(最新の演奏会形式のオペラから;アーノンクール指揮の2014年「フィガロの結婚」)
15-7-3、ニコラウス・アーノンクール指揮、ウイーン・コンツエントウス・ムジクス、およびシェーンベルグ合唱団によるオペラ「フィガロの結婚」K.492、
セミ・オペラ形式、2014年3月6&8日、アン・デア・ウイーン劇場、

−この三部作は、すべて同じ趣向の演奏会形式の演奏で行われていたが、アーノンクールの熱意のこもった意欲的な指揮を始めとするオーケストラの充実振りや、今回の舞台における若い歌手陣の生き生きした表情や見事な歌い振りなどが非常に良く、指揮者と歌手たちやオーケストラとの距離感が非常に近いことを感じさせていた。私見では、今回の「フィガロの結婚」が他の二作よりも、これら三者の熱意と意気込みが強く感じられ、他の二作よりも、豊かさと一体感に満ちた演奏になっていたように思う−

(最新の演奏会形式のオペラから;アーノンクール指揮の2014年「フィガロの結婚」)
15-7-3、ニコラウス・アーノンクール指揮、ウイーン・コンツエントウス・ムジクス、およびシェーンベルグ合唱団によるオペラ「フィガロの結婚」K.492、セミ・オペラ形式、2014年3月6&8日、アン・デア・ウイーン劇場、
(配役)フィガロ;アンドレ・シューエン、スザンナ;マリ・エリクスメン、伯爵;ボー・スコウフス、伯爵夫人;クリステイーネ・シェーファー、ケルビーノ;エリーザベト・クールマン、マルチェリーナ;イルデイコ・ライモンデイ、バルバリーナ;クリステイーナ・ガンシュ、バルトロ&アントニオ;ペーター・カールマン、バジリオ&クルツイオ;マウロ・ペーター、
(2015/06/13、クラシカ・ジャパンの放送をHD-1にHV録画、)

       最後のオペラ部門は、6月号の15-6-2)でも紹介しているように、アーノンクールの演奏会形式によるダ・ポンテ・オペラ三部作の最後に当たる「フィガロの結婚」であり、クラシカ・ジャパンの放送を6月13日に収録したばかりの2014年3月6&8日のアン・デア・ウイーン劇場の舞台である。一見したところでは、「ドン」や「コシ」と同様に、同じ若い歌手陣の他に、伯爵がスコウフス、伯爵夫人がシェーファーとヴェテラン陣も参加していた。衣裳や演技はないが舞台への出入りは行っている演奏会形式で、歌手陣がセリフの記憶と演技から解放されて伸び伸びと行い、第4幕の省略曲もなく、リブレット通りのしっかりした音楽造りの映像になっていた。アーノンクールらしい個性的なアクセントのある演奏であるが、これが彼の3度目の映像となると彼の真意も理解でき、楽しく安心して見れる音楽的なオペラ造りとなっていた。ご期待頂きたいと思う。



  アーノンクールが登場してお馴染みのオーケストラ、ウイーン・コンツエントウス・ムジクスの皆さんを見渡してから両手の合図で序曲が始まるが、何とゆっくりとしたテンポなのであろうか。音節を区切るようにしてゆっくりと丁寧に進む序曲は、美しい弦の音が良く響き、キラキラと細かな音が良く聞こえ、テインパニーも古楽器風によく響き、この独特のテンポ感はアーノンクールのいつもの調子と安心して序曲を見届けていた。続く第一曲の序奏も、序曲同様に軽やかなゆっくりしたテンポで始まり、やがてフィガロのシューエンがノーネクタイの背広姿で歌い出し、途中から赤いドレスのスザンナのエリクスメンも歌い出し、明るい二重唱になって美しく思わず聞き惚れてしまう。大きな椅子も小道具もなく、どうやらクローズアップを駆使して、顔の表情だけで演技をするこれまでの演奏会形式の映像と同じやり方のようであった。



伯爵が下さるベッドの話から第二曲の二重唱もゆっくりと始まるが、二つの ディンディンの音でぐっとテンポを落とすのがこの指揮者流の特徴。スザンナから伯爵の企みを聞かされたフィガロが、廃止した初夜権の復活までの企みを聞いて、第三曲の伴奏付きのレチタティーヴォでカンカンになったフィガロが、第三曲の「もし踊りを踊られるなら」と激しく歌い始めたが、ここでもアーノンクールは音節を区切るようにゆっくりと進めていた。フィガロは、伯爵の下心を阻止しようと、彼なりに思いをはせて決意を固めており、ここでフィガロは大拍手を頂いていた。



