(最新のBP-DCHより;ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、K216、K.449、K456)
15-8-2、(1)テツラフのヴァイオリンとベルリンフイル・オーケストラ・アカデミーによるヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216およびロンドハ長調K.373、2015/01/25、(2)ネルソンス指揮ベルリンフイルとエマニュエル・アックスのピアノによるピアノ協奏曲第14番変ホ長調K.449、2014/10/18、 (3)ラトル指揮ベルリンフイルと内田光子のピアノによるピアノ協奏曲第18番変ロ長調K.456、
2014/02/15、フイルハーモニー・ホール、

−ヴァイオリン協奏曲のテツラフは、トウッテイにもごく自然に参加して、室内楽団とアンサンブルを楽しむという室内楽的なバランスの良さを見せていた。また、指揮者としてのリーダシップもしっかりしており、ヴァイオリンの技巧を駆使する名人芸的な側面も十分に持ち合わせていた。ピアノ協奏曲第14番では、ネルソンスがオーケストラを煽るようにして指揮をしており、アックスの独奏ピアノも彫りが深くしっかりしたピアノであり、室内楽的な演奏と異なった芯のある協奏曲と言った面を感じさせてくれた演奏となっていた。久し振りで聴いた内田光子のピアノ協奏曲第18番は、ピアノの音がとても充実しており、パッセージなどが実に粒立って良く揃い、クリアに音が響いてとても楽しめた。各所で聴いたフルート・オーボエ・ファゴットとピアノのアンサンブルの良さは格別で、特に第二楽章の変奏曲の緻密なピアノの音の変化は、内田光子特有の響きであろうと思われた−

(最新のBP-DCHより;ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、K216、K.449、K456)
15-8-2、(1)テツラフのヴァイオリンとベルリンフイル・オーケストラ・アカデミーによるヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216およびロンドハ長調K.373、2015/01/25、(2)ネルソンス指揮ベルリンフイルとエマニュエル・アックスのピアノによるピアノ協奏曲第14番変ホ長調K.449、2014/10/18、(3)ラトル指揮ベルリンフイルと内田光子のピアノによるピアノ協奏曲第18番変ロ長調K.456、
2014/02/15、フイルハーモニー・ホール、

        続く最新のBP-DCHからの3曲は、最新のピアノとヴァイオリンの協奏曲の演奏を取り上げたもので、15-8-2の第一曲が、ドイツの名ヴァイオリニストのクリステイアン・テツラフのヴァイオリンとベルリンフイル・オーケストラ・アカデミーによるヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216であり、2015年1月25日収録の新しい演奏である。彼はこの日の第4曲としてロンドハ長調K.373を弾いており、調べてみると彼は約10年前のザルツブルグ・デビューで、このHPに登場しており、その時はヴァイオリン協奏曲第4番その他を演奏していた。第2曲目は、(2)ネルソンス指揮ベルリンフイルとエマニュエル・アックスのピアノによるピアノ協奏曲第14番変ホ長調K.449であり、2014年10月18日に収録されたものである。この映像はこの曲の3番目の映像であり、映像の少ないこの曲の貴重な演奏になっているので、楽しみにして頂きたい。第3曲目は、久し振りの内田光子さんの登場であり、(3)ラトル指揮ベルリンフイルと内田光子のピアノによるピアノ協奏曲第18番変ロ長調K.456で、2014年2月15日の定期における収録である。彼女はこの曲を自身の指揮とピアノで新しいCDをリリースしているが、私は彼女の演奏は、指揮をせずにピアノだけに集中している演奏の方が、落ち着いて聴くことができて好きである。



       最初の第一曲目は、テツラフのヴァイオリンと指揮によりベルリンフイル・オーケストラ・アカデミーという室内楽団によるコンサートから、ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216およびヴァイオリンと管弦楽のためのロンドハ長調K.373を取り上げるものであり、これは今年の2015年01月25日にアーテイスト・イン・レジデンスと言う小ホールで収録された最新の映像である。このコンサートは若い女性が多い20人位の小室内楽団で、コンサートでは、2曲目にシェーンベルクの「聖夜(弦楽合奏版)」、3曲目にハイドンの交響曲第80番ニ短調を演奏し、テツラフはコンサート・マスター席で座りながら親分のように全体の指揮を兼ねていた。このグループは、ベルリンフイルの若手で組織された室内楽団で、モダン楽器で古楽の人がやるような最先端の奏法を紹介する生きの良いグループのように思われた。



