(最新のクラシカJのオペラ;2015グラインドボーンOPの「後宮」)
16-9-3、ロビン・テイチアーテイ指揮エイジ・オブ・インライトメント・オーケストラ、デイヴィッド・マクヴィカー演出による「後宮からの逃走」K.384、
グラインドボーン合唱団、2015年10月、ロイヤル・オペラ・ハウス、

−今回の2015グラインドボーンの映像を繰り返して見て、矢張りリブレットに忠実で省略が少なく、音楽も緩急のテンポを良く心得てアリアを大切にしっかりと歌わせており、最も基本的なことを大事にする伝統的な発想の舞台であるという思いがしたが、それにもかかわらず、舞台の動きは生き生きとして現代風であり、音楽もピリオド奏法の緩急・強弱の変化を大切にする現代的演奏であった。そして18世紀のトルコを改めて再現したような衣裳や舞台が設定され、それらがとても調和して新鮮さを感じさせており、これだけ考えられ準備された映像は他にないと思われた。最後のセリムの赦しの場面にもっと生彩があれば、最高の映像ではないかと考えている。最新の映像が日本語字幕付きの美しいBDで早期に入手出来るのは有り難いと思った−

(最新のクラシカJのオペラ;2015グラインドボーンOPの「後宮」)
16-9-3、ロビン・テイチアーテイ指揮エイジ・オブ・インライトメント・オーケストラ、デイヴィッド・マクヴィカー演出による「後宮からの逃走」K.384、
グラインドボーン合唱団、2015年10月、ロイヤル・オペラ・ハウス、
(配役)コンスタンツエ;サリー・マシューズ、ベルモンテ;エドガラス・モントヴィダス、オスミン;トビアス・ケーラー、ブロンテ;マリ・エリクスモーエン、ペドリオ;ブレンデン・カンネル、太守セリム;フランク・ソレル、
(2016/07/28、最新の日本語付きのBDをタワーレコードで購入、OPUS ARTE)

       9月号の第3曲目は、2015年のグラインドボーンのオペラ「後宮」であり、最新の映像が日本語字幕付きの美しいBDで入手出来るのは有り難いことである。この映像は、実に美しいHV画面であり、演出者マックヴィッカーの語り(付録の日本語訳が付属していたのは有り難かった)では、作曲家と台本作者の意図を忠実に理解するため、従来、かなりリブレットでカットされていたものを90%近く生かすようにし、舞台も18世紀当時のイスラム社会を再現することに極力努めたという。そのせいか、舞台も劇の進行も非常に新鮮であり、過去の演出者の読み替え劇で毒されたこのオペラが、新たに甦ったように見えていた。指揮者のロビン・テイチアーテイとエイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団&グラインドボーン合唱団の組合せは、2012年8月、グラインドボーン歌劇場における「フィガロの結婚」のライブ収録(13-10-3)で確認済みであり、今回もいきいきとした古楽器演奏が楽しみであった。このオペラ「後宮」も、今年に入って2映像目のアプロードとなり、全23組の映像のアップロードが完成しており、全映像を見た後の「総括作業」の順番になっているが、多忙すぎて手が回らない状態にある。



       画面は円形のグラインドボーン歌劇場の満員の客席とオーケストラピットを写していたが、やがてテイチアーテイが足早に入場して拍手に応えるように客席に会釈をし、着席してから序曲が始まった。お馴染みの旋律が早いテンポでトルコ風に賑やかに始まったが、表情は明るく活きがよいアレグロで、良く聴くと打楽器と笛に特徴があり、トルコ風の楽器が使われているようであった。ここで画面では出演者の紹介がなされていた。やがてゆっくりしたテンポの静かなアンダンテに変わりオーボエがベルモンテのアリアを先取りしていたが、画面では海の見える浜辺に主人と召使いの二人が一息ついていると、緩から急に音楽が戻り、大勢のトルコ人が物ねだり。二人が逃げ出すように立ち去ると、序曲の終了と共に幕が開き、そこは宮殿の前広場となっていた。

 

