(最新のDVDより;ソプラノで歌いながら指揮をするハンニガンのアリア集、)
17-11-2、バーバラ・ハンニガンのソプラノと指揮およびマーラー室内管弦楽団によるコンサートアリアK.583、K.579およびK.369、2014年8月、ルッツエルンKKLコンサートホールよりライブ収録、および秋山和慶指揮、東京交響楽団とパールマンのヴァイオリンによるヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216、
1991年9月22日、オーチャードホール、

− 指揮をしながらアリアを歌うという初めての試みを目にしたが、バーバラ・ハンニガンは指揮者としての身のこなしが自然に身についており、オーケストラに後ろを向けていても、身体をゆすりながら、或いは手の動きでリズムを取っており、マーラー室内管弦楽団の皆さん方にとっては、馴れればいくらでも彼女に追従出来そうに見えていた。彼女の声質がリリックなので、そのような3曲が選ばれていたが、コンサートアリアは、まさに彼女のような歌手であり指揮者である人のために生まれた曲種のように、自然に感じさせた面白いコンサートであった。一方、パールマンの独奏ヴァイオリンは、実に朗々とよく響き、座って弾いているせいか身体を余り動かさずに、終始、安定した音を聴かせており、東京交響楽団とは、実に持ちつ持たれつの温かみのある演奏に終始し、とても軽快で楽しい演奏であった。45歳の脂ののりきった熟達した感じのパールマンの演奏は、自信に満ち溢れ、あのごつい両腕なのにきめ細かな繊細な音を聴かせ、弱音の美しさを示したり、後半のブルッフでは技巧の確かさを見せつけていた−

(最新のDVDより;ソプラノで歌いながら指揮をするハンニガンのアリア集、)
17-11-2、バーバラ・ハンニガンのソプラノと指揮およびマーラー室内管弦楽団によるコンサートアリアK.583、K.579およびK.369、2014年8月、ルッツエルンKKLコンサートホールよりライブ収録、および秋山和慶指揮、東京交響楽団とパールマンのヴァイオリンによるヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216、
1991年9月22日、オーチャードホール、
(2017/9/12、新宿タワーレコードにて購入のDVD、Accentus Music ACC-20327 、および 92/09/05、NHK芸術劇場の番組を、VHS-76.2に収録、)

   11月号の第2曲目は、これも偶然に「パフォーマンス」が話題になるかも知れないが、ソプラノ歌手で女流の若き指揮者であるバーバラ・ハンニガンが、マーラー室内管弦楽団を指揮しながら、コンサートアリアK.583、K.579およびK.369を歌うというもので、2014年8月のルッツエルン音楽祭のKKLコンサートホールよりライブ収録であった。このコンサートアリアでは、彼女は客席の方を向きアリアを歌いながら指揮をしており、まずまずの歌って指揮する姿であった。しかし、このHPには関係のない続くリゲテイの最後の作品などでは、彼女とオケの「パフォーマンス」が話題になりそうな演奏振り、歌い振りであった。この映像は彼女のドキュメンタリが付属しており、まさに指揮も歌もパフォーマンスも出来る新しい才能の登場のように思われた。



       モーツァルトのコンサートアリアが珍しく3曲あることだけをカタログで知って求めたDVDであったが、これが何と歌って指揮をするソプラノのコンサートと彼女のパフォーマンスを解説する面白いDVDであった。彼女はバーバラ・ハンニガンというカナダ出身の若きリリックのソプラノ歌手であり、指揮をしながら歌もご披露するコンサートであった。会場はあの何回か訪れたルッツエルンのKLLコンサートホールであり、1014年のルッツエルン音楽祭でのコンサートであった。曲目はロッシーニの「絹のはしご」序曲(指揮)に始まり、モーツァルトの3曲のコンサートアリアは歌と指揮、リゲテイのコンサート・ロマネスクは指揮、フォーレの組曲「ペリアスとメリサンド」作品80も指揮、休憩を挟んで最後にリゲテイの最も前衛的な新曲「マカブラの神秘」では、指揮と歌と演技をご披露するものであった。この最後の新曲を指揮して歌い演ずる歌手の指揮者を見て、音楽とパフォーマンスを重視した特別な舞台芸術が現われてきたように思って驚きを禁じ得なかった。



