(古いS-VHSなどより;二つの交響曲、K.551 およびK.201)
16-2-1、ムーテイ指揮バンベルグ放送交響楽団による交響曲第41番ハ長調「ジュピター」(1993)およびスクロヴァチェフスキ指揮NHK交響楽団による交響曲第29番イ長調K.201(186a)
、N響定期第1886回、1996年2月8日、NHKホール、

− ムーテイのジュピター交響曲は、テンポの良い颯爽としたイタリア的なスタイルと南ドイツを代表する重厚な逞しいオーケストラの響きとが良い意味で上手くミックスされた力強い爽快な演奏であり、オーソドックスな充実した演奏であった。一方のスクロヴァチェフスキ指揮N響による交響曲第29番は、この曲の生き生きした明るいギャラントな美しい魅力が、残念ながら伝わってこない期待外れの演奏であった−

(古いS-VHSなどより;二つの交響曲、K.551 およびK.201)
16-2-1、ムーテイ指揮バンベルグ放送交響楽団による交響曲第41番ハ長調「ジュピター」(1993)およびスクロヴァチェフスキ指揮NHK交響楽団による交響曲第29番イ長調K.201(186a)、
N響定期第1886回、1996年2月8日、NHKホール、
(1021212、CS736CHの放送をSD-48.5に収録、および960211、NHKの放送をVT-184.3に収録)

          2月号の最初のムーテイとバンベルグ放送交響楽団による交響曲第41番ハ長調「ジュピター」(1993)の映像は、クラシカ・ジャパンの2002年12月12日に放送されたもので、丁度、この前にメータ指揮ミュンフェンフイルによる交響曲第40番ト短調K.550(1995)(2-12-2)の映像に続いて放送されたものであった。ところが、2-12-2としてアップされた第40番の映像は、このHPソフトのグレードアップの際に、どうしてか、削除されてしまっていた。今回のムーテイのジュピター交響曲は、このHPでは彼の2度目の演奏となり、第1回目の演奏は、91年のモーツアルトイヤーにおけるザルツブルグ音楽祭でウイーンフイルと第40番・第41番とを演奏して、LD化されており、報告済み(13-4-1)となっている。今回のムーテイの演奏は、クラシカ・ジャパンでは、この曲のみを放送しており、オーケストラがバンベルグ放送交響楽団で1993年に制作されたことしか記録がなかった。しかし、この会場は、有名なクライバーの交響曲第33番(1996)や、コリン・デーヴィスの「レクイエム」(1984)の演奏などと同様の同じ会場に見えるので、恐らく、見覚えのあるミュンヘンのヘラクレス・ザールにおける演奏と言っても良いであろう。
         一方のスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮NHK交響楽団の交響曲第29番イ長調K.201(186a)(1996)は、1996年2月8日、N響定期第1886回のコンサートの第1曲目の演奏であり、NHKホールでの収録となっていた。このN響定期は、第2曲目がショパンのピアノ協奏曲第1番、第3曲目がシューマンの交響曲第4番という多彩なプログラムであり、その第一曲目は慣らし運転のような位置付けになっていた。


         さて、2月号第1曲目のムーテイとバンベルグ放送交響楽団による交響曲第41番ハ長調「ジュピター」(1993)の映像であるが、オーケストラ全体を写した画面が写されていたが、そこへムーテイが左サイドより足早に颯爽と登場して指揮台に上がり、辺りをゆっくりと見渡してから、いきなり堂々とした三つの和音で開始されていた。               オーケストラの配置は、右奥にコントラバス四台を配置し、中央に管楽器とテインパニーを置く通常のスタイルであった。続いて重厚なジュピター主題が現れて、ムーテイはリズムを刻むように堂々と行進するように主題を進めていたが、フェルマータのあと、フルートとオーボエが二重唱で主題を装飾しながら軽快に繰り返して、オーケストラが躍動するように力強く進行し、リズミックな堂々たる経過部が続いていた。このオーケストラの響きは実に重厚でやや荒く聞こえる力強さがあり、この南ドイツを代表する伝統あるオークストラと思わせる風格を感じさせていた。続いて第二主題が第一ヴァイオリンにより優雅に提示されて趣を変えながら進行していたが、一呼吸を置いてからフォルテの大音響とともにファンファーレの素晴らしい盛り上がりを見せて「ジュピター」らしい荘厳さを感じさせていた。再びわずかな停止の後、ピッチカートに導かれて軽快に進行する副主題が流れ出し、提示部の最後をまとめるように進行して明るく終息していた。ムーテイは、ここで冒頭からの繰り返しを再び行っていたが、繰り返し後も、オーケストラの響きは厚いピラミッド型の響きを持ったオーソドックスなものであり、壮大な威厳に満ちた響きを持っていた。


