( 古いS-VHSより;エマーソンQのハイドン・セットK.421、428、458、)
16-7-2、エマーソン弦楽四重奏団のハイドン・セット日本公演(2)による弦楽四重奏曲ニ短調K.421、変ホ長調K.428、および変ロ長調「狩」K.458、
1991/05/14・15、東京芸術劇場、

−このハイドンセットと言われる6曲の四重奏曲は、それぞれがハイドンのロシア四重奏曲(全6曲)から楽章構成・調性・形式/内容などの外見的なものを学んだとされているが、譜面を目にしながらじっくり聴いてみると、作風はそれぞれがモーツァルトらしいものに満ちた作品であると思われた。エマーソン四重奏団は、第一ヴァイオリンが常にリードしており、このドラッカーの緻密で繊細なヴァイオリンが聞きものであり、各声部でも生き生きとした弦楽合奏が楽しめた。第一・第四楽章のソナタ形式は、提示部の繰り返しを丁寧に行ない、再現部後半の繰り返しは省略する標準的な演奏を行なっていた−

(古いS-VHSより;エマーソンQのハイドン・セットK.421、428、458、)
16-7-2、エマーソン弦楽四重奏団のハイドン・セット日本公演(2)による弦楽四重奏曲ニ短調K.421、変ホ長調K.428、および変ロ長調「狩」K.458、
1991/05/14・15、東京芸術劇場、
(奏者) Vn;ユージン・ドラッカー、Vn;フイリップ・セッツアー、Va;ローレンス・ダットン、Ce;デービッドフインケル、
(1991/05/16、NHKクラシックアワーの放送をS-VHS-39.1に収録)

    7月分の第二曲は、古いS-VHSより室内楽から選ぼうと考えていたが、エマーソン弦楽四重奏団のハイドン・セット日本公演の記録が見つかったので、これは2日目の公演記録のようであるが、弦楽四重奏曲ニ短調K.421、変ホ長調K.428、および変ロ長調「狩」K.458、の3曲をお届けするものである。1991年5月15日の演奏で東京芸術劇場での収録であった。この四重奏団の結成は、古く1976年であり、その当時ジュリアード音楽院の学生だったヴァイオリンのセッツァーとドラッガーが 仲間を募って結成した。その後、アメリカで活躍し、創設以来ニューヨークを拠点として活動を続け、ドイツ・グラモフォン・レーベルと専属契約を結んでいる。その名称は米国の哲学者ラルフ・W・エマーソンに由来する。





     今回の放送が、ハイドンセット全6曲の2日に分けた連続演奏会の第二日目の演奏会であるとの解説の後、舞台に4人が登場して来て一呼吸おいた後、本日の第一曲目となる第15番ニ短調K.421(417b)が厳かに開始された。この曲の第一楽章の第一主題は、全員がソット・ヴォーチェで開始しており、第一ヴァイオリンが美しい主題を提示してから、一転して1オクターブ高くフォルテで反復して聴くものをハッとさせるが、六曲中で唯一の短調作品であり、この冒頭の第一主題は極めて印象的に始まっていた。しかし、このエマーソン四重奏団の第一ヴァイオリンは、フォルテでも余り激しくなく、穏やかに進めていた。続くせき立てるようなヴィオラの16分音符の刻みの上に第一ヴァイオリンが優雅に歌い出す第二主題も祈るような素晴らしい部分を造り上げていたが、この四重奏団は提示部の繰り返しを行なって、厳かな中にも爽やかな明るい部分を聴かせながら、短調的な暗い諦めに似た気分をもたらしていた。
しかし、展開部になって一転して暗い表情となり、第一主題の冒頭のモチーブが緊迫した姿で執拗に何度も繰り返され頂点を築いていたが、これが短調の楽章の宿命か。再現部に入ると、再び和やかな気分の第一主題が登場して、明るさを取り戻しながら発展し、優雅な第二主題に引き戻されていた。エマーソン四重奏団は、平均年齢が39歳と言われていたが、ハーゲン四重奏団ほど緩急・強弱が激しくなく、さすが当時のアメリカを代表する四重奏団として、まずまずの演奏という感覚を得た。