             前奏に次いでベルモンテの第1番のアリアが始まっていたが、ベルモンテのエドガラス・モントヴィダスの良く通る「コンスタンツエに会える」という喜びの声が瑞々しく響き、素晴らしいオペラの開演を思わせた。モノローグでベルモンテがどうして宮殿に入ろうかと呟くうちに、木の上で仕事をしているオスミンを見つけて話しかけるが、オスミンにはラララとリートを歌い続けて無視された。ベルモンテは、怒りだして「爺さん」と呼び掛け、ここは太守セリムの宮殿かとか、ペドリロに会いたいとか、しつこく聞こうとすると大男のオスミンも怒りだし、やがて二人がやり合う喧嘩の第2番の二重唱に発展していった。二人は手を出しそうな雰囲気であったが唖の召使いが見張っていた。



       続いてオスミンがペドリロの悪口を言っていると、ペドリロが現れたので、オスミンはいきり立って「女どもを狙うお前達が大嫌いなんだ」と声を荒立てて第3番のアリアを歌い出し、ペドリロの育てた大事な盆栽の頭を切って見せ、アレグロになってお前達は首切り・首吊り・串刺しだと歌って大怒りで宮殿の中に入ってしまった。
        そこで残されたペドリロが頭に来て宮殿の前でぼやいていると、何とベルモンテがそこに居るではないか。二人はここで劇的な再会をし、ベルモンテは、コンスタンツエやブロンテが無事で元気でいることを知った。二人は一部始終を語り合っていたが、これはほぼ長いリブレット通りであり、太守セリムがコンスタンツエを侍らせていることを知り心配であった。そしてべルモンテはコンスタンツエに会いたい一心で、不安を示しながらも勢いよく第4番のアリアを歌い出すが、その胸の高鳴りを現すようなピッチカートの伴奏があり、声も良く伸びて最高のアリアとなり凄い拍手があった。




                 そこで場面が変わり太守セリムが登場するが、まず短いトルコ風のオーケストラの前奏があって、続いて威勢の良いオーケストラの第5番aの行進曲が始まり、大勢の中でセリムとコンスタンツエが登場してきた。そして合唱団による賑やかな太守を讃える第5番bの合唱が続き、中間には四重唱もあって、賑やかにそして堂々と合唱が終了していた。テイチアーテイのピリオド奏法が光っていた。




   太守が人を去らせてからコンスタンツエを優しく慰めており、続けてダイアログ通りに時間をかけて熱心に求愛をしていた。コンスタンツエのサリー・マシューズは、若く風貌もピッタリで、太守の寛大さに感謝しながらも、「私は恋をしていて幸せでした」と第6番のアリアを歌い出した。このアリアはとても美しく、後半のアレグロではコロラチュラの技巧が良く決まって最高のアリアになっていた。彼女はセリムに「心を許すことだけは堪忍して」といい、時間をくれと頼んでいたが、さすがに寛容なセリムも「これが最後だぞ」と声を荒げて彼女に申し渡していた。
   その健気な姿が太守の気持ちを強く惹き付けていたが、セリムが独り言で「あの強い態度が私の心を惹き付ける。あのような心に暴力をふるえるだろうか、私も恋をしている。」と呟いていた。




    セリムが部屋を出ると、そこには大勢の陳情団が待っていたが、その中からペドリロの話を聞こうと呼ぶと、彼はベルモンテと共に現れた。お気に入りのペドリロの紹介で、ベルモンテはイタリアの建築家と紹介され、明日会おうと太守に出入りを許された。そこで二人は驚喜して宮殿に入ろうとすると、オスミンが現れて邪魔をして一対二の面白いフィナーレの三重唱になっていた。リブレットではオスミンの手をかいくぐって宮殿に入ることに成功したように書かれていたが、ここでは唖の召使いが見張っており、最後にはオスミンを押さえて、二人が宮殿に入ることが許されて幕になっていた。第一幕全体を通じて、テイチアーテイのテンポがしっかりしていて、歌手陣は伸び伸びと落ち着いて朗々として歌っており、ほぼリブレット通りの丁寧な省略の少ない字幕となっており、とても好感が持てた。




