(最新のBDより;ボルトン指揮プティポン主演の「ルチオ・シッラ」K.135)
18-10-2、アイヴァー・ボルトン指揮、クラウス・グート演出のマドリード王立歌劇場管弦楽団&合唱団による歌劇「ルチオ・シッラ」K.135、2017年10月、マドリード王立歌劇場、
(配役)ルチオ・シッラ;カート・ストレイト、ジュニア;パトリシア・プティポン、チェチリオ;シルヴィア・トロ・サンタフェ、チンナ;インガ・カルナ、チェリア;マリア・ホセ・モレノ、アウフィディオ;ケネス・ターヴァー、

−今回のボルトン・グート演出では、ローマ時代の物語から離れて、現代のどこの地域でもあり得る、モダンな抽象化された設定で、人間関係の模様を鋭く描く演出であり、リブレットに忠実に、省略なく進んでいたが、後半に入って、三つのアリアが削除されており、省略が多すぎて残念であった。舞台の場面づくりでは、街角風のシッラ邸の一角、高い壁のある通路、二階建ての丸窓がある建物などの三場面を活用して、非常に抽象化された舞台演出のなかで劇が進行し、クローズアップ中心の映像となっていたが、そこでのシッラのストレイトやジュニアのプティポンの際立った歌と演技と表情などが見ものであった。先のミンコフスキーのローマ時代を思わせるバレー付きで衣裳も凝った貴族趣味で華やかな演出とは対照的であったが、この映像とは、主役面のクレバッサの溌溂さを選ぶか、ヴェテランの味わいのあるプティポンを選ぶか、などの個人的な好みも加えて、私個人は伝統的な演出に近いスカラ座を選びたいと思うが、これは好き嫌いの好みの問題であろうと思った。

(最新のBDより;ボルトン指揮プティポン主演の「ルチオ・シッラ」K.135)
18-10-2、アイヴァー・ボルトン指揮、クラウス・グート演出のマドリード王立歌劇場管弦楽団&合唱団による歌劇「ルチオ・シッラ」K.135、 2017年10月、マドリード王立歌劇場、
(配役)ルチオ・シッラ;カート・ストレイト、ジュニア;パトリシア・プティポン、チェチリオ;シルヴィア・トロ・サンタフェ、チンナ;インガ・カルナ、チェリア;マリア・ホセ・モレノ、アウフィディオ;ケネス・ターヴァー、
(2018/08/24、新宿タワーレコードのBD新盤、BelAir BAC450、)

      10月号の第2曲目は、最新の2017年10月に収録されたスペインのマドリード王立歌劇場による「ルチオ・シッラ」であり、ボルトン指揮、クラウス・グート演出によるもので、日本語字幕がついていたのでとても有難かった。このグート演出は、先のグラインドボーン劇場の「ティト帝の慈悲」に続いているが、モダンな演出で人間関係を鋭く追求した独自のものであり、さらに建物や場の設定にも彼らしい特徴が見えていた。知っていた歌手は、ジュリア役のパトリシア・プティポンだけであったが、彼女は「ミトリダーテ」のアスパージャ役で活躍しており、また、デスピーナ役も上手にこなしていたので、異色的なモーツァルト歌いになってきたのであろうか。また、チンナ役のインガ・カルナがミンコフスキー盤と共通であったし、主役のシッラ役のカート・ストレイトの声も聴きものであろうから、通して見るのが楽しみなBD盤であった。


      マドリッドのテアトロ・レアルの劇場の外観が映し出されてから、カメラはオーケストラ・ピットに向けられ、そこへ颯爽と登場する指揮者のボルトンがクローズアップされ、いきなり軽快な序曲が開始されていた。これはイタリア風のシンフォニアで、威勢の良いモルト・アレグロの流れるような主題で歯切れ良く進んでいたが、第二部のアンダンテに入ると、主役の紹介が始まり、シッラ、ジュニア、チェチリオ、チンナ、チェリア、アウフィディオの順に顔写真が映されていた。やがて、第三部のモルト・アレグロが始まると幕が開き、街角の一角にチェチリオが登場して独り言を言っていると、そこへ親友のチンナが登場して二人が再会を喜び合う姿が映されていた。モダンなグート演出は、浮浪者風の男がうろつく街角を示しており、場所も服装も、時代を問わない姿を見せていた。