               展開部では前半が先の軽快な副主題が様々な形で展開され、後半では冒頭のリズミック主題が弦と木管とで交互に主題を変形しながら展開されていたが、ここでもムーテイの指揮振りは堂々として威勢が良く、激しく深い音の響きが繰り返し聞こえていた。再現部ではほぼ提示部同様に型通りに第一主題・第二主題と再現されていたが、一呼吸をおいた小休止の後の大爆発では、提示部よりも一段と激しく再現されており、後半が盛り上がる「ジュピター」らしさを現していた。ムーテイの終始変わらぬオーソドックスなしっかりした指揮振りから、バンベルク放送交響楽団の持ち味である重厚な充実した響きが産まれてくるものと言う感じがした。前回のウイーンフイルの時は全体的に優雅さや流麗さが目立っていたが、今回のバンベルクの場合は、むしろ荒々しい位に聞こえる元気の良い力強い演奏で、本格的な堂々たる正統派の重厚な充実した響きを聴かせてくれた。



               第二楽章は厳かな感じの美しい主題が第一ヴァイオリンで静かに提示され、アンダンテ・カンタービレで淡々と進んでいたが、ムーテイは体を動かし目をつぶってじっくりと丁寧に指揮をしており、ぶ厚い重厚な響きの低弦の流れを引き出しながら悠然と進めていた。続く副主題では木管群も良くこれに応えるように音を響かせており、続いて第二主題も重々しく弦がこだましてうねるように進行し、フルートもファゴットも負けじとこれに参加し存在感を示すように歌っていた。ムーテイはここでも提示部全体の繰り返しを行い、重々しい充実した響きを再現させていた。展開部では第一主題の後半の副主題が展開の対象となり、弦がこだまするように繰り返し展開されていた。再現部では第一主題の冒頭が第一ヴァイオリンで呈示された後、突然に低弦が32分音符のうねるような流れを示し、これが第一ヴァイオリンに移行してから、第二ヴァイオリンに、続いてヴィオラへと32分音符が唸りだし、交互にうねるように変奏されていた。続く第二主題でも第一ヴァイオリンから木管も加わって提示部と異なる変化を見せていたが、ムーテイはこの再現部の弦の豊かな弦楽合奏の流れとフルート・オーボエ・ファゴットなどとの対話の部分を、しっかりと力強く指揮をしていた。



           続く第三楽章では、実に壮大な響きを持ったメヌエットの極地とも言える素晴らしい楽章で、ムーテイは通常のテンポでメヌエット主題をリズミックに堂々と進めていたが、木管が一頻り歌い出しホルン・トランペットやテインパニーが鳴り響いて、壮麗なメヌエットの世界が繰り広げられていた。トリオでも同じようなテンポで、フルートの出だしのあとにオーボエと弦が合奏する面白い場面が繰り返され、そのあとに第一ヴァイオリンと木管や金管全体が和音を合奏しながら流して趣を変えていた。再びリズミックなメヌエット主題に戻っていたが、この楽章はやはりメヌエットの極地とも言える壮大さ・華麗さを持っており、実に充実した収まりの良いメヌエットであった。



               フィナーレはド・レ・ファ・ミの四つの音から作られるモルト・アレグロの堂々たるフーガ主題に始まるが、この主題を追って威勢の良いフレーズがいくつか提示され繰り返されていき、次第に元気良く高められて壮大なドラマを造り上げていくように思われる。ムーテイはこのフィナーレを、両手を広げてやや早めのテンポで、丁寧にリズムを取りながらオーケストラを盛り上げるように力を込めて指揮をしていたが、オーケストラの方もこれに応えるように颯爽として堂々たる響きを見せていた。提示部の繰り返しを丁寧に行なってから、展開部では冒頭主題によるフーガ的展開が、繰り返し繰り返し丁寧に行われ、その都度、壮大さを増しており、再現部に入っても、この壮大なフィナーレ主題が展開部の続きのように対位法による展開がなされていた。ムーテイはコーダの手前の繰り返しは省略する伝統的な奏法で進み、特に最後のコーダでは、多声対位法によりオーケストラ全体が多面的な響きを見せて力強く盛り上がり、高揚しながら高らかに終結していた。指揮を終えたムーテイは、緊張から一転して解放されてにこやかな表情で、拍手の中で指揮台を降りていた。ムーテイはバンベルク放送交響楽団のメンバーの皆さんを讃えて欲しいと言うような仕草を見せて、観衆の拍手に答えていたが、この雄大な「ジュピター」の幕切れに相応しい会場の雰囲気であった。