        コンサートは、ロッシーニの弦とオーボエとフルートの前奏で始まる軽快な序曲で開始されていたが、指揮者は顔の表情が豊かで両腕と指先を巧みに動かしながらきめ細かく指揮をしており、この第一曲はこのコンサートに相応しい軽快さに満ちた演奏に終始していた。指揮者は続けて第2曲目の最初のコンサートアリアK.583、アリア「私は行く、だがどこへ?」であり、この曲は、1789年10月にウイーンで、ソレールのオペラ「情け深い無骨者」の挿入曲として作曲されたもので、「コシ」のドラベラを歌ったルイーズ・ヴィエヌーヴのために書かれている。



    曲は短いトウッティの三和音で、いきなりアレグロでソプラノが「私は行く」と絶望感をもった悲壮な表情で歌い出すが、バーバラはオーケストラに向って三和音の指示をしてから直ちに客席の方に振り向いて、二役をこなしつつ、「お、神よ」と苦悩を訴えるようにして叫んでいた。そしてフェルマータの後に、愛らしい短い主題が現われて、「もし天が救ってくれなかったら」と悲痛な表情で前半を歌っていた。後半部に入ってアンダンテ・ソステヌートに変わり、クラリネットとファゴットの美しい伴奏に導かれるように、悲しみに満ちた表情で「私を導いて下さい」と祈るように歌っていた。



       5分足らずの短い曲であるが、前半は女性らしい愛らしい曲調で悩みを訴え、後半は決然として祈るように愛らしく歌っており、バーバラの透明な細い声に良く合った素敵なアリアであった。この曲は、コンサートアリアの中では人気が高い曲で、映像でも今回で6人の歌手たちが揃って歌っていた。

        続くコンサートアリアの第2曲目は、ソプラノのためのアリエッタK.579、「喜びに胸はときめき」であり、新全集では「フィガロの結婚」の第二幕でスザンナによって歌われる第13番の「着せ替えのアリア」の代替曲として作曲されたと見なしており、アリエッタNo13aの番号が付せられていた。この曲は、素敵なピアノ伴奏版もあり、リートでも歌われてきた、実に楽しくて明るい軽快な曲である。



        曲は短くて明るいアレグレット・モデラートの軽やかなオーケストラの8小節の短い伴奏で始まり、ソプラノの喜びに溢れる主旋律が出てから、オーケストラ伴奏でオーボエとフルートにより弾みがつくように旋律が高まっていき最初のフェルマータで一息つく。中間部ではオーケストラとソプラノが掛け合いながら進み、再び冒頭の旋律が出て変化し高まりながら次のフェルマータで一息つき、最後にはオーケストラとソプラノがさえずり合いながら、あっと言う間に軽やかに終わりとなる83小節の美しいアリアエッタになっていた。
     バーバラは客席の方を向きながら、オーケストラが最初から軽やかに歌い出し、バーバラは極めて軽やかな声で踊るように歌い出し、最初のフェルマータでは十分に間を取ってから、オーケストラに声を重ねるように歌っていた。そして次のフェルマータでは、コロラチューラの短いカデンツアをアドリブで入れてから、最後はオーケストラと一体になって突き抜けるように歌って、一気に収束していた。彼女のペースで一気に歌われた楽しい曲に、会場は大喜びで大変な拍手であった。



        続くコンサートアリアの第3曲目は、ソプラノのためのレチタティーヴォとアリア「あわれな私、ここは何処!」「あ、これを語るのは、私でない」K.369、は、イドメネオの作曲後のミュンヘン滞在中に書かれており、素人の伯爵夫人のために書かれた曲とされている。
           場面は、メタスタジオの「エチオ」から取られたフルヴィア夫人のアリアであり、彼女は始めにレチタティーヴォで「あわれな私、ここはどこ!」と愛人のエチオの死を悲しみ、父にあるその罪をかわすため、最後の解決策として自分の命を絶とうとする追いつめられた絶望の気持ちを歌うものである。



      アリアは、前半はアンダンテ・ソステヌートで、フルヴィアが全ての望みを失った心境で、「あ、これを語るのは、私でない」と切々と歌われる。そして後半からテンポがアレグロになり、「過酷にも天は、私の苦悩に思いやりがない。」と自分の不幸を早口で嘆くものであった。譜面を見ながら丁寧に聴いてみたが、アマチュアの夫人のための作曲のせいか音域が広いわけでもなく、技巧的な難しさがあるわけでもない余り特徴のない地味な存在の曲であったが、バーバラには、三曲目で歌いやすい曲と見えて、悠々とレチタティーヴォをこなしてから、アンダンテの部分でもアレグロの部分でも、声を張り上げて朗々と歌いこなしていた。