  第二楽章のアンダンテは、A-B-Aの三部形式か。始めに第一ヴァイオリンが微妙できめ細かい音を散りばめる繊細な味わいを与える美しい主題を弾きだし、いわば束の間の至福の姿を描き出す。この主題は休符が重要な要素になっており、続くモチーブの強弱が微妙な影を落とし、第一ヴァイオリンのドラッカーとこれを支える3声のアンサンブルの良さが際立っていた。この主題が繰り返すように進んでから中間部に入っていたが、ここでは第一ヴァイオリンのピアノの温和な部分とフォルテの激しい部分が交錯した変化をもたらしていた。
  第三楽章は、堂々たるメヌエット楽章で、第一ヴァイオリンとチェロ、第二ヴァイオリンとヴィオラが対になって掛け合う素晴らしい重厚なメヌエットとなっていた。この元気の良いメヌエットを聴くと、コンスタンツエが最初の長男の出産時に作曲されたという後日談を思い出す。トリオでは一転してピッチカート伴奏の上に、第一ヴァイオリンが付点音符のついた優雅な旋律を奏で、ここでも束の間の至福の姿を描き出す。この楽章の威勢の良さとトリオで見せる至福の休息は、最初の子の出産時の意気込みや安堵感などにふさわしいような感じを受けた。





      フィナーレは、意表をつく珍しい変奏曲であり、主題と5つの変奏部から出来ていたが、やはりハイドンのロシア四重奏曲作品33にヒントを得たとされる。ハイドンの曲と同様にシチリアーノのリズムを持つ親しみやすい変奏主題が、8小節+16小節の二部形式で提示され、以下の四つの変奏曲は、この楽節構造を保持した装飾変奏で書かれていた。始めの第一変奏では、第一ヴァイオリンの16分音符による早いテンポの変奏。第二変奏では第ニヴァイオリンが刻む細かなリズムの上で、第一ヴァイオリンのフォルテとピアノを多用したシンコペーション旋律を奏でる。第三変奏ではヴィオラが活躍し単純化された主題を奏する。第四変奏では二つのヴァイオリンがオクターブのユニゾンでテーマを奏していき、最後の第五変奏ではテンポを速めてもう一度最初のテーマを奏し、繰り返しを止めてあっさりと終結していた。

  このハイドンセットの二番目に当たる四重奏曲は、短調作品とか変奏曲とか外見的なものをハイドンから学んでおり、作風はモーツァルト本来の旋律美に満ちた作品であると思われた。各楽章とも、第一ヴァイオリンが常にリードしており、ドラッカーの緻密で繊細なヴァイオリンが聞きものであった。エマーソン四重奏団は、提示部の繰り返しは丁寧に行なっていたが、再現部最後の繰り返しは省略する標準的な演奏を行なっていた。ハイドンセットの全6曲の映像は少ないので期待が大きかったが、第1日目に行なった三曲の演奏は、同じテープに含まれておらず、収録洩れの可能性が高く、残念であった。





     この弦楽四重奏団の第二曲目は、弦楽四重奏曲第16番変ホ長調K.428(421b)であるが、この曲はどうやらこのHP初出の曲となっていたので、おかしいと思って調べてみた。その原因は、ハーゲン四重奏団の1998年のハイドンセットの全6曲をアップしたソフト紹介のファイル、3-3-2、3-4-2、3-5-2、の3本が見事に欠落されていたからであり、またこの時にK.428、K.458、K.464のデータベースの作表のアップを忘れたことが原因であると判明した。現行のジェオシテイのファイル・マネージャーのグレードアップ時に、機械的に削除された28本のファイルの犠牲になったものであり、これら3曲分の修正作業は今回急いで行なうことにしている。

      ところでこのハイドンセット第3曲目のK.428は、自筆譜には第4番と記入されており、ハイドンに献呈した初版でも第4番に位置づけられていた。この順序が入れ替えられた問題は、一時研究者たちの議論を呼んでいたが、現在では、この曲の作曲は1783年の6月か7月と断定されており、1784年2月からK.449で始まった自筆作品目録には記入されていないので、記入されたK.458が第4番で、K.428は第3番であることが確認されている。