       このコンサートの第一曲目が、クリステイアン・テツラフの弾き振りによる映像で、ヴァイオリン協奏曲の第三番ト長調K.216であり、オーケストラの中央にテツラフがおり音合わせをしていたが、やがて、全身でヴァイオリンを弾き出し、映像ではトウッテイでいきなり第一楽章のアレグロの第一主題が開始されていた。このアレグロの主題はオペラ「羊飼いの王様」K.208の第3曲アミンタのアリアの転用でお馴染みであり、良く見るとコントラバスが二台で、2ホルン、2オーボエの構成の小規模なオーケストラであった。長いアリア風の主題をトウッテイで柔らかく軽快に進行してから、直ぐにオーボエとホルンが導く軽快な第二主題となってオーケストラによる第一提示部が威勢良く盛り上がり終了していた。



   そこで指揮者で合奏者のテツラフが、正面を向き直して改めて独奏ヴァイオリンにより勢いよく第一主題を弾き出したが、彼はソリストとしてのクリアな音を響かせ、装飾音を加えながら実に明るく弾き始めていた。続いて独奏ヴァイオリンが新しい第3の美しい主題を晴れやかに弾き始め、それから早い技巧的なパッセージを示していた。やがてオーボエとホルンの重奏で第二主題が提示されて、独奏ヴァイオリンが再び元気よく弾みをつけるように活躍しながら後半を盛り上げて行き、素晴らしい提示部を完成させていた。展開部では、技巧を散りばめた独奏ヴァイオリンの一人舞台のように進行していたが、さらに独奏ヴァイオリンが新しい第4の主題を出して繰り返してから、トウッテイ、独奏ヴァイオリン、オーボエなどの順に展開して素晴らしい効果を挙げていた。フェルマータの後一息ついて始まる再現部では、トウッテイと続いて独奏ヴァイオリンが第一主題の後に第3の主題が弾かれて変化を示しながら、続いて第二主題がほぼ型通り出て展開されてからカデンツアとなっていた。このカデンツアはオリジナルか、テツラフは全ての主題の一部を回想するかのように、技巧を散りばめ表情豊かに歌いながら仕上げていた。



    第二楽章のアダージョでは、はじめにピッチカートの伴奏付きのトウッテイで4小節の主題で始まっていたが、直ぐにテツラフの独奏ヴァイオリンがオクターブ高く繰り返し、ソロの存在感を示してからピッチカートの伴奏も加わって独奏ヴァイオリンがこの美しく透明な主題を明るく歌い、変奏を加えながら繰り返していた。この楽章ではスコア上はオーボエに代わってフルートが用いられることになっているが、この楽団ではさすがにフルートが二人おられ、フルートとホルンの重奏と独奏ヴァイオリンが交互に美しい第二主題を提示し繰り返されていた。続く短い展開部はソリスト、テツラフの第一主題前半によるソロの一人舞台であり、続けて始まる再現部においても独奏ヴァイオリンが中心で再現されていた。短いカデンツアは回想風のもので、これもテツラフの一人舞台。最後はコーダのあとにも独奏ヴァイオリンが第一主題を弾きだして終わるというサービスぶりの珍しい終わり方をしていた。



   第三楽章はRONDEAUと仏語で楽譜に書き込まれたアレグロ楽章であるが、第3番から第5番のヴァイオリン協奏曲では、このロンド楽章の中間部に変則的な挿入部があり、それぞれ変化が試みられていた。第3番においても前段でA-B-A-C-A-とロンド形式の形で進んでから、中間部にアンダンテとアレグレットの部分が挿入されており、規模の大きなロンド形式になっていた。
    このフィナーレでは、まずオーケストラで耳慣れたロンド主題が軽やかに提示され、続いてテツラフの独奏ヴァイオリンがロンド主題を繰り返していく。ここでもテツラフが指揮と装飾音をつけたソロ・ヴァイオリンの一人舞台で軽快に進行し、その後は新しい主題を独奏ヴァイオリンが提示する形でどんどんと進んでいた。ところがロンド主題が始まってフェルマータで一服してから、曲は一転してアンダンテとなり、独奏ヴァイオリンが弦のピッチカートに乗って軽やかに美しい新しい歌を歌い出し繰り返された。続いて曲調はアレグレットに変わって、再び独奏ヴァイオリンが民謡調の別の歌を歌い出していたが、ここでは更に独奏ヴァイオリンが珍しく重音奏法による新しい主題を提示して繰り返しており、聴く人をオヤと思わせる耳新しい変化をつけた曲を挿入していた。曲は再び始めのアレグロのロンド主題に戻って、この楽章は静かに終わっていたが、ここでも協奏曲としての特徴を発揮させる変化を試みを行って新鮮味を出していた。