      第二幕は宮殿内の庭園とか浴室の場合が多いが、ここではどうやら女性の砦である台所のようであった。オスミンが可愛いブロンテをものにしたくてからかうが、「私は奴隷ではない」とブロンテがピシャリと退けて、リート「すみれ」に似た第8番のアリアを歌い出した。ブロンテのマリ・エリクスモーエンも初めてのソプラノであるが、オスミンも手が出せぬ元気で活発なじゃじゃ馬役を上手くこなしていた。彼女は相変わらずのコケットリーな仕草で、オスミンの巨躯に着せ替えの服を縫っているところであり、針を持って自由を主張していた。続いてオスミンの命令に従わぬブロンテをどやしながら「ペドリオに近づくな」と第9番の二重唱を歌い出し、反発するブロンテとのアレグロの二重唱となるが、アンダンテになってやり合ううちに、ブロンテはテンポがのろい大男を手玉にとって、針で刺したり、台所用具で目を刺そうと脅したりして、オスミンを攻撃し、彼は軽く追い払われてしまい大拍手を浴びていた。




         ここで第二場冒頭のブロンテの長いダイアローグは省略されていたが、 コンスタンツエが暗い部屋に姿を現し、美しい前奏の下で寂しい気持ちをレチタテイーボで歌ってから、「悲しみが私の運命になった」と切々と第10番のアリアを歌い出した。部屋にはブロンテも慰めに聴いており、このコンスタンツエのアリアは単独でも良く歌われ るが、実に哀愁に満ちて素晴らしいと思った。唖の召使いもいつの間にか登場して、ベッドのある寝室に模様替えしていた。
そこへセリムが現れ、驚くコンスタンツエにまだ決心が付かぬかと催促し、いきなり抱きしめると、コンスタンツエに「尊敬しているが、愛することは出来ない」と拒絶され、むしろ「殺して下さい」と反発されていた。






    セリムは思わず「死んではならぬ、拷問だ」と声を荒立てると、オーボエとフルート、ヴァイオリンとチェロの長い前奏のついた激しいオブリガートが始まり、続いて第11番の決然としたアリアをコンスタンツエが歌い出した。このアリアは「どんな苦難があろうとも」と決然と歌われ、最後には「死が私を解放してくれる」と必死で歌われており、高音域のコロラチュアが要求される木管とのコンチェルタントなアリアで、低い声はさすが辛そうであったが、高音の技巧の素晴らしい出来であったので大拍手で迎えられていた。一人残されたセリムは、この力と勇気はどこから来るのだろうといぶかり、作戦を変えねばと呟いていた。






            ブロンテの独り言の第5場が略され、第6場に入ってペドリロがブロンテを探しに来て、ベルモンテが助けに来ていることを聞いて、ブロンテは躍り上がって喜んだ。その勢いで二人は大変なキスをしてから、ブロンテは「何という喜び」とフルート協奏曲の終楽章に似た第12番のアリアを歌い出した。二人の久し振りの対面でここを逃げ出す長い会話の中で「オスミンは?」と聞かれて、ペドリロは眠り薬の小瓶を見せて、用意のあることを示していた。そして、ブロンテの励ましの言葉に応えて「闘おう、元気よく」とペドリロは第13番のアリアを歌い出し、大小のキプロス酒と眠り薬を持ち出して「怖くないぞ」と歌いながらお酒に薬を注いでいた。






      そこへオスミンが登場して初めは警戒していたが、ペドリロがお酒を美味しそうに飲んでいるのを見て話しかけ、試しにお酒を一口飲んでいるうちに「マホメットさまはもう休んでいる」との声に勇気づけられて、大きなビンにも手を出してしまった。そして二人は次第に元気良くなって、遂に勢いよく飲み始め「バッカス万歳」の第14番の元気な二重唱に発展していった。そしてオスミンが酔っぱらってしまって倒れそうになっていたが、何とか歩いて大声を上げながら引き上げて、大笑いの大拍手となっていた。







    そこでアイネ・クライネの第二楽章の弦楽合奏の美しい前奏が始まって、ベルモンテが登場し、やっとコンスタンツエに会えると第15番のアリアを歌い出した。このアリアは「喜びに涙を流すとき、愛は優しく微笑む」と歌われるのであるが、美しいが三度も繰り返されてやや冗長であった。そこへコンスタンツエが駆けつけて来て、素晴らしい前奏とともに「ベルモンテ、私の命」と歌い出した彼女の歌は歓喜の絶頂であり、ここから4人の再会の喜びの四重唱が始まった。