          今回のムーテイの「ジュピター」交響曲は、どういう背景のコンサートでどういうプログラムの中で演奏されたか定かではないが、恐らくはプログラムのフィナーレを飾るような本格的な堂々たるオーソドックスな充実した響きを聴かせてくれた。 ムーテイのテンポの良い颯爽としたイタリア的なスタイルと南ドイツを代表する重厚な逞しいオーケストラの響きとが良い意味で上手くミックスした力強い爽快な演奏であった。前回の演奏はウイーンフイルとの演奏がLDで記録されていたが、ムーテイの颯爽とした進め方は共通でも、前回は流麗な洗練された響きが豊かであったに対して、今回はむしろ荒々しいくらいに聞こえる元気の良い力強い演奏で、本格的な堂々たる正統派の重厚な充実した響きを聴かせてくれた。どちらが好きかは好みの問題であろうが、こういう生き生きとした素晴らしいライブ演奏に出遭うと、思わず引き込まれてしまい、その時の感触でどちらかに軍配を上げてしまうものなのであろう。ジュピター交響曲に流麗な美しい演奏を求める方はウイーンフイルを、逞しい力強さを期待したい方は今回の演奏を選べば良いであろう。私は今回の映像の背景を知らないので軽はずみな意見は述べられないが、ここではウイーンフイルとの準備の整った前回の演奏の方をムーテイの代表する演奏として選んでおきたいと思う。






     続いてこの16-2-1の2曲目は、スクロヴァチェフスキとN響との交響曲イ長調(第29番)K.201(186a)であるが、この曲は第三回目のイタリア旅行からザルツブルグに帰った1773年3月から74年にかけて作曲した9曲の交響曲の1曲である。9曲のうち第25番の小ト短調K.183が最も有名であるが、この曲はそれに次いで録音数が多く、映像ではベーム、ヴェーグ、アバドなどが、またCDではスイトナー、クレンペラー、ノリントンなどの著名な指揮者が取り上げている。それは、恐らく第一楽章のアレグロの親しみやすさと、フィナーレの軽快さなどによるものと思われる。編成は2ホルンと2オーボエと小さいが、次第にイタリアで学んできた歌わせるシンフォニアの様式とハイドンなどから学んだウイーン的ドイツ的な知的で論理的ものなどを取り入れた新しいスタイルを目指すようになってきた作品の一つであり、4楽章の構成となっている。吉田秀和先生は、この曲はギャラント・スタイル、18世紀のロココスタイルの典型的なものであり、それも最良のものがここにあると述べていた。






    第一楽章の構成は、二つの繰り返しと末尾に独立した長いコーダを持つソナタ形式であり、アレグロ・モデラートの軽快な楽章である。スクロヴァチェフスキは落ち着いたテンポで第一ヴァイオリンが歌う清楚な主題を靜かに始めると、他の弦楽器がこれを入念に支え、次第に力が加わって大きな波となって頂点に達すると、管楽器も加わって主題が力強く反復されていた。この特徴あるシンコペーションの軽やかな出だしが実に軽快で快く、繰り返される上昇旋律が続いて、実に印象的であった。よく見ると右奥にコントラバスが3台で、広い舞台の中央に小編成の弦楽器群がこじんまりと陣取っていた。
続いて、弦だけによる第二主題は対照的に穏やかな曲調で、第一ヴァイオリンが優雅な旋律を奏で出しひとしきり進行した後に、第一ヴァイオリンが新しい第三主題を提示し始めて小さな盛り上がりを見せて提示部を結んでいた。スクロヴァチェフスキの指揮振りは楽想に沿って軽快そのもので、一気に第一・第二主題を経過して提示部を終えていた。そして再び冒頭に戻って快調に繰り返しを行っていたが、軽快さは一層高まりを見せていた。
      展開部はなかなか充実しており、第一主題のオクターヴ動機の変形がフーガ風に各声部で取り上げられ、シンコペーションのリズムに乗って威勢良く展開されていた。再現部では多少引き伸ばされてはいるが、第一・第二主題とほぼ型通りに第三主題まで再現され、繰り返すことなく進行し、反復記号の外の長いコーダでは第一主題の一部がフーガ風に扱われて結ばれていた。
この指揮者は、以前には「ハフナー」交響曲をやはりN響定期で演奏(2-11-2)していたが、どうしたかこのファイルが残念ながら失われてしまっていた。この時はややストレートな感じのする力強いハフナーであったが、今回の曲は、いろいろと微妙なニュアンスに富んだ曲なので、やや一本調子に見えるこの指揮者には、戸惑った感じの指揮振りのように見受けられた。