   このコンサートの第2・3曲目は「聖夜」とハイドンの交響曲が続いていたが、最後の曲は、ヴァイオリンと管弦楽のためのロンドハ長調K.373とされていた。このコンサートでは、曲ごとにアカデミーのメンバーの役割が変化していたようであったが、第4曲目として全員が入場して来ると、コントラバスの位置やコンサート・マスターの顔ぶれも変わっており、テツラフも協奏曲同様に、直立してソリスト兼指揮者の役割であった。
    このロンドハ長調K.373の曲の草稿には「ウイーン、1781年4月2日」と書かれていたと言われる。4月8日付けの父宛の手紙には、「ブルネッテイのために作曲した協奏曲のロンド」ほか3つの新作をコロレド邸の夜会で演奏したと書かれていたが、この時期は「イドメネオ」の作曲後に、ミュンヘンからウイーンに呼び出された、新しいことが始まる重要な時期であった。



    曲はA-B-A-C-A-B-Aの基本にほぼ沿った形でまとめられた個性の溢れた親しみやすい曲で、協奏曲のためのソロとトウッテイの明確な区分が記述され、最後にカデンツアがはめられるように作られていた。        優雅な歌謡的なロンド主題が踊るようなリズムで独奏ヴァイオリンによってまず提示され、全奏で繰り返された後、再びソロとトウッテイでこの主題が現れた。続いて16部音符を主体にした第一クープレが独奏ヴァイオリンによって提示され、テツラフの技巧的なパッセージが続きソリストとしての存在感を示した後に、そのままトウッテイでロンド主題が現れた。続く第二クープレはソロで明るく提示され途中からはピッチカートの伴奏でソロが変奏を重ねてから、再びロンド主題が現れ、短い技巧的なカデンツアの後、独奏ヴァイオリンの回想するようなロンド主題の提示で華麗に終結していた。テツラフは、先の協奏曲とはアンサンブルの編成を変えていたが、この演奏も互いに気が合っており、瞑想しながらソロを弾くテツラフのまずまずの演奏が捉えられていた。

   今回のテツラフのコンサートでは、ヴァイオリンを弾きながら指揮を取る姿が、当たり前のように思っていたが、一方では、ヴァイオリン曲でなく「聖夜」やハイドンの交響曲のように、アンサンブルのコンサート・マスターとしての統率者の場合は、指揮者としてよりも仲間たちとしての意識の方が強いのであろう。今回のソリストではない指揮者としてのテツラフは、譜面を見るという別の側面も加わっていたが、非常に生真面目そうな真剣な側面が写し出されていた。
    ベルリンフイルでは、たまたまこの曲をツインマーマンも演奏するという機会が与えられたが、こちらではラトルがベルリンフイルをフルというオーソドックスなスタイルを示す演奏ではあったが、ツインマーマンは貴公子然としたソリストに見え、彼の風格あるヴィルテイオーゾ的な演奏スタイルが実に良く似合っていると感じた。一方でテツラフの方は、余り偉ぶらずにトウッテイにもごく自然に参加して、室内管弦楽団とアンサンブルを楽しむという室内楽的なバランスの良さを見せており、また、指揮者としてのリーダシップもしっかりしており、顔の表情で指揮をする名人芸的な側面も十分に持ち合わせていた。このベルリンフイルのシリーズの映像は、協奏曲を取り上げることが多いので、これらのソリストが見せるいろいろな側面にも注意して、きめ細かく見ていこうと考えている。      (以上)(2015/08/07)



