(最新のBP-DCHより;名曲の数々;K.418、K.453、K.319、K550、K.469他)
15-8-4、(1)アバド指揮ベルリンフイルとアンナ・プロハスカのK.418他およびポリーニのピアノによるピアノ協奏曲第17番ト長調K.453、2011/05/10、(2)ラングレ指揮ベルリンフイルの交響曲第40番ト短調K.550およびカンタータ「ダビデ」K.469、2013/01/25、 フィルハーモニー・ホール、

− アバドのコンサート全5曲のうちのメインは、プロハスカのコンサート・アリアK.418とポリーニのピアノ協奏曲第17番であったが、アバドの暖かい伴奏指揮を得て、プロハスカが実に良く伸び伸びと歌い、オーボエのオブリガートとも良く重なったアリアであった。また、ポリーニの協奏曲も久し振りで聴くポリーニのピアノは、実に安定して音が鮮明であり、歯切れがよくて良く揃った鮮やかな冴えた音を聴かせていた。最後のルイ・ラングレのオール・モーツァルト・コンサートは、結果的に指揮者ラングレの思わくが見事に成功したまれに見る素晴らしいコンサートであり、ト短調交響曲の新鮮さが印象に残り、最後のカンタータの音楽的魅力を見事に引き出していた−

(最新のBP-DCHより;名曲の数々;K.418、K.453、K.319、K550、K.469他)
15-8-4、(1)アバド指揮ベルリンフイルとアンナ・プロハスカのK.418他およびポリーニのピアノによるピアノ協奏曲第17番ト長調K.453、2011/05/10、(2)ラングレ指揮ベルリンフイルの交響曲第40番ト短調K.550およびカンタータ「ダビデ」K.469、2013/01/25、(3)ピノック指揮ベルリンフイルとピリスのピアノによるピアノ協奏曲第9番変ホ長調K.271および交響曲第25番ト短調K.183&第40番ト短調K.550、
2012/12/15、フィルハーモニー・ホール、

8月28日までの期限のついたベルリンフイルのアーカイブBP-DCHをさらに活用しようと、8月の暑い盛りに新たに15-8-4の追加ファイルを設けようと決心をして、中でも興味深い3コンサートの早期アップに取り組んだ。亡きアバドとポリーニのピアノ協奏曲K.453やプロハスカとの大好きなコンサート・アリアK.418があったり、ベルリンフイル初登場のラングレによる珍しい曲、カンタータ「ダビデ」K.469があったり、ピノック指揮による二つのト短調交響曲の連続演奏があったりと、まさに2015年の暑い暑い夏の過ごし方として、この際に見たい聴きたいと思った宝の山を征服したいと思ったからである。
       今年の夏は日中の外気温が35度近くなっていたが、わが書斎にTVとメインアンプをつけると40度近くなるので大変である。年金生活者で電気代節約は日常の絶対的条件であるが、貴重な限られた時間を宝の山征服に使わざるを得ず、音漏れを口実に冷房を入れることにすると、40度の書斎は30度位の快適なリスニングルームに早変わりする。お陰さまで、今年の夏はBP-DCHのお陰で、モーツァルト三昧にふけることが出来た。しかし、誠に残念であるが、元気良く始めたものの、途中で息切れしてしまい、当初予定の三コンサートのうちアバドとラングレのコンサートしか完成せずに、最後のピノックのコンサートは次回に送ることとした。



       15-8-4の最初のコンサートは、去る2014年1月20日に逝去したクラウデイオ・アバドの指揮によるもので、2011/05/15収録のコンサートである。このコンサートでは、アバドが良く行っていたコンサート・アリアを含むもので、以下の珍しい5曲のプログラムとなっていた。初めにはアンナ・プロハスカが歌う曲が並んでおり、第一曲はコンサート・アリア「神よ、あなたにお伝えできれば」K.418、第二曲は歌劇「魔笛」第17番パミーナのアリア「消え去ったのかしら、わが愛の幸せは永遠に、」が歌われ、第三曲は、歌劇「ルル」から4つの交響的断章という初めての曲であった。第4曲は、ポリーニのピアノでピアノ協奏曲第17番ト長調K.453というファンタジーな曲が選ばれていた。最後にはマーラーの交響曲第10番よりアダージョが演奏され、いかにもアバドらしい新旧織り交ぜたプログラムになっていた。アーバン・ベルクやマーラーは、アバドが指揮しなければ、恐らく聴くことのない曲であろうが、ここでは、当然ながらモーツァルトの3曲だけをご報告させていただきたいと思う。



