(古いS-VHSのテープより;若杉とN響の「メサイア」K.572)
16-10-4、若杉弘指揮NHK交響楽団と日本プロ合唱連合によるヘンデルのオラトリオ「メサイア」のモーツァルト編曲版K.572、
(2Fl、2Ob、2Cl、2Fg、2Hn、2Tp、2Tb、Timp)、1992年1月27日、サントリー・ホール、
(古いS-VHSのテープより、ウイーン木管アンサンブルのK.406、K.270)
16-10-3、ウイーン木管アンサンブルによる木管五重奏曲ハ短調K.406およびデイヴェルテイメント変ロ長調K.270、
1991年11月5日、来日公演、東京文化会館小ホール、

−今回もこの「メサイア」をまるでオペラを見るように1曲づつ丁寧に見聞きしてきたが、前回のリリングの演奏とはかなり異なっており、編曲面ではソリストの二重唱が1曲しかなく、いくつかの四重唱は合唱に置き換わっていた。また、第2部の後半の合唱と一部のアリアが省略され、第3部においても一部、省略が行なわれていた。今回の若杉弘の公演は、モーツァルトの誕生日におけるN響定期のライブ演奏であり、第1部、第2部、第3部がわずかな休憩だけで、続けて演奏されており、そのせいか、全体の緊張感を高めるためには有効であった。このHPで何回か登場している若杉弘の指揮振りは、分かり易い身振りで、全体としてはオーソドックスな正攻法であり、安心して浸れる素晴らしいテンポで進められ、納得できる演奏であった−

(古いS-VHSのテープより;若杉とN響の「メサイア」K.572)
16-10-4、若杉弘指揮NHK交響楽団と日本プロ合唱連合によるヘンデルのオラトリオ「メサイア」のモーツァルト編曲版K.572、
(2Fl、2Ob、2Cl、2Fg、2Hn、2Tp、2Tb、Timp)、1992年1月27日、サントリー・ホール、
(出演者、ソプラノ;豊田喜代美、アルト;永井和子、テノール;近藤伸政、バス;神部太、合唱指揮;大谷研二)
(92/04/29、S-VHSのテープ063のNHK芸術劇場を収録)

          10月分の第4曲目は、古いS-VHSのテープからであるが、ヘンデルのオラトリオから「メサイア」のモーツァルト編曲版K.572、(2Fl、2Ob、2Cl、2Fg、2Hn、2Tp、2Tb、Temp)をアップロードしたいと思う。この演奏は若杉弘指揮NHK交響楽団と日本プロ合唱連合による演奏であり、1992年1月27日、サントリー・ホールで演奏されていた。出演者は、ソプラノ;豊田喜代美、アルト;永井和子、テノール;近藤伸政、バス;神部太という当時のトップの方々であり、合唱指揮は大谷研二氏とされ、1992年4月29日にNHK芸術劇場で放送されたものを収録していた。
      このモーツァルトの編曲は、ヘンデルの原曲が、いろいろな版があるようであるが、2Ob、2Trに弦4部と通奏低音だったものを、当時の二管編成のオーケストラ用 に編曲し、英語版だった歌詞をドイツ語に翻訳したものを用いているのが特徴で、ドイツ語版としてドイツ語圏では演奏機会が多く、このHPにおいても4種類ほどの映像が集まっている。それらには、リリング・マリナー・ホグウッドなどとそうそうたるメンバーが揃っているが、今回この映像には、日本語字幕が付属しており、若杉弘の指揮が実にオーソドックスな本格的な演奏で歌手陣も揃っており、最も親しみやすいものと考えていた。



          若杉弘指揮のNHK交響楽団による演奏は、サントリーホールの広い舞台の手前側にソリストとオーケストラが、そして奥の方に日本プロ合唱団連合が配列されており、N響はコントラバスが2本の二管編成の構成であった。「メサイア」は第1部、第2部、第3部から構成されており、第1部の最初にシンフォニア(序曲)が、早速、開始されていた。前半が荘重な付点リズムを持つ重々しいグラーヴェの緩であり、後半は早いテンポの美しい弦による細やかなフーガの軽快な急の部分となり、これらを合わせたフランス風な序曲となっていた。




