(最新のDVDオペラから;最も古いドレスデン国立OPの「後宮」K.384)
16-7-3、Peter Gulke指揮、Harry Kupfer演出によるオペラ「後宮からの逃走」K.384、
1976年ころの映像、Dresden State Operライブ、東ドイツ、

−この映像は、1976年にテープで収録された東ドイツのドレスデン国立OPのライブ映像であり、最近、アメリカでDVD化されたものである。残念ながら、字幕の選択やオーデイオの選択などは用意されておらず、映像は極めて古さを感じさせ、また、音声もモノラルであるばかりかその質も最低であった。しかし、この映像を何回か繰り返して見て、2曲ほどのアリアの省略があったが、矢張りリブレットに忠実で、緩急のテンポを良く心得て、歌手の動きが少ない演出であったがアリアを大事にしっかりと歌わせて、最も基本的なことを大事にする伝統的な映像であると思われた。映像初期の時代の貴重なライブの舞台作品であるとの理解は出来るが、ドイツ語のセリフだけで字幕が何もないのは残念であった−

(最新のDVDオペラから;最も古いドレスデン国立OPの「後宮」K.384)
16-7-3、Peter Gulke指揮、Harry Kupfer演出によるオペラ「後宮からの逃走」K.384、
1976年ころの映像、Dresden State Operライブ、東ドイツ、
(配役)セリム;Werner Haseiau、コンスタンツエ;Carolyn Smith-Meyer、ブロンテ;Barbara Sternberger、ベルモンテ;Armin Uhde、ペドリオ;Uwe Peper、オスミン;Rolf Tomaszewski、
(2015/11/13、タワーレコード新宿店で古い見慣れぬDVDを購入、)

     7月分の第三曲は、最新のDVDオペラから選んでいるが、どうやら演奏は最も古い東ドイツ時代のドレスデン国立OPのオペラ「後宮」K.384のカラー映像であった。演奏は、Peter Gulke指揮、Harry Kupfer演出によるオペラ「後宮からの逃走」K.384とケースに明確に記載されていたが、録音年月などは記載されていなかった。そのため、音友社のオペラブックス11の「後宮」(1988)の末尾のデイスコグラフィをチェックしたところ、1976年ころの映像で、Dresden State Operのものであることが判明したが、演出者、出演者は同一なのに、指揮者だけがブロムシュテットとなっていた。映像を見ると明らかにブロムシュテッドではないので、ここでは余り詮索しないことにする。映像は極めて古さを感じさせ、また、音声もモノラルであるばかりかその質も最低で、これがDVDによるものかと驚いたが、しかし、映像の最初期の舞台を現していることに気がつき、映像化された最初期の伝統的な舞台として、極めて貴重な存在であると考え、字幕はないが丁寧に見てご報告したいと考えている。




     このDVDはアメリカで作られたようであるが、字幕の選択やオーデイオの選択などは用意されておらず、画面の情報では1980年制作の古い画像?とされていた。映像は序曲の開始とともに歌劇場の緞子が写されて、タイトルをはじめ出演者などの紹介が続けられていたが、プレストの後半から指揮者のピーター・ガルクが写し出され、アンダンテではオーケストラも写し出されていた。序曲が再びプレストになると客席が写されていたが、序曲の終了とともに幕が開き、第一曲の前奏が開始されるとベルモンテのアルミン・ウーデの明るい声のアリアが始まっていた。




「コンスタンツエに会える」という喜びの声が瑞々しく響き、素晴らしいオペラの開演を思わせた。舞台はセリムの宮殿の前庭で、そこへオスミンが鼻歌を歌いながら登場してきたので、ベルモンテが話しかけるが、歌い続けて無視される。ベルモンテが怒りだして「爺さん」と呼び掛け、ペドリオのことを聞こうとするが、大男のオスミンもペドリオと聞いて怒りだし、やがて二人がやり合う第二番の「喧嘩の二重唱」に発展していった。