         BP-DCH(15-8-2)の第二曲目は、エマニュエル・アックスのピアノにより、ピアノ協奏曲第14番変ホ長調K.449を取り上げるものであるが、このベルリンフイルとネルソンス指揮のコンサートでは、第2・3曲をR.シュトラウスの「ブルレスケ」および「ツァラトゥストラはこう語りき」が続いており、アックスもネルソンスもフルオーケストラの二つの重い曲の前段として、モーツァルトをどう弾こうかと考えて登場したに相違ない。しかし、私は特に演奏機会が少ないこの曲をどうして取り上げたかに関心があり、この曲のご報告に嬉しさを感じている次第である。



                    協奏曲風ソナタ形式の第一楽章のトウッテイの提示部は、指揮者ネルソンが両腕を広げて体を大きく動かしながら雄弁に導こうという意気込みが感じられ、軽快に威勢良く始まり、テンポも良くリズミックに響く。力強い第一主題に続いて軽やかな第二主題も流麗に流れていき、明快な結尾主題によって軽快にオーケストラの提示部が終了していた。
         待っていたかのように独奏ピアノが第一主題を力強くパラフレーズして、アックスが一瞬の間を取りながら丁寧に弾き始め、続いて軽やかにオーケストラと交互に進行する。独奏ピアノ用の新しい第二主題でもハッとさせる美しい弾き方を見せながら、ピアノを中心に細やかに流れるように進んでおり、素晴らしい提示部が示されていた。この曲は管楽器なしの小オーケストラで演奏しても良いという作曲家の指示があるが、どうやら指揮者にもピアノのアックスにしても、堂々たるしっかりした演奏に徹しているようであり、素晴らしい勢いで提示部を終えていた。やがて展開部に入り、独奏ピアノとオーケストラが激しく対話をしていたが、ピアノが技巧的な冴えを見せていた。再現部でもアックスはゆとりを持って堂々と弾き進んでいたが、最後のカデンツアは新全集に収録された25小節のお馴染みのものを弾いていた。



          続く第二楽章の第一ヴァイオリンの音がソット・ヴォーチェで呟くように開始されると、このアンダンテイーノの美しいメロデイが頭の中を巡りだし、私の頭は思考停止の状態になる。好きな曲を聴くと言うことは、こういうことなのだろうか。ゆっくりとしたオーケストラが第一主題の前半から後半へと弦楽合奏で進んでから、アックスの独奏ピアノが登場し、初めからこの主題を変奏したり飾りを入れたりして丁寧にゆっくりと進行し、やがて弦楽合奏とピアノが互いに相づちを打ちながら美しく煌めくように進んでいく。やがて第二主題が独奏ピアノで登場してこれもキラキラと輝くように美しく盛り上がりを見せながら進行し、ゆっくりと終息していた。このアンダンテイーノは、二つの主題が流れる三部形式だろうか。



            再び、冒頭の美しい第一ヴァイオリンの第一主題が密やかに始まるが、ここではこれを遮るように独奏ピアノが主題の変奏を始めて、どんどんと美しいピアノの音が流れ出し、さらに弦楽合奏を従えながら第二主題を煌めくように変奏しはじめ、素晴らしい最初の美しい高まりに到達していた。何と美しいのだろうかと思う間もなく、もう一度冒頭の第一ヴァイオリンが顔を出す。そして独奏ピアノが主体となって第一主題の変奏を始め、次第に高まりながら第二主題の変奏に移り、いつの間にかピアノの分散和音の響きが重なり合い、上昇したり下降しながら最高の高みに到達していた。実に限られた少ない音を使いながら、こんなに美しい絶妙なピアノの響きが得られるなんて、何とこの楽章は素晴らしいのだろうと聴くたびに感心させられる。エマニュエル・アックスのピアノはしっかりと弾かれた打鍵が深い響きを見せ、ベルリンフイルの美しい弦楽合奏と絡み合いながら、この楽章の美しい響きを見事に表現していた。



           フィナーレは、はじめから軽やかなオーケストラでロンド主題が飛び出すロンド形式。独奏ピアノが直ぐに主導権を取って晴れやかにロンド主題を弾き始め、どんどんと転げ回るように進みながら繰り返していた。このロンド主題は第一クープレや第二クープレを挟んで、5回以上現れるが、姿を見せるたびに異なった音形やパッセージを取り、即興的な手軽さと淀みのない流麗さを伴っており、まるで楽章全体が変奏曲のような趣で進んでいた。アックスのピアノは、ここでも軽快なテンポで輝くように進み、技巧的にも優れたものを示しながら、華やかさを添えた素晴らしい展開を見せてくれた。終わってみれば、360度に広がる満員の観衆から最高の暖かい拍手を浴びて、アックスは会心の笑顔を見せてこれに応えていた。

