(2017ザルツ音楽祭;クルレンツイスとムジカエテルナの「レクイエム」K.626)
17-11-1、テオドール・クルレンツイス指揮、ムジカエテルナ及び同合唱団による「レクイエム」ニ短調、K.626、
2017年7月23日、フェルゼンライトシューレ、2017ザルツブルグ音楽祭、
(ソリスト) Anna Prohaska(S)、Katharina Magiera (A)、Mauro Peter (T)、Tareo Nazmi(B)、

−2017年の夏のザルツブルグ音楽祭のクルレンツイス指揮ムジカエテルナと同合唱団のオペラ「ティト帝の慈悲」と「レクイエム」が、素晴らしい映像で日本語字幕付きで、早々に放送されて、ザルツブルクではさぞかし話題が多かったであろうと思われた。第1に、クルレンツイスの指揮の姿が、実に恰好が良いことである。そして映像の撮り方も、多分にそれを意識したものになっており、ファンには恰好の話題になったのであろう。第2に、ダ・ポンテ三部作のCDで現わされたムジカエテルナのピリオド奏法の徹底ぶりが、今回は映像で確認されることとなって、改めて凄い鍛えられたグループであることを認識させられた。第3に、今までオーケストラのピリオド奏法ばかりが話題になっていたムジカエテルナの合唱団が非常に生き生きとして素晴らしく、さらにオペラ「ティト」では見事に演技するローマ市民を演じていて、歌にも演技にも強い熟達した合唱団であることが確認された。この音楽祭に初登場したこのグループのモーツァルトの二作を見る限り、クルレンツイス指揮ムジカエテルナと同合唱団は、新しい新鮮な感覚を与えて、少なくとも私の目には、これまでの評判通りの好ましい存在に感じていた−

(2017ザルツ音楽祭;クルレンツイスとムジカエテルナの「レクイエム」K.626)
17-11-1、テオドール・クルレンツイス指揮、ムジカエテルナ及び同合唱団による「レクイエム」ニ短調、K.626、
2017年7月23日、フェルゼンライトシューレ、2017ザルツブルグ音楽祭、
(ソリスト) Anna Prohaska(S)、Katharina Magiera (A)、Mauro Peter (T)、Tareo Nazmi(B)、
 (2017/10/23、NHKBS103の放送をHD-5に収録し、DVDにダビング)

     最近は、最新の放送からの良いソフトや、店頭での最新のDVDソフトなどに恵まれて、充実した新しいソフトをアップロードしているが、今月も素晴らしい新しい話題を呼ぶソフトが登場している。その第1は、何と言っても2017ザルツ音楽祭で収録したクルレンツイスとムジカエテルナの「レクイエム」K.626であろう。彼の「レクイエム」はCDで既に登場してその斬新さに話題を呼んだはずであり、かねて音楽祭などでのライブの登場が待たれていたが、遂に2017年のザルツブルクの音楽祭に登場することになった。しかし、ベルリンでも先に「レクイエム」を振っており、その成果がかねて話題を呼んでいた。それがクルレンツイスの指揮振りが恰好が良すぎて、まるで「踊っている」ようだと言う評価であり、内容がなく何と「パフォーマンス」に力点を置きすぎていると言うではないか。そのため、このHPでも写真入で、つぶさに映像を、拝見しなければならない。



     会場は横長のフェルゼンライトシューレであり、映像が始まるとオーケストラのムジカエテルナの団員たちを真ん中にして、合唱団が一列で丸く円陣を組むように修道士のような黒ずくめの恰好で並んでおり、照明は暗くて何かしら評判通りの「秘教的」な感じであった。拍手とともに四人のソリストたちが登場し着席していたが、知っているのはアバドの最新の「レクイエム」でも歌っていたアンナ・プロハスカだけ(12-12-3)であった。



        やがてクルレンツイスが拍手とともに登場してご挨拶をしてから、しばし瞑想のポーズを取っており、おもむろに「イントロイトゥス」が開始された。黙しがちな弦の歩みに乗って、バセットホルンとファゴットが沈んだ音色で響き交わす序奏は、ゆっくりしたテンポで静かに進みだし、トロンボーンとテインパニーが逞しく響いてから、弦の悲痛な響きに先導されて厳かに「イントロイトゥス」の合唱が始まった。オーケストラをよく見ると、左端に2本のトランペット、中央に3本のトロンボーン、右端にコントラバスが4本並んでおり、どうやら大規模の編成のオーケストラのように見えていた。長身のクルレンツイスの長い手による指揮振りが実に格好良く見え、オーケストラの響きはピリオド奏法そのものの歯切れの良さが伝わってきていた。