続いてオスミンがペドリオの悪口を言っていると、ペドリオが現れたので、オスミンはいきり立って「女どもを狙うお前達が大嫌いなんだ」と声を荒立てて第三番のアリアを歌いだした。そしてひとしきり歌ってから、最後にアレグロになって、彼の口癖のようになっている「お前達は首切り・首吊りだ」と怒りのフレーズを大声で歌って宮殿の中に入ってしまった。そこで残されたペドリオとデルモンテは意外にも早く再会し、コンスタンツエやブロンテが無事で元気でいることを知り、一部始終を語り合っていた。そしてベルモンテはコンスタンツエに会いたい一心で、不安を示しながらも勢いよく「コンスタンツエ」と第4番のアリアを歌い出すが、その胸の高鳴りを現すようなピッチカートの伴奏があり、ベルモンテのウーデの声も良く伸びて最高のアリアとなり凄い拍手があった。




続いて場面が変わり威勢の良い第5番の行進曲が始まって、どうやらセリムとコンスタンツエが宮殿に登場したように見えた。合唱団による賑やかな太守を讃える合唱が続き、中間に四重唱もあって堂々と合唱が終了していた。太守がコンスタンツエを見つけて、優しく慰めており、求愛をしていた。姿を見せたコンスタンツエは、黒人歌手のスミス・マイアー。太守の寛大さに感謝しながらも、「私は恋をしていて幸せでした」と第6番のアリアを歌い出した。マイアーは姿が細くて可憐で、声も細いが良く伸び、コロラチュアの技巧を混ぜて、セリムには「求愛には応じられない」と苦悩の本心を強く歌って、大拍手を浴びていた。





彼女の健気な姿が太守の心を惹き付けていたが、そこへペドリオがベルモンテと共に登場した。太守のお気に入りのペドリオの紹介で、ベルモンテをイタリアの建築家と紹介して、何とか太守に出入りを許された。そこで二人は驚喜して宮殿に入ろうとすると、オスミンが現れて邪魔をして一対二の第7番のフィナーレの面白い三重唱になっていた。オスミンは鞭を手にして二人を追い払おうとしたが、二人は知恵を働かせて単純なオスミンを倒して、何とか、オスミンの手をかいくぐって宮殿に入ることに成功したように見えて、第1幕は終了していた。画像や音声の質は古さを感じさせ最低なのであるが、舞台が絵を描いたように美しく、美術担当のセンスの良さが目についていた。





   第二幕は宮殿内の広場に風呂場があり、オスミンが可愛いブロンテをものにしたくてからかうが、ブロンテが「私は奴隷ではない」とピシャリと退けて、リート「すみれ」に似た第8番のアリアを歌い出した。ブロンテのシュテルンベルガーは小柄でコケットリーな仕草が可愛く、裸の大きなオスミンをやっつけて、イギリス人らしくしっかりと自由を主張していた。続いてオスミンが怒って「ペドリオに近づくな」と第9番のアリアを歌い出し、反発するブロンテとのアレグロの二重唱となるが、やがてアンダンテになってやり合ううちに、ブロンテはテンポがのろい大男を手玉にとって、オスミンは軽く追い払われてしまい大拍手を浴びていた。






コンスタンツエが広場に姿を現すとそこへ突然にセリムが登場し、コンスタンツエにまだ決心が付かぬかと催促していた。どうやら、この場で歌うコンスタンツエの第10番の「嘆きのアリア」が省略され、セリムがなかば強制的に脅迫するように回答を迫り、「死んではならぬ、拷問だ」と声を荒立てていた。そこで、弦と管の長いオブリガートの後に歌われる第11番の決然としたアリアをコンスタンツエが歌い出した。このアリアは高音域のコロラチュアが要求される木管とのコンチェルタントなアリアで「どんな苦難があろうとも」と歌い出し「私は苦しみを怖れない」と決然と歌われるもので、低い声はさすが辛そうであったが、高い声は素晴らしい出来であったので、拍手と歓声で大変であった。セリムは彼女のこの勇気は、どこから来るものかと憮然とした様子で、不思議そうに足早に退場していた。






