(最新のHDD録画;クラリネット協奏曲K.622とピアノ協奏曲第27番K.595)
16-11-2、ポール・メイエとアンドレアス・シュタイヤーといずみシンフォニエッタ大阪によるクラリネット協奏曲イ長調K.622およびピアノ協奏曲変ロ長調K.595、
2015年12月5日、大阪いずみホール、

−始めのポール・メイエのクラリネット協奏曲は、いずみシンフォニエッタのこぶりなオーケストラとクラリネットとが良く調和しとても良いアンサンブルを作り上げており、室内楽的な演奏に聞こえていた。指揮者のいない独奏者と一体になったアンサンブルの優れた演奏は、この曲ではこの演奏が初めてであり、1つの行き方であると感心させられた。一方のシュタイヤーのピアノ協奏曲は、モダン楽器であってもピリオド奏者らしく、通奏低音を丁寧に弾いていたり、装飾音も自由に弾いており、何よりも弦や管との三つ巴のアンサンブルを大切にしていた。クラリネット協奏曲とピアノ協奏曲とでは、オーケストラの楽器の配置が微妙に変わっており、二人のソリストたちが、アンサンブル重視の立場に立って、より効果のある配置を求めた結果であろうと思われた −

(最新のHDD録画;クラリネット協奏曲K.622とピアノ協奏曲第27番K.595)
16-11-2、ポール・メイエとアンドレアス・シュタイヤーといずみシンフォニエッタ大阪によるクラリネット協奏曲イ長調K.622およびピアノ協奏曲変ロ長調K.595、
2015年12月5日、大阪いずみホール、
(2016/02/10、NHKクラシック倶楽部をHDD5に収録)

         12月分の第2曲目は、これも最近にNHK BS103のクラシック倶楽部で収録したHDD録画によるもので、モーツァルトの最後の二つの協奏曲を取り上げたもので、曲が面白くクラリネット協奏曲イ長調K.622とピアノ協奏曲変ロ長調K.595である。大阪のいずみホールで、このホールの主でもあるいずみシンフォニエッタ大阪を、クラリネットのポール・メイエとフォルテピアノの名手アンドレアス・シュタイヤーがそれぞれ弾き振りをするというコンサートであり、小ぶりな中ホールで見事なアンサンブルの響きが楽しめるものであった。ただし、映像では放送時間の関係で、ピアノ協奏曲の第二楽章が、残念ながら省かれていた。




         映像では、新装でとても美しい大阪いずみホールが写されて、パイプオルガンを備えた美しい舞台を写している最中に、いずみシンフォニエッタの皆さんが入場してきた。女性陣が半数を超え、色とりどりのドレスが美しく映えており、第一ヴァイオリンが5、第二ヴァイオリンが4、ヴィオラとチェロが3、コントラバスが2と言う小規模な布陣であり、後方に左から2ホルン、2フルート、2ファゴットが一列に並んでいた。第一曲目は、ポール・メイエのクラリネット独奏によるクラリネット協奏曲イ長調K.622 であり、背が高くスマートなポール・メイエが入場してきて、オーケストラの中央にたち、挨拶をしていた。




          ポール・メイエは、1965年フランス・アルザス生まれで、パリ高等学院、バーゼル音楽院で学んだ英才で、1980年代から国際的に活躍し、近年は指揮者としても活躍しており、この日も手慣れた弾き振りの体制であった。オーケストの中央にたち、首を振って指揮のそぶりをして、第一楽章のアレグロがオーケストラで軽快に始まった。ひなびた感じの美しい第一主題が早めのテンポの弦楽器で現れて、この息の長い主題を繰り返すように軽快なテンポで進行していたが、やがて長い穏やかな第一主題から派生するモチーブが軽快に明るく進み出し、第二主題が現れないままオーケストラが高まりを見せてオーケストラによる第一提示部が終了していた。




       ソリスト、ポール・メイエの独奏クラリネットがいきなり第一主題を厳かに奏で始め、オーケストラの伴奏でクラリネットが新しいパッセージを披露しながら軽快に進めていた。身体を動かしながら指揮を兼ねており、オーケストラのトウッテイのあとにクラリネットが短いエピソード的な主題を提示していた。やがて荘重な第一主題とは対照的な息の長い華やかな第二主題が初めて独奏クラリネットで登場してくるが、そこでのクラリネットの変化の激しい音色とくすんだ響きが印象的であり、ポール・メイエのクラリネット独奏の確かな技巧により滑らかに美しい音色が続いて、フェルマータで一段落していた。そして第一主題をもとにして独奏クラリネットとオーケストラがお互いに対話を重ねるようにして盛り上がりながら曲が進み、素晴らしい勢いで提示部を終了していた。