         合唱団がバスから順にソプラノまで混然と始まって、深く弦の引きつるような伴奏に乗って堂々と進行し始め、全員の斉唱となって和やかな音調となっていたが、やがてソプラノのプロハスカのソロがレクイエムの開始を告げるように朗々と歌いだした。彼女はアバドの映像でも明るい声で歌っていたが、今回はビブラートを付けずに透明な声で明るくひとしきり歌っていた。後半部に入ると、再び厳粛な合唱が堂々と進みだし、二つのレクイエム主題による力強い二重フーガとなり、モーツァルトらしさを示しながら進行していた。クルレンツイスは、口ずさみながら、両手を大きく挙げてしっかりと指揮をしており、実に悠然とした響きで堂々と進行し、「イントロイトゥス」の最後を豊かに盛り上げていた。



          続く「キリエ」では、テンポはかなり早まって、キリエで始まる男声合唱に続いてクリステで始まる女声合唱が追いかけるように始まり、冒頭から壮大な二重フーガの形で早めに進行していた。キリエとクリステの二つの主題によるこの二重フーガは、大合唱にもかかわらずそれぞれの声部の重なり合いが明瞭であり、特にクリステのエと伸ばすパーツが絶えず何処かの声部で歌っているように聞こえていた。後半のキリエの大合唱でも堂々として壮大に歌われて、この合唱団の水準の高さを感じさせていた。クルレンツイスは、最後のフェルマータのあとのアダージョのキリエ・エリースンを、大きくテンポを落として、刻むように重々しく歌わせていた。
          休む間もなく続けて「セクエンツイア」に入って、第一曲目の「怒りの日」では、強奏のトウッテイで、いきなりテインパニーがけしかけるように響き、弦が鋭くうねるように鳴り響いて、「デイエス・イレ」と叫ぶように歌う激しい勢いの大合唱で始まり、女声と男声が交互に激しくぶつかるようにリズミックに進行していた。クルレンツイスも大声で叫ぶように「怒りの日」をむき出しに、全身で激しい指揮振りを見せていた。再びこの強奏のトウッテイを繰り返してから、後半にはいって「人々の怖れはいかばかり」では、バスと上三声が掛け合いながら交互に反復しつつ進む合唱となり、その迫力は壮大なものがあり、最後は4声の大合唱でこの激しい「怒りの日」は結ばれていた。



           第二曲の「トウーバ・ミルム」では、トロンボーン奏者が一番前のバス歌手の隣に歩み寄り、トロンボーンの柔らかな明るい音色のソロが厳かに響き出してから、バスのナズミがトロンボーンを伴奏にじっくりと朗々と歌い出し、一瞬、新たな明るい気分にさせられた。続いてテノールのピーターが明るい顔立ちを見せて声を張り上げて朗々と力強く歌い始め、アルトのマギエラに歌い継がれて、終わりにソプラノのプロハスカが高らかに歌い出し、締めくくるように明るく歌っていた。最後は四人のソリストたちによる豊かな四重唱になって静かに終息していたが、この曲はいつ聴いても、激しいレクイエムの中では、心を落ち着かせてくれるオアシスのような素晴らしい曲であると感じさせていた。クルレンツイスは、ここでは実に穏かに丁寧に指揮をしており、トロンボーンとバスの二重奏も、4人の四重唱も素晴らしく、一息つかせる場面であった。



          第三曲の「レックス・トレメンデ」では、激しいフォルテの弦楽器とトロンボーンの付点音符の前奏に続いて、「レックス」の大合唱が三度続いてから、先の「怒りの日」よりももっとリズムの激しい斉唱が始まり、迫力に満ちた大合唱が続いていた。クルレンツイスはここでも歌いながら髪を振り乱して激しく指揮をしており、合唱が力強く進行していたが、最後には音調を急変させて、ピアノの女性の合唱で「お許し下さい」とかすれるように歌い、男性もそれに続いて応えてから、最後には四重唱で悲痛な声で祈るように歌われて、徐々にテンポを落としながら消えるように終結していた。




          第四曲は、ソリストたちにより歌われる「リコールダーレ」で、チェロとバセットホルンによるしっとりしたしめやかな感じの前奏に続いて、アルトとバス、ソプラノとテノールとが順に厳かにゆっくりと歌い出す平穏な曲で始まっていた。しかし、中間部からテンポがやや速まって4人がそれぞれ歌い出して非常に豊かな響きの深みのある四重唱となっていた。激情の溢れるレクイエムの中にあってソリストたちの四重唱は平穏で厳かな雰囲気を醸し出しており、一息、休息出来る場面であった。




          第五曲の「コンフターテイス」では、ジャラン・ジャンジャン/ジャラン・ジャンジャンという全オーケストラの荒々しい伴奏で男声合唱が激しく雄叫びを上げるように歌い出してから、一転して救いを求めて悲鳴のように聞こえるソットヴォーチェの女声合唱が対照的に歌われ、そして再び始めから全体が激しく繰り返されていた。この男性声部と女性声部の対照の妙の凄さには驚くものがあるが、よく見るとクルレンツイスがこれを引き出すように素早い動きを見せており、間をおかず弦の三連符の伴奏で、4声が一緒になって「死に際の苦しみを救ってください」という悲痛な叫びが繰り返されて、激しく胸に迫るものがあった。