アバドのコンサートの第一曲、ソプラノのためのコンサート・アリア「神よ、あなたにお伝えできれば」K.418は、私のお気に入りの大好きなアリアであり、アロイジアのために彼女の声を上手く使えるように作曲した最高のアリアであると言えよう。このアリアは、オペラの挿入曲で、アダージョとアレグロから構成されている。
         歌手のアンナ・プロハスカは、このHPでは最近になって顔を出し始めており、その第一はアバド指揮のルツェルン音楽祭(2012)で「レクイエム」のソプラノを歌っており(12-12-3)、また、第二はバレンボイム指揮のスカラ座の「ドン・ジョヴァンニ(2011)」のツエルリーナ(12-1-3)と、立て続けに歌っており、今回のベルリンフイルのコンサートとほぼ同じ時期である。彼女は1983年のウルム生まれのドイツ人で、音楽一家に育ってベルリンのハンス・アイスラー大学で学んだ新鋭で、最近の活躍ぶりには驚くものがあって、評価が高いものと思われる。



真っ赤なドレスを着てアバドと共に入場し、28歳という若さを売り物に、指揮台の隣に立つと、アバドの指揮でピッチカートの伴奏でオーボエが高らかにメロデイ・ラインをゆっくりと歌い出した。続いてプロハスカがオーボエに合わせて明るくしっかりと歌い出すと、オーボエは相づちを打つようにオブリガートにまわり、お互いが声を張り上げて競い合うように美しく進行する。アダージョはA-B-A’の形を取るが、それからじっくり声を張り上げると最初の最高音の部分は難なくクリアしていた。続いてオーボエに導かれてBに入ると、再びソプラノとオーボエが交互に歌いあって進行し、フェルマータで休息してから、後半のAでは朗々と歌い上げて、最後の最高音の部分を見事にクリアして、一気にアレグロへと突入していた。後半のアレグロでは、ソプラノがなかば半狂乱の形でスピーデイに進行し、繰り返しながら一気に収束していた。アバドは小編成の曲なのに実に細かく指揮棒を振り、体を乗り出すようにして指揮をしており、二人の呼吸はピッタリ合っていた。この映像は、画面が美しい上に、オーケストラと言い、ソプラノの澄んだ明るい声といい素晴らしい音楽を聴かせるので実に見応えがあり、ベルリンで学んだ彼女を、観客がしっかりと受け止めている様子が伺え、微笑ましく思われた。


プロハスカのソプラノの第二曲は、歌劇「魔笛」から第二幕第17番のパミーナの悲しみのアリア「消え去ったのかしら、わが愛の幸せは」永遠にであった。場面はパパゲーノとタミーノが暗闇で次の試練を待っており、タミーノが手にした笛を思わず吹いていると、それを聞きつけたパミーノが登場して来た。沈黙を守れ、女性には口をきくなと命ぜられたタミーノは、彼女に対応できず、無言のまま「立ち去ってくれ」と目で合図するばかり。傍にいた普段は剽軽なパパゲーノも口がきけず、パミーナは絶望するばかりで、無視されることは「侮辱や死よりも辛い」と、悲しげに歌うアリアであった。
アリアは、珍しくト短調の6/8拍子のアンダンテのアリアで、僅かに41小節の短いアリアで、途中にフルートの短いオブリガートがついている。プロハスカは、悲痛な声を絞り上げて、「わが愛は、二度と私の心には戻ってこない」と、表情豊かに歌っていた。


歌い終わると拍手が湧き起こり、素晴らしい人気で、観衆を沸かせていた。次の出番は歌劇「ルル」から、4つの交響的断章という作品であったが、アバドの暖かい指揮を得て、プロハスカは現代風の難曲に挑戦していたが、彼女はこの曲を得意としており、彼女はザルツブルグ音楽祭(2011)でブーレーズの指揮のDVDや、ルツエルン音楽祭(2010)のアバド指揮のDVDで、既に何回も収録済みのようであった。

15-8-4の(1)アバドのコンサートの第4曲目は、ベルリンフイルとマウリツイオ・ポリーニのピアノによるピアノ協奏曲第17番ト長調K.453で、2011年5月10日の定期における収録であった。ピアニストのマウリツイオ・ポリーニ(1942〜)は、69歳であるが、久し振りで見たマエストロは、真っ白になった長い眉毛が目立ち、年齢並みになって来たことを感じさせていた。しかし、コンサートで見せたピアノの粒立ちの良さやパッセージのクリアな響きは、少しも衰えていないと思われた。