展開部では、常にクラリネットが主導しながら第一主題を主軸に、まるで変奏曲のように主題が展開される長大なものであり、中でも独奏楽器による早い走句の上昇音階と下降音階や、低音から高音への飛躍などが見事にミックスして流れ出すクラリネットの技巧には、この楽器の魅力を充分に伝えていた。再現部では 型通りに終始していたが、フェルマータ以降にクラリネットの変化の激しい技巧が明示されて、カデンツアのないコンチェルトであるが、その必要性を感じさせなかった。この曲の流れ出るようなしみじみとした味わいや楽想の豊かさは、最晩年の澄みきった特有の響きを感じさせており、ポール・メイエのクラリネットとこの小ぶりなシンフォニエッタが一体となってこのしみじみとした響きを伝えてくれたように思われた。




      第二楽章は、アダージョで、独奏クラリネットが弦の三拍子の伴奏に乗ってゆっくりと美しいメロデイを歌い出すが、このクラリネットのくすんだ寂しげな音色としみじみとした低音の響きは実に味わい深いものがあった。オーケストラで繰り返してから、再びクラリネットのソロでお返しの美しい旋律が始まり、オーケストラが続いていたが、ポール・メイエは頷くように無心に指揮をしており、この第一部はクラリネットの美しい音色が心に滲みるように響いていた。続いて中間部に入ると、新しい明るい主題が独奏クラリネットで現れ、ここでは技巧的なパッセージが続き、低音から高音に繋がるクラリネットの自在な音色をポール・メイエは巧みに演奏しており、変化に富む音色が終始続いて、とても魅力的であった。終わりのフェルマータのあとにカデンツア風の短いソロが一息あってから、再び冒頭の寂しげな主題が非常に静かに再現されていたが、この後半のアダージョは、ポール・メイエが巧みに装飾をつけて変化を加えながら吹いており、実に味わい深い心に浸みる静寂の歌のように聞こえていた。 この澄み切った透明な感じの第二楽章は、よく晩年のモーツァルトの心境を現したものとたとえられることが多いが、ポール・メイエの祈るような表情といい、クラリネットのしみじみとした響きといい、演奏者たちが無心で弾いている姿といい、素晴らしいアンサンブルでこの澄み切った世界が描かれているような感じがした。



       フィナーレはロンド形式で、スタッカートが目立つロンド主題が早いテンポのクラリネットのソロで飛び出して軽快なアレグロで進行し、オーケストラに渡されていたが、直ぐにポール・メイエの独奏クラリネットが早いパッセージを繰り返し、オーケストラとの変化に富んだ掛け合いが見事であった。第一のエピソードは独奏クラリネットにより華やかに提示され、ここでもクラリネットが縦横に音階を駆け巡ってからロンド主題に戻っていた。続く第二のエピソードも、独奏クラリネットにより提示され、早いパッセージが繰り返され、独奏とオーケストラが親密な呼びかけをして、クラリネットが技巧を示しながら自由奔放に駆け巡っていた。再度ロンド主題が顔を出してから、第一のエピソードが姿を見せ、続いて第三のエピソードかコーダになるのか、クラリネットが勢いのある分散和音形で上昇したり下降したりして新鮮味を加えて、最後にはロンド主題で締めくくられていた。ポール・メイエの技巧は、高音から低音まで広い音域を自由にこなしており、どんなパッセージであっても、安心して見ておれる確かなもののように思われた。

このクラリネット協奏曲は、名手アントン・シュタードラーのために書かれた作品であるが、ポール・メイエのクラリネット演奏で聴いてみると、各楽章ともに、パリ音楽院仕込みの明るいクラリネットの音色を生かし、高音から低音に至るまで広い音域を実に流ちょうに吹いていた。この演奏は、いずみシンフォニエッタのこぶりな弦楽合奏がクラリネットと良く調和しとても良いアンサンブルを作り上げており、室内楽的な演奏に聞こえていた。指揮者のいない独奏者と一体になったアンサンブルの優れた演奏は、この曲では考えて見ればこの演奏が初めてであり、1つの行き方であると感心させられた。



         このコンサートの第2曲目は、アンドレアス・シュタイヤーのピアノによるピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595であり、休憩の合間にベーゼンドルファーのフルコンがオーケストラの中央に運び込まれ、コントラバスが左奥におかれ、後方の管楽器がフルートとファゴットとホルンの他に2オーボエが追加されていた。
         ピアノのシュタイヤーは、1955年ドイツのゲッテインゲン生まれで、ハノーファーとアムステルダムでチェンバロとピアノを学び、バロックからロマン派までレパートリーを広げ、作品の書かれた時代に合わせて、さまざまな鍵盤楽器で演奏する。このHPではこれまでフォルテピアノの演奏ばかりであったが、モダンピアノでのモーツァルトの演奏は初めてであった。