      背広姿のバルトロと地味なドレスを着たマルチェリーナが登場し、彼女が借金の契約書を楯にフィガロと結婚をしようと弁護士に頼み込むと、バルトロもフィガロのせいでロジーナを伯爵に取られた恨みを晴らそうと張り切って、素晴らしい「復讐のアリア」を自信ありげに堂々と歌い、オーケストラともピタリと合って、客席を喜ばせていた。一方のマルチェリーナもまだ若く元気いっぱいで、譜面台を向かい合わせて第5曲のスザンナとの辛辣な早口の口喧嘩の二重唱を見事に歌って、会場を沸かせていた。演出なしでも二人の表情や歌声で良く分かる、素晴らしく楽しい舞台になっていた。



     早口の口論に勝ったスザンナがやれやれと一息入れたところに、白い背広の格好の良いケルビーノが舞台に現れたが、何と彼女は「コシ」でデスピーナを巧みに演じたクールマン。男っぽい素振りで第6曲の「自分が自分で分からない」を早口で見事に歌いこなしていた。



        そこへ突然伯爵が現れたので「ヤバイ」とケルビーノは右端の椅子へ。伯爵は、早速、スザンナが一人と見て口説き始め、ロンドンへ行くなどとスザンナを驚かせていると、バジリオの声が聞こえてきて、伯爵は左端の椅子へ。スザンナが相手をしていると、バジリオがケルビーノがいないかと探しながらうっかり「ケルビーノが伯爵夫人に恋をしている」と言うので、隠れていた伯爵が驚いて姿を現し、愉快な三重唱が始まった。スザンナは気絶をしてしまうが、この愉快な三重唱を歌っているうちに、隠れていたケルビーノが、遂に見つかってしまった。



             スザンナが弁解に努めているうちに、第八曲の合唱団の「花をまき散らそう」の村人たちの合唱が威勢良く開始され、スザンナは救われた。合唱団もオーケストラも生き生きと充実しており素晴らしい。フィナーレの「もう飛ぶまいぞ」ではフィガロが朗々と歌い出し、アーノンクールの指導か、音節ごとに区切って丁寧に歌われ、最後には行進曲となって、フィガロが退場しても行進曲が続いて、観衆の大拍手の中で第一幕が終了していた。

             第一幕を通じて感じたのであるが、音楽は実に奔放であり、指揮者の意のままに自在に動きながら進行しており、歌手とオーケストラとが一体になって垣根がなく、歌手が揃えば歌手のやり取りと表情だけで、小道具や演出なども不要であり、実に楽しく、第一幕を大きな拍手の中で終了していた。



       第二幕は、第11番の伯爵夫人のアリアのゆっくりした美しい序奏で始まるが、黒ずくめの夫人役のシェーファーが、ビブラートを押さえながらしっかりと「愛の神よ、安らぎを」と自分のペースで朗々と歌っているように見えた。彼女は2006年のアーノンクールのザルツブルグ音楽祭の「フィガロ」ではケルビーノを歌っていたのを思い出す。
続いて、フィガロとスザンナの三人で、フィガロの伯爵を懲らしめる作戦に賛同して、ケルビーノが登場し、第12番の「恋とはどんなものかしら」を歌い出した。このアリエッタもクールマンの声が澄んで素晴らしく、ピッチカートの伴奏やテンポも快く、最高の拍手で迎えられた。



      続くスザンナの第13番の着せ替えのアリアも、余分な演出が不要で音楽だけがすいすいと進み、スザンナのアレグレットのアリアが楽しく聞こえていた。伯爵が突然に現れて、慌てる伯爵夫人と怒る伯爵と二人の様子を伺いながらスザンナが歌う第14番の三重唱も、落ち着いて歌われて、演奏会形式の良さを垣間見させていた。伯爵と伯爵夫人が道具を取りに部屋を出た隙に窓から飛び降りたケルビーノとスザンナの「早く、早く」の第15番の小二重唱も落ち着いて歌われて、別の面白さがあり、拍手を浴びていた。