    第二楽章はアンダンテであり、第一ヴァイオリンが優雅な第一主題を提示し始め、第二ヴァイオリンがこの主題を引き継ぐと第一ヴァイオリンがオブリガート旋律に回り管楽器も加わって息を呑むように美しい。続けて第二主題を第一ヴァイオリンが優美な主題を弾きだしてひとしきり進んでから、オーボエとホルンが加わって総仕上げし、続いて第三の主題も第一ヴァイオリンで登場し、オーボエに引き継がれてコーダに入り提示部が収束していた。スクロヴァチェフスキは、繰り返しを省略して展開部に移行していたが、ここでは新たに登場した三連符の主題が執拗に繰り返されて長い展開部に重みをつけていた。再現部では、第一主題の後半が拡大されていたり、第二主題がホルンで反復されたり、第三主題も加わって賑やかに進行し、最後には独立したコーダで堂々と結ばれていた。このアンダンテは実に微妙で繊細な主題が重なっており、旋律が上手く流れて欲しいのであるが、スクロヴァチェフスキは何となくスムーズさを欠いた指揮振りに聞こえ、この楽章の微妙なニュアンスが伝わってこないように思われた。



     第三楽章はメヌエットで、付点音符が多いリズミックな明るい行進曲調のメヌエットであり、弦楽器中心で進行するが結びが管楽器のファンファーレとなっていた。トリオは対照的に弦楽器によりしなやかに流れる優美なものであった。トリオの後に、再び、メヌエットが元気よく開始され、最後に管楽器で明るく結ばれていたが、この楽章ではスクロヴァチェフスキは生き生きとした指揮振りであった。



  フィナーレはアレグロ・コン・スピーリトであり、前の二つの楽章と同様に、途中に二つの繰り返しと末尾に独立したコーダを持つソナタ形式であった。オクターヴの跳躍からなる威勢の良い第一主題は典型的なウイーンスタイルの古典交響曲の軽快なフィナーレであり、第一楽章の第一主題の軽快さに似て明るく進行していた。軽やかな経過部の後に続いて登場する第二主題は、旋律的で第二ヴァイオリンにより提示され、第一ヴァイオリンが飾りをつけていたが、その後は互いに協力し合ってコデッタとなり提示部を終えていた。スクロヴァチェフスキはここでも最初の提示部の繰り返しは丁寧に行って展開部に入っていたが、展開部の主題は第一主題の動機が使われて、執拗に反復されていた。再現部は全く型通りであったが、スクロヴァチェフスキはこの軽快なフィナーレをリズミカルに疾走して、繰り返しは省略して一気にこの軽快な交響曲を収束させていた。

    ポーランド生まれのスクロヴァチェフスキは、1923年生まれの高齢な指揮者で、交響曲を中心に指揮をする重厚な指揮者という印象があり、このHPではハフナー交響曲1曲だけのお付き合いで、余りモーツァルトには向かない方と思っていたが、案の定、余り魅力のない演奏であった。この交響曲の生き生きした明るい美しい魅力が、残念ながら伝わってこないのである。特に、颯爽としたアレグロで弾むように進行する第一楽章と微妙な美しいニュアンスを秘めた第二楽章が、期待外れに聞こえていた。先入観を強く持ちすぎて、聴く側の当方の聴き方にも問題があるのかもしれないが、この演奏は余り好きになれないことをご報告して結びにしたいと思う。


(以上)(2016/02/06)



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