           この曲第17番の第一楽章はアレグロのソナタ形式であるが、第二・第三楽章は、とても自由な雰囲気を持った変奏曲形式であり、フルートやオーボエやファゴットなどの木管楽器が、全ての楽章にわたって特に活躍し、作風が次第に変わってきて、弦や木管とピアノとの対話が特に美しい曲として知られている。
          アバドとポリーニが仲良く一緒に入場し、ポリーニが着席するのを待ってから、アバドの指揮により、直ぐにオーケストラが協奏的ソナタ形式の第一楽章が始まった。行進曲風の流麗に流れる主題であり、直ぐにフルートやオーボエのソロや合奏が続き、やがて木管合奏の美しい音形が見事な橋渡しとなって第二主題が始まり、木管がここでも絶妙な応答を見せて力強く盛り上がりを見せて、オーケストラによる主題提示部が完了していた。



       やがてポリーニの独奏ピアノが第一主題を美しく提示していくが、ピアノの音は良く揃って木目が細かく聞こえ、ポリーニは実に丁寧にピアノに向かっていた。続く第二主題も独奏ピアノが提示していくが、オーボエやフルートとピアノの対話が実に美しく、これが競うように繰り返し現れて盛り上がりを見せて、主題提示部を形づくっていた。ポリーニのピアノは実に安定して、音が鮮明であり、歯切れがよくて良く揃った鮮やかな冴えた音であった。
     展開部では独奏ピアノがさざ波のようにアルペッジョを何回も重ねて弾いてピアノが中心になって展開を重ね、後半ではピアノで新しいモチーブが美しく提示されてひとしきりピアノが活躍していた。この展開部では、ポリーニのピアノがひときわ見事な輝きを見せていた。再現部では、フルートやファゴットによる音形が、第一主題や第二主題の導入に実に良く使われて、独奏ピアノとも良く絡んでおり、最後のコーダでもこれらが支配していた。カデンツアは譜面通りのモーツァルトのものがサラリと弾かれていたが、ポリーニはさすがコンサート・ピアニスト。カデンツアでは素晴らしいテクニックを見せて大胆に歯切れ良く弾きこなし、力強く弾き結んでいた。


              第二楽章のアンダンテでは、わずか5小節の序奏風の短い第一主題が弦5部で提示され、フェルマータの後に続いて突然に、オーボエが、続いてフルートが、そしてファゴットが競うように主題を歌い出し、木管合奏のこの曲独自の幻想的な雰囲気を醸し出す。これが変奏曲の主題提示の部分であり、この楽章は、続く3つの変奏曲とカデンツアの後の結びの前に、冒頭主題が合計5回現れる自由な変奏曲のような面白い形式であった。
           第一変奏はオーケストラの序奏に次いで、ポリーニの独奏ピアノによる小刻みな遅めの変奏で、ピアノが終始リードしてお得意のリズミカルなパッセージを繰り返しながら後半はピアノと木管とオーケストラの三つ巴で進行していた。第二変奏は木管三重奏が序奏を奏してから、ピアノソロが引き継いで、それから独奏ピアノに木管が部分的に相槌を繰り返しながら美しく進行していた。第三変奏は独奏ピアノによる序奏部のあとに、独奏ピアノとオーケストラとによる自由な変奏で、ここではポリーニのピアノがオーケストラと対話をしながら自由に駆けめぐり、幻想的な雰囲気を高めながらカデンツアへと進んで、終曲となっていた。カデンツアは譜面通りのもの短いものをポリーニは静かに弾いて終曲となっていた。協奏曲のアンダンテ楽章としては、独自の風変わりな不思議な変奏曲楽章であった。