     フィナーレでは、「出てこい、無礼な小僧!」で始まる夫妻の押し問答の二重唱で始まり、スザンナが現れて夫妻をビックリさせて、過ぎた言葉を詫びる平謝りの伯爵にスザンナと夫人が攻撃をする三重唱となっていたが、クラシカ・ジャパンの字幕が適切で、最後には許してしまう優しい伯爵夫人が現れていた。
     一息入れた所にフィガロが飛び込んできて、形勢の悪かった伯爵がしめたとばかりにフィガロを責めるが、手紙の件は知らないと言い張る四重唱に発展し、アントニオが2階から飛び下りた奴がいると大騒ぎして、五重唱となって賑やかであった。



     演奏会形式では、歌手の頭数が揃えば演出が不要なので、重唱に専念でき、ここでは、フィガロが飛び下りたと白状し、落とした辞令を巡ってフィガロがピンチとなるが、伯爵夫人の手助けで何とかうまく収まっていた。
      そこへ、バルトロ、マルチェリーナ、クルツイオの三人が駆けつけ、証文を示してその実行を伯爵に訴えるので、またまた大騒ぎ。フィガロ側3人対伯爵側4人の七重唱になって、伯爵が「静まれ、静まれ」と主導権を取り、大混乱のアンサンブルの中で第二幕が終了していた。いつもながら、二重唱から七重唱にわたるアンサンブルが素晴らしく、演奏会形式では、余分な演出を気にすることなく歌に専念できるので、ストーリーの辻褄合わせに神経を使う舞台よりも、遙かに音楽に専念できるセミ・オペラ形式の良さをじかに味わうことができ、楽しい思いをした。



第三幕に入って伯爵が不思議な出来事ばかり続くので考え込んでいるところへ、目覚めた伯爵夫人がフィガロにも内緒でスザンナに何かを命じていた。スザンナがしおらしく夫人の薬を求めに来て、伯爵の様子を伺い、早速、口説かれていたが、曖昧な返事を繰り返して伯爵を焦らせる第17番の二重唱が始まっていた。この曲の弦楽器の伴奏が実に美しく、逢い引きの約束を取り交わしたスザンナが帰りがけに残した「勝ったわよ」という言葉に、伯爵は騙されたと気が付いた。怒りを露わにする伯爵の伴奏付きレチタテイーヴォが始まり、伯爵のこの怒りのアリアは、単独でも良く歌われる曲であるが、「私が溜息をついている間に、召使いが幸福になっていいものだろうか」と召使いの不忠を怒るアリアの激しい迫力に場内では大変な拍手があった。



一方、クルツイオの判決が下ってマルチェリーナ一行が登場し、皆からどうするか責められて困ったフィガロが、親の承諾が必要だと言い訳をしながら、高貴な生まれの証拠として手の痣を見せた途端に、マルチェリーナがお母さんだと分かって大混乱。「愛する息子を抱かせておくれ」と六重唱が始まるが、抱き合っている二人をスザンナが見てフィガロを平手打ち。何とも可笑しいマードレ・パードレの実に滑稽で見ていて楽しい六重唱となり、伯爵の意図に反する大逆転劇となっていた。



  場が変わって伯爵夫人による第21番のアリアとなり、「あの幸せなときはどこへ」と悲しみから伯爵への怒りに変わるシェーファーの靜から動への激しいアリアで会場は大きな拍手。スザンナの報告を聞いた伯爵夫人は、逢い引きの場所を手紙しようと、「お庭の松の木の下で」とスザンナに書き取らせる手紙の二重唱では、歌だけに専念できる二人の息がピタリと合って、素晴らしい二重唱となっていた。



 続いて村の娘たちの合唱があり、奥方への花輪の贈呈があり、その中にケルビーノが含まれていたが、探していたアントニオと伯爵に見つかってしまい、さあ大変。しかし一緒にいたバルバリーナが皆の前で伯爵に告白し、ケルビーノをもらい受ける一幕があった。



行進曲で始まるフィナーレは、合唱団の二人の娘の二重唱で二組の夫婦に伯爵夫妻より花輪と指輪を贈る儀式があり、続いて全員による祝福の踊りとなっていた。これらの音楽は堂々として実に素晴らしく、その最中にスザンナが伯爵に手紙を手渡すシーンとか、喜んだ伯爵がピンで指を指すシーンとがあり、舞台の進行をいつもハラハラさせていたが、今回は音楽だけに専念できるので、些細なことに煩わされず、終わりの白色の今宵は盛大にやろうと言う挨拶を受けて、全員の喜びと合唱で第三幕が威勢良く終了していた。