   続いて聞き覚えのある弦の序奏の後に、テノールの近藤伸政がゆっくりとレチタテイーヴォを歌い出し、続いて早いテンポのオーケストラに続いて「もろもろの谷は」とアリアが朗々と歌われていた。弦と管が互いにエコー風に対比させたように響き、オーケストラが厚みのある音を響かせていた。続く第4曲の合唱では、前奏でホルンが響き、あたかも舞曲のような喜び踊る雰囲気で美しくゆっくりと「神の栄光が啓示される」と歌われており、歓喜に溢れた厳かな合唱が続いていた。




     そしてこれから続くバスのレチタテイーヴォとアリアではキリストが到来するという予言が歌われており、バスの神部太が歌うアリアでは、木管の前奏の後にラルゲットで厳かに歌い始めた後に、急−緩−急と力強く、また長々とアリアが歌われていた。また、第7曲の合唱ではソプラノ合唱に続き男声合唱が続いてから、その後に美しい早いテンポの混声合唱となっていた。合唱の後アルトのレチタティーヴォで「乙女の身ごもり」が告げられ、以下の第8曲から第11曲の嬰児の誕生の合唱までは、イエスの誕生と賢者の礼讃を歌う部分となっていた。




     第8曲のアルトの永井和子のアリアでは、イエスの誕生の知らせを告げる明るい軽快な前奏に始まりアルトのアリアが明るく響き、伴奏の管楽器が競い合いながら最高のアリアになっていた。後半の合唱ではアリアと同じく喜びを高らかに明るく歌っていた。しかし、続くバスのレチタテイーヴォとアリアでは、一転して暗く厳かに「暗闇を歩く者は」と歌われ、「大いなる光を見る」と結ばれて、賢者の礼讃が歌われた。第11曲の合唱では、軽快なテンポで女性合唱に続いて男性合唱が応答し、互いに掛け合いながら進行して嬰児が生まれたことを歌っていた。続いてテインパニーの響きとともに合唱がワンダフルと祝福し、再び大合唱が続き、永遠の父、平和の君と讃えられ、フルオーケストラとなって盛大に第一部の前半を明るく終了していた。




         後半は第12曲の「牧人の音楽」(シンフォニア・パストラーレ)で始まるが、場面は羊飼い達のいる緑の牧場の情景を現しており、オーケストラだけの器楽曲でA-B-Aの形式であった。通常は弦楽合奏で演奏されるがここではフルート・オーボエ・ファゴットが加わって、弦との絶妙な合奏で牧歌的な雰囲気が醸し出され、編曲版の特徴が現れていた。 続いてソプラノの豊田喜代美によるレチタテイーヴォが二つ続き、天使が羊飼い達にイエスの誕生を知らせていた。そして第15番の合唱ではホルンの伴奏で「いと高きところに神の栄光あれ」と高らかに歌われ大合唱となっていた。




        続いて第16番は、ここではテノールにより「喜べシオンの娘よ」と救い主が来ることを高らかに歌っていた。急・緩・急のアリアで美しいオーケストラ伴奏を持ったアリアであった。続いてソプラノのレチタテイーヴォが美しく始まり、数々の奇蹟が起こったことを告げ、弦の美しい伴奏のもとでソプラノが「主のもとに来なさい」とシチリアーナのリズムに乗って優しく誘いかけるように最高のアリアを歌っていた。続けて第20番の合唱であるが、ここでは女声合唱に続き男声合唱が加わり、「主のかせは緩やかであり、荷は軽い」と歌い出し、交互にあるいは混声で素晴らしい合唱が繰り返し歌われていた。イエスが奇蹟を行い、羊の群れの良き牧者となったところで第一部が終了し、指揮者は立ったまま、暫くの休憩となっていた。
         アリアでも、合唱を聴いても、またオーケストラを聴いても、いろいろなところで懐かしいヘンデル節を久し振りで聴き、若杉弘の心暖まる指揮でやはりこの曲は素晴らしい曲であると感じざるを得なかった。