     これは長大でドラマテイックな愛の賛歌のフィナーレとなっていた。コンスタンツエとベルモンテの再開の二重唱に続いて、やっと解放の希望が見えてきたという四重唱となり、中間部ではテンポが変わって、太守やオスミンと女ふたりの関係が「噂では」と疑われるやきもちの二重唱となり、最後には疑いが晴れて男二人が許しを乞い、やがて明るい愛の四重唱となってフィナーレは終了し、長い第2幕はここに終結していた。






      休憩の後、続く第三幕は宮殿からの脱走劇の開始である。慎重そうに見えて臆病で小心者のペドリロは、ベルモンテを指導して約束の深夜12時に二階の女性の部屋にハシゴをかけて一緒に逃げようと企んでいた。ペドリロから用意が出来たと言われて、木管の前奏が静かに聞こえて来て、ベルモンテが第17番のアリアを歌い出した。この曲は、「逃走を前にして心配で胸が高鳴る」というテノールの難曲であり、木管のオブリガートが美しい曲であった。続いてやっと、12時になり女性たちに知らせようと、ペドリロがマンドリンの伴奏で美しく歌われる第18番のロマンツエを静かに歌い出した。ベルモンテがいらいらして早くしろと催促するが、アリアは3番まで最後まで歌われてから、行動を開始した。







     ベルモンテがハシゴをかけ、始めにコンスタンツエが二階から降りてきてベルモンテと逃げだしていた。続いてブロンテに声を掛けてハシゴをかけところに、オスミンが出てきて見つかってしまい、さあ大変。二人は逃げ出したが衛兵の警戒が厳しく、囲まれてしまい、結局は四人とも捕まってしまった。ここでオスミンが大喜びして歌う第18番の「勝ちどきのアリア」は、やや早めのテンポであったが、オスミンの鬱憤を解消し、役目を果たした喜びに満ちた、この日のオスミンの最高の劇的なアリアであった。






       騒ぎを聞きつけセリムが現れ、コンスタンツエを見てビックリし「あれほど待ってくれと頼んだのは、このことだったのか」と怒りを露わにしたが、彼女は健気にも「私は喜んで死にますが、この人だけは許して」とセリムに乞う。さらにベルモンテが「スペインの名家のものですが、伏して憐れみを乞います。身代金は幾らでも支払います。私はロスタードスと申します」と懇請をした。セリムは「オランの司令官を知っているのか」と尋ね、「私の父です」という答えに、セリムは驚いて大笑いしていた。しかし、「私の最も憎い敵の息子を手に入れるとは」と語ってセリムの怒りは増幅し、セリムの幸せをことごとく破壊した敵の悪行の数々を並べ上げて、新たに父への憎しみと復讐とを認識したように思われた。






    ベルモンテとコンスタンツエは、ここで絶体絶命とばかりに死を覚悟した。この二人の「何という運命か」と歌う第19番の二重唱は、オーケストラの絶妙な悲痛の響きと相まって真に迫り、ベルモンテが「僕のせいでコンスタンツエが死んでしまう」と歌い出していた。コンスタンツエは「一緒に死ねるのは喜びです」と答えており、これがベルモンテを深く感動させ、そして終わりには、「喜んで一緒に死にましょう」という二重唱となり、素晴らしく感動的な長大なアリアであった。






      最終場面に入り、再び現れたセリムは、オスミンとお付きのものたちを並ばせて、ふたりを前にしてひとりで神への祈りを捧げていた。そして死の覚悟を決めたコンスタンツエとベルモンテの二人の開き直った泰然とした態度を見て、「覚悟は出来ているか」と尋ねていた。しかしベルモンテが「父の償いをするため死を覚悟しています」と答えると、意外にも「二人とも、故郷に帰れ」という。直ぐには信じられないほど寛容な言葉を聞き、「父親に伝えよ」と言われて絶句する二人。セリムは「私はお前の父と同じことはしない。善行で返すことが私の本当の喜びだ」といい、「帰ったらこのことを父に伝えよ」と念を入れていた。




    セリムの皆には理解できぬ突然の高遠な心情は、皆を驚かせたが、寛容な赦しの精神を讃えることが当時のオペラの流行であったろうか。ペドリロとブロンテも一緒に許されて、オスミンをカンカンに怒らせたが、セリムは「心をつかめぬのなら、返すより仕方なかろう」とオスミンに告げ、四人で代わる代わるに歌い出す感謝の気持ちのヴォードヴィルが明るく歌われ、賑やかなトルコ風の「セリム万歳」の合唱で賑やかな終幕となっていた。