         指揮をしながらアリアを歌うという初めての試みを目にしたが、彼女は指揮者としての身のこなしが自然に身についており、オーケストラに後ろを向けていても、身体をゆすりながら、或いは手の動きでリズムを取っており、マーラー室内管弦楽団の皆さん方にとっては、馴れればいくらでも彼女に追従出来そうに見えていた。彼女の声質がリリックなので、そのような3曲が選ばれていたが、バーバラはオーケストラと一体になって、細い声を良く張り上げて朗々としっかり歌っていた。コンサートアリアは、まさに彼女のような歌手であり指揮者である人のために生まれた曲種のように、自然に感じさせた面白いコンサートであった。



       なお、このコンサートの最後に歌われたリゲテイの新曲「マカブラの神秘」と言う曲は、オーケストラは弦楽器群がいない編成で、ピアノや打楽器が加わった新たな編成で、指揮者に合わせて楽員たちも一緒に声を出したり、演技をしたりしていた。指揮者はドレスに着替えて、かつらをかぶって変身して指揮を取っていたが、熱するにつれてドレスを脱ぎ捨てて歌いながら指揮をしており、熱中の余り観客もこれに参加するなどの、笑いを呼びながらの熱演であった。極めて珍しくその「パフォーマンス」に例がなく面白いと思われたので、写真を残しておいたので、ご覧いただきたいと思う。指揮をしながら、楽員と一緒になって、表情を付けながら歌い、演技しながら演奏する舞台は、指揮者バーバラ・ハンニガンだから出来る特技であろうと思われた。また、客席からは、指揮者を称える長い拍手が続いていたことを付記する。                      (以上)(2017/11/06)




        続く第二曲は、NHKの芸術劇場からの放送でイツァーク・パールマン(1945〜)のヴァイオリン協奏曲の夕べから、ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216の演奏であり、1991年9月22日、オーチャードホールでの収録となっていた。共演は秋山和慶指揮東京管弦楽団であり、パールマンはこの日は、ブルッフのヴァイオリン協奏曲も弾いていた。極めて古い映像であるが、当時45歳パールマンはすこぶる元気で、両手で杖にすがって、ゆっくりと登場し、指揮台と並んでおかれた台の上の椅子にゆっくりと腰を下ろし、ヴァイオリンを手渡されて、一息ついてから、ヴァイオリンのチューニングをしていたが、これら一連の動きが彼を象徴する一連の動作になっていた。
        曲はこの頃から白髪の秋山和慶の一振りにより、いきなり全員のトゥッティで第一主題を開始していたが、オーケストラの様子を良く見るとコントラバスが右奥に4台揃っており、かなりの人数の弦5部とオーボエ・ホルンからなるしっかりしたオーケストラの布陣であった。初めにこの長いアリア風の第一主題の合奏が威勢よく続いてから、直ぐにオーボエとホルンが導く第二主題が表れてオーケストラによる主題提示部が盛り上がりを見せながら、勢いよく進行していた。



           そこでパールマンの独奏ヴァイオリンが、1オクターブ高く、勢いよく第一主題を弾き始め、早速、明るく装飾音を加えながら丁寧に弾き始めていた。パールマンのヴァイオリンは落ち着いた太めの音で堂々とした威勢の良い印象であり、続いて短いトゥッティのオーケストラの後に、直ぐに第三の新しい伸びやかな主題を華やかに弾き始め、それから早い技巧的なパッセージが続いてソリストの見せ場を作っていた。そしてオーボエの重奏で第二主題が提示されて、再び独奏ヴァイオリンが元気よく活躍しながら提示部の後半を盛り上げていた。
          展開部はまずトゥッティで始まり短調の陰りを見せながら進行してから独奏ヴァイオリンが新しい主題を出して繰り返し、トゥッティ、独奏ヴァイオリン、オーボエなどの順に展開されて規模が大きくなっていた。そしてフェルマータの後一息ついて、再現部に突入していたが、ここでは独奏ヴァイオリンが高らかに第一主題を提示した後に、第三の主題が独奏ヴァイオリンで弾かれていた。それから再びオーボエに導かれて第二主題へと進み、ほぼ型通りに進んで盛り上がってからカデンツアとなっていた。パールマンのカデンツアは、各主題の一部を回想するように仕上げられたオリジナルのもの。ここでは、表情豊かに技巧を散りばめながら、華麗なヴァイオリンの音色が示されて、さすがと思わせていた。
          パールマンは、実に落ち着いて素晴らしい安定した技巧を示しながら、常に伸びやかに明るくオーケストラと対話しており、大家の風貌を見せながらゆとりのあるしっかりした演奏のように思われた。