             フィナーレのアレグレットは、パパゲーノのアリアを思わせる鳥の囀るような軽快な調子の良い主題による変奏曲であり、オーケストラで始まり、繰り返されて変奏曲の主題提示が始めに行われた。第一変奏は、やっと出番が来た独奏ピアノが軽やかに変奏し始めて、ここはまさにポリーニのパッセージの独壇場であった。第二変奏は旋律がフルートで始まり、ピアノは早いパッセージで追いかけ、交互に進む変奏であった。第三変奏では、オーボエとフルートの活躍が目ざましく、速いテンポのピアノとオーケストラや木管が複雑に絡み合って明るく華やかに推移していた。この変奏でモーツァルトが飼っていたムクドリの鳴き声を模倣しているような部分が聞こえてくるという。
           音色ががらりと変わる短調の第四変奏を経て、第五変奏は一転して行進曲調となるが、ピアノの堂々とした主題旋律が鮮やかであった。終曲はフィナーレと楽譜に書きこまれたプレストで、実に賑やかに躍動的に主題の楽想が盛り上り、ピアノも早いテンポで華やかに追従する充実したフィナーレであった。ポリーニのピアノはいつも明るく輝くように弾かれており、オーケストラや木管とのアンサンブルも自然に良く融け合って聞こえ、素晴らしい効果を挙げていた。




         終わると素晴らしい拍手が湧き起こり、指揮者のアバドとポリーニが握手を繰り返しながら拍手に答えていた。ポリーニは2回ほど呼び出されて、花束を受け取ったりしていたので、アンコールの期待がかかっていたが、残念ながらそう言う場面にはならなかった。しかし、ポリーニの元気なピアノの美しさを味わって、客席も満足したように見えていた。この協奏曲は、モーツァルトの弟子であるバーバラ・ブロイヤー嬢のために、第14番K.449とともに書かれており、一連のシリーズの協奏曲とは少し感性が異なる幻想的な雰囲気を持っているような気がするが、しっかりしたコンサート・ピアニストのポリーニの手にかかると、見事なピアノの響きに魅せられて、どんな曲でもポリーニ流に上手に料理をしてしまうと言う印象を持った。素晴らしいコンサートであった。
(以上)(2015/08/22)


         15-8-4の二番目の演奏は、(2)ルイ・ラングレ指揮ベルリンフイルの定期(2013/01/25)のオール・モーツァルト・プログラムであり、次のような異色的なコンサートになっていた。すなわち、第一曲目がオペラ「テイト帝の慈悲」序曲であり、第二曲目が交響曲第40番ト短調K.550、そして休憩後の第三曲がカンタータ「悔悟するダビデ」K.469という珍しい構成のプログラムとなっていた。恐らく、ハ短調ミサ曲K.417を改作した作品とされるカンタータ「悔悟するダビデ」K.469を、フイルハーモニア・ホールで初演?するために考えられた後期の作品を中心に練られたプログラムであったと推察される。



         どうやらフランスの指揮者ルイ・アングレ(Louis Langree)のベルリンフイルの初登場のプログラムであるようだが、彼はモーツァルトに造詣の深い指揮者として知られているようであり、モストリー・M音楽祭の音楽監督をやったという経歴がある。2012年にウイーン国立OPで「テイト」を振ったり、このHPでは2012年エクサン・プロヴァンス音楽祭で「ドン・ジョヴァンニ」のBD(15-2-3)などが紹介されている。今回の「テイト」序曲や交響曲第40番ト短調K.550の指揮は、日本でも公演しているようであるが、後半のカンタータ「悔悟するダビデ」K.469は、このHPでは初登場であり、ハ短調ミサ曲をコンサート・ホールの演奏会形式で聴くようなスタイルではあったが、貴重な記録を残してくれたと感謝したい。



        このコンサートの第一曲目は、「テイト帝の慈悲」序曲であるが、この曲はソナタ形式で書かれ、このような祝典オペラに相応しい堂々とした内容を持っており、かなりの見識がなければ取り上げられない序曲であると思われる。クラリネットを含むフルサイズの二管編成となっており、今回はコントラバス3本の構成で演奏されていた。曲は3回続けて三和音的に上昇するアレグロのファンファーレで勢いよくゆっくりと行進曲風に始まるが、続く第二主題はオーボエとフルートで現れて次第にフルオーケストラで高揚し、堂々と進行していた。ラングレは、ヴィブラートを控えめにした奏法であったが、オーケストラを充分に鳴らしながらキビキビしたテンポで歯切れ良く全体を纏めていた。
序曲は元気の良い展開部から再現部へと移行して大きな盛り上がりを見せて、勢いよく終了していたが、コンサートの始まりとしては、心地よい気分と緊張感を与え、これから始まるオール・モーツァルトに期待を与える楽しみな素晴らしい出だしであった。