  二人のレチタティーヴォから、独裁者シッラにより追放されているチェチリオが友人の貴族チンナの手引きで秘かに再会したことが分かり、彼が許婚のジュニアを気にするので、チンナは「シッラのしつこい求愛に遭っているが、それに負けずにチェチリオへの愛をしっかり守っている」と答えて、第1曲の元気のよいアリア「来るのだ、愛が君を導くところに」を歌っていた。そしてジュニアは父の墓にお参りするのでそこで必ず彼女に遭えると激励していた。二人はお互いにズボン役同士だが、二人とも役柄も衣裳もまずまずの姿であり、チンナ役のインガ・カルナの歌う長大なアリアは一気に進んで、カデンツアも決まっていた。続いて、チェチリオが恋人のジュニアとの「嬉しい再会の瞬間が近いこと」を喜ぶ第2曲が、短い管弦楽付き序奏で始まった。チェチリオを歌うシルヴィア・トロ・サンタフェの期待に満ちたレチタティーヴォから、続くアリアの詠唱では、コロラチューラの連続で劇的であり、実に華やかに進んでここでも見事なカデンツアが歌われていた。この演出では、高い壁のある通路に、顔を隠したジュニアを登場させ、ここで壁に写る二人の影姿で、再会を願う二人の気持ちが映し出されており、グートの巧みな抽象的な演出の一端が示されていた。冒頭から二人の見事なアリアと元気の良い姿で、拍手で観衆の喜ぶ姿が明らかであった。


    場面はシッラ邸の階段のある外壁か、レチタティーヴォで執政官シッラが妹のチェリアを相手に、ジュニアの愛をどうしたら得られるかを相談していた。ジュニアと仲がよい妹のチェリアが、「恋人が死んで希望がなくなれば忠節は消えてしまう」とレチタティーヴォで語り、第3番のソプラノのための本格的な美しいアリアを歌い、兄を励ましていた。彼女はどんな女性でも「恋人が死んでしまえば、かたくなな愛でも滅びてしまう」と歌っていた。 そこへ偶然にもジュニアが登場して、シッラがジュニアに話しかけるが、気の強い彼女は「父と恋人の仇である暴君のシッラを許せない」とシッラを避け、第4番のアリア「黄泉の暗い淵から」を歌っていた。その内容は、シッラの傍にいるよりも死んだ方がましであると、父と許婚の霊に呼びかける暗い激しいアリアであった。これまで4人の女性がたて続けに歌った4つのアリアの中では、最も激しいもので、凄いアリアが連続するオペラであると、改めて感じさせていた。


傷つけられた執政官シッラは激しく怒り、第5番「死と復讐の望みが」を歌うが、この権力者の復讐のアリアは上半身裸で歌う激しいアリアで、好きな女性に相手にされない自分に腹を立てる怒りのアリアであった。 場面が変わって、 ここで重々しい暗い音楽とともに、舞台はローマの英雄達が眠る薄暗い地下の墓場を暗示させる高い壁のある通路となり、潜んでいたチェチリオが様子を窺っていた。そこへアンダンテで重々しく参列者が行進する姿が見えて、それはシッラの圧政に苦しむ人々で、その中にジュニアの姿もあった。そして第6曲の合唱が始まり「この悲しい墓から」と死んだ英雄達に復活して暴君を倒して欲しいと歌われていた。その合唱の中間部はジュニアのアリオーソとなり、アダージョで「おお、お父様の愛しい霊よ」と呼び掛け、感動的な心に迫る場面となった。


再びシッラを罵る合唱が続いてから、一人で「恋人の亡霊よ」と祈るジュニアの前に、突然、チェチリオが亡霊のように現われたので、驚く二人。
         本当に亡霊かとジュニアが驚いて「天国で私を待っている」と歌いだすが、これにチェチリオも応じて、やがて二人の愛と再会の喜びの恍惚とした第7曲の美しい二重唱となっていた。「喜びにも涙が出るのだ」と顔を寄せ合って歌う二重唱で、極めて感動的であり、もの凄い拍手となっていた。


ここでボルトンとオーケストラ・ピットの様子が映されて、第1幕の終りを暗示させていたが、続く舞台はがらりと変わり、二階建ての沢山の丸い窓がある大きな建物が映されて、シッラの陰にいつもいた護民官アウフィディオが改めて一階に登場し、シッラが二階の窓に現れて二人の対話が始まっていた。アウフィディオは、シッラのジュニアへの短慮をいさめ、元老院に彼女との結婚を認めさせ、あくまでも説き伏せて妻にせよと進言していた。そして、ピストルを手にして、続く第8曲のアリア「剣の輝きを見て」を元気よく歌って、迷うシッラを激励していた。ここで別の窓にシッラが、忠告を聞いたり、迷ったりする姿を見せ、終わりには妹のチェリアの姿が現れたり、多面的な演出となっていた。