           第二楽章ではアダージョで、全楽章が穏やかなピッチカート伴奏で進行する美しい楽章であり、ここでは、オーボエの代わりにフルートが用いられていた。初めにトゥッティで4小節の美しい主題がピッチカート伴奏で始まるが、直ぐにパールマンの独奏ヴァイオリンがオクターブ高く繰り返して進行し、ピッチカートの伴奏で独奏ヴァイオリンがこの穏やかな美しい主題を明るく歌い、変奏を加えながら繰り返していた。続いてフルートとホルンの重奏と独奏ヴァイオリンが交互に第二主題を提示して繰り返されていた。
          続く短い展開部では、第一主題前半のモチーブによる独奏ヴァイオリンの一人舞台であり、続けて始まる再現部では、パールマンの独奏ヴァイオリンが中心になって再現され、第二主題も現れてフルートとホルンの重奏と独奏ヴァイオリンが交互に現われながら進行して、フェルマータに導かれてカデンツアとなっていた。短いカデンツアは、パールマンのオリジナルの第二主題中心のものであったが、パールマンは素晴らしい技巧でカデンツアを仕上げていた。この楽章の最後は、短いトゥッティのコーダのあと独奏ヴァイオリンが第一主題を弾きだしてそのまま終わるという変わった試みで、味わい深い静かな終わり方であった。



           第三楽章はフランス風にRONDEAUと書かれたアレグロ楽章であるが、モーツァルトはこの第3番のコンチェルト以降のロンド楽章では、いつも、単なるロンド楽章ではなく、中間部にいろいろな工夫を試みている。まずオーケストラで耳慣れた楽しい3/8拍子のロンド主題が軽やかに提示され、続いて独奏ヴァイオリンが最初のエピソードを提示して繰り返していくが、パールマンはこの主題を実に軽快に進めていた。続けて独奏ヴァイオリンがロンド主題を提示してオーケストラが繰り返していたが、それからは独奏ヴァイオリンが先のエピソードを再び提示して主導権を取り、A-B-A’-B’-A”-の形を取って、再び颯爽とロンド主題が現われていた。
         ところがロンド主題を終えてフェルマータの後、曲は一転して短調風の4/4拍子のアンダンテとなり、独奏ヴァイオリンが弦のピッチカートに乗って、軽やかに美しい新しい歌をスタッカートで歌い出し繰り返されていた。驚いている間に、続いて曲調はアレグレットに変わって、再び独奏ヴァイオリンが民謡調の別の主題を歌い出し、更に独奏ヴァイオリンの重音奏法の新しい主題が提示されて繰り返されていた。この新しいフランス風の気まぐれな飛び込みは、新鮮な印象を与えていたが、フェルマータの後に、始めの3/8拍子に戻り、経過部を経てからロンド主題が戻ってきて、ソロとトゥッティで繰り返されて、この楽章は静かに終わっていた。モーツァルトが協奏曲の連作時に見せるロンド楽章のこうした思わぬ新しい変化は、この曲あたりから目立つようになり、K.271のピアノ協奏曲第9番のロンド楽章などでは、途中で美しいメヌエットが出てきたりして、何時も楽しませてくれている。



       パールマンの独奏ヴァイオリンは、実に朗々とよく響き、座って弾いているせいか身体を余り動かさずに、終始、安定した音を聴かせており、東京交響楽団とは、実に持ちつ持たれつの温かみのある演奏に終始し、とても軽快で楽しい演奏であった。45歳の脂ののりきった熟達した感じのパールマンの演奏は、自信に満ち溢れ、あのごつい両腕なのにきめ細かな繊細な音を聴かせて弱音の美しさを示しており、後半のブルッフでは技巧の確かさを見せつけていた。
         この古い映像のアップロードにより、手持ちの映像の紹介は全て完了することになるが、この曲はとても人気のある協奏曲であり、私には第3番、4番、5番が拮抗した名曲が続いていると感じているのに、HPでの集まっている曲数は、第3番が18演奏に対し、第4番が7演奏、第5番が10演奏と他を引き離しており、これは人気の程度を示していると思われ、面白いと思っている。


(以上)(2017/11/10)



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