        第二曲目は、交響曲第40番ト短調K.550であり、指揮者ラングレの経歴をインターネットで調べているうちに、ツイッターの書き込みなどで、いろいろな人に聴かれている指揮者であると感じていた。全体を一聴した限りでは、初めから爽やかな速いテンポで進み、その壮麗さに驚いているうちに、第二楽章も第三楽章もフイナーレも、速いテンポで一気に進み、素晴らしい勢いで進む疾走するト短調と言った印象を受けており、前に聴いた同じベルリンフイルのサイモン・ラトルの演奏と非常に近いものを感じていたが、クラリネットが入った第二版を採用し、コントラバス3台の同じ規模のオーケストラで、繰り返しを省略しないところまで同じような印象を持った。

       スマートな格好のラングレが足早に登場して、オーケストアラを見渡してから直ちに第一楽章が始まった。モルト・アレグロでヴィオラの伴奏音形に乗ってさざ波を打つような弦楽合奏の第一主題がやや早めのテンポで軽快に始まり、やがて管楽器と弦との応答があってから再び第一主題が明るく繰り返されるが、今度は管楽器も加わって力強く進行していた。ラングレの指揮は全て頭の中にあり、弾むような軽やかさでグイグイと進めていた。一休止の後に第二主題が弦で始まるが、直ぐにクラリネットとファゴットが明るさを増すように活躍をし始め、弦と交互に競い合い、さらに合体して勢いを増し、次第に高揚して提示部の高みに到達していた。ラングレはここで再び冒頭に戻り、全体を明るく流麗に進行させていたが、この繰り返しではさらに軽快感を増して爽やかに推移していた。
展開部では、第一主題の冒頭の導入主題が繰り返し入念に展開され、さらに同じ主題がうねるように対位法的に同じテンポで展開され次第に力を増しながら進んでいた。再現部に入り再び冒頭主題が流れるように再現されていたが、長い展開部の勢いが残されているかのように、経過部を中心にかなり拡大されながら進行していた。映像ではラングレの譜面なしで自由に体を動かして、両腕の振りと顔の表情でも指揮をする細身のスマートな姿が印象的で、この楽章は全く淀みなく進行し、明るく疾走するオーケストラの流麗な動きが全体にみなぎっており、ベルリンフイルを思い通りに充分に鳴らせているように思われた。



    第二楽章のアンダンテでは、やはり幾分早めのテンポか、美しい弦楽合奏の第一主題が珍しくホルンの伴奏で始まっていたが、主題の後半に現れる32分音符の休止を挟んだ3度動機のフレーズが早くも弦で顔を出して実に美しい。そしてこの動機が推移部を支配しており、弦から管へ、管から弦へ、クラリネットを中心に上昇したり下降したりして、うねるように繰り返されて美しく進んでいた。やがて、第二主題に入って美しい弦楽合奏が開始されても、木管楽器が加わってくるとこの特徴あるフレーズが、余韻のように響いていた。ラングレはここでも再び冒頭に戻って繰り返しを行い、丁寧にこの独特な装飾効果を楽しんでいるように見えた。
    しかし展開部に移行してもこのフレーズが合奏で力強く弦から管へ、管から弦へと移行して、上昇したり下降したりしながら展開されていた。これらの弦と管の合奏のアンサンブルの美しさは、再現部に入っても、実に快く印象的に響いており、ラングレは実に丁寧に、時には楽しんでいるかのような表情を見せながら、繊細できめの細かな美しさを浮き彫りにしようとしているように見えた。再現部の末尾の繰り返しは、さすがここでは省略されていた。



第三楽章のメヌエットでは、かなり速いテンポで出だしの三小節のフレーズがカノン風に何回も繰り返されて進行し、ラングレは次第に力強く三拍子を刻んで躍動感が溢れるようにぐいぐいと進めていた。対照的にトリオでは、ほぼ同じテンポで弦楽合奏で始まり、オーボエに続きフルートとファゴットも加わって木管三重奏となり美しさを強めていたが、繰り返しの後は木管の三重唱の後にホルンの二重奏が響きだし、終わりには見事な管楽四重奏で打ち上げるなど弦と管のアンサンブルの対照の妙が光っていた。