        今回のアックスのこの演奏は、オーケストラの規模がコントラバス2台であり、2ホルン、2オーボエ、2ファゴットが揃っていて、指揮者ネルソンスがオーケストラを煽るようにして協演させていたので、この曲としては、本来の協奏曲的な姿の演奏となっていた。アックスの独奏ピアノも彫りが深くしっかりした演奏であり、やはり室内楽的な演奏と異なった芯のある協奏曲と言った面を感じさせてくれ、とても楽しめた。これまでのこの曲の映像は、ベルリンフイルのバレンボイムと今回のアックス、ウイーンフイルのブッフビンダーと3種が揃ってきたが、私はCDでは渡辺陽子とベースを含んだクインテットのアンサンブルの良い演奏が好きなので、ライブでの音合わせを楽しめる映像が期待できないか、フォルテピアノの演奏でも良いので期待して待っていたい。    (以上)(2015/08/10)




        続くBP-DCH(15-8-2)の第三曲目は、2014年2月のベルリンフイルからの定期から、待望の内田光子のピアノで、ピアノ協奏曲第18番変ロ長調K.456を取り上げるものである。このコンサートでは、第一曲目がこのピアノ協奏曲であったが、プログラムでは、第2曲目がメシアンのピアノと小管弦楽のための「異国の鳥たち」というピアノ中心の超モダン曲、第3曲目がハイドンの二つの交響曲、二つのミサ曲などから抜粋された「想像上のオーケストラの旅」と題したラトルのウイットによる前衛的な作品であり、この組合せにはいささか驚かされた。モーツァルトに徹して聴いてきたものには、全く理解を超える音の氾濫であるが、光子さんがメガネをかけ必死で譜面を追う別の姿も見られたり、いろいろな楽器が出てきたり、こういう世界もあるのかと映像での楽しみを見つけ出していた。



         ピアノ協奏曲変ロ長調(第18番)K.456「パラデイス」は、今のところスコダの映像しかない演奏機会の少ない曲であるが、最近は盲目のピアニスト「パラデイス」のために作曲されたことを意識してこの名で呼ばれることが多くなった。この曲の第一楽章は、協奏風のソナタ形式を取り、この年の協奏曲を通じてお馴染みになった行進曲風のリズム動機を持つ第一主題が、ラトルの明るい表情で、アレグロ・ヴィヴァーチェの弦楽合奏で堂々と始まっていた。ソリストと指揮者が拍手と共に入場して席に着くや、いきなり開始されたこのアレグロの元気の良い曲が、弦から管楽合奏に渡されてからフルオーケストラで流れるように進行しており、コントラバスが3台でフルートもいるオーケストラの陣容であった。続いて2本のオーボエが歌い出しフルートが相づちを打つように始まる第二主題が木管中心に進行し、繰り返されて賑やかに力強く発展していた。やがて第一ヴァイオリンによるお馴染みの調子の良い結びの音形が現れてトウッテイの提示部を締めくくっていた。



       内田光子の独奏ピアノは、アインガングもなしに、いきなりソロピアノで第一主題が元気よく提示されて、独奏ピアノによる走句が鍵盤を駆け巡り出した。内田光子のピアノのパッセージはとても粒立ちが良く、とても心地よく聞こえていたが、やがて新しい第二主題がピアノソロで勢いよく提示されていた。そして独奏ピアノが威勢が良く、次から次へと始まる速いパッセージを無難にこなしていたが、やがてオーボエで始まりフルートで結ばれる第二主題でオーケストラが主役になりかけても、独奏ピアノが引き継いで、提示部の後半が盛大に盛り上がり、作風が拡大されたように思われた。



     独奏ピアノが新しい主題を提示しながら展開部が開始されて、力強いパッセージを重ねて行くが、これが先の結びの音形の調子の良いリズムであり、この動機を木管が示しながら独奏ピアノが威勢の良い奏句を重ねるように拡大された展開部が進行していた。再現部ではオーケストラで行進曲風に始まるが、直ぐに独奏ピアノが長いトリルを響かせながら登場してきて主役になり、以降は第二提示部とほぼ同様な独奏ピアノ主体のペースで第二主題へと進んでいた。カデンツアは、新全集に載せられたものをそのまま弾いていたが、内田光子のピアノの音は、輝くように粒立ちが良く、カデンツアでもきびきびとした鋭いクリアーな音が聞こえて、さすがと思わせていた。