         シュタイヤーが拍手とともに登場して、観客に背を向ける形でピアノに向かい、右手を挙げて指揮を取り、第一楽章が始まった。静かな波を打つような伴奏に乗って弦がお馴染みの旋律を弾き始め、4小節ごとに現れる管楽器群の分散和音によって中断されながら第一主題が進行していた。続いて第一ヴァイオリンとフルートが対話しながら歌われていく第二主題が軽やかに始まったが、シュタイヤーは何と右手で指揮をしながら左手で鍵盤を叩いてリズムを取っており、流れるようにオーケストラが進んでいた。シュタイヤーの指揮はさらに続き、美しい流れるような副主題を提示していくが、後半の第一ヴァイオリンがチッチッチと泣く特徴ある部分で調子を取りながら長いオーケストラによる提示部が終了していたが、譜面の通奏低音のピアノも彼は弾いていた。




続いて独奏ピアノの登場となり、シュタイヤーは第一主題を変奏しながら弾き始めるが、ピアノの音は粒だっていて弦楽器が掛け合いながら美しく流れていた。やがて第二主題もピアノで変形されながら煌めくように弾かれ、2本のコントラバスによる弾むようなピッチカートがピアノやオーケストラを支えていた。続いて副主題に入って、後半のチッチッチとなる部分をシュタイヤーはピアノで遊びながら表情を付けて弾いていた。こぶりなオーケストラがピアノと交錯しながら明るく進み、前半の主題提示部を盛り上げながら締めくくっていた。




         展開部はピアノが第一主題の冒頭部をオーケストラと交互に執拗に繰り返しながら進むが、オーボエとピアノが歌い出し、ピアノの弾くパッセージにファゴットやフルートそして弦楽器が競って主張しながらからんでいて、実に豊かなアンサンブルの世界が示されており、とても印象的で美しかった。再現部ではピアノが途中から参加し、オーケストラを従えながら独壇場のようにパッセージを重ねていた。終わりの長いカデンツアは、シュタイヤーも馴染み深いモーツアルトのものを弾いており、オーケストラの通奏低音をピアノで弾くのも彼らしく、小ぶりの弦楽器と管楽器やピアノと良く絡む室内楽的なピアノが独特であり、この曲の素晴らしい一面を引き出していた。




          続いてゆったりと歌われる第二楽章が、この映像では甚だ残念ながら割愛されて、いきなりフィナーレ楽章に飛び込んでいた。
  フィナーレは踊りだしたくなるような軽快なロンド主題でシュタイヤーの独奏ピアノで始まり、オーケストラが引き継いだ後に再びピアノソロで現れる。この主題はリートの「春へのあこがれ」K.596として記憶されているが、続く経過部の後に現れる副主題も、続いて暫くして現れる新しい第二主題も、とてもピアノが活躍する良く似た踊るような主題が続いて、どうやらロンド形式の第二エピソードに相当する部分が無い。短いカデンツア風のパラフレーズが続いて再びロンド主題が現れていた。これは、この楽章の再現部の第一主題に相当しており、この楽章はロンドの性格を持った展開部を欠いたソナタ形式と解釈できそうであったが、再び第二のパラフレーズが現れて、もう一度ロンド形式が現れていた。
           再現されたロンド主題のあとは同じように副主題も第二主題も続けて現れるが、何れも独奏ピアノが先導しオーケストラを従えて駆けめぐるように活発に動き、シュタイヤーのピアノの独壇場の姿で一気呵成にカデンツアまで到達していた。カデンツアは、ここでもモーツァルトのものをそのまま弾いており、そして終結部ではもう一度ロンド主題が独奏ピアノで現れてオーケストラがひとしきり活躍して静かに曲が閉じられていた。




  私たちは協奏曲と言えば、指揮者とソリストがお互いに協力したり主張をぶつけ合って成立するものだと理解しているが、ソリストたちが年齢を重ねて成熟してくると、バレンボイムや内田光子やペライアなどのヴィルトゥオーゾ的なピアニストにとっては、指揮者がいれば自分の意思通りにはならぬ存在と考えるのであろうか、次第に弾き振りが多くなる。そして、自分の意思を通そうとして、オーケストラのスタイルや編成までも注文することが多くなる。しかし、シュタイヤーのようなピリオド奏者たちは、始めからアンサンブルを重視しており、今回も小規模なオーケストラにして、管楽器を重視した編成としているところが面白い。彼はベゼンドルファーで弾いても、ピリオド奏者らしく、通奏低音を丁寧に弾いていたり、装飾音も余り目立たぬように、しかし自由に弾いており、何よりも弦や管との三つ巴のアンサンブルを大切にしていた。クラリネット協奏曲とオーケストラの楽器の配置が微妙に変わっていたのは、二人のソリストたちが、アンサンブル重視の立場に立って、より効果のある配置を求めた結果であろうと思われた。


(以上)(2016/11/03)



目次5にもどる 目次4にもどる
目次3にもどる 目次2にもどる
目次1にもどる 私の新ホームページへ


名称未設定