         フイナーレ楽章では、ソナタ形式のアレグロ・アッサイで始まる第一主題がスピード感を持って軽快に進められており、まさに疾走するアレグロとなって、流れるような見事な弦楽合奏を繰り返していた。やがて穏やかな第二主題が弦楽合奏で始まって淀みなく進行するが、中間でクラリネットが明るく歌い出して第二版の特徴を浮き彫りにさせていた。ラングレはここでも提示部を繰り返して、スピード感を高めていたが、展開部に突入しても、冒頭の疾走する主題が弦でも管でも、入れ替わりに執拗に顔を出して繰り返し展開されており、後半のホルンのファンファーレが鮮やかであった。再現部に入っても全体としては軽やかさが確保されており、爽やかな疾走感でこの楽章を盛り上げつつ穏やかに終結していた。ラングレは末尾の反復記号に従って展開部からの繰り返しを行っていたが、この長い展開部は実に味があり、再現部でも疾走感が加速されるなど、この繰り返しは全体のバランス上、極めて効果的であったと思われる。

        全楽章を通して聴いてルイ・アングレの演奏は、全体として速めのテンポに昔と異なった感慨をおぼえつつも、爽やかさに満ちており、古楽器奏法の良いところをモダンなオーケストラに上手く適用して新鮮味を強めていたように思った。中規模のオーケストラが幸いしてか、弾むような軽やかな疾走感が全体を通じ支配しており、クラリネットを初めとする木管群が弦楽器に良く反応していた。いろいろな楽団を客演してオーケスオラの巧さを上手に引き出すことが巧みな指揮者であると感じさせていた。

      休憩が終わってホールが写し出されると、画面は一変しており、舞台にはオーケストラとその後部に大合唱団が配置されており、オーケストラのチューニングが始まっていた。この珍しいカンタータ「悔悟するダビデ」K.469は、このHPでは初めての映像であり、そのためハ短調ミサ曲とどこがどう改作されているかを簡単に説明しておかなければならない。
      ハ短調ミサ曲は、1783年10月26日にザルツブルグの聖ピータース教会で初演されているが、後半は未完のままで残されており、このミサ曲の演奏機会はこれだけであった。モーツァルトは1785年1月にウイーンの「芸術家教会」より慈善興行のためにオラトリオの作曲依頼を受けた。しかし、彼はこの時期は超多忙な時期であり、いろいろな経緯があったと推察されているが、結果的にこのカンタータが3月13日にブルグ劇場でモーツァルトの指揮で演奏された記録が残されている。このカンタータは、ダビデの詩編に基づくものとされているが、歌詩作者の名前は明示されておらず、恐らくダ・ポンテの作ではないかと推測されている。



       全作品は10編の詩に合唱曲5、アリア3(うち新作2)、二重唱、三重唱の10曲から構成されており、新作のアリアは、自筆の作品目録には、第6番アダムベルガーのためのアリア、および第8番カヴァリエリのためのアリアと初演者の名前が記載され、それに日付とオーケストレーションが自筆で付加されていた。ミサ曲からは、1キリエと2グローリアから全7曲の部分が使われており、それに目録にあったテノールとソプラノのための新作のアリアが2曲追加されていた。幸い新全集では、ハ短調ミサ曲K.417もこのカンタータK.469も収録されており、譜面を比較することが出来たが、合唱曲もアリアも歌詞の部分だけが書き直されていた。オーケストラは全く変わらず、歌詞の韻律の関係で、部分的に音符の長さが修正されている箇所があったほか、第10曲目のグローリアの最後の部分に、三人の独唱者によるカデンツア(186小節〜232小節)の部分が書き加えられていた。演奏の合唱団はベルリン放送合唱団であり、第一ソプラノはジェーン・アーチバルド、第二ソプラノはアン・ハーレンベルク、テノールはワーナー・ギューラの面々で、第二ソプラノだけが見覚えのある歌手のようであった。



       第一曲の「合唱」は、キリエが弦五部の前奏で静かに開始され、キリエの合唱がソプラノよりアルト、テノールと順次歌い始められるところであるが、歌詞は全く異なるがキリエの素晴らしい合唱曲が頭の中に広がり、やがてキリエ・エレイソンの合唱曲が堂々と進行していた。歌詞の大意は「私は深く悔いて、主に向かって祈りの声をあげます」という意味のようだが、神への祈りの大合唱が厳かに進行し静かに収束していた。この最初のキリエの部分の大合唱を聴いて、ベルリンフイルも大合唱団も、指揮者の指示に従ってキビキビとしたフレッシュな素晴らしい音楽が鳴り響いており、ルイ・ラングレの試みは彼の思わく通りに上手く進みそうな予感がしていた。
やがて第一ヴァイオリンの美しい前奏で、第一ソプラノが何やら分からぬ言葉で朗々と歌い出したが、頭の中ではクリステ・エレイソンの美しい旋律がゆっくりと駆け巡り、言葉は分からぬが低い声から高い声に至るまで美しい声が響きわたり、ひとしきり歌われていた。アーチバルドの声は細めであるがとても澄んでおり、素晴らしい声を聴かせてから、再びキリエがソプラノの合唱が始まり、そして、壮大なオーケストラと大合唱により深い重々しい響きを聞かせてから、やがて静かにこの楽章を閉じていた。言葉は分からないが、とても心に滲みる荘厳な楽章のように思われた。