      第一楽章はソナタ形式でアレグロ・ノン・トロッポで書かれており、厳かにユニゾンで始まる荘重な主題に対して、第二ヴァイオリンが弾みを付けるように反応して全体が流れる特徴ある第一主題で始まっていた。この主題は第一ヴァイオリンにより明るく軽快な音色で引き継がれ経過部となっていたが、続いて第一ヴァイオリンによる装飾音形を織り込んだ第二主題が現れ、これが珍しくヴィオラに引き継がれて進行して提示部を終えていた。ここでもこの四重奏団はこの主題提示部を丁寧に繰り返えしていたが、これら二つの主題は、実に見事な均衡を見せていた。展開部では途中から第二主題の冒頭モチーヴが繰り返し各声部で現れて、比較的短い展開部ではあったが、非常に密度の濃い内容となっていた。再現部では、第一主題の推移部を一部省略したり、第二主題の再現がヴィオラから第二ヴァイオリンに変わるなどの変化を見せていた。
      エマーソン四重奏団は、この充実した第一楽章とじっくり取り組んでおり、第一ヴァイオリンのドラッカーを中心としたとてもまとまりある団体だと感じさせた。




      第二楽章はソナタ形式でアンダンテ・コンモートの楽章であるが、これまでのように旋律的な表現やリズムによる表現は最小限に抑えられており、あたかも深い静けさをたたえたコラール風の和声が表現の担い手になっているように思われた。そのためこの楽章では、和声の色彩感や集中力によって内面を現そうとした、これまでのモーツァルトには見られなかった新たな試みが行なわれており、何度聴いても不思議な感覚を覚える不可解な物思いに沈むしんみりした楽章に聞こえていた。その反面、第三楽章のメヌエットでは、全く対照的に全音階的で力強く動く喜びが提示されており、続く第一ヴァイオリンのなよなよした旋律がことのほか美しく聞こえる。また第二部の前半の4声が休止を挟んで合奏するのが面白く、また後半で一拍ごとにスフォルツァンドをおいたスタッカートのリズムがことのほか面白く聞えていた。一方のトリオでは、第一ヴァイオリンの滑らかな動きによってメヌエットに対比されていたが、中間部では第二ヴァイオリンに変わっており、靜のトリオと動のメヌエットの対比が明瞭であった。

    フィナーレはハイドン風に活発にロンド風の主題がアレグロ・ヴィヴァーチェで飛び出す第一主題で始まるが、この楽章はロンド形式というより展開部を省いたソナタ形式のように進行していた。長い推移部を経て現れる第二主題は、第三小節目に印象的なアクセントがあり、早いテンポで何回も繰り返されて華やかに推移して、再現部へと移行していた。実に生き生きとして流れるような小気味よいアレグロであり、エマーソン四重奏団は、全員が良く揃ってこのフィナーレを一気呵成に駆け抜けていた。素晴らしい拍手で迎えられて、休息に入っていた。





      エマーソン四重奏団の連続演奏会の第三曲目は、弦楽四重奏曲第17番変ロ長調K.458「狩」であり、この曲の第一楽章は、アレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイとされ、ソナタ形式で書かれていた。曲は、いきなり第一ヴァイオリンが勢いよく「狩」の愛称のもとになった快活な第一主題を提示するが、このエマーソン四重奏団を引っ張る第一ヴァイオリンのドラッカーは、この親しみのある主題を颯爽と楽しげに弾き流していた。続いて第一ヴァイオリンの長いトリルのもとで、第二ヴァイオリンにより狩の主題がもう一度華やかに歌われて、躍るようなモチーブが各声部で順番に繰り返されていた。続く第二主題は、このモチーブから出来ており、第二ヴァイオリンから開始され、第一ヴァイオリンに引き継がれて軽快に進行し、勢いよく一気に提示部を終了していた。この四重奏団の弦楽合奏は実に生き生きとしており、再び冒頭に戻って、フレッシュな「狩」の主題が繰り返し登場して、溌剌として勢いよく提示部を終了していた。

