペアで作曲されたが、これは最後の交響曲第40番ト短調と第41番ハ長調と同じペアの調性であり、いずれもモーツァルトの最高の傑作であることからよく比較されることが多い。このト短調の五重奏曲は、全曲を一貫する厭世的な暗さにおいても、ハ長調の五重奏曲とは、対極的な正反対の性格を持っているとされている。この曲は、ハ長調と並んで彼の器楽曲中の最大規模を示しているが、規模ばかりでなくその内容も重厚な構えと堅牢な美の構築が見られる後期の作品に相応しいものとされている。



          この曲の第一楽章の第一主題は、早いテンポの第一ヴァイオリンで始まって、第一ヴィオラにより反復されていくが、この冒頭の時計の秒針を刻むような二声の伴奏音形の上で、第一ヴァイオリンによる忙しない第一主題が、この曲のもの哀しさを作り上げ、第一ヴィオラがこれを引き継いで全体の暗いイメージを作り上げていた。この5人の名手たちは、臨時編成的な出会いによる編成なのであろうが、始めから第一ヴァイオリンのキュッヒルを中心に、しっかりしたアンサンブルを築いていたように見えた。続いて同じリズムの中で第一ヴァイオリンによって第二主題が明るく提示され発展していたが、やがていつの間にか始めのもの悲しい暗さに戻って呈示部を終えていた。再び冒頭に戻って全体が繰り返されていたが、チェロのマイスキーも第一ヴァイオリンとの繋ぎで存在感をみせていたのに気がついた。



           展開部でも秒針のようなリズムの中で第二主題を中心に展開されていくが、やはり暗さは晴れることなく、不安定な雰囲気のまま再現部へと移行していた。再現部ではほぼ提示部と同様に開始されていたが、形式は型通りでも変化を付けてより複雑に再現されていた。譜面では再現部の末尾に繰り返し記号があり、再び展開部に戻るようになっていたが、ここではこれを省略して、二つのフェルマータによる区切れの後、第一主題によるコーダで静かに結ばれていた。この楽章は後期のやるせない気持ちを表したような曲であり、暗い気分のまま終わっていたが、このような暗い曲をどのような思いで作曲したのだろうか。



           第二楽章は、明るいメヌエット楽章の筈であったが、放送の時間の都合で、残念ながら、割愛されていた。
           第三楽章は構成はどうやら展開部を省略したソナタ形式か。アダージョ・マ・ノン・トロッポの表示のアダージョ楽章で、冒頭のむかし懐かしい「今日の良き日は大君の」の荘厳なメロデイの合奏で始まる第一主題はその後も続き、第一ヴァイオリンとチェロとが歌い合わせながら進行して、先行する楽章による憂いの世界からの解放のように明るく響いていた。しかし続いて現れる第二主題の哀しげな刻むようなリズムにより、再び暗さが元に戻ってしまっていた。それでも後半になって現れる第一ヴァイオリンと第一ヴィオラとの繊細な対話のような語りが、多少とも、救いの道を開くような気がした。再び「今日の良き日は」のメロデイが繰り返されて曲は再現部に移行していたが、この五重奏団は、第一ヴァイオリンを中心に、ここでも合奏の妙を楽しむように進行していた。



               フィナーレは意表をつくアダージョの序奏で、マイスキーのチェロのピッチカートの伴奏で始まり、八分音符の和音の内声部の上に第一ヴァイオリンが悲痛なエレジーを歌い出す素晴らしい楽想で覆われていた。この憂いを帯びた序奏により、再び憂愁な陰りをもたらしていたが、一転してアレグロで始まる明るいロンド主題が登場して、全体がやっと明るさを取り戻していた。このアレグロ以下は、基本的にはロンド形式であり、再び現われたロンド主題に続いて、第一ヴァイオリンが先導する第一エピソードは、暗さを感じさせない主題であった。再び、ロンド主題の後に登場する第二エピソードも、それぞれ晴れやかな主題であり、対位法的な楽句が優美な姿で現れていた。この五重奏団は、この楽章においても第一ヴァイオリンに引っ張られて軽快に進めており、このロンド楽章のお陰でこの大きな五重奏曲を明るく締めくくっていた。

             この弦楽五重奏曲ト短調K.516は、前作のハ長調K.515の約1ヶ月後に完成されており、両作品とも晩年の作品らしく4つの楽章の持つ緊張から解決への内面的なドラマが全体の統一感を作り出しているようであった。改めて譜面を見ながら、この曲を丁寧に聴いてみたが、やはり難しい曲を書いたものだと言う印象が強かった。しかし、この五重奏団は、全楽章を通じて、終始、落ち着いて、互いの表情を探り合いながら、ゆとりを持って弾いており、見事なアンサンブルを見せていた。折角の名人たちのなかなか見られない好演であったのに、第二楽章を故意に欠落させたのは極めて遺憾であり、真に残念に思われた。

(以上)(2018/04/10)



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