      続く第二曲も「合唱」で、フルオーケストラでグロリアの大合唱が始まり、男声合唱でアレグロ・ヴィヴァーチェの晴れやかな合唱が歌い出されてから、女性合唱も加わってフーガになり、壮麗に大合唱が続けられていた。歌詞は「大いなる主に向かって、栄誉と賛美を歌わせよ」とあり、まさにハレルヤと聞こえそうな音楽であった。アングレの指揮は、右手の指揮棒と左手を自由に広げて体全体で指揮をしており、自分でも歌いながら、全体を動かしていた。やがて中間部で勢いを落としてピアノになるが、再び神の栄光を讃える晴れやかなハレルヤ的な大合唱となって、最後には再びピアノになって静かに結ばれていた。
第三曲は「アリア」で、グロリアの第2曲の「ラウダムス・テ」であり、弦五部の軽快な前奏で始まり木管も加わった後に、第二ソプラノが軽やかなテンポで明るく歌い出した。歌詞は「汝ら悩みから解放され、喜びに満ちて祈れ!」であり、歌は次第にコロラチューラの部分を含んだ華麗なアリア風になり、オーボエの伴奏で威勢よく明るく歌われ、第一ソプラノに負けぬ技巧を見せており充分に存在感を示していた。第二ソプラノのアン・ハーレンベルクは、どういう経歴の方か分からないままに、ガーデイナーのノーベル・コンサート(9-10-1)でもこの第二ソプラノを歌っており、同じ衣裳でもあったので、確実に記憶に止まっていた。



続く第四曲は「合唱」であり、グロリアの「グラテイアス」で、女声のソプラノが二部に別れる5部合唱で始まった。歌詞は「恵み深い神よ、憐れみ持て、我等の祈りに耳を傾けて下さい」という祈りで、アダージョで歌われる厳かな重々しい力強い大合唱であるが、前後の曲とはがらりと変わって、時にはバッハ風の不協和音も飛び出す重厚そのものの短い合唱であった。
  第五曲は二重唱であり、「ドミネ・デウス」の二人のソプラノで歌われる。歌詞は「わが主よ、我が敵を散らして下さい」であり、弦五部の前奏による明るいアレグロで始まる華麗なソプラノの二重唱である。始めに第一ソプラノが明るく歌い出し、次いで第二ソプラノが繰り返すように歌って行くが、やがて二人の斉唱となっていた。後半に入ると声を揃えてゆっくり歌いだし、二人の声がつながる部分は神を讃えるような壮麗な美しい響きを持っており、このグロリアの中でも最高の美しい曲であった。



   第六曲は新作のテノールの「アリア」であり、歌詞は「主よ、あなたはいかなる時も苦難の時の避難所です。あなたは私を見守り、嵐から私を守り癒やしてくださいます」と言う内容である。曲は弦のアンダンテで始まるが、直ぐにクラリネット、オーボエ、フルート、ファゴットが順番にホルンの伴奏で歌い出す前奏に続いて、テノールが伸び伸びと歌い出し、オーケストラも良く伴奏して、随所で木管の合奏を伴いながら朗々と歌われていた。後半は一転してアレグロとなり、木管合奏を伴う趣味の良いオーケストラ伴奏で早いテンポで歌われており、明るく歌い終わっていたが、直ぐに続けて第七曲の「合唱」となり、グロリアの「クイ・トリス」に入っていた。曲は一転して弦のラルゴの序奏となり、二重の合唱団による重々しい八部合唱で進む荘重な大合唱のラルゴであった。歌詞の意味は「御心に従って私を罰して下さい。私を助け、癒やして下さい」であった。ラングレは全てが頭に入っており、渾身の力を込めて一音一音力強く、自らも歌うようにして指揮していた。フォルテで力強く進むところとピアノで消えるように進むところが交錯し、重苦しい受難を思わせるように、重々しく喘ぐように進んでいた。