ここで、護民官の進言を受けて、シッラは仇敵との仲直りの口実にしたジュニアとの結婚を決意し、一方では、妹のチェリアの気持ちを知って、貴族チンナと結婚させて味方にしようという大きな決断をした。そこで妹のチェリアには、「ジュニアを妻にして、チェリアには好きなチンナとの結婚を許そうという計画を実行したい」と告げていた。チェリアの喜ぶ声をチンナが聞きつけていると、そこへチェチリオが剣をもって登場して、シッラの傍にいるジュニアのことを思う余り、シッラへの恨みを晴らそうとするので、チンナに冷静になれと忠告されていた。彼は墓場で、ジュニアの亡くなった父の亡霊から「復讐せよ」と命令されたと語り、激しい怒りの第9番のアリア「この突然の震えは」を歌っていた。この二階建ての沢山の丸い窓がある建物の演出で、一つの窓からジュニアの亡くなった父の姿が見えた時には、このための布石の演出かと驚かざるを得なかった。


続いてチェリアがチンナを見つけて、好きな彼との結婚をシッラに許されたと、チンナに打ち明けようとする美しい第10番のアリア「気弱な唇が」が歌われていたが、一方では、チェチリオとジュニアを救うため、シッラ暗殺を考えるチンナには、敵の妹との結婚話は上の空のように聞こえていた。 一方、場面が変わって、高い壁のある通路で、ジュニアがシッラに「元老院に出るように」と言われたといぶかっているところへ、チンナが登場し、「シッラは政敵との和解の証に皆の前であなたに求婚するという計画だ」と語っていた。そしてジュニアにナイフを手渡し、「新婚の初夜にこれで刺すのだ」と告げていたが、ジュニアは暴力には全く耳を貸さず、恋人の生一本なチェチリオが早まってシッラを打とうとするのが心配で、チンナに「早まるな」と伝えて欲しいと頻りに頼んでいた。そしてチェチリオの身を案じて第11曲の「ああ、愛しい人が」を歌い出すが、このアリアには、堂々としたオーケストラの前奏が付いており、彼女も剣を手にして歌う劇的な素晴らしいアリアとなっていた。そして最後にはコロラチューラが連続した見事なカデンツアが歌われて、プテイポンの真価を堂々と発揮するものであった。もの凄い拍手で終了していた。


          このジュニアの姿を見て、チンナはここで改めて親友のチェチリオを救い、かつジュニアを解放するには、自分が自らの手でシッラを討たなければならないと固く決心をしていた。そして、第12番のアリア「この幸せの瞬間に」でシッラ暗殺はこの手でと決意のアリアを歌って、自分に言い聞かせていた。 入れ替わりにシッラが登場して、そこに現われたジュニアに再び自分への翻意を迫るが、彼女にきっぱりと拒絶され、怒ったシッラは力ずくでもと第13番のアリア「不実な大胆な女」を歌って乱暴に迫るが、彼女を愛しているシッラは、酷いことは出来ずに一人になると、自分の言い過ぎ、やり過ぎにしきりに反省し後悔していた。


          ジュニアが一人残されたところに、大胆にもチェチリオがジュニアを助けようと忍び込んできて、ジュニアと手を交わすが、ここは危険だと彼女にしっかりと諭されていた。そしてジュニアに「私を愛するなら逃げてください」と厳しく告げられていた。ここで残念ながら、チェチリオの「残酷な運命が待ち受けているなら、いつでも死のう」という第14番のアリアは省略され、残念そうに退出していた。  そこへジュニアのところへチェリアが現れて、お兄様に好きなチンナとの結婚が許されたとジュニアに伝え、だからあなたも兄を許してと、第15番のアリア「乾いた野原に慈雨が」と美しい喜びの歌を明るく歌い出していた。その喜々として歌う姿はジュニアを意識したものであったが、彼女は兄と異なって天真爛漫な面があった。