     場面が変わって、ブロンテがペドリオからベルモンテが助けに来ていることを聞いて脱走の計画を話すと、躍り上がって喜んで、直ぐにコンスタンツエに話さなければと言う。そして「何という喜び、何という楽しみ」という第12番のアリアを歌い出して、ペドリオを激励した。この曲は、何とフルート協奏曲の終楽章に似たアリアであり、ブロンテの性格を良く現わしたペドリオがキス責めにあってしまう軽快なアリアとなっていた。
      これに答えてペドリオは、「闘おう、元気よく」と第13番のアリアを歌いながら、オスミンを酔い潰させる眠り薬を大小のキプロス酒に注ぎながら「怖くないぞ」と大声で歌いながら自分を勇気づけていた。






      そこへオスミンが登場して初めは警戒していたが、ペドリオが楽しく飲んでいるのを見て、「少しなら良いだろう」と飲み始めたが、ペドリオの誘いに乗ってしまい、イスラムの教えに背いてお酒を飲み始め、やがて第14番の「バッカス万歳」の元気な二重唱となってしまっていた。そしてオスミンが酔っぱらってしまって倒れそうになり、ペドリオに担がれて車椅子に乗せられて引き上げて、大笑いの大拍手となった。






ここで劇的な再会をしたベルモンテとコンスタンツエ。アイネクライネの第二楽章のあのロマンツエに似た伴奏でベルモンテの第15番のアリアが始まるが、二人はしっかりと抱き合って再会の喜びを歌っていた。続く4人が仲良く顔を合わせる再会の四重唱は長大で、ドラマテイックな愛の賛歌の第16番のフィナーレとなっていた。始めに「デルモンテ、私の命」と歌い出したコンスタンツエの歌は歓喜の絶頂であった。






続いて解放の希望が見えてきたという四重唱となり、中間部ではテンポが変わって太守との関係やオスミンとの関係を疑う嫉妬の四重唱となり、ブロンテの平手打ちにより疑いがすっかり晴れて男二人の平謝りの二重唱が続き、最後にはすっかり許し合った明るい愛の四重唱となってフィナーレは終了し、長い第2幕はやっとここに終結した。









       続く第三幕は、ペドリオがピッチカートによるマンドリンの伴奏でおどけたセレナードで女達を誘い出そうとして歌い出した第18番のアリアで始まっていたが、どうやら第三幕冒頭の第17番のベルモンテの「決行のアリア」は省略されていた。ペドリオの歌の合間にベルモンテはハシゴを用意して女たちを連れ出す準備をしていたが、時間は遠慮なくどんどんと過ぎて行く。コンスタンツエが二階から降りてきて、ベルモンテと逃げだしていたが、続いてブロンテに声を掛けた所で、ハシゴがオスミンに見つかってしまう。さあ大変。






二人は逃げ出したが駆けつけた衛兵の警戒が厳しく、直ぐに囲まれてしまい、結局は四人とも捕まってしまった。ここでオスミンが大喜びして歌う第19番の「勝ちどきのアリア」は、オスミンの鬱憤を解消し、役目を果たした喜びに満ちた、この日のオスミンの最高の劇的なアリアであった。騒ぎを聞きつけセリムが現れ、コンスタンツエを見てビックリするが、彼女は健気にも「私の代わりにこの人を許して」とセリムに乞う。さらにベルモンテがセリムの仇敵のロスタードスの息子と知って、セリムの怒りは増幅し、二人は絶体絶命とばかり死を覚悟していた。






この二人の「何という運命か」と歌う第20番のレチタティーヴォと二重唱は、オーケストラの絶妙な悲痛の響きに始まって二人の絶望的な姿が真に迫り、ベルモンテが「僕のせいでコンスタンツエが死んでしまう」と歌い出し、コンスタンツエは健気にも「一緒に死ねるのは喜びです」と答えていた。そして終わりには、「喜んで一緒に死にましょう」という愛の二重唱となり、素晴らしく感動的なアリアであった。その二人の決意の姿をセリムがじっと見ている姿が写されていた。