           そして切れ目なしに続いて第六曲の「ラクリモサ」がヴァイオリンの切々たる音で静かに始まる。クルレンツイスはテンポを落とし、冷静に淡々と一音づつ進め、合唱が少しずつクレッシェンドで次第に高まりを見せ、8小節を超えてさらに高まりを見せながら高揚し続け、終盤にバセットホルンとトロンボーンが厳かに響き出し、テインパニーの打音に乗って、大合唱の最後の燃焼が続いていた。終わりのアーメンの合唱が実に厳かに結ばれ、起伏の大きかったセクエンツイア全体が締めくくられていたが、この演奏では、一息おいて、アーメン・フーガの一節が静かに歌われており、新鮮味を出していた。映像では、ここで一呼吸置いて、オッフェルトリウムに入ろうとしていたが、私のレクイエムへの集中力の限界はここまでで、休息せざるを得なかった。



    続く「オッフェトリウム」では、初めに「ドミネ・イエス」が非常に早めのテンポの大合唱で始まり、アブラハムのフガートが続いて盛り上がりを見せてカラ、やがてソリストたちの四重唱となって、明るさを取り戻したあと、再び合唱のトゥッテイに戻っていた。「ホステイアス」では、アンダンテの安らかな合唱が続いたあと、再び前曲の早いテンポのアブラハムのフガートの合唱に戻っていた。
         続いて「サンクトウス」のアダージョの大合唱が始まり、高らかに三度繰り返されてから、「怒りの日」に似た主題が始まり、やがてホザンナではアレグロの大合唱が続いていた。ベネデイクトウスに入ると第一ヴァイオリンに先導されてアルトから始まってソリストたちの四重唱が続き、しばし安らぎの歌が続いていた。そしてホザンナの大合唱を経て収束していた。



         最後の「アニュス・デイ」では、テインパニーと細かな弦による前奏に続いて、厳粛な合唱が死せる者の安息を祈願して静かに歌っていた。そして最後の「コンムニオ」では、冒頭の「イントロイトゥス」のソプラノの独唱から始まって、続くキリエ全体が再現されており、実に厳粛に進行し、最後のアダージョでは、テンポを緩めて「慈悲深くおられる神よ」で厳かに全体が結ばれていた。クルレンツイスは、演奏終了後も祈りのポーズを崩さずに瞑想状態を続けて静寂な状態を続けてから、やっと動き出してそれから盛んに拍手を浴びていた。彼は二人のソプラノとコンサートマスターとハグをしてから、挨拶を繰り返して、ソリストたちと引き上げたが、直ぐに5人は引き返して、挨拶を繰り返していた。ソリストに花束が渡されている間に、指揮者は合唱団やオーケストラの中に入って、皆さんとハグを繰り返して、親密さの度合いを示していた。

          クルレンツイスのこの映像の「レクイエム」は、ソリストにプロハスカやピーターなどの優れた人たちを迎え、合唱団も力強く素晴らしい演奏であり、オーケストラも大型の布陣であったが、教会の大聖堂での録音に較べて響きが薄く感じられ、ピリオド奏法に徹底していたせいか、あっさりと淡々として進行する演奏に感じた。やはり、指揮者クルレンツイスの存在感は大きく、指揮振りもしなやかで動きが良く、見るからに全体を引っ張っており、確かにこの点でパフォーマンスの行きすぎの意見が出たのであろうが、若い人たちには実に格好の良い指揮者像に見えたに違いない。また、コンサートマスターが、クルレンツイスと一体になって良く身体を動かし、牽引車になっている姿が捉えられていた。



     ムジカエテルナのオーケストラは、バッセットホルン、トロンボーンが良く鳴り、テインパニーが全体をしっかり支えており、古楽器による器楽の色彩感・リズム感・デュナーミクなどの変化が目立つ演奏であって、極めて新鮮な響きを見せていた。また、合唱団は、横一線に一列に並んで歌っていたが、良くまとまって聞こえており、緩急・強弱の変化が激しい合唱を上手く歌いこなして、鍛えられた集団であることを見せつけていた。そしてオーケストラと合唱団、ソリストたちが指揮者の要求する全体の美的な音楽追求に積極的に応じている様子が良く分り、全体が一体となって音造りに奉仕している姿が良く見えていた。これは彼らのダ・ポンテ三部作の音造りなどとも共通した響きとなって現われており、鍛えられた音楽集団の威力を見せつけていた。古楽器演奏による「レクイエム」が多くなってきたが、これはその中でもひときわピリオド的な色彩を強くした現代的な演奏であると思われる。


(以上)(2017/11/03)



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