一方のジュニアがひとり、激しく重々しい前奏が始まって、彼女は募るばかりの不安と焦慮の余り、意志の強いジュニアは、死を恐れずに、決然と悲劇に立ち向かおうとしていた。彼女は、自分の道は元老院に嘆願して、チェチリオを救うしかないと決意していた。しかし、舞台では、このジュニアの激しいオーケストラの伴奏付きのレチタティーヴォだけで続く第16番「私は行く、私は急ぐ」のアリアは、残念ながら省略されていた。そして、場面が変わって、これはあのローマのカンピドーリオの丘を思わせるのであろうか。オーケストラが壮大に鳴り響き、あの二階建ての沢山の丸い窓がある建物には、大勢の元老院の議員や民衆、兵士達が整列しており、堂々たる第17番の合唱が始まっていた。そして、シッラと妹のチェリア、護民官のアウフィディオとチンナが整列し、遅れてジュニアが登場していた。


その中心にシッラの姿があり、ローマをこれまで平和にした功績を自分で自らを讃えており、そしてさらに、マリウス派との争いを収束するため、ジュニアとの結婚を承認して欲しいと求めていた。しかし、そこに立席していたジュニアが一人で反対の声をあげ、ナイフを持ってシッラの命令を認めるなら「私は命を絶つ」と自分の決意を示して立ち上がった。シッラが「取り押さえよ」と兵士たちに命ずると、そこへチェチリオが無謀にも、ジュニアを助けようとして剣を抜いて登場し、「愛しい人よ、怖れるな」と叫んで、ジュニアを救おうとした。思わぬ攻撃にあってシッラは、立ち往生していたが、剣は駄目というジュニアの言葉もあって、多勢に無勢、二人は捕らえられ、大混乱の状態になっていた。


ここでチンナもナイフをもって立ち向かおうとしていたが、シッラにお前もかと咎められ、大慌てでチェチリオを取り押さえようとナイフを抜いたと言い訳をしていたが、シッラのここでの元老院に対する思惑は、挫折したように見えていた。            しかし、死をも恐れぬジュニアの姿と、そこに登場したチェチリオの議員としての死を怖れぬ勇気ある姿が皆に感動を与え、シッラにも大いに影響を与えていた。ここで強い愛の絆を確かめ合う二人に対し、シッラが極刑を厳しく誓う第18番の三重唱が始まった。三人がそれぞれの三様の思いを歌う三重唱となっていたが、二人が揃って「愛する人と一緒なら、私は喜んで死のう」と歌っていたので、シッラには打撃を与え、大きな混乱のまま、舞台は終息していた。




         第三幕が休みなしに続けて開始され、チンナが登場していたが、チェリアが歌う第19番のアリアが省略されていた。チンナはこれ以上シッラが正義に反することをしたら行動しようと、次の計画を考えて第20番のアリア「傲慢な心を懲らしめよう」と歌い、改めてシッラへの怒りをあらわにしていた。このコンチェルタントなアリアは、終りに大きなカデンツアがあり、これも見事に歌われて、大きな拍手を浴びていた。    一方、囚われの身となったチェチリオのところへ、シッラから「最後の別れを許された」とジュニアが登場して二人は見張り付きで再会していた。チェチリオは「愛しい瞳よ、涙を流さないで」とジュニアに対し、第21番の死を覚悟した美しい弦楽合奏の伴奏のついた別れのアリアを、目かくしの姿で歌っていた。この悲しみに満ちたアリアは、キリテ・カナワのオペラアリア集にあり、序曲と共に良く記憶していた唯一のアリアであった。


          チェチリオが連れられて行き、一人残されたジュニアは、彼の死の場面に駆けつけて一緒に死にたいと第22番のアリア「思いの中に、最も不吉な死の思いの中に」を歌うが、このオペラ唯一の短調で書かれたピッチカート伴奏の暗いアンダンテの絶望的なアリアであって、このアリアにも拍手が連続していた。                   舞台がフィナーレに変わると、再び、舞台はカンピドーリオの丘か、シッラは公開のテーブルの上で、チェチリオを裁こうとしていた。テーブルにはシッラを中心に左にチンナ、右にチェリアが座り、右の席には目隠しされたチェチリオが座り、左側の席には、遅れて到着したジュニアが着席した。そこでシッラが皆に大声で告げた判決は、意外にも、チェチリオを許してジュニアの夫になれというものであった。それは、囚われの罪人を釈放し、自分に反抗していたジュニアと結ばせる思いがけぬ裁きであり、そして、自分は独裁者の地位を放棄するという意外な判決であった。