   絶望から一転して太守セリムへの感謝という急展開で、舞台ではセリムの思わぬ復讐よりも善行という高邁な結末への感動で、素晴らしい拍手と歓声でカーテンコールが続いていたが、6人の主役たちばかりでなく、宮殿内の子供たちを活用した家族的なセリム一族を演出したり、新鮮な舞台を見せてくれた演出者マクヴィカーや指揮者テイチアーテイにも沢山の拍手が寄せられていた。
しかし、多くの映像を見てきた私には、第二幕まではこれまで見た「後宮」の中でも最高の出来映えと考えてきたこの舞台が、第三幕に入って、リブレット通りの脱出劇なのであるがやや稚拙で間抜けに見えており、捕まったふたりの二重唱は劇的で素晴らしかったが、最後のセリムのひとり芝居が今ひとつの出来のように思われ、期待がすこし外れてしまった。これだけ準備がなされているので、もっと感動を呼ぶセリムの一人芝居がないものか残念に思われたが、しかし、ほぼリブレット通りの進行なので、これ以上望むのはやむを得ないのかもしれない。

    この映像を何回か繰り返して見て、矢張りリブレットに忠実で省略がなく、音楽も緩急のテンポを良く心得て、アリアを大切にしっかりと歌わせており、最も基本的なことを大事にする伝統的な発想の舞台であるという思いがした。しかしこの映像は、伝統的とも思える舞台造りにもかかわらず、舞台の動きは生き生きとした現代風であり、音楽もピリオド奏法の緩急・強弱の変化を大切にする現代的演奏であり、18世紀のトルコを改めて再現したような衣裳や舞台が設定されており、それらがとても調和してとても新鮮さを感じさせており、これだけ考えられ準備された映像は他にないと思われた。

      この映像の特徴をもう少し詳細に述べると、まず演出面では、冒頭と最後の場面の海が見え、建物が左右対称形の舞台はハンペ演出を思わせていたが、デザイナーのヴィッキ・モルテイマーが語っていたように、宮殿の細部は18世紀のトルコ建築を取り入れ、広間に、寝室に、台所に、物置などにと場面設定して効果を挙げていた。
リブレットの面では、90%近くの語りを省略しないで生かしていると言う説明であったが、第1幕のベルモンテとペドリロの再会の場や、太守とコンスタンツエの語りの場などで、ペドリロの庭師と大司の建築士への理解などで、気付かされた面が多々あり、最終場面のセリムの一人舞台でのせりふなどで原作の意図を汲み取った扱いがなされて新鮮味を覚えており、成功していると思われる。
音楽面でも序曲や第5番の行進曲などで、トルコ風が出されピリオド楽器が活躍をしていたが、テイチアーテイの暖かみのある良いテンポの演奏もメリハリがあってオペラの進行を助け、安心して音楽に浸ることができた。

主役の6人は、グラインドボーンでは良くある全員が初めて見る歌手たちであり、当初は心配していたが、さすがに役柄に合った人材を得ていた。中でもコンスタンツエのマシューズは、美貌で役柄に良く合っており、悩む役柄を良くこなし、歌唱力も抜群であった。ベルモンテのモントヴィダスは、貴族趣味の御曹司役を良く演じており、第17番などの難曲のアリアを良くこなしていたと思う。セリムは子供好きで西洋風な考え方、家庭を愛する人柄で、コンスタンツエにも尊敬され、悩ませる人物として描かれていたが、フランク・ソレルは、妥当な役柄を果たしており、中心人物として活躍していた。
オスミンとブロンテも見せ所の役を充分にこなしており、二人のコメデイ・タッチにはセンスがあったし、ペドリロの庭師の姿は、パイプ姿は似合わなかったが、まずまずの動きを見せていた。なお、この映像ではリブレットにある唖の召使いが、太守セリムの身の回りの世話役として、また太守を守る役割を担って活躍していたのが印象的だった。セリフはないが、要所要所で姿を見せていたのが目についた。


(以上)(2016/09/17)



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