  第二部では、早くもキリストの受難が始まり、劇的な緊張感を持つ合唱が多いのが特徴で、第19曲から第27番まで続き、死と復活、昇天と礼讃、福音の広がりが第35曲まで続いてから、第36曲の人間達の反抗に始まり最後の第39曲ハレルヤで神の圧倒的勝利となって頂点に達して第二部の終わりとなる。
  第19曲の合唱はラルゴで開始され、「罪を取り除く子羊を見よ」と溜息をつくように歌われて、早くも受難を導く重々しい合唱であった。続く第20番は弦と管の美しいゆっくりした前奏で始まり、アルトの永井和子のアリアが「彼は侮られ」と重々しく歌われていたが、弦とクラリネットの伴奏が実に美しい。中間部に入って鞭打つような弦の付点音符の伴奏が入り、再びラルゴに美しくダ・カーポされた長いアリアであったが、受難の苦しみを良く伝えた重いアリアであった。




         続いて合唱が三曲続くが、始めに荒々しいオーケストラの後に「彼は傷つけられた」と歌われ鞭打ちの付点音符の伴奏が続けられ、続いてソプラノの合唱が先行し男声合唱が続く二重フーガで「彼の傷で私たちは癒された」と歌われていた。最後の第23番の合唱ではヘンデルらしい軽やかなリズムで「羊のように逃げ去る弟子達」が描かれ、最後のアダージョで全ての罪を負うイエスの姿が重々しく描かれそして歌われていた。




            続く第24番から第27番までは、テノールのレチタテイーヴォ、合唱、テノールのレチタテイーヴォ、テノールのアリアと歌われていくが、今回のモーツアルト版ではこの最初のテノールをソプラノに歌わせ、「よく見て欲しい.このつらさを」と歌っていた。続いて男声と女声合唱が交錯する群衆の声を表す合唱は省略されて、続くテノールのアリアを再びソプラノに歌わせており、始めのレチタテイーヴォでは、「彼に同情する者はいない」と悲痛な面持ちで悲しげにゆっくりと歌われ、27番のアリアでは「こんな悲しみはあろうか」と絶望的な表情で歌い、豊田喜代美の声は透き通るような透明さに溢れ美しく歌われて長い受難の物語を終えていた。






             続いて第二部の後半に入り、 第28番のバスの短いレチタテイーヴォはキリストの死を暗示していたが、29番のアリアでは聖なる者は朽ち果てずに復活することを歌っており、テンポも幾分軽やかに明るく歌われていた。 第30番の合唱では「門よ、その頭をあげよ」という大合唱となり、これは十字架の死で終わることなく、栄光の王として君臨することを祝うものであり、「万軍の主」と軽快なテンポで歌われていた。

         続いて第33番の合唱が「主は言葉を与えられた」とユニゾンで力強く歌われていた。続いてソプラノのアリアの第34番が「何と美しいことか」とフルートの美しい伴奏で明るく歌われ、第35番の合唱では「全ての国に広がり」とユニゾンで整然と歌われていた。これらは福音の喜びと福音の広がりを讃えるもので、これから第2部の最終部に移行して、続く4曲では愚かな人間たちの反抗と神の圧倒的勝利を歌う「ハレルヤ」へと一気に高揚していく。 まず第36番で出番を待っていたトランペットとホルンの前奏により、バスが「なぜ異国の人が怒るのか」と激しくアリアを歌い出し、フルオーケストラで伴奏が行なわれ、バスの存在感を見せていた。そして第37番の合唱も鋭いアクセントを持っており、激しく早いテンポで「枷を打ち砕け」と歌っていた。






                続くテノールのレチタテイーヴォが短く「天に住むお方は」と歌い、続く第38番のアリアでも前曲と同じ鋭いアクセントで「彼らを粉砕するだろう」と力強く導かれていた。そこでいきなりオーケストラの短い前奏に続いて第二部の最後を飾る「ハレルヤ」の大合唱が始まった。






             曲は短い前奏に続いて「ハレルヤ」が力強く歌われ、続く4声部がユニゾンで別の主題を歌い出して、実に荘厳な効果を挙げており、この世はキリストの国となったと、王の中の王を高らかに力強く歌い上げる大合唱となっていた。ロンドン初演時においてジョージ二世が思わず起立したと言われるあのユニゾンの荘厳な大合唱はいつ聴いても素晴らしく、力強い神への賛美を持って第二部が堂々と終了していた。