      第四幕では、フィナーレに入る前に5本のアリアが連続して、演奏会形式の本領を発揮するような、まるで別のオペラのような歌を聴かせる音楽重視の舞台となっていた。バルバリーナのアリアは、澄みきったような声でとても美しかったし、普段は省略されるマルチェリーナのアリア「牡ヤギと雌ヤギは」も明るくメヌエット調で歌われ、存在感を示す見事な歌いぶりであった。バジリオのアリアは、若気の怒りっぽいフィガロを宥める教訓めいた理屈っぽい「ロバの皮」のアリアであったが、アンダンテで始まった後、面白いメヌエットとなり、アレグロで終息するまずまずの歌い方で楽しかった。



スザンナの裏切りを恨んで歌うフィガロのアリアは、伴奏付きのレチィタティーヴォで憂さ晴らしをしてから、「男たちよ、目を開け」と声量豊かに逞しく歌われ、いかにも男らしい歌であった。月明かりの中で歌われるスザンナのアリアは格別で、早い前奏のレチタティーヴォで「やっとその時が来た」と歌われ、その後にピッチカートと木管のオブリガートに乗って「素晴らしい喜びよ」と歌う最高に美しいアリアで、学芸会の真打ちの登場のように明るく歌われていた。

 

フィナーレに入ると本来なら月明かりの庭の中でのドタバタ劇が始まるのであるが、演奏会形式では、いろいろな人物が順番に登場して、簡単な身振りと顔の表情だけで歌うのであるが、下手な演出の無理な辻褄合わせを見るよりも、二重唱であったり、三重唱であったりと、音楽に集中しながら進行するのでむしろ楽しいものがある。スザンナに化けた伯爵夫人とケルビーノのドタバタから始まり、スザンナを目当てに意気込んだ伯爵が、ケルビーノに平手打ちを食らわしたり、それが隠れていたフィガロに当たったりと忙しい。



そして伯爵は、スザンナに化けた伯爵夫人をスザンナと思いこみ、やっと捕まえたスザンナを口説いて指輪まで与えてしまっていた。ここで、フィガロと伯爵夫人に化けたスザンナとの二重唱は、スザンナへのフィガロの仕返しでめっぽう面白く、伯爵に気づいた二人が見せつけた浮気シーンを、伯爵が本物だと思い込んで、遂に大声で全員集合を呼びかけてしまった。



そして謝る二人を前にして、伯爵が「絶対に許さない」と言い張ったところに、伯爵夫人が後ろから静かに現れたので、初めて自分の誤りに気が付いた。大勢の前で伯爵が夫人に許しを請い、心が優しく事を荒立てない伯爵夫人の赦しによって、上手くこの場が収まって全員が一安心して、最後に全員の重唱によりオペラは終わりとなっていた。11人で歌われる最後のアンサンブルをよく見ると9人で歌われていたが、バルトロとアントニオ、バジリオとクルツイオとが二役をやっていたので、全員集合の合唱であった。



      終わると凄い拍手が続いて、シェーンベルグ合唱団の面々の挨拶に始まって、活躍した歌手陣9人が手を繋いで挨拶をし、カーテンコールに応えていた。シェーファーがアーノンクールを呼びに行き、アーノンクールがオーケストラを起立させて、全員で観衆の溢れるような拍手に応えており、これは大成功のオペラの最後を飾る風景であった。演奏会形式であっても、素晴らしい音楽が続き、気に入らない演出や演技がない方が増しだと言うフアンが多ければ全く問題ないのであろう。ここに集まった方々は、演奏会形式を承知の上で集まった方々なので、この拍手は素直に満足の意味に理解して良いと思われる。



  今回の「フィガロの結婚」も、親しまれているアリアや重唱が多く、客席とオーケストラと指揮者、そして舞台の上の歌手との距離が近く感じられ、セミ・オペラ形式というこの劇場ならではのやり方が優れていたと思われた。歌手たちがまん前で指揮をしているアーノンクールを見ながら歌っているのが目につき、演技などにこだわることなく伸び伸びと歌っている姿は理想的であり、素晴らしいオブリガートが多いオーケストラと歌声とのアンサンブルがとても良く、いつも一体感を感じながら演奏されているように思った。