       展開部ではがらりと変わって、新しいのどかな感じのする主題で開始されるが、第一ヴァイオリンがオクターブ高く繰り返すものの、直ぐにわずかに変形された先のモチーブが現れて、これが各声部で対位法的に扱われて、繰り返し繰り返し、執拗に展開されていた。再現部では、再び「狩」の主題が明るく現れて、勢いよく進行してほぼ型どおりに進んでいたが、後半の反復記号の後に長い充実したコーダがあり、この楽章を勢いよく盛り上げるようにして結ばれていた。久し振りで聴いたこの[狩]の四重奏曲は、第一ヴァイオリンが特に活躍しており、この四重奏団との相性の良さを感じさせる演奏のように聞えていた。





         第二楽章は意表を突いてメヌエット楽章であり、堂々たる8小節のメヌエット主題が登場し、全員合奏で華やかに勢いよく進行していた。この優雅な親しみやすいメヌエットはとても心によく響き、弦楽合奏の素晴らしさ、楽しさを良く伝えていた。一転してトリオでは、第一ヴァイオリンが優雅なトリルの旋律を奏で出し、他の三声部は軽やかなリズムの伴奏に廻って、明るい夢のように美しい世界を築いていた。再び、充実したメヌエエト主題に戻っていたが、このさりげない美しいトリオを含んだメヌエット楽章が、この四重奏曲の、ひときわ、魅力ある存在となっていた。エマーソンの面々は楽しげに演奏しており、この楽章の魅力を十分に伝えていた。

          第三楽章は、アダージョの緩徐楽章で、展開部のないソナタ形式のように見えていた。深遠な感じのする第一主題が、第一ヴァイオリンによって穏やかに弾かれ、冒頭がオクターブ高く再び繰り返されて清澄に厳かに開始されていた。続いて第一ヴァイオリンが美しいエピソードを奏でだしてチェロがこれを支えていたが、やがて第一ヴァイオリンが他の三声のスタッカート伴奏に乗って第二主題を歌い出していたが、これが珍しく高音域のチェロに引き継がれて繰り返されて、微妙なアダージョの世界を築き上げていた。提示部は反復されずに、再び第一主題から順に再現されていたが、思わぬ高音のチェロが美しい澄んだ響きを見せる奥深い楽章であった。エマーソン四重奏団の各声部は実に明瞭であり、この楽章も落ち着いた静かな優れた響きを味わうことが出来た。





         フィナーレはアレグロ・アッサイであり、中間部に繰り返しのあるソナタ形式であるが、譜面を追っていくと、珍しいことに第二主題が対等の形で二つ用意されていた。この第一主題は第一ヴァイオリンによって提示される明るい勢いのある主題であるが、解説書によると、ハイドンの四重奏曲から意識的に転用された主題のようであった。第一ヴァイオリンのドラッカーは勢いよくこの主題を提示していたが、やがて初めの第二主題は、第二ヴァイオリンに第一ヴァイオリンが即興的に応える面白いもので、これが繰り返されて発展していくものであった。続く第二主題は、第一ヴァイオリンが分散和音で階段状に上行し、三連音符で下降する落ち着いた旋律で、これも繰り返されて発展していくものであった。ここでエマーソン四重奏団は、提示部の繰り返しを行なって冒頭から勢いよく疾走するように進んでから、展開部に移行していた。この展開部は第一主題の冒部の疾走する主題の対位法的な処理が集中して行なわれており、長大で難解なものに聞こえていた。そのせいか、再現部では第一・第二主題が明るく清澄感を持って疾走するようなフィナーレとなっており、ほぼ型どおりな内容であったが、素晴らしいフィナーレになっていた。この生き生きとしたフィナーレは、第一楽章の狩の軽快さと対をなしていて、楽天的な明るさがハイドン的に聞えていたが、その内容はモーツァルトの世界であった。

          演奏が終わると、凄い拍手が湧き起こり、熱演の程度を示すものと思われたが、二階ほど呼び出されたあと期待されたアンコールはなく、映像はそのまま終了していた。ハイドンセットの連続演奏会の第二回目として、第2番、第3番、第4番が連続して演奏されていたが、このエマーソン四重奏団は第一ヴァイオリンのドラッカーを中心にして良くまとまった団体であり、生き生きとした弦楽合奏が心地よく響き、この連続演奏会は成功であると思った。このテープには第一回目の演奏会は含まれていなかったが、他のテープに収録されていないか調べる価値があると思われた。


(以上)(2016/07/16)



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