     第二楽章は珍しくト短調の変奏曲形式であり、バルバリーナの「フィガロの結婚」の第4幕冒頭の美しいカヴァテイーナのソックリさんの主題による五つの変奏曲で、主題提示は、オーケストラで溜息をつくような美しい第一ヴァイオリンで始まるが、ラトルは得意の心得たような顔つきで、オーケストラを指揮していた。
第一変奏は独奏ピアノだけによる音形変奏であり、早いテンポの切れの良いピアノが、終始、コロコロとはじけるように響いており、素晴らしいピアノの展開であった。第二変奏は前半が管楽器で主題提示され、後半は弦とピアノが早いテンポで受け持つものであったが、ここからは繰り返し記号を使わずに、自由に変化を加えながら繰り返しを行っていた。第三変奏はフルオーケストラによるリズミックな元気の良い主題提示のあと、独奏ピアノがリズミックに変奏するもので、後半にはさらに変化を加えながら、フルオーケストラとピアノソロが明るく繰り返すように力強く活躍していた。

    第四変奏はト長調で明るく木管で変奏された後、弦とピアノが模倣するもので、後半も変化を加えながら木管合奏と弦とピアノによる明るい変奏が続いていた。独奏ピアノの音が細心の音の変化で巧みに表現され、息を飲むような瞬間があった。第五変奏は再びト短調に戻り、弦の主題伴奏にピアノが装飾を付けながら絡んでいく変奏で、途中からコーダになり、美しい主題の余韻を残しつつ静かに終結していた。このアンダンテ楽章では、内田光子のピアノの微妙な音の変化は素晴らしく、指揮をせずに落ち着いて自在に弾く姿は、絵になっていた。



     第三楽章は典型的なロンド・フィナーレのように聞こえるが細かく楽譜を見ると、いろいろな変化を持ったロンド形式であることが分かった。冒頭のロンド主題は独奏ピアノで軽快に始められてからそのままオーケストラが繰り返していくが、このオーケストラは主題をさらに発展させて盛り上がってから、第一クープレの前半が独奏ピアノと管楽器で現れていた。しかし暫くして後半に別の旋律がピアノソロで現れて繰り返されてから、今度は管楽器が引き継いで景気を付けて、最後には独奏ピアノが颯爽と仕上げをして、フェルマータになってからピアノの短いアインガングが始められていた。
     再び冒頭のロンド主題が独奏ピアノでオーケストラで再現してから、今度は第二クープレが独奏ピアノで華々しく開始されていた。これはまさにピアノソロの独壇場の世界であり、軽快に進められているうちにいつの間にか第一クープレの二つの旋律が顔を出してカデンツアとなっていた。カデンツアは新全集に記載のものであり、技巧を凝らした早いテンポのものであるが、内田光子は軽々と滑らかに弾き進んでいた。老齢な指揮者サイモン・ラトルの落ち着いたオーケストラのもとで、自在にピアノを弾き分ける内田光子の実に軽快なアレグロ・ヴィヴァーチェのフィナーレであった。

    内田光子の第18番のピアノ協奏曲は、期待が大きかったので、スコアを見ながら丁寧に聴いていたが、第14番から第18番に飛んだスコアの上では、管楽器群の活躍が大幅に増加しており、彼の作曲技術が、どんどんと拡大し高度化して行く姿が記載されているようであった。 久し振りで聴く内田光子のピアノの音はとても充実しており、パッセージなどが実に粒立って良く揃い、クリアに音が響いてとても楽しめた。各所で聴いたフルート・オーボエ・ファゴットとピアノのアンサンブルの良さは格別で、特に第二楽章の緻密なピアノの音の変化は、内田光子特有の響きであろうと思われた。続いて彼女がピアノを弾いたメシアンの「異国の鳥たち」は、名人の彼女にとっても難曲であったろうが、よく見ると薄く白髪が混じってメガネをかけて必死に譜面を見ながら弾く彼女の真剣な姿には、モーツァルトを弾く彼女とは別の姿に見えた。


(以上)(2015/08/11)



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