そして再び現れたセリムは、死の覚悟を決めた二人の開き直った泰然とした態度を見て、意外にも「二人とも、故郷に帰れ」という。直ぐには信じられないほど寛容な言葉を聞き、「父親に伝えよ」と言われて絶句する二人。セリムの皆には理解できぬ高遠な心情は、居並ぶ全員を驚かせていた。支配者の寛容な赦しの精神を讃えることが、当時の貴族趣味のオペラの流行であったのだろうか。ペドリオとブロンテも一緒に許されて、オスミンをカンカンに怒らせて一暴れしていたが、四人で代わる代わるに歌い出す感謝の気持ちの第21番のヴォードヴィルが明るく歌われて、見事な幕切れとなっていた。賑やかなトルコ風の「セリム万歳」の合唱がアレグロ・ヴィヴァーチェで明るく歌われて、舞台は全員集合の賑やかな終幕となっていた。









   この映像では、フィナーレの絶望から一転して感謝への急展開で、舞台では意外な結末への感動で、素晴らしい拍手と歓声でカーテンコールが続いていたが、主役たちが一列に並んで手を繋ぎ、拍手に答えていたのが印象的で、ライブ映像の素晴らしさを示していた。




       この映像を何回か繰り返して見て、2曲ほどのアリアの省略があったが、矢張りリブレットに忠実で、緩急のテンポを良く心得て、歌手の動きが少ない映像であったがアリアを大事にしっかりと歌わせて、最も基本的なことを大事にする伝統的な映像であるという思いがしていた。そのため、最近の映像のように舞台上の動きや変化を重視したり、ピリオド演奏の影響を受けた緩急・強弱の変化とアンサンブルを大切にする演奏や演出とは異なって見えたが、これはオペラブッファと異なり、セリフで動くジングシュピールという若造りのドイツ語オペラ特有のものにも起因していたと思われる。この映像は、カラー映像によるライブの舞台としては最も古い映像であり、東ドイツの映像であったが、ベームの映像(1980)と非常に良く似ていると感じざるを得なかった。非常に旧式な演奏や演出に思わせるかも知れないが、これはそれとしてその時代の最初の頃の映像作品として、このオペラを評価する上で忘れられない重要な作品として今後に残るものと思われる。

      オペラの演奏では、オーケストラはメリハリがあってオペラの進行を助け、安心して音楽に浸ることができたが、序曲以外では指揮者の姿を見ることが出来なかった。主役の6人はそれぞれ当時のこの地の最高のメンバーが集まっていると思われたが、コンスタンツエに黒人歌手を起用するとは予想外であった。しかし、彼女の歌唱力は素晴らしいものがあり、この劇場における最高の人気と実力を兼ね備えていたことがこの映像で確認できた。べルモンテのウーデは、冒頭から素晴らしい声を聞かせてくれたし、堅物の真面目青年役を上手くこなしていたと思うが、第三幕冒頭の第17番の難度の高いデルモンテのアリアが省略されていたのは残念であった。この曲はモーツァルトが初演時のアダムベルガーを考慮した技巧的なコロラチューラを活用したアリアであり、挑戦して欲しかった。

ブロンテのステルンバーガーは、黒人の主人に仕える役であったが、歌手としての存在は目立っており、スザンナやデスピーナをやらせても良さそうな存在感を持っていた。一方のオスミンのトーマシュウスキーは、主役並みの存在感が充分にあり、演技も歌も頑張っていたし、あの風呂場の演技も、最後のセリムに反抗して大騒ぎする姿も大変であったと思う。終わりにセリムの存在であるが、ここでは努めて無表情なセリム役に徹して必要以上のことはしていない。最近では、突然の寛容さの説明のためセリムに過剰なセリフや出番を設ける演出が目立つようになっているが、この映像の第20番を歌う二人の二重唱を影で見守るセリムの無言の姿が印象に残った。私見を交えて恐縮であるが、私はリブレット以上の出過ぎたセリム役は、遠慮して欲しいと考えていたので、この映像は素晴らしいと思った。


(以上)(2016/07/22)



目次5にもどる 目次4にもどる
目次3にもどる 目次2にもどる
目次1にもどる 私の新ホームページへ