   アーノンクール節ともいえる彼独自の序曲の進め方や第2曲目のディンディンの2重唱での間の取り方、第3曲目の起伏の激しい緩急の付け方など、指摘し始めると切りがない彼特有の解釈による進行は、2006年のザルツ音楽祭の公演よりも古楽器オーケストラの今回の方がよく目立っていたが、この演奏の好き嫌いは、この種のアーノンクール固有の音楽造りを認めるかどうかで決まってくるものと思われる。私はこのような彼の特有の癖が耳たこになってきているし、彼の信条も分かりかけてきているので、最初のころほど驚かず、交響曲などと異なって、ブッファの笑いの多いオペラでは、多少のことは許されると思われ、今回の演奏も全体としては充分許容範囲内にあり、むしろそのような「おや?」と思わせる彼のやり方を楽しんで聴いていたように思う。



       このオペラの映像の良さは、フィガロとスザンナのシューエンとエリクスメンのコンビの良さがまず挙げられ、この二人のこれまでのコンビの「ドンとツエルリーナ」や「グリエルモとフィオルデリージ」とのコンビよりも役が密接であったので、とても印象に残り、二人とも演技や記憶から解放されて伸び伸びと歌っていた。1ヶ月間にこれだけの役をこなすには演奏会形式でなければ不可能であったのではないかと思われる。伯爵と伯爵夫人のスコーフスとシェーファーは、2006年の映像でも出演しており、二人のヴェテランのお陰で、他の出演者たちも安心して活躍できたのであろう。これらの中ではケルビーノのクールマン(コシではデスピーナ役)もバジリオ役のマウロ・ペーター(ドンではオッターヴィオ役、コシではフェランド役)もとても場馴れしており、演技をさせても充分やると思われた。これらの今回の三部作の若手歌手陣の登用の成功で、彼らの今後の活躍が期待される。

      終わりにクラシカ・ジャパンの今回のダ・ポンテ三部作の放送は、「フィガロ」が最後であったが、公演や収録は2014年3月6〜9日であり、「ドン」は3月17〜19日、「コシ」は3月27~29日に収録されており、驚くほど短期の公演であった。歌手陣もかなり共通しており、これだけの短期で収録できたのは、恐らく、これは演出なしのセミ・オペラで形式であったから可能になったと言えるであろう。
       この三部作は、すべて同じ趣向の演奏会形式の演奏で行われていたが、アーノンクールの熱意のこもった意欲的な指揮を始めとするオーケストラの充実振りや、今回の舞台における若い歌手陣の生き生きした表情や見事な歌い振りなどが非常に良く、指揮者と歌手たちやオーケストラとの距離感が非常に近いことを感じさせていた。私見では、今回の「フィガロの結婚」が他の二作よりも、これら三者の熱意と意気込みが強く感じられ、他の二作よりも、豊かさと一体感に満ちた演奏になっていたように思う。



      HD放送により三部作がHDDに収められており、画質も音質も最高の状態で収録できており、取り出しやすいと言う利点も揃ったので、音楽に集中して聴けるオペラとして、これからコレクションとして重宝するものと思われる。また、今回のクラシカ・ジャパンのオペラ大全という「フィガロ」の特集では、評価の高い3大映像の視聴比較と言うことで、 ベーム・ポネルの映画版(5-10-1、1975)および アーノンクール・グート演出の2006年ザルツ音楽祭盤(7-10-5、2006)が選ばれていた。ベーム盤はいわゆる伝統的演出の映画版であり、2006年の映像は背広姿の現代演出で、羽のついた天使の登場という癖がある好みの分かれる映像であったが、音楽はウイーンフイルが演奏し歌手陣も揃ったまずまずの演奏であり、アーノンクールという指揮者の考察には欠かせない映像であったと思われる。

     アーノンクールがダ・ポンテ三部作を演奏会形式で収録するに至った経緯は、不幸にしてまだ正確には伝えられていないのであるが、いずれにせよ彼のモーツァルト・オペラにおける演奏の本質を余すことなく残してくれた今回の映像は貴重なものである。87歳の巨匠が最近収録した三大交響曲(15-6-1、2014)でも、「器楽によるオラトリオ」という言葉を残しているようだし、これらの彼の最近の活動の心境を、直筆による彼の著作の形で残して頂きたいと心から願うものである。


(以上)(2015/07/24)



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