    第八曲は新作の第一ソプラノのための「アリア」であり、歌詞は「暗き影から明るい天の光が射す。嵐の時も誠実な魂はおそれがなく、平安をみだすものはない」という内容であった。曲はフルートの前奏でアンダンテの長い序奏の後に、短調の暗い出だしで第一ソプラノが歌い出し、暗いトーンで静かに歌っていた。しかし、後半のアレグロに入ると一転してトーンが明るくなり、耳慣れた調子の良い旋律の序奏が始まり、長調になってソプラノが颯爽と歌い出し、華麗なコロラトウーラの歌唱に入り、球を転がすようなフレーズが何回も出てきて楽しませてくれた。短いカデンツアもあり、素晴らしいアリアであったが、曲は直ぐに続けて第九曲の三重唱の伴奏が始まっていた。グロリアの「クオニアム」であり、歌詞は「私の全ての希望はあなたに向けられています。私を敵から救って下さい」という内容であった。かなり長いオーケストラのアレグロの前奏で始まり、第二ソプラノ、第一ソプラノ、テノールの順に歌い出して三重唱となり、フーガ風に続いてひとしきり互いに競い合うように歌っていた。中間では第一ソプラノ、第二ソプラノ、テノールの順に歌い出しており、変形的に再現が行われ、後半ではフーガ風に重唱され伸びやかに明るさを見せながら、最後は素速いオーケストラで力強く結ばれていた。



        第十曲はフィナーレの「合唱」であり、歌詞は「神にのみ依存するものは、苦難に落ち入ることはない」という内容であった。グロリアの最後の「イエス・キリストよ」の部分が始めに歌われ、全合唱と全オーケストラが参加するアダージョの重々しい6小節が序奏風に歌われた。続いて「クム・サンクト・スピリトウス」の部分が始まり、冒頭から男声合唱による非常に力強い合唱となり、やがて女声合唱も加わって複雑な構成のフーガとなっていた。最後にはアーメンとフーガで斉唱される壮大な合唱となり、素晴らしい迫力で神への賛歌が歌われていた。譜面では終曲の合唱の最後に54小節のカデンツアが新たに追加して作曲されており、二人のソプラノとテノールがそれぞれ歌唱力を華麗に競い合って盛り上がりを見せてから、最後はオーケストラと合唱で厳かに力強く終結していた。

        素晴らしい歓声と拍手で会場は騒然となり、舞台では指揮者とソリストたちがハグをかわしていたが、オーケストラと合唱団は起立して、この大拍手に応えていた。ソリストと指揮者が揃って拍手に応えていたが、やがて合唱指揮者も壇上で挨拶をし、5人で花束贈呈を受けていた。指揮者がオーケストラの団員の一人ひとりに握手を交わしていると、それを見た合唱団が盛んに指揮者に向かって拍手を送り、指揮者ラングレは、成功したコンサートの味を噛みしめているように見えた。このコンサートは、最後のカンタータばかりでなく、結果的に指揮者ラングレの思わくが成功したまれに見る素晴らしいオール・モーツァルト・コンサートであったと感心した。

       ラングレは、最初の序曲から、譜面を見ずに暗譜で指揮をしており、全身で伸び伸びと思うところをオーケストラに伝えているのが映像では良く分かり、それが素晴らしい効果をあげていた。ピリオド奏法的な早めのテンポが生き生きとした新鮮さを与えて、ト短調交響曲ではそれが見事に成功しており印象深かった。後半のカンタータは、残念ながら、字幕でもないかぎり、キリスト教の信者でも意味が掴めたかどうか分からないが、ラングレはここでも完全に暗譜で通しており、その指示が実に適切で、実に読みが深い指揮者であると実感した。聴いているとハ短調ミサ曲の懐かしい音楽が頭の中に広がって、それなりに想像力を働かせて宗教的な感慨に耽ることが出来たように思う。キリエの祈る部分やハレルヤのような輝かしい部分は、音楽で明瞭に現されているからである。2曲の新作のコンサート・アリアも滅多に聴くことは出来ないが、この曲を通じてしっかりと聞くことが出来、全体の曲の中に上手く収まっていたように思う。


(以上)(2015/08/28)



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