             第三部は最後の審判と死者の復活、信ずる者の永遠の命が歌われる。第40番ではソプラノが「私は知っている」と高らかに歌い出し、フルートや木管が明るく囀るように伴奏をして死者の中から甦ることを歌っていた。続く41番の合唱では重々しい死のグラーヴェで始まり、死からの復活を叫ぶ元気の良いアレグロとが交替して歌われて繰り返され、キリストの復活を告げていた。続いて第42番のバスのレチタテイーヴォでは最後の審判のラッパが告げられ、トランペットとホルンの伴奏で「死者は蘇って不朽の者となる」と元気よく堂々と歌われていた。






                短いアルトのレチタテイーヴォの後に、アルトとテノールの珍しい二重唱が始まり、「死よ、お前の棘はどこにあるか」と死に対する勝利を歌い出していた。続いてソプラノのレチタテイーヴォが「キリストが神の座につく」と歌っていた。そして 45番の合唱が始まり、二重唱と同じ曲のように聞えたが、4声の合唱が「神よ、あなたに感謝する」と勝利への感謝を歌い出し、最後の大合唱への前段となっていた。そしてソプラノが「神が私たちの味方であるなら」とレチタテイーヴォを歌い、美しい弦楽器の伴奏でアリアを明るく歌って第47番の大合唱へのお膳立てをしていた。




           最後のフィナーレとなる大合唱は、ラルゴでアーメンとともに「ふさわしいのは子羊」と歌ってから、男声と女声の力強いフーガとなって次第に高揚し、オーケストラもこれに加わって、「とこしえに」と歌われてから、最後は厳かな「アーメン・コーラス」の壮大なフーガとなって、圧倒的な盛り上がりを見せて全曲を締めくくっていた。             大変な熱演でありライブコンサートならではの壮大な拍手で盛り上がっていた。満足した指揮者の表情が画面に大写しされて、若杉とソリストたちは丁寧に拍手と歓声に応えており、一度、二度と顔を出し、合唱指揮の大谷研二も呼び出されて挨拶していた。拍手は途絶えることなく続いて、最後に若杉弘が指揮台の上で深々と頭を下げ、拍手とともに映像はそのまま打ち切りになっていた。




             今回もこの「メサイア」をまるでオペラを見るように1曲づつ丁寧に見聞きしてきたが、前回のリリングの紹介で、三澤先生の新しい全訳のテキストを参照し、ストリーを考えながら、そしてモーツァルトの編曲に注意しながら聴いていた。そのため、今回は資料なしであったが同じモーツァルト編曲なので、前回の報告文を修正する形で丁寧に聴いてみた。その結果、リリングの演奏とはかなり異なっており、編曲の違いや省略がなされていることが分った。編曲面ではソリストの二重唱が1曲しかなく、いくつかあった四重唱は合唱に置き換わっていた。また、第2部の後半の福音の喜びや広がりを伝える合唱と一部のアリアが省略され、第3部においても一部、省略が行なわれていた。

             リリングの演奏は教会内での聴衆なしの録音であったが、今回の若杉弘の公演は、モーツァルトの誕生日におけるN響定期であったので聴衆が多いライブ演奏であったので、第1部、第2部、第3部がわずかな休憩だけで、続けて演奏されており、そのせいか省略が行なわれたものと思われ、全体の緊張感を高めるためには有効であったと思われる。このHPで何回か登場している若杉弘の指揮振りは、きめの細かな面はあるものの分かりやすい身振りで、全体としてはオーソドックスな正攻法であり、安心して浸れる素晴らしいテンポで進められ、各曲とも納得できる演奏であった。特に、シンフォニア・パスとラーレの弦楽合奏の部分とか「ハレルヤ」の大合唱や最後の「アーメン・コーラス」の壮大なフーガなどでは圧倒的な盛り上がりを見せており、編曲の良さも加わって素晴らしい気分にさせられていた。彼を聴くたびに、同年配の世代なのに早世したのが極めて残念に思われた。


(以上)(2016/10/19)



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