そこで、居合わせたチンナが、驚いて「私はあなたに反抗していた」と立ち上がると、シッラは声高らかに、「君は犯した罪を反省している。妹のチェリアと一緒になって、ローマを助けて欲しい」というのがシッラの熟慮の結果の判決であった。これには、聞いていた元老院の議員、市民、衛兵達も驚いて静まっていたが、その深い判決の意味合いに気が付くと、この寛大にして見事なさばきの上に、自らもこれまでの独裁者としての行動を反省して身を退くという結論は、元老院の議員たちをはじめ、市民、衛兵達をも感動させる判断であった。そのため、それに気が付いた群衆たちは全員で、「偉大なシッラ」と讃える合唱が始まった。チェチリオとジュニアも喜び合い、チンナとチェリアがしっかりと結ばれて、シッラと三人が親族となり、互いに喜び合っていた。民衆は「偉大なシッラは、ローマに再び命を吹き込み、幸福をもたらした。今日こそシッラは真の勝者となったのだ」と歌っており、「全ての栄光と称賛を彼に」と結んでいたこの姿は、恐らくは、正直で誠実なチンナが、シッラの後継者であることを民衆に示して、全員から祝福された幕切れのように思われた。


         シッラの突然の勇退いう思いがけぬ史実やリブレットに近い幕切れには、ある意味で安心とともに驚かされたが、考えてみると原作の暴君のシッラが、突然、全てを赦すという善人に変貌するという造りは、このオペラ特有のフィナーレの変貌であり、シッラ以外の、同席していたチンナ、チェリアをはじめ、チェチリオもジュニアも驚く判決であり、全くの驚きの終幕であった。それだけに、元老院や民衆たちの喜びの合唱が心によく響き、暴君といわれたシッラの、変貌ぶりを讃えたくなるフィナーレであった。

          ボルトン指揮マドリード王立歌劇場管弦楽団と合唱団は、とても生き生きした演奏をしてくれており、各アリアに送られる拍手の響きが多く、観衆の熱意と喜びが感じられるライブ映像であった。シッラのカート・ストレイトは、評判通りの優れたテノールであり、ゆれる独裁者シッラの姿を良く描いていたし、4人の女性歌手陣が演技も含めて元気の良い歌と姿を格好良く披露してくれて、大変立派な映像の記録を残してくれたと思う。この5人の歌手陣の歌唱力には、セリアでなければ聴けないカデンツアの魅力もふんだんに味わうことが出来て、とても楽しい映像であった。4人の中ではやはりジュニアのプティポンの歌と演技が、やはりひと際抜いて輝いていた。

この演出では、ローマ時代の物語を表す演出ではなく、現代のどこの地域でもあり得る、モダンな抽象化された設定で、人間関係の模様を鋭く描く演出であり、これがグート演出の特徴であろうと思わせた。リブレットに忠実に、省略なく進んでいたが、後半に入って、第14番のチェチリオと第16番のジュニアのアリアが削除されていた。しかし、いずれも劇的な伴奏つきのレチタティーヴォが生かされていたのであまり影響はなかった。しかし、第三幕の第19番のチェリアのアリアも省略されており、省略が多すぎて残念であった。舞台の場面づくりでは、街角風のシッラ邸の一角、高い壁のある通路、二階建ての丸窓がある建物の三場面を活用して、非常に抽象化された舞台演出のなかで劇が進行していた。そして、そこでは時代や地域を超越して、各人の人間関係の厳しさを鋭く描くクローズアップ中心の映像となっており、これが彼の「フィガロの結婚」(2006)でも見せたグート演出の面白さであると思わせた。先のミンコフスキーのローマ時代を思わせるバレー付きで衣裳も凝った貴族趣味で華やかな演出とは対照的であったが、この映像とは、主役面のクレバッサの溌溂さを選ぶか、ヴェテランの味わいのあるプティポンを選ぶか、などの相違点があり、私個人は伝統的な演出に近いスカラ座を選びたいと思うが、これは好き嫌いの好みの問題であろうと思った。

初めてに近いオペラを見るときには、映像化のお陰で繰り返し見ることが出来て有り難いが、字幕の有り難さをつくづく感じており、オペラ全体をとても良く理解できたと思われる。恐らく現地でライブを見た場合には、英語の字幕だけではなかなか素直に理解できないものと思われる。この映像記録のお陰で、この作品は恐らく2006年のザルツブルグ音楽祭記録よりも内容的に優れていると思われるので、ミンコフスキーのスカラの映像と並んで、少年モーツァルトのオペラセリアの評価を高めたものと思われる。


(以